閑話6:七夕にはマロングラッセを
栗もどきには毬以外、外皮も渋皮がない。これは僥倖か、奇禍か。
それを確かめるべく、毬を取った栗もどきを一週間ほど水に浸し、浮いている物を取り除いてガーゼで包み糸で結んだものを、たっぷりの水に入れて茹でていく。栗が柔らかくなったら鍋に並べ、ひたひたの水と同量の砂糖で、沸騰しない温度を保って砂糖を溶かし煮、火を止めて落とし蓋をして一晩置く。
翌日には砂糖を加え入れ、沸騰させずに砂糖を溶かし煮、火を止めて一晩置く、という工程を一週間ほど続けていく。
「ちょっと後悔してきたかも……」
一番苦労するはずの皮むき過程を省略出来ているというのに、ここまで面倒だったのだろうか。
コンロを一口占領しているのも、毎日の菓子作りに少々負担が掛かり、思っていた以上に見守っていなければない状態に、疲労が蓄積している気がする。
……最たる疲労の原因は別だが。
毎日覗きに来ては、菓子の時間に匂いが違うと困惑する、魔王様とコンセルさんだ。
しかし、菓子にも完成まで日にちが掛かるものが結構色々あるのだということを、認識しておいて欲しい。
夕飯後、執務室へ赴き、魔王様とコンセルさんへ進言する。
「……然し、こう毎日甘い匂いが漂っていれば、もう食しても良いものであると考えるのは自然の摂理で……いや、そうであったな……」
屁理屈を捏ねる魔王様に、取ってきておいたバニラもどきの葉っぱを眼前に突き付け、意見の訂正を暗に示唆する。
コンセルさんは、思い悩むように空を仰ぎ見、心臓に悪いことを呟いた。
「けど、もうシガルが溶けてまた元に戻ってるし、一体何を……」
「え?! 勝手に蓋、開けちゃった?! そうすると失敗する菓子もあるから、触る時は先に言って!!」
「ご、ゴメン……つい……」
気になりすぎてつい開けてしまったそうだが、これが他の菓子だったら、完成まで開けてはいけないものであったら、今までの苦労が水泡に帰してしまう。
真剣な表情でコンセルさんへ注意すると、コンセルさんは後悔の念に駆られ、耳を下げて尻尾を巻く犬のように何度も頭を下げて謝罪する。
魔王様も試みようとしていたのか、目を伏せて冷や汗を流していたが、安堵の息を吐き、実行しなかった強みからか、コンセルさんへ説教をし始めた。
私は栗もどきの状態を確認しに厨房へ駆け付け、様子を見る。
コンセルさんのいうように、砂糖が再結晶して落とし蓋にまで付いている。私はそこへ、アルコール分を飛ばしておいた香り付け用のお酒を少々入れ、沸騰寸前まで火を掛けて、再び夜に火を消して置いておく。
そして翌夜、火を消して、中からガーゼに包んで紐で縛った栗もどきを全部取り出し、紐とガーゼを取り外していく。
その栗もどきをシロップ液へ潜らせ、くっつかないように油を塗って置いた網の上に並べて置いていき、微風の日常状態に設定した棚の中に仕舞った。暫く置いて乾いたら、マロングラッセの完成だ。
栗もどきを何日も漬けていたシロップは、栗の香りと色を醸している。少し掬って舐めてみると、栗の香りを漂わせ、仄かだが味もする栗シロップが出来ていた。
これはこれで使えるので、不純物を取り除くために漉してから煮沸消毒した瓶に詰め、棚に入れておく。
……これで、明日は菓子の時間に出せる……けど、やっぱりこれだけだと足りないだろうか?
どうせだし、栗シロップを使って何か作ろうか。
鬼皮も渋皮もない栗は創作意欲を掻き立てるが、大変な作業であることは変わらない、ということがよく分かった。
ここまでくれば、出来上がりが楽しみなので、栗自体の評価は、プラマイゼロとしておこう。
「栗シロップを使った菓子だと……何がいいかな? 折角だし、何だか挑戦的なものにしたい気もするけど」
明日の菓子を思案し、不意に壁掛け時計へ視線を向ける。
元世界の日付は七月六日。明日は七夕だ。
そして、マロングラッセは紀元前にマケドニアで、アレクサンドロス大王が妻であるロクサネ妃のために作ったそうで、男性が女性にマロングラッセを贈る習慣があり、菓子言葉を『永遠の愛』というらしい。
「とすると、知ってる女性にはあげるべきだな!」
私は思い出したことに、思わず鼻息が荒くなってしまう。
七夕も、元世界では雨になることが多く、幼少期には織姫の父である天帝に対し、性格が悪い、他の日にしてあげろ、週一でいいんじゃ? などと憤慨していた記憶がある。……私にも、そういう純粋な時期があったのだ。小っ恥ずかしいが。
何となく、手元にあった材料でてるてる坊主を作り、ベランダに掛けておく。
別に赤の他人のデートなんざ、どうでもいいが、気付いてしまった以上、何もしないのも気が引ける。
「あ。明日、雨だったら栗シロップを使ったマドレーヌにしよう」
日本では貝の形から夫婦円満や縁結びと言った恋愛系に使われ、菓子言葉も『あなたと仲よくなりたい』らしいが、フランス語であるマドレーヌを和訳すると、『さめざめと泣く』という意味らしい。
……晴れたら、バームクーヘンでも焼いてやるか!
バームクーヘンの菓子言葉は、『この幸せが長く続きますように』だ。
……恩に着せて、おくのも一興だと思っただけだが、何か?
どっかから、竹筒みたいなのを持ってきてもらうか。魔王様なら何か使えそうな物を知ってるだろう。
庭園の端で菓子を作る工程を見ながら過ごすのも面白いかもしれない。
私は見知らぬ世界の夜空を見上げ、元世界の私がこの世界にいるのだから、星空も何処かで繋がってるはずだと牽強付会して眠りに就いた。……雷なんか、聞こえないぞ、こん畜生。




