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第22話前編:ドーナツと怒気を放つ二人

「シホさんのお陰で侵入者を確保出来ましたが、あの日、結局菓子を食べ損ねた事が心残りでなりません」


 先生と午前の授業中、先日の出来事に話が変わっていくと、先生は憂いを帯びた瞳で私を見つめ、深い溜息を吐く。

 あの日、先生は忙しなく動き回っており、結局食堂には行かれなかったようだが、私もリアレスカさんに振り回され、先生の事をすっかり忘れ去っていたため罪悪感があり、あまり無碍にもし難い。

 テーブルに顔を伏せ、黙り込んでいる先生のご機嫌を取ろうと私は手をあちこちに動かしながら考えるが、現在ここには菓子がない。


 ……あ、そういや、菓子じゃないけど、約束してた物を持って来てたっけ。


 私は用意してあった瓶を数個、テーブルの下から取り出し、先生の前へ差し出した。


「菓子じゃないですが、そろそろなくなるかと思って作っておきました」

「ああ!! ジャムですか!! そうなんです、あとちょっとになってしまって……嬉しいですっっ!!」


 ジャムの瓶を眼にした先生は、瞳の虹彩から溢れんばかりの輝きを放つ。

 裏ルートで入手出来るという魔力回復薬は先生お気に入りの味なのだが、高すぎて常用は出来ないらしい。

 それならばと私が作ったジャムを進呈した所、同じような風味で大層気に入ってもらえたようだ。

 先生はジャムの瓶を抱え込み、満面の笑みで私を見返した。


「これをアンティに入れるのが大好きなんです。あ! お気に入りのシトーネ!! これ、美味しいですよね!!」


 紅茶好きの先生は日本式ロシアンティがお気に召したようだ。

 ちなみに本場のロシアティはジャムを舐めながら紅茶を飲むらしいが、ロシアでは紅茶をかなり濃い目に淹れており、その苦味を中和するために生まれた飲み方だそうだ。

 先生は特に、レモンもどきで作ったジャムがお気に入りで、毎日のように飲んでいるそうだ。


 ……それじゃ、次からレモンジャムを二瓶にするか。ミルクジャムとかもどうだろう?


