可哀想なカラスさん
熊谷と河川敷で別れた後、俺は別行動を取っている天童と合流するため近所の公園へと来ていた。
「ふあぁぁ……。ねっむ……」
もう何度目かになるのかも分からない欠伸を吐き出して、公園で一人ごちる。
いい加減体力の限界が近いのか、先程から欠伸が止まらない。ココアちゃんに足を噛まれたことによって一時的に眠気が飛んでくれていたが、どうやらその効果も完全に切れてしまったらしい。
「おせぇなアイツ、何やってんだ?」
出来ることなら早く家に帰ってぐっすりと眠りたいところなのだが、なぜか待ち合わせの時間になっても天童が姿を現わさない。
約束の時間なんてもうとっくに過ぎているというのに、かれこれ二十分もの間俺はこの場所で待ちぼうけを食らっていた。
こんなことになるなら急いで戻ってくる必要もなかったなと後悔する。
遅れたら絶対に殴られるだろうなと思い走って戻ってきたのだが、結果として無駄に体力を消耗しただけだったようだ。
「もういいや、帰ろ」
このまま待ち続けているのも辛いだけなので、俺は天童との待ち合わせを無視して先に帰ることにした。
例え後で怒られるようなことになったとしても悪いのは約束の時間を守らなかった天童の方だ。文句を言われる筋合いはない。
そう思い帰ろうとしていると、
「優さーん!」
空から天童の声が降ってきた。
上を見上げると天使化した天童が翼を広げてこちらに向かってきている。
凄まじいスピードだ。周りにいるカラス達もグングン追い越して、ジェット機の如く空を翔けぬけていた。
「すみません優さん、遅くなりました!」
やがて、天童は砂塵を巻き上げながら俺の傍へと舞い降りた。砂埃が目と口の中に入りそうになったので、慌ててその二つを同時に閉じる。
風圧がなくなったことを肌で感じてから、俺は遅れてきた天童に一言文句を言ってやろうと口を開いた。
「おせぇぞ、何やって──」
しかし、俺の言葉は天童が天使化を解いた瞬間に固まってしまう。
全身血まみれの天童がそこに立っていたからだ。
「マジで何やってたんだよお前……。ゴミ拾いしてたんじゃないのか?」
「はい、もちろんしてましたよゴミ拾い! 頑張りました!」
いったいコイツは何を頑張ったというのだろうか。元気よくガッツポーズを取っているが、その握られた拳にも血がべっとりと付着していて、もはやホラー以外の何ものでもない。
満面の笑みを浮かべているということもあり、天童がサイコパスに見えて仕方がなかった。
そんな中、
「にゃー」
この場の空気も読まず、天童の頭の上に乗っかっている白い猫が可愛らしい声で鳴いた。
その鳴き声を聞いて、天童は思い出したかのように自分の頭の上に乗っかっている猫に触れる。
「あっでもでも、この子はゴミじゃないですからね。確かにゴミと同じように道端に捨てられていましたけど、今はもう私の大事な家族なので」
「いや、流石に俺もそれをゴミだなんて思わんけど」
ぶっちゃけ頭の上に乗っかっている猫のことなんて今はどうだっていい。それよりも天童の服や拳に付着している返り血の方がずっと気になる。
見たところ天童や猫に傷らしきものはない。ということはつまり、この天童に付着している血はこの場にいない第三者のものであるということだ。
果たして、この血の持ち主だったものは今頃無事でいるのだろうか。天童の拳を受けてまだ息があるのか、非常に気になるところである。
「……ま、まぁいいや」
気にはなるが、やっぱりこのことについては触れてはいけないような気がしたので深くは聞かないことにした。
この世には知らないままでいた方が良いことなんて沢山ある。天童が起こした訳の分からない事件に、わざわざ自分から首を突っ込んでいく必要もないだろう。
ちゃんと誰にも見つからないように処理してくれたことを、切に願おう。
「それにしても優さん、随分と沢山のゴミを拾ったんですね」
「え?」
俺が天童のクレイジーっぷりさに戦慄していると、いつの間にか天童は俺の持つゴミ袋へと興味を移していた。
「私が探しても全然見つからなかったのに、どこにそれだけのゴミが落ちてたんですか?」
「え、えーと、それはだな……」
サイコパスにじーっと見つめられ、言葉に詰まる。
よくよく見てみると、天童の持っているゴミ袋は先程の俺と同じようにほとんど何も入っていない状態だった。
どうやら天童もこの町の治安の良さは計算に入っていなかったらしく、あまりゴミを拾えなかったらしい。
これはマズいことになった。天童に怒られないようにと熊谷と別れてから必死になってゴミをかき集めたのだが、結果として逆に怪しまれる形となってしまったようだ。
「茂みの中とか、電柱の影とか、まぁ色々だ……」
「へぇ」
