第23話-3:逃げた少女と死闘の決着
「まッッ魔王様あああ!!!」
コンセルさんが翼を畳み、魔王様の元に駆け寄る。
私の足元に臥せている魔王様は、髪だけでなく肌の色まで徐々に色を失い、真っ白な存在に変化していく。
「……ま……魔王様……?」
私は全身の力を失い、魔王様の側に跪く。
魔王様の口元に手を伸ばすが、その口からも鼻からも、息が吐かれることも吸い込まれることもない。
胸部すら、微動だにしない。
握る掌からは、体温も奪われているのか、徐々に冷えていくのを感じる。
「……え…………?」
私が魔王様を呼んだせいで、魔王様を大変な目に合わせてしまった。
魔王様の白くなった髪を見、そうなる理由を思い出し、体力を回復させる魔力が足りないのかと懸命に注ぎ込む。
しかし、魔力は不思議な力によって弾かれ、魔王様の体に届くことなく、四散してしまう。
コンセルさんも懸命に魔王様の体を探り、治療を施そうと試みるが、コンセルさんの青白い顔色からは冷や汗が止め処なく溢れ、解決策が見つからない様子が窺える。
私も魔王様の顔や手、心臓付近を擦り、どうにか魔力が注げないかと懸命に思考を張り巡らせるが、魔術や魔法などの経験が浅い私に、いい案など浮かぶはずもない。
そうしているうちにも、魔王様の体はどんどん冷たくなっていく。
私は震える手を自分の手で握り締め、魔王様を凝視する。
すると、魔力の欠乏したプレジアが気力を振り絞り、体を引き摺りながら魔王様の元へと歩み寄ってくる。
……そうだ、プレジアなら……!! 人間が施した魔法なんざ、精霊には通用しないよな!!
私は期待を込めてプレジアの顔を覗き込んだ。
「……ぬう……魔力と体力が殆ど奪われておる上に、体に作用する力を妨げる魔法が掛けられておるようじゃ……!! このままでは……」
「って……!! プレジア、どうにか……!!」
「プレジア様っっ……!!」
「強固な上に緻密な魔法じゃ……!! 口惜しいが、儂にも……解けん」
プレジアの様子から絶望感を感じ、コンセルさんと私は悲痛な叫びを上げて、プレジアに縋り付く。
しかし、プレジアも好意を持つ相手だ。治せるなら治したい気持ちで一杯だろう。
唇を噛み締め、眉を顰めたまま瞑目し、ゆっくりと、小さく顔を横に振る。
「……と、ともかく……早く城に戻そう……!!」
「させるわけ、ないなの」
コンセルさんが魔王様を抱え上げようとしたその時、少女がコンセルさんに向かって玉を翳す。
魔力を奪われたコンセルさんは足元をふらつかせるが、少女から返って来る魔法の威力は、今までのものとは比べ物にならないほど、小さい。
「……なんて弱い魔力なの」
「……悪いな。魔術系の適性は、ほぼないんで」
コンセルさんは足元に力を入れ、即座に己の体勢を取り戻す。
腰の剣を居合のように素早く取り出し、迫る魔法を粉砕し、そのまま少女の背後へと回り、首元へ手刀を入れる。
一瞬の出来事に、少女は理解する間もなく小さな唸り声を上げ、その場に倒れ込んだ。
コンセルさんは少女の脇を駆け抜け、玲子と向い合い、両手に剣を持ち直して身構える。
「……さっさと片付けて、魔王様を治療しないと、だしな」
「……なるほど。かなりの達人のようだな。このような機会でなければ、大いに楽しみたい所だが……」
自分より強い者と戦うことを生きる糧としている玲子にしては珍しく、強敵に難色を示すように表情を歪ませ、剣を握り直した。
しかし、今の私は魔王様の容態に頭が一杯で、玲子の表情の意味を考える余裕がない。
