女の子はお砂糖とデスソースで出来ている
水族館を出た頃には、もうすっかり辺りは夕暮れ時となっていた。
オレンジ色に染められた街並みの中を、数えきれないほどの沢山の人達が歩いている。その雑踏の中で、俺と熊谷ははぐれないようにと、変わらず手を繋いだまま流れに乗って歩いていた。
「もうだいぶいい時間になってきたけど、これからどうする? 飯でも行くか」
「うーん」
思えば随分と長い時間水族館を楽しんでいたものである。想定していた以上に時計の針は進み、時刻はだいたい18時過ぎ。本来ならここらで解散する予定となっていたのだが、今日は終電まで付き合えということになっているので、熊谷とのデートは未だ継続中だ。
ぶっちゃけ高校生としてこんな遅い時間まで遊んでいていいのかと思いはするが、そう命令してきたのはあくまでも熊谷の方。デートを続けなければ環にこれまでのことをありのまま報告するぞと脅されてしまっているので、俺としては逆らえず彼女の命令に従うほかない。
ヤクザな親御さんとか心配してないのかなー?
諸星町に帰った後の俺の安否が非常に気になるところである。
「今はそんなにお腹空いてないから、ご飯はまだいいかなー」
「……そうか」
お腹をさする熊谷から期待と違う答えが返ってきて、「ぐぎゅるる」と悲しそうな声で俺のお腹が鳴く。
そりゃあお前は俺の金でバーガーとポテトとチキンをたらふく食ってたからな、腹も空かないだろうよ。
対して俺は一番安いバーガーとコップ10杯分の水のみである。お昼御飯が少し遅い時間になってしまったとはいえ、十代の高校生男子にはあまりにも少なすぎる量だ。
「上月君、もしかしてお腹空いてるの?」
雑踏の中とはいえ熊谷にも俺の腹の音が聞こえてきたのか、腹部に向かってジト目を送ってきた。何か思うところがあるのか、ちょっぴり唇を尖らせながら文句を言ってくる。
「もう、だから言ったじゃん……。私のポテトとチキン半分食べてもいいよって。てゆーかシェアするために注文したんだし……むしろ食べてくれなくて大変だったんだけど?」
そう可愛らしく頬を膨らませる熊谷だが、その件に関しては俺にも言いたいことがある。無限の胃袋を持たない女の子に大食いを強要させたことは素直に申し訳ないと思うが、バーガーと水しか口にしなかった理由は、何もお金がなかったからだけではない。
「だったらデスソースなんてかけんなよな……」
熊谷の、異常な味覚センスによるせいだ。
「えー、上月君『辛いの大丈夫』って言ってたじゃん。それにかける前にも私ちゃんと『辛いの好きだから、ちょっとだけデスソースかけていい?』って聞いたよね? 私全然悪くないと思うんだけど」
「それはそうだけど」
無論熊谷の言ってることは正しい。ちゃんとかける前に確認を取ってくれたし、俺もそれに大丈夫だと確かに答えた。
答えたのだが、問題なのはそのかけられた量についてだ。
「だからって瓶一本分使うってのは聞いてねーよ……。かけるって言うか、浸ってたじゃねーか」
カリカリポテトも、ザクザクフライドチキンも、刺激臭を放つ真っ赤な液体の中に沈められてしまっていた。全然ちょっとなんていうレベルじゃない。
見た目はまさに血の池地獄で、あぁ地獄絵図とはまさしくこういうことを言うのだろうなと、一目見て悟りを開いてしまったものだ。
味はもちろんご想像の通りで、ポテト一本口にしただけで俺の口内は焼け野原となってしまった。辛いっていうか、ただただ痛い。上半身にある穴という穴から水分が溢れ出してもなお燃えるような痛みは鎮火されることなく、大量の水を摂取しなければ、俺は危うく脱水症状を引き起こしていたことだろう。
「あれのどこら辺がちょっとなんだよ? ポテト一本食べただけで死ぬかと思ったぞ」
「大袈裟だなぁ」
呆れたように言い返してくる熊谷だが、決して大袈裟なんかじゃない。あれはまさに劇薬だった。劇薬以外の何物でもない。
「私にとってはちょっとなんだよ」
しかし、熊谷にとってはそうではないらしく、「はぁ」と小さくため息を吐いて、
「本当は三本使いたかったくらいなんだからね。辛いって言っても、ちょっぴり舌がひりひりする程度だし……あれじゃあ全然満足なんてできないんだから」
なんて、物足らなさそうな顔で言いながら、バッグの中からタバスコを取り出した。
そして当然のようにそれをくぴくぴと直飲みし、ほっと息を吐く。まさかそれで水分補給をしているつもりなのだろうか? デスソースより辛くないからといって、ドリンク用じゃねーぞ、それ。
「お前の体質と俺の味覚を一緒にすんなよな……。てゆーか、お前将来誰かと飯食いに行ったときとか絶対に今日みたいなことすんなよ? かけるにしても、せめて小皿に取り分けてから」
「あー、それは大丈夫、友達と行くときはいつもそうしてるから」