俺の咄嗟にひねり出した答えに、天童は感心したように頷いた。
一応嘘は言っていない。今挙げた場所は実際に俺が空き缶やエロ本を見つけた場所である。
ただ他にもゴミが落ちていた場所があったというだけの話で……自販機の横にあるボックスだとか、公園に設置されているゴミ籠の中とか、色々……。
……うん、本当のことを言ったら殴られそうだから、このことは墓場まで持っていくことにしよう。
俺が密かにそんな決意をしていると、天童は「ふふふ」となぜか含み笑いをしていた。
「な、なんだよ?」
「すみません、なんだか少し嬉しくなってしまって、つい。優さん、家を出るときにはめちゃくちゃ嫌がってたのに、なんだかんだで私がいなくてもちゃんと頑張ってくれていたんですね」
「あ、当たり前だろっ! 殴られるのは嫌だからな!」
なかば反射的に俺がそう言うと、天童は天使らしい慈愛に満ちた表情でにっこりと微笑んだ。
「えぇ、私も殴らずに済んで良かったです」
「…………」
微笑んでいるのだが、表情と発言が一致してなさ過ぎて普通に怖い。全身返り血まみれだから尚のこと怖い。
おそらくここで俺が本当のことを言えば、間違いなく天童はその宣言通り思いっ切り殴り掛かってくるのだろう。
そうならずに済んで良かったなと、心の底から安堵する。
おかげで命を拾えたわ。嘘を見抜く環がここにいなくて本当に良かった。
「にゃー」
「──!?」
しかし安心したのも束の間、背中に悪寒が走った。
ゾクリとし、殺気の混じったような視線を感じて顔を上げると、じーっとこちらを見ている白猫と目が合う。
「…………」
途端に、全身の汗腺からドッと汗が噴き出してきた。
野生の勘というやつなのだろうか、なぜだかは分からないが、この猫にだけは俺の隠していることが見抜かれているような、そんな気がした。
まるで蛇に睨まれた蛙にでもなったかのような気分だ。とんでもない緊張感に包まれて、今にも五時間前に食ったビーフシチューを吐いてしまいそう。
「それでは優さん、遅刻してはいけないので早くお家に帰りましょうか」
そんな緊張感の中、天童がくるりと背を向けて歩き出した。俺は慌ててそれに待ったをかける。
「お、おい、待てよ天童! ま、まさかそいつもつ連れ、連れて帰るつもりなのか!?」
しかし、緊張で喉がカラカラに乾いているせいか、言葉が思うように出てこない。恐怖心で脳がバグっているせいか、明らかに声量も間違えている。
「え、えぇ、そのつもりですけど……」
俺の突然の奇声に、天童は驚いたように肩を震わせた。
それから警戒するようにして、おそるおそる振り返る。
「何か問題が?」
「問題だらけだ!」
ぶっちゃけ問題なんて何一つとしてない。
絵面的にも幼い少女を恫喝しているようで、下手すれば警察に通報されてしまうかもしれない。
それでも、俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。
間違いなくこの猫は危険だ。俺の危機感知レーダーがさっきからビンビンに反応している。何がなんでも家に連れて帰ってはいけないと、心がそう訴えかけてくる。
近年まれにみる危機感を受けて、俺は全力で天童を説得しようと試みた。
「誰がそいつの面倒を見るんだよ!」
「私ですけど?」
「俺にペットを飼うだけのお金はないぞ!」
「私にはありますよ?」
「もしかしたら俺は猫アレルギーなのかもしれないじゃないか!」
「この距離で症状が出てないなら大丈夫でしょ」
「…………」
「…………」
「……なぁ、他に問題ってあるか?」
「いや私に聞かれましても……」
マズいぞ、飼えない理由がなさ過ぎてあっという間に説得の材料が底をついてしまった。このままでは猫を飼うことで決定されてしまいそうだ。
しかし、うーんうーんといくら頭を抱えて考えてみても、一向に良い問題点は浮かんでこない。いつもならもっと冷静な感じで頭が回ってくれるのだが、疲れと眠気と緊張感のせいか考えが何一つまとまらない。
「もしかして優さん、猫のこと嫌いなんですか?」
天童はそんな俺を見て、心配するような眼差しで問い掛けてきた。
「いや、大好きだ。愛していると言っても過言じゃない」
「そ、そうですか……」
俺の即答に、なぜか天童はドン引きした表情になっていた。不審者を前にしたかのように、じりじりと俺から距離を取ろうと後退し始める。
どうやら今の大好き愛してる発言が相当に気持ち悪かったようだ。口元は笑ってるのに目が全然笑ってない。
いやなんでよ。別にいいだろうが猫好きでも。
ぶっちゃけ人間の言葉を発しないってだけで、お前なんかよりもずっと可愛いからな、猫。
って、今はそんなこと考えてる場合じゃないな。猫を飼わない理由を急いで探さなければ!