私が魔王様を見つめる視界の端で、コンセルさん達が剣戟を繰り広げている。
私は魔王様に届かない魔力を闇雲に、只管に、注ぎ続けていた。
「それはお互い様、らしいな……!!」
コンセルさんが切っ先を玲子に向けながら突進する。
玲子はコンセルさんの剣を斜上から打ち下ろし、弧を描きながら流れるような動きでコンセルさんの左胴を狙う。
しかしそれをコンセルさんは右下に構えた剣で弾き上げ、玲子の肩を斜めに斬り付ける。
それを避けた玲子は身を屈め、コンセルさんの足元へと剣を横一線に動かす。
それを跳躍し、コンセルさんは玲子の脳天に剣を振り下ろす。
玲子は屈んだ状態からコンセルさんの横に回り込み、横腹に向けて剣を振り抜くが、空中を蹴り、体勢を変えたコンセルさんは宙を舞い、玲子と間合いを広げて地面に降り立った。
これらの攻防が、瞬きと瞬きの間に、何度も繰り返されている。
「……シホ……」
「魔王様ッッ?!」
魔王様の口元が、徐ろに私の名を奏でる。
しかし意識はないのか、それ以上言葉を発することもなく、再び人形のように動かなくなる。
弾かれつつも魔力を注ぎ続けるのは、全く効果がない訳ではないのだろうか。
もう少し、あと僅かでも魔力が届けば、意識が戻るまではいかずとも、仮死状態からは回復するかもしれない。
僅かな期待を胸に、何度も何度も魔力を注ぎ込む。
しかし今まで同様、魔王様の体に到達する前に、何かが魔力が跳ね返し、宙に散っていく。
散っていく魔力に念じ、無理矢理体に移動させようと試みるが、やはり不思議な力に押し返されてしまい、魔王様の体には到達しない。
触れる体はすっかり冷えきっており、心なしか硬くなってきているような気さえする。
体温を戻すことは愚か、魔王様が再び声を発する様子は微塵も窺えず、無情にも弾き返される魔力を憎々しく睨み付けながら、私は両拳を振り上げ、己の膝に叩き付けた。
……分断や操作が出来るからと偉そうに……!! 何てザマだ!!
暫し体を静止させ、己への叱責を続ける。
が、そうしていても事態は変わらない。
……そうだ! 掛けた人間なら、解く方法を知ってるはずだ!!
あまりの衝撃に忘れ去っていた根本に帰り、私は気を失って倒れているはずの少女の姿を探す。
しかし、その姿は何処にも見当たらない。
「……仕舞った……ッッ!! 逃げられたかッッ?!」
恐らく、何らかの転移の魔術を使ったのだろう。
後を追おうにも、何処へ行ったかすら、分からない。
……玲子なら……知ってるか?! 何としても吐かせねば……ッッ!!
己の失態を責めながら玲子の方へ視線を向けると、コンセルさんとの鬩ぎ合いは未だ続いており、瞬きせずともその動きを見失いそうな速さで争い合っている。
剣の搗ち合う音が幾重にも重なり、何人もの人々が戦っているかのような錯覚に陥る。
私は拳を強く握り締め、二人の様子を注視する。
二人の力は拮抗しており、下手に私が割り込めば、コンセルさんの足を引っ張る可能性が高い。
二人から一定の距離で足を止め、両掌に魔力を集中させる。
先ほどの雷魔術では、分断と操作で威力を増したものの、玲子にダメージを与えることが出来なかった。
然もコンセルさんと立ち位置が目まぐるしく入れ代わり、且つ接近戦である以上、雷の電流では、コンセルさんを巻き込んでしまう恐れがある。
……風魔術を、細長く……さっきより密度濃く……!
私が風魔術を繰り出し、分断と操作で威力を増大させていく。
しかし、それだけでは決定打に欠ける気がする。
一体どこまで強化すれば、玲子に勝てるのか……?