「じゃあ俺の時にもそうしろよ!」
何気なく言われたその一言に、周囲の目も憚らず、心の底からの叫びを上げてしまう。当然のように周囲から痛々しい視線を向けられるが、そんなものは俺の味わった苦痛に比べればほんの些細なことなので気にしない。
「ふざけんなよなお前! 俺がデスソースでびちゃびちゃになったポテトを見てどれだけ絶望したことか……!」
あの時の絶望感といったらもう、環の作った料理を出された時と同じくらいのものを感じた。
山盛りの炭や堂々と食材として出されるベニテングダケと匹敵するレベルなのだから、立派な毒物として誇っていいと思う。
様々な劇物を口にしてきた俺が言うのだから間違いない。環はマジで二度と料理をするな。
「あーはいはいわかったわかった。うるさいなー」
が、俺の言葉はまったくと言っていいほど熊谷に響かない。ただただ煩わしい騒音として、両手で耳を塞ぎ拒否られる。
「耳元で叫ばなくても聞こえてますよーだ。むしろ、うるさ過ぎて何言ってるのか全然わかりませーん」
「こ、こいつ──!」
全く反省していないその態度に沸々と怒りが湧いてくる。心の底からの叫びを蔑ろにされて、俺は力強くギュッと拳を握りしめた。
畜生、タイミングよく俺の手を放していたことを幸運に思うがいい。
とはいえ、もちろん拳を握った程度で怒りが晴れるはずもない。というわけで、俺は周囲の目も気にせずに熊谷を傷つけることだけを目的とした様々な罵詈雑言を吐き出すことに決めた。
今日一日だけでも沢山の悪口を言われてきたのだ、多少の仕返しはあって然るべきだろう。
「この味覚音──」
「あっ、ねぇねぇ上月君、私次あそこに行きたい」
「あ?」
と、言おうとしたところで、服の袖をくいくいっと引っ張られ止められてしまう。
熊谷はとある場所を指さしながら、わくわくとした表情でこちらに振り向いた。
「…………」
若干のモヤモヤさが残ったまま熊谷の指さした方に顔を向けると、ピコピコと光り輝くドット文字で『GAME』と書かれた電光看板が目に映る。
見て分かる通り、ゲームセンターだ。
「せっかくだし一緒にプリクラ撮ろうよ」
「えぇ?」
なんと、そこで恋人らしいことをしようと熊谷は提案してきた。
正直言ってめちゃくちゃ嫌だ。
「やだよプリクラなんて……。恥ずかしい」
ゲームセンターに行ったことは何度かあるが、プリクラなんてものを撮ったことはない。
イメージとしてはリア充の女子や付き合いたてのカップル達がキャッキャウフフしながら撮影し、その後目を巨大化させてグレイ型宇宙人に写真を加工する場所だと俺は認識している。
そんな場所に行って何が楽しいのやら、非リア充である俺にはさっぱりわからない。
というか、確かあそこって痴漢防止や盗撮防止のため男子禁制とかじゃなかったっけ?
いや、カップルだったら良いのか。…………差別では?
話は少し逸れるが、世間の皆様は痴漢や盗撮を男性しかしないものだと思い込みすぎているのではなかろうか。痴漢や盗撮をするのは、何も男性だけに限った話ではない。女性だって平然と痴漢や盗撮をするヤバい奴はいるのだ。例えば剣崎妹とか剣崎妹とか剣崎妹とか……。
さらに例を上げるとすれば天界にいる天使達だってそうだ。アイツら授業の一環でペットカメラみたいな不思議道具を使って俺のトイレシーンなんかを観ていたりするからな、マジでこの手の対策には意味がない。
……いや、だからと言って世間の認識を捻じ曲げてまで行きたい場所かというと、別にそういう訳でもないんですけどね。
閑話休題。
どの道俺は男だし熊谷とカップルという訳でもないから、プリクラコーナーには入場条件に背くことになり、入ることが出来ないということだ。
とどのつまり、俺が言いたいのはたったそれだけ。
それだけなのだが、説得するためにそれらを一から声に出して説明するのも面倒なので、表情だけで語らせてもらうことにする。
「うわぁ……。あー、はいはい、わかったよ」
熊谷はそんな俺の露骨に嫌がる表情を見て無理だなと悟ったのか、どうしようもない男を見るような目で諦観の溜息を吐き、ありがたくも別の提案を出してくれた。
「じゃあ格ゲー。それならいいでしょ? 三本勝負で勝った方が今日の晩御飯奢りね。ボッコボコにしてあげる」
変更の仕方が極端だが、それならば俺も楽しむことが出来そうだ。主に今日の晩御飯奢りというところが素晴らしい。俄然やる気も湧いてくる。
「オッケー、それなら俺も文句はない。ボッコボコにしてやるよ」
という訳で、俺達は今日の晩飯を掛けてゲームセンターへと向かった。
のだが、
「ちょっ、やめてください!」
「いいじゃーん、俺達と遊ぼうぜ」
「…………」
ほんの少し目を離した隙に、熊谷はやんちゃそうな青年達にナンパされていた。




