第23話-4:失敗スコーンと豆乳プリンとブラフェティ邸
厨房へ足を急がせ、冷蔵庫の中を探り、簡素な菓子を作り上げる。
寝かせてあるパイ生地にジャムを載せ、パイ生地を重ねて焼けば、ジャムパイの出来上がりだ。
今日はいつもと違い、魔王様の寝室にて菓子の時間となっている。
駄目元ではあるが、魔王様が寝ているベッドを囲みながら菓子を食べていれば、甘味王である魔王様が、自身を無理矢理回復させて起き上がるかもしれない、というコンセルさんの提案だ。
テーブルを側に置き、魔王様のベッドを囲むように椅子を並べ、ジャムパイを頬張る。
が、当然ながら皆の表情は暗く、部屋には陰鬱な空気が漂っている。
周りが菓子を食べているというのに、あの魔王様が動きもせず眠り続けているというのは、何とも不思議な光景だ。
そんな中、陰々とした雰囲気に耐えかねたプレジアが、声高に沈黙を破った。
「う、うむっ! 流石シホの菓子、美味いのう!!」
「……あ、ああ! このジャムも色々な菓子に使えるんだな! 美味いよ」
「うむ、流石シホ。以前より更に腕を上げるとは……! どれほどの鍛練を重ねているのだ?」
魔王様に見入ったままパイを口に運んでいたコンセルさんも、プレジアの声で我に返り、空笑いを浮かべる。
玲子もプレジアの言葉に大きく頷き、両手に掴んだパイを一気に頬張り、咀嚼しながら皿に手を伸ばす。
しかしリアレスカさんは菓子が気に入らないのか、眉を顰めて口角を下げ、視線で私に訴え掛けているようだ。
プレジアがその視線に気付き、首を傾げながらリアレスカさんへ顔を向けた。
「……何じゃ? お主、気に入らんのかの?」
「……ギュールがちょっと……もう少し違うのがいいわ」
元々リアレスカさんは甘い物、濃い味の物が得意ではなく、さっぱり系な食べ物が好みだ。
私が作った菓子も甘さが控えめで軽い物を好み、この寝かせていたバター風味のパイ生地では、少々重いのかもしれない。
「……分かった、ちょっと作ってくるよ」
魔王様回復に敵地へ乗り込む以上、リアレスカさんも万全にしておいてもらわないと、何が起こるか分からない。
私は椅子から腰を上げ、扉に向かって歩を進める。
「……シホちゃん、大丈夫か? 魔王様、きっと大丈夫だからさ」
何を思ったのか、コンセルさんが私の元へと歩み寄り、私の肩に手を置いて心配そうに声を掛ける。
何で私の心配をするのか意味が分からないが、きっと無意識に変顔でもしてしまったのだろう。
私は心配無用であることを込めてコンセルさんに微笑み掛け、厨房へと向かった。
……それにしても腹立たしい。
厨房に辿り着いた私は、調理台に両拳を叩き付ける。
私が魔王様を呼ばなければ、魔王様はこんな目に合わなかったかもしれない。
私にもっと力があれば、魔王様は今頃、笑っていたかもしれない。
何よりも、気を失ったと油断し、敵を放置していた自分が許せない。
「……ッッッ!!」
台に拳を叩きつけたまま、力を込める。
粉砕しそうな爆音を響かせた台が、今度は唸るようにその身を撓らせ悲鳴を上げる。
調理台は一応魔力で保護をしたのだが、魔力の操作に慣れていない私では、あまり効果が出ないようだ。
「……いや、落ち着け、私……早く菓子を作らないと……」
己の不甲斐なさに苛立ち、何もかも破壊し尽くしたくなる気持ちを抑え、無の境地に至ろうと瞑目するが、瞼の奥に、魔王様の姿が浮かび上がる。
いつもの黒い装束が、真っ白に変色した長い髪や肌を際立たせる。その白い姿は瞑目したまま微動だにしない。触れた肌から掌に伝わる冷たさが、魔王様の奪われていく体温を嫌というほど感じさせる。
まるで、死ん……
「いや!! 違う!! 大丈夫、大丈夫だ!!」
己の中に湧き上がる、考えたくない思考が噴き出し、脳を侵食しようとする。
押し返すように頭を強く振り、調理台に向き直す。
私の菓子は魔力を回復、いや増大させる薬。早く作って食べてもらわねば、魔王様を助けに行かれない。
「……食べて回復……食べなくとも、近付く者でも回復させる力があれば……?!」
念を込め、近付く者の魔力を回復させる菓子を作れば、魔王様も回復出来るかもしれない。
私は念を込めながら冷蔵庫から、おからを取り出した。
そこに小麦粉と砂糖、塩少々を強く念じながら混ぜ、少量の豆乳で硬さを整える。
己の体から魔力を分けるのと違い、菓子の力が体を癒やす、そんなイメージだ。
混ぜていると、透明に近い白色な魔力の粒が、くるくると舞い踊りながら、徐々に赤みを帯びてくる。
「……よし、こんなものか」
私は材料を睨み付けたまま材料を綿棒で何度か伸ばし畳み、丸い型で抜き取り焼き上げれば、おからスコーンの出来上がりだ。
私はそっとオーブンの扉を開け、スコーンに手を伸ばす。
スコーンから湧き上がる赤い魔力が私の手を包む。
……いけるか……?