「……儂も……もう、放出可能じゃ……!!」
「……無理……といいたいけど……シホのためだしね……」
魔力が少し回復したのか、プレジアとリアレスカさんが足元をふらつかせながら歩み寄り、私の手を握って魔力を放出させ始める。
織り成した細く長い魔力は互いに絡み合い、詰り合うように旋回し、一本の線となる。
プレジアとリアレスカさんが魔力を放出させたためか、玲子がこちらの様子に気付き、その魔力を睨み付けようと顔を移動させる。
そこにコンセルさんが猛攻を繰り出し、視線を逸らす暇を与えない。
夥しい量の魔力は細長い形状を保ったまま、周囲の砂を巻き込み、玲子に向かって突き進む。
砂嵐を伴った風魔術は玲子の背中に打ち当たり、風穴を開けながらその身を遠方へと吹き飛ばした。
「ぐあああッッッ!!!」
血飛沫を撒き散らし、連なる木々を薙ぎ倒しながら玲子の体が飛んで行く。
その先には大岩が構えている。その身を吹き飛ばす威力が衰えぬうちに、玲子の体は大岩へと叩き付けられた。
ぶつかった大岩はその威力に身を崩し、瓦礫で玲子を押し潰す。
反撃に備えて側に駆け寄ると、玲子は剣で己の身を支え、風穴の開いた腹から血を吹き出しながらも瓦礫を掻き分け、こちらを睨み付けている。
……何故、そこまでやるんだ……? こいつにとって召喚師とは、私にとっての魔王様くらい、大事なのか……?
私が不思議に思いつつ、玲子に疑問を突き付けた。
「……少女が、魔術か何かで逃げた。行き先に心当たりはないか?」
「……何だ、と……?! 麻衣子……麻衣子が……殺されてしまう……!!」
「え……っ? ……麻衣ちゃんが……?」
玲子は口を開くのも困難なのだろう、小さな掠れ声で唸りを上げる。
麻衣ちゃんとは、玲子の幼馴染で、高校でも玲子と同級生である女の子だ。
中学時代、麻衣ちゃんは玲子と家が隣だったものの学区がそこで区分されており、違う中学に通っていたため、私とは同じ学校になったことはない。
しかし、玲子の迸りを受け捲っていた私に、わざわざ家まで来て謝罪するという、責任感の強い律儀な女の子だ。
『ホント、ゴメンね!! 高校ではきっちり監督してるから、史帆ちゃんは別の高校で高校生活を満喫して!! 今、私は中学生活を満喫しとくから!』
『確かに。迸りは困るよね。どうやっても手綱が引けないよ』
『だよねぇ。けど私には、そこまで喧嘩を売る人はいないんだよね。……史帆ちゃんは強いから、余計なんじゃない?』
『麻衣ちゃんは、弁が立つからね。男子は勝てないよ』
『それは自信あるかも。あーあ……誰にでもいいから恋でもして、性格変わるといいんだけどねー……』
『ヤバい! 想像つかない!!』
『私も言ってて思った!』
といった具合で、時々、玲子の悪口合戦をすることでストレス解消していたため、私にとっても、大事な友人の一人である。
玲子と違い、喧嘩の方は全く経験がなく、正義感と口巧者が持ち味の女の子だ。
そんな麻衣ちゃんを懸念する玲子の口振りに違和感が生じ、私は玲子に疑問を投げ掛けた。
「……どういうことだ? まさか麻衣ちゃんも、この世界に……?」
「……ああ……私に言うことを聞かせるため召喚されたらしい……麻衣子を召喚した直後、召喚士の術が急に行使出来なくなり、史帆の言うことを聞かす者が召喚出来なかったようだ……運がいいな、お前は」
召喚した人間が言うことを聞かないために、また召喚するとは見下げた根性だ。
召喚された人間の、これまでの人生を何だと思っているのだろう。
そもそも、あの尊大な態度を改めれば良いだけではないか、と思うのは私の気のせいだろうか。
召喚師は、己が最初に召喚した者の『他人の魔力を奪い特定の魔法に変換して他人に付与する力』を用い、多額の金銭と引き換えに魔術を貸し出す事業を独占しよう、と企んでいたらしい。
その企みを成功させるには、最も邪魔な精霊王をどうにかしたかったようだが、精霊界は容易には見つからない。
