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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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疲れた体にリア充が染みる

 「……はぁ、疲れた」 


 天童にゴミ拾いをしてこいと命じられてから早二時間。俺は河川敷かせんじきで一人、重いため息を吐き出した。 


 疲れた。本当に疲れた。全身が鉛のように重く、頭がまったく働かない。まるで三徹さんてつした後にフルマラソンを走らされたかのような圧倒的な疲労感だ。今なら河川敷のゴツゴツとした地面だろうとも、転んだ拍子に一瞬で爆睡してしまえる自信がある。


 「……ダメだ、流石にもう限界」


 このままでは本当に倒れてしまいかねないので、俺はズルズルと重い体を引きずるようにして帰ることにした。


 こんな状態ではいくら作業を続けていても意味はないだろう。一旦休んで出直す方が、仕事も遙かにはかどるというものである。


 「…………」


 なんとなしに、土手を登りながらゴミ袋の中身を確認してみた。


 スカスカで、空き缶とエロ本しか入っていないゴミ袋はしぼんでいて非常に軽い。果たして、これを見た天童はいったいどんな反応を示すだろうか?


 「……俺、死んだかな?」


 考えるまでもない、怒り狂って暴力を振るってくるに決まっている。


 なにせ服を着替えさせるためだけに俺の全身の骨をバキボキにへし折ってしまうような奴だ。野蛮人以外の何ものでもないだろう。いや、むしろ本物の野蛮人の方がまだ心優しいまである。


 きっと、天使には人の心なんてものはないのだ。


 「頑張って探したんだけどなぁ……」


 とはいえ、別にこれでもサボっていたという訳ではない。


 この町には多くの天使が住んでいるということもあってか治安がとても良い。要するに、町中にゴミがまったく落ちていなかったのである。


 おかげでゴミ拾いをしに出てきたというのに、肝心のゴミが見つからないしまつだった。まさかゴミが落ちてないことに頭を悩ませる日が来るなんて夢にも思っていなかった。


 おそらく町内が綺麗になることで不幸になる人間がいるなんて、世界中のどこを探したって俺くらいのものだろう。……なにそれ、もの凄くうつ


 なんて、そんな風に暗鬱あんうつな表情を浮かべていたのがいけなかったのかもしれない。


 突然に、土手の上から犬に「ワンワンワン!」とめちゃくちゃに吠えられた。


 「ちょ、ちょっとココア!? いきなりどうしちゃったの!?」

 

 なんだなんだと驚き顔を上げてみると、今にも飛び掛かりそうな勢いで牙をき出しにしてこちらを威嚇いかくしている犬がいる。


 俺が未だ襲われていないのは、首に付けられたリードをランニングウェアを着た少女が必死になって引っ張ってくれているからだ。


 「あいつは?」


 犬に引かれて姿を現わした少女は、俺の見知った人物だった。


 同じクラスの、おとといの朝少しだけ話したことのある隣の席の女の子。名前は確か……く、く………く、くま、くまだ……くまさき、くまたに……くまがい、くまもと………………うーん、忘れた。


 とりあえず頭に熊が付いてたような気がするから、たぶん熊なんとかさんで間違いないと思う。


 熊なんとかさんは自分のペットが吠える先を追って、土手の中腹でボケーッと突っ立っている俺を見つけた。


 「──あっ、上月君?」


 まさかこんなところで俺に出くわすとは思っていなかったのか、熊なんとかさんは困り顔を浮かべて素っ頓狂な声を上げる。


 若干嫌そうにしているように見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと信じたい。気のせいじゃないんだろうなぁ。