私がスコーンに手を触れると、体の力が抜け、思わず片膝を床に付ける。
スコーンはみるみるうちに私の魔力を吸い上げていった。
「……ッッ!」
苛立ち紛れに、手にしたスコーンを床に投げ捨てる。
遠くから様子を窺っていたらしいスアンピが、食べ物を投げ捨てた私を見兼ね、スコーンへ駆けてくる。
「……らしくねえぞ、シホ! 食いモンを粗末にするなんて……」
「駄目だ! スアンピッッ!! 触るなッッ!!」
私の声は遅く、スアンピは既にスコーンを手にしてしまっている。
スアンピがゆっくりと膝から崩れ落ち、床の上に横たわる。
私は慌てて冷蔵庫からジャムを取り出し、スアンピの口の中に押し入れる。
ジャムを飲み込み、大きく息を吐いたスアンピが、手元から転がり落ちたスコーンに、呆れと怯えの混ざった視線を向けた。
「……んだよ、また殺人兵器でも開発してたのか?」
「……食べずに魔力回復する物を作ろうとしたんだけど、例によってまた失敗だ」
魔力操作を誤ったストゥルッフォリの話を以前していた上に、カエルに味を奪われたカトルカールにも遭遇していたため、スアンピの口から『また』という単語が出てくる。
思い出せば確かに、菓子の魔力操作を行って成功した試しがない気がする。
「……どうすんだよ、これ。触れなきゃ捨ても出来ねえだろーが」
「……何とか、どうにか……大量の魔力を使えば……」
私は指に魔力を集中させ、防御膜を施す。
その指でスコーンを拾い上げると、防御膜がスコーンの力を拒絶し、私の魔力を奪うまでには至らない。
しかし、このままスコーンを捨て、誰かの魔力を奪ってしまっては大事だ。
私は掌に集中し、スコーンへ魔力を注ぎ込む。
スコーンの力は私の魔力に押し潰され、スコーン共々跡形もなく崩れ去った。
「……飛んだ無駄足だったな……」
無駄足どころではなく、大量の魔力を消耗してしまった。
菓子を食べれば回復するとはいえ、倦怠感は否めない。
私は自嘲を含めた笑みを浮かべ、調理台へと向き直す。
豆乳に砂糖と卵を加え、掻き混ぜる。
混ぜた液をザルで漉し、これを蒸し器で蒸せば豆乳プリンの出来上がりだ。
本当は冷やした方がさっぱりと頂けるが、それには時間が惜しいし、温かいプリンも乙なものだ。
甘い物が得意でないリアレスカさんにはカラメルは無用だろう。
しかし他の人には物足りないかもしれない。
私はホイップにチョコを混ぜたチョコクリームを作り、プリンと共にトレイに載せ、魔王様の寝室へと急いだ。
「作戦じゃが、ブラフェティ邸に乗り込み、少女を目指しつつレイコさんの親友とやらを探す、という事で良いかの?」
「それなんですが、ブラフェティ邸内は迷宮です。一体どうすれば、少女のいる場所へ辿り着けるのでしょうか?」
「……うむ。迷宮でなくとも、広い場所というのは兎角、迷いがちだ」
最後の玲子の声には、全員が心の中で『それはお前だけだ』というツッコミを入れたとか、入れないとか。
とにかく、プレジアの作戦は大雑把で、コンセルさんが不安に思う気持ちもよく分かる。
プリンを無言で食い荒らしているリアレスカさんも置いておき、私とコンセルさんは顔を見合わせて頷き、プレジアへと視線を動かす。
プレジアはチョコクリームをスプーンで掬ってプリンに載せ、それを口に入れると、満面の笑みを浮かべて声を上げた。
「うぬう!! このトロトロ感が堪らんのう!! このクリームを掛けると、また一層……!!」
プレジアがクリームを掛けたプリンをスプーンに載せ、魔王様の側を迂回させて自分の口に入れる。
が、チョクラ大使であるはずの魔王様は、ピクリとも動かない。
プレジアは眉尻を下げ、スプーンを銜えたまま魔王様を見つめ、言葉を続けた。