そのため、精霊王捕獲を雑魚に任せ、魔術の掌握や精霊王を誘き出すために、あらゆる精霊の抹殺を玲子に命じたが、玲子が無益な殺生を拒んだため、麻衣ちゃんが召喚されてしまったらしい。
その後召喚師は、先日現れた侵入者達──情報開示魔術を掛けた少女から状況を盗み見し、私の生存と居場所を確認してしまったのだ。その戦闘の様子から私の能力が惜しくなったのか、私を脅すために召喚を試みたそうだ。
しかしその時には既に、魔王様達とリアレスカさんが何かをした後で召喚が出来なかったため、急遽、玲子に私の連れ戻しを要求したらしい。
玲子の話を聞く中、プレジアが玲子の傷の深さに見かね、己の魔力で傷口を塞いでいく。
しかし精霊の魔力が尽きるということは、その存在も尽きるということだ。
僅かでも残っていれば徐々に回復するらしいが、プレジアの青白い顔色から窺うに、かなり危険な状態なのだろう。
私はプレジアに魔力を移動させながら、少女がいる場所について、心当りがないか玲子に尋ねる。
プレジアのお陰で大分顔色に赤みの差した玲子は私の質問に眉を顰め、こちらへ視線を投げ掛けた。
「……アイツは今、迷宮の管理者をしているらしい……! 麻衣子もそこに……!! 早く助けに行かねば……!!」
「それで、その迷宮の場所は?」
「それが……何処にあるのかすら……」
「……使えねえな」
玲子の方向音痴さを考えれば仕方がないことかもしれないが、あまりの情報のなさに苛立ちを抑えきれず、私は思わず玲子に罵声を浴びせる。
しかしプレジアは迷宮という言葉に何やら思い当たる節があるのか、顎に手を置き俯きながら言葉を紡ぐ。
「……迷宮といえる場所はそれぞれに特徴が色濃い。その迷宮の特徴を出来るだけ話してもらえれば分かるやもしれんのう」
「う、うむ……かなり広く、入り組んでいるらしい……」
「いや、大体の迷宮ってそうじゃないか?」
やはり玲子の情報は当てにならないのか。
迷宮という単語を辞書で引くと出てきそうな言葉で説明されても、他の迷宮と区別がつかない。
コンセルさんも眉間に手を当て、瞳を強く瞑りながら適切な指摘を入れる。
玲子は瞳を閉じて空を仰ぎ、脳内の情報を模索し直す。
「……う、うむ……中に入ると、地図のない者には容易に出られないそうだが……」
「……それも迷宮の特徴ね」
今度の指摘はリアレスカさんだ。
殴ってどうにかなる問題でもないが、この苛立ちを何処にぶつければいいのだろうか。
私が左掌に右拳を叩き付けていると、何かを思い出したのか、玲子は両手を上下させ、刮目して私に向き直した。
「そ、そうだ……!! なんでも中が白い岩で作られており、かなり眩しいといっていたぞ!!」
「……召喚師関連だと、第七か……もしくは第四大陸でしょうか?」
「……うぬ……だとすると……中が白いのはブラフェティ邸じゃな。……第七大陸地人族王が、こっそり作らせた別荘じゃしのう……!」
「……ああ、確かに。……見た目は普通の館ですが、中は異様に入り組んでいますよね」
流石は冒険好きのプレジアと、魔王様側近のコンセルさんだ。
玲子から寄せられた僅かな情報で、あっという間に特定してしまった。
「よし! 直ぐに其処へ向かうのじゃ!!」
「そうしたいのは山々ですが……プレジア様達、魔力は大丈夫ですか?」
「うぬ。シホに魔力を分けてもらった故、万全まではいかんが大丈夫じゃ!」
プレジアは目的地が判明し、焦燥感に駆られたのか、その場で足を踏み鳴らし、駆け出したい衝動を抑えているようだ。
しかしリアレスカさんは体調が芳しくないようで、コンセルさんの服の裾を掴み、眉尻を下げて顔を覗き込む。
「……ねえ、せめて菓子でも摘んでからにしない?」
「あ、そっか! シホちゃんの菓子は……!」
「魔力回復はおろか、増大も出来るのじゃったな!! 嗜好に陥って忘れておったのじゃ!」
「……了解。それじゃ、即行で何か作るよ」
敵地では何が起こるか分からない。急いては事を仕損ずる。
それに、作ってあるクッキー類は、出来れば装備品にしたいところだ。
私達は一旦城へ戻り、私は厨房で菓子作りを始めた。