 それでも熊なんとかさんは知り合いを見たら愛想よく振るまおうと心掛けているのか、無理矢理に笑顔を張り付けて俺に声をかけてきた。


 「えーと……お、おはよう上月君。こんなところで何してるの?」


 ……無理しやがって。


 でも、だからこそ俺は感動したのかもしれない。目頭が熱くなり、思わず泣きだしそうになってしまう。


 「──く、熊なんとかさん!」


 凄い……熊なんとかさん。こんな俺にも優しく笑いかけてくれるんだ。


 環が相手だったら絶対にこうはならない。前日に泣かせるようなことがあったのなら、次の日には必ず容赦のない目潰しをしてくるからな、アイツ。


 おかげで俺は過去に何度も失明しそうになったものだ。物理的に泣かせようとするだけでなく視力まで奪いにくる環さん、マジやべぇっす。


 俺がうるうると瞳をうるませていると、熊なんとかさんは困ったように頬をポリポリと掻いて苦言を呈した。


 「いや、なんでいきなり泣きそうになってるのか分からないんだけど……私の名前は熊谷くまがいだからね? 普通に傷つくから、熊なんとかさんって呼ぶのはやめてくれると嬉しいな」

 「く、熊谷──!」


 環だったら絶対にこうは──以下略。


 とはいえ、流石に名前を忘れられていたことは見過ごせなかったのか、熊なんとかさん改め熊谷はプクーッと頬を膨らませて俺に不満気な視線を送っていた。

 

 「ねぇ、もしかして私の名前を忘れたこと、なかったことにしようとしてない?」


 おっと、これはマズいですね。望まない展開に事が運び、背中に嫌な汗が流れる。


 熊谷に嫌われること自体は別に構わない。構わないが、怒らせるとなると話は変わってくる。


 万が一にもこんなことを環に報告されてしまえば俺は大変なことになってしまうからだ。


 おとといの放課後はまだ回し蹴り程度で済んでいたが、二度目ともなると罰も過激なものへと変わってくるだろう。具体的に言えば、鳩尾みぞおちを木刀で刺突される。その程度のことで俺は死なないが、少なくとも痛みで悶絶するのは間違いない。


 そういう展開になるのは本当に嫌なので、俺はしどろもどろになりながらも熊谷に誠心誠意謝罪することにした。


 「い、いや、あの……違うんです。ホントごめんなさい。熊谷の名前を忘れるつもりは全然なかったんです。えーと、言い訳にはなりますが、その、おとといから二度ほど頭をカチ割られる事件がありまして、それで、その、その時に脳漿のうしょうと一緒に記憶も飛んでいったと言いますか……。あ、あの……信じられない話かと思いますが、本当のことなんです。だからなにとぞ……なにとぞ環にだけは報告しないでいただければ……」

 「う、うん……。それがホントの話かどうかは置いといて、とりあえず上月君が三ノ輪さんに酷い目にあわされたということだけは理解できたよ」


 俺の誠意を込めた謝罪が功を奏したのか、はたまた顔面蒼白な表情を見てドン引きしたのか、熊谷は怒るのをやめて環には報告しないと約束してくれた。


 なんて優しい子なんだ。まるで天使のような存在じゃないか。本物の天使よりもマジ天使。天童は是非とも熊谷の爪のあかせんじて飲むべきだと思う。


 「それで、上月君はこんなところで何してたの?」


 仕切り直すようにして、最初の質問がかえってきた。熊谷の問いに、俺はゴミ袋を掲げて答える。


 「えーと……ご、ゴミ拾いです」


 しかし、言っててなんだか急激に恥ずかしくなってきた。


 熊谷を前にしてゴミ袋を掲げている構図。これではまるで、好きな女の子に良いことしてますよアピールしているみたいではないか。イケメンならまだしも、嫌われ者でスクールカースト最下位の俺がそんなことをすれば気持ち悪いことこの上ないだろう。


 加えてさり気なく入っているエロ本が致命的過ぎる。しかも内容がSMものだから尚のこと致命的。世の青少年たちが変な性癖に目覚めないようにと善意の気持ちで拾ったは良いが、これでは俺が変な性癖に目覚めてしまっていると勘違いされてもおかしくない。


 「えっ、嘘?」


 案の定、熊谷はわなわなと戦慄せんりつしたような表情で唇を震わせていた。そうですよね、俺みたいな奴がエロ本持って何言ってんだよって話ですよね。うん、わかるよ。わかるわかる。