「……まあ、儂も様々な場所を冒険しとるでな。ブラフェティ邸内部もお手のもんじゃよ。儂が旅した時、あのような少女ではなく、知恵の浅い魔物のような奴がおっただけじゃがな」
「おお! 流石ですね……!」
流石、好奇心旺盛で各地を旅歩き、至る所に知り合いがいるプレジアだ。
こういう時は頼もしい。
コンセルさんも普段と違い、頼もしそうにプレジアを見つめている。
「うむ……。人の後に付いて回る、というのは性に合わんが……。今回は致し方あるまい。頼む」
「手伝ってもらうのに態度でけぇな、おい」
居丈高に頭を下げる玲子を一喝し、魔力を最大まで上げた私達はブラフェティ邸へと向かった。
執務室にある転移の部屋から、第七大陸へと移動する。
そこからは、コンセルさんのコウモリのような翼とプレジアの飛行能力が頼りだ。
プレジアが玲子を、コンセルさんがリアレスカさんと私を抱え、空中を滑走する。
地面や小山、川などを越えていくと、規則正しい高さに整えられた緑が見えてくる。
その中に、黒い屋根と柱に灰色の外壁をした館が現れた。
「……あれじゃ……! あれがブラフェティ邸じゃ……!」
その館はコの字型に両端が飛び出し、中央には立派な柱に囲まれた玄関が突き出している。
その外観から、リアレスカさんは浮かんできた発想を口にした。
「……外は白くないのね。どこか、目的地に一番近い窓から入るの?」
「いや、窓は全て幻覚魔術、然も魔術を施した外壁で覆われておる。入り口以外からは一切出入り出来ぬようになっておるのじゃ」
リアレスカさんの策に、プレジアは眉を下げて首を横に振る。
確かに、折角中を迷宮にして容易に辿りつけないよう工夫したのに、外壁を破壊して中に入られたら、迷宮にした意味がない無駄な徒労だ。
プレジアになら可能なようだが、魔力の消耗が激しすぎ、今後の行動に影響を及ぼす事は必至らしい。
しかしプレジアの言葉に、玲子はしたり顔で新たな提案を持ち掛けた。
「……私が消してやろう。一番近い場所の壁に近づいてくれ」
「……そうか! 試してみる価値はありそうだな!」
「……うぬ! 確かにのう」
コンセルさんがプレジアに顔を向け、視線を交わして頷き合う。
普通の人間ならどんな魔術でも破壊出来ないらしいその外壁も、魔力を消し去る力を持つ玲子なら通用するかもしれない、といった所か。
二人は最上階の中央まで滑空し、壁の前で静止する。
「……拳を振るう。プ……さんはそのまま、背中を強く押していてくれ」
「『プ……』ではなくプレジアじゃ! 分かったのじゃ」
「うむ、その……さん、頼む」
「『プ』すらなくなっとる!!」
プレジアは唇を尖らせつつ魔力を放出させ、玲子が落ちないよう工夫しながら、自分と玲子の間に緩衝作用のある魔法を展開させる。
プレジアの準備が終わった気配を察し、玲子が壁を睨み付けると、魔力の粒が輝きを失い、瞬く間に消え去っていく。
プレジアに抱えられている玲子は両足を壁に付け、プレジアに背中を押させながら拳を突き出した。
「……はああっっっ!!」
「おわっっ!!」
玲子の拳が壁にめり込み、亀裂の入ったその周囲の壁が崩れ落ちる。
魔力を失ったとはいえ、壁を崩壊させるほどの力だ。プレジアはその衝撃に思わず声を上げるが、顔を顰め、玲子を支え続ける。
何度か打ち抜き、人一人は入れそうな大きさに達し、玲子は安堵と満足感の交ざった息を吐いた。
「……よし! 突入だ!!」
「待て、コンセル! 儂への労いの言葉は?!」
思わぬショートカットに、コンセルさんが喜び勇んで中へと飛び込む。
影の立役者であるプレジアは、その対応に不満を感じ頬を膨らませながら、コンセルさんの後に続いた。