俺が変なことを考えないよう頭をぶんぶん振っていると、またもや天童が家に帰ろうと背を向けた。
「じゃ、じゃあなんの問題もないということでいいですね? このままだと本当に学校に遅刻しちゃうんで、いい加減早く帰りますよ」
「そ、そうだ!」
「今度は何ですか!?」
ギリギリもギリギリ、天童の発言を受けて、俺は逆転の一手を思いついた。
ふっふっふっと、自然と勝ち誇った笑みが込み上げてくる。天童はそんな俺を見てさらに不審感を募らせることになったが、気にせずビシッと指を突きつけてやる。
俺は思いついた逆転の一手を天童に炸裂させた。
「俺達が学校に行ってる間はどうすんだよ! その間、誰も面倒を見る奴がいなくなるじゃねーか!」
俺達は学生だ。日中は学校があり、家に居ることが出来ない。
つまりその時間帯、誰もこの子の世話をすることが出来ないということである。
これはいけない。猫を家の中に長時間放置するなんて、飼い主としての責任を放棄しているということになってしまう。
ふふふ、完璧だ! 完璧な問題定義だ! 勝った!
俺が勝利を確信してガッツポーズを取ると、
「えぇ、そこまで心配します?」
俺の想像とは裏腹に、天童はなんとも思っていないような呆れた表情をしていた。
それどころか何度も食い下がる俺にいい加減鬱陶しさを感じたようで、若干の嫌悪感を出して反論してくる。
「大丈夫ですよ半日くらい。だいたい人間の中にも一人暮らしをしながらペットを飼ってる人なんて沢山いるじゃないですか。仮に問題が起きるとしても、せいぜいが部屋の中を少し荒らされてしまう程度のこと。この子を見捨てる理由にはなりません」
「くっ──!?」
天童の言うことはもっともだった。
確かにこのまま放って置いたら、間違いなくこの猫はどこかで野垂れ死んでしまうことだろう。動物好きとして、それは俺も望むことではない。
しかし……しかしだ!
この猫だけは飼ってはダメだと、俺の心が訴えかけてくるのだ!
「でも……でも……」
一瞬で問題定義を覆され、俺がまたどうしたものかと考えあぐねていると、
「それにほら、見てください。この子凄いんですよ?」
天童はそう言って、頭に乗せていた猫を突然空へと放り投げた。
いきなり何をやってんだコイツはと思ったが、放り投げられた猫を見て俺は絶句する。
猫の頭の上に金色の輪が現れ、背中に翼が生えていたのだ。
「…………」
翼を生やした猫はそのままばっさばっさと羽ばたいて、あっという間に上空へと飛んでいった。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
塞がらないどころか、顎が外れそうな勢いで開いていく。
「にゃー」
驚くことはまだ続いた。空を飛ぶ猫が一声鳴いて、周囲に光る玉のようなものが現れたのだ。
「グゲェ!?」
次の瞬間には、その光る玉が高速で動き、空を飛ぶ一匹のカラスを貫いた。
猟銃と同程度の威力があるのか、光る玉を受けたカラスは一瞬で絶命し、くるくると錐揉み回転しながら落下していく。
「にゃぐ」
そこを、空飛ぶ猫が猛禽類顔負けの手際の良さで捕らえた。
隣に立つ天童が、まるで自分の手柄であるかのように誇らしげに胸を張る。
「このように空だって飛べるし、狩りだってできちゃうんです」
「…………」
そうして、捕らえた獲物を差しだすように、狩りを成功させた猫が俺の元へ舞い降りた。
「にゃー」
「…………」
「ねっ、凄いでしょ?」
「……ねっ、じゃねーよ」
やはり、俺の直感は正しかったようだ。
この猫、普通じゃない。
ていうか、猫ですらない。
「ただのバケモンじゃねーか!!!」