 「あの上月君が、ゴミ拾いを? 冗談でしょ?」


 わかる、と思っていたのだが、どうやら熊谷は俺の想像していたこととはまた別のことで戦慄していたようだった。


 なんだかめちゃくちゃ失礼な反応をされている気がする。


 おいマジかよ。熊谷それだけで俺のこと戦慄しちゃうのかよ。ただゴミ拾いしてただけだぞ。


 でもまぁ、それだけ俺は諸星高校の中で嫌われているということなのかもしれない。なにせ女子生徒の体をエロい目で見てるってうわさのあの体育教師の山岡よりも嫌われてるって話だからな。そんじょそこらの奴とは嫌われっぷりが違うのだろう。


 「そうですよね。俺なんかがゴミ拾いをやったってキモイだけですよね……。ホントごめんなさい。生きててごめんなさい」

 「えっ? あっ!」


 俺の言葉に熊谷はハッとなって自分の口元を押さえた。


 どうやら今の卑屈ひくつな発言を聞いて、俺が深く傷ついてしまったと勘違いしてしまったらしい。


 「あーごめん! ごめんって! そんなつもりで言ったわけじゃないから! ただちょっと意外過ぎてビックリしちゃっただけっていうか! その、だって上月君……」


 熊谷は言い辛そうに口ごもり、言葉を探すようにして視線を宙に泳がせる。


 「一年の時から結構良くない噂が流れてたから、こういうことする人だなんて思ってなくて……その、あー、ダメだ。ごめんなさい」


 結局どんな言葉を選んでも俺を傷つけてしまうと判断したのか、熊谷は全てを諦めたように天を仰ぎ、謝罪の言葉と共に頭を下げた。


 スゲーな俺。弁護できるところがなさ過ぎて、逆に頭下げさせちゃったよ。


 朝日が昇り、清々しいまでに空は青く晴れわたっている。だというのに、まるでここに存在する空気だけが酷くよどんでいるようだった。


 なにこの重苦しい空気。なんでこの子こんなに落ち込んでるの?


 ぶっちゃけ俺クラスの人間ともなると、この程度の嫌われっぷりは些細ささいなことでしかない。別に謝られなくったって気にしないし、その良くない噂を聞かされたとしても全然怒らない。


 というか、もともと他人と距離を置きたくてわざとやっているところもあるしな。熊谷が俺に対して申し訳なく思う必要など、一切ないのだ。


 「気にしなくていい熊谷」


 だから、気にしなくても良いことを気にしている熊谷がだんだんとあわれに思えてきたので、俺は否定するように首を横に振った。肩に手を置いて安心させようかなとも考えたが、それは流石にセクハラと言われそうなのでやめておく。


 「俺は嫌われのプロだからな。この程度の嫌われ、屁でもないさ」

 「き、嫌われのプロとは……?」


 途端に、何言ってんだコイツみたいな顔をされてしまった。うん、キメ顔で言ってみたけど、ぶっちゃけ俺も何を言ってるのか分からない。嫌われのプロって何だよ? 給料とか発生したりすんのかよ。


 しかし、こんなバカなことを言ってしまうのもきっと、寝不足と疲れが原因なのだろう。要するに、俺は悪くない。全ては俺を休ませてくれない天童が悪い。


 俺は誤魔化すようにして、ゲフンゲフンと咳ばらいをした。


 「ま、まぁそもそもの話、これも別に俺が率先してやってるわけじゃないしな! ただ命令されて仕方なくやってるだけだしな! だから熊谷が想像してるように、俺は良い奴でもなんでも──」

 「そんなことないよ!」


 言ってる途中で、熊谷に言葉をさえぎられる。


 「──え?」


 俺が驚いて固まっている隙に、熊谷がずんずんと距離を詰めてきた。


 女の子の甘い香りが漂ってきて、くらりとさせられる。


 いつの間にか、俺の手は熊谷の柔らかい手によって優しく包み込まれていた。


 「上月君は頑張ってるよ! 例え誰かに命令されて仕方なくやっているのだとしても、こんなところで一人、泥んこになってまでゴミ拾いをしてる上月君は絶対に偉いと思う!」

 「お、おう。そうか?」

 「そうだよ!」


 言われて、顔が段々と熱くなってくるのを感じる。


 果たして、俺は一体どうしてしまったというのだろうか。円香さんに胸を押し当てられた時でさえこんな感情は湧いてこなかったというのに……先程から胸のドキドキが止まらない。


 もしかして、それほどまでに俺は、熊谷にかれてしまっているということなのだろうか?


 ……いや、違うな。冷静になれ俺。逆転の発想だ。熊谷の魅力が凄いのではなく、円香さんに魅力がなかったというだけの話ではなかろうか。


 つまりはこういうことだ。円香さんはもっと女らしさを磨くべきだと思う。


 「──ちょっ!?」


 とかなんとか、そんな風に円香さんを心の内でディスってるうちにも、熊谷は更に俺との距離を詰めていた。


 ソーシャルディスタンスガン無視で、キスされるんじゃないっかてくらいに顔が近い。近すぎて、瞳に映る俺のテンパっている表情までもがくっきりと見えるほどだ。


 アワアワしている顔はみっともなく、とてもじゃないが見ていられるものじゃない。俺は堪らず視線を横に流した。


 だからこそ、次の熊谷の行動に、俺は反応することができなかった。



 「君は、褒められるべきなんだ」



 時が止まったかのように、思考が完全に停止した。


 状況を正しく理解するのに、数秒の時を要した。


 熊谷の手が、俺の頭の上に乗っている。


 乗っているというか、撫でられている。


 「──!?」


 そのことに気づいて、俺は飛び跳ねるようにして熊谷から距離を取った。


 褒められることも、頭を撫でられることも慣れてなさ過ぎるせいか、軽くパニックに陥ってしまう。ドクンドクンと、心臓がやかましい程に強く鳴り響いている。


 熊谷も熊谷でそんな俺の反応を見て流石にやり過ぎたと思ったのか、慌てて手を前に出して謝ってきた。


 「あっ、ご、ごめんね! 急に触ったりなんかしちゃって!」


 それから恐る恐る探るようにしながら、上目遣いで訊ねてくる。


 「その……嫌、だったかな?」

 「い、いや全然!」


 嫌だなんてとんでもない。むしろもっと触っていてほしいくらいだった。


 熊谷の手は柔らくて優しくて、それでいてとても温かかった。俺の脳内はまるでお花畑が広がるような幸福感に支配されていて、あと少しでも離れるのが遅れていれば、完全に落とさせられてしまったんじゃないかと思う。


 それほどまでに心地の良い時間だったのだ。足に激痛が走らなければ、本当に危なかった。


 「良かった」


 俺の混乱はまったく収まっていないが、拒絶されないことで熊谷は安心したのか、ほっと胸を撫でおろしていた。


 それから頬を朱色に染めて照れるようにはにかんだかと思うと、くるりと背を向けて手を振ってくる。


 「それじゃあね、上月君。また学校で」

 「お、おう」


 爽やかな風が吹いた。


 それだけを言い残して、熊谷は俺を置いて走り去ってしまった。


 「…………」


 朝日に照らされながら、どんどんと距離が離れていく熊谷の背中を呆然となって見つめる。


 このまま見送れば、この光景はきっと青春の一ページとして俺の記憶に深く美しく刻み込まれるのだろう。


 だからこそ、言うべきかどうか迷ってしまう。


 俺がまたここで熊谷に声を掛ければ、この光景も色々と台無しになってしまう。そんな気がしたのだ。


 それでも、ここで言わなきゃ絶対に熊谷に迷惑をかけることになるのは間違いないので、俺は迷いを振り払って熊谷の背中に声を掛けることに決めた。


 「おーい熊谷!」


 幾分いくぶんか離れているせいで、必然的に声は大きくなる。


 俺の大声に熊谷はビクッと肩を跳ねさせると、立ち止まって、おそるおそるといった感じでゆっくりと振り向いた。


 熊谷が振り向いてくれたことを確認して、俺は自分の足元を指差す。


 「お前、自分のペットのこと忘れてるぞー!!」

 「ガルルルル!!!」

 「わぁぁぁぁぁばかぁぁぁぁぁぁ!! 何やってんのココアぁぁ!!??」


 俺の足を食い千切らん勢いで嚙みついているココアちゃんを見て、熊谷が全力疾走で戻ってきた。 

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