 私が紅茶に合うジャムを検討し始めると、部屋の扉が開かれる。


「……シホ、菓子が食べたいわ。直ぐに作って」

「……あの……今、授業中ですので……」


 私の元へと歩み寄りながら、リアレスカさんが空腹を訴える。

 先生が引き攣った笑みで現状を語り要求を拒むが、瞳を輝かせ瓶を抱えている状態では説得力がなく、リアレスカさんも合点がいかないといった表情で先生を睨み付けている。

 退路を断たれた先生は眉を下げ、諦めの溜息を吐いた。


「……分かりました……そろそろ時間ですし、今日は早めの終了で」


 先生の言葉に腕時計へと目を向けると、既に十時を回り、終了時間の半まで十数分といった時刻だ。

 先生も本当は早くロシアンティが飲みたいのだろう。瓶を抱え、手早く支度し始めている。

 私はリアレスカさんに腕を引っ張られながら先生へ視線を向け、口を開いた。


「もし良かったら、先生も食べませんか? 先日食べられなかったし」

「え?! いいんですか?!」

「皆で食べたほうが美味しいし、食堂で食べませんか?」

「……そう? シホがそう言うなら……」


 私の言葉に眉を動かし怪訝な瞳で見つめてきたリアレスカさんだったが、私がお強請(ねだ)りをすると、比較的すんなりと受け入れてくれる。

 リアレスカさんは結構我儘を言うが、その分、こちらの我儘も聞き入れてくれる事がこの数日で分かってきた。

 リアレスカさんの言葉に私は笑みを返し、先生へと向き直す。


「という訳で、食堂で待っててください」

「有難うございます。これでアンティを飲みながらお待ちしてますね」


 先生はレモンジャムの瓶を頬擦りしながら食堂へと向かう。

 私が厨房へと足を動かすと、後ろからリアレスカさんも付いてくる。

 最近のリアレスカさんは、私の作業を黙々と見つめているのがマイブームのようだ。


 ……何か、インプリンティングさせたような気分だな。


 私は付いてくるリアレスカさんを微笑ましく感じながら、厨房へと赴いた。




 先生の事なので、恐らく魔王様とコンセルさんにも声を掛けるだろう。

 そうなるとやはり、目下の問題は、魔王様とリアレスカさんを同時に唸らせる菓子は出来ないものか、という点だ。

 色々と試してはおり、それなりの反応は貰えるのだが、自分が納得のいくほどの物が未だに作れていない、という事実が私を苛む。

 ガッツリした、腹に溜まるコクを求めるチョクラ大使で甘味王な魔王様と、なるべく動物性を減らし、さっぱりとした菓子を好むリアレスカさんの共通点を探すが、皆目見当がつかない。

 二種類作ってしまえばいい気もするが、何となくそれは菓子職人として逃げなような気がし、どうにも目を逸らせない。

 頭を悩ませながら、流しの下から瓶に入った透明の液体を取り出す。これは作っておいた苦汁(にがり)だ。

 幸いこの城は海に近く、海水なら腐るほど入手出来る。

 布巾をフィルタ代わりに海水を濾し、白く濁るまで木ベラなどで掻き混ぜつつ煮詰める。それを濾過し、更に煮詰め、コーヒーフィルターで漉す。

 固形に近いドロドロした物が塩で、透明の液体が苦汁だ。

 コーヒーフィルターはこの世界でも、布ではあるが、一応存在するので助かった。

 これを豆乳に入れ、固まってきた所で布巾を敷いたザルに入れ、重石をして十分ほどで、豆腐の出来上がりだ。

 豆乳も既に作ってある。

 一晩水につけた大豆風の豆を水ごと液状になるまで潰し、それを鍋で沸かした水に入れ、掻き混ぜながら煮る。

 溢れそうになったら弱火にし、混ぜながら数分煮、布で絞れば、おからと豆乳の出来上がりだ。

 問題は、異世界の海水が元世界の成分と同じか、大豆風豆がちゃんと大豆と成分で、苦汁で固まるのか。


「……悩んでも仕方がない。やってみよう」


 私は鍋に豆乳を入れ温め、苦汁を加える。それを放置しつつ、見守るように窺う。

 暫く経つと、豆乳が苦汁に反応し、徐々に細かい塊状になっていた。


「……おし! いけそうだな!!」


 私はガッツポーズを決める。

 あとは固まり始めた豆乳を布が敷かれたザルの上に掬い上げ、水を入れた小さめのボウルを重石代わりに十分置いたら、豆腐の出来上がりだ。

 暫く水に浸けておけば、苦汁の苦味が取れる。

 私は三丁分ほどもある巨大な豆腐にスプーンを差し込み、その味を確認した。


「……うわっ!! やべっ! 美味っっ!!」

「……私にも頂戴」


 今まで豆腐を作らなかったのは、醤油が欲しくなると思って断念していたのだが、やはりそこは材料の良さ、手作りの良さである。

 塩すら掛けずとも豆の旨味が口いっぱいに広がり、十分過ぎるほどに美味い。

 私の感動振りにリアレスカさんが指をくわえて近付いてくる。

 私がスプーンに掬った豆腐を差し出すと、リアレスカさんはそのままスプーンに食らい付く。豆腐を口に入れた途端、リアレスカさんは猛獣の如く目を光らせ、執拗に豆腐を要求してきた。


「……これ、美味しい!! このまま食べる!! 今食べる!!」

「わ、分かった、分かりました!!」


 私ももう少し食べたかったが、リアレスカさんの熱意に押され、私は泣く泣く豆腐を譲り渡す。

 リアレスカさんは私から奪うように豆腐を受け取り、瞬く間に食べ尽くしていった。


「……もっと」

「うん、言うと思ったけど、材料作りに時間が掛かるんで、また明日に」


 作るのは正直かなり面倒だが、気に入るのは一口食べた所で分かった気がする。それに作れる事は分かったのだし、もっと多く仕込めばいい。


 ……鰹節は難しそうだが、小魚を干して煮干を作れば、シロップおじさんの味噌で豆腐の味噌汁が出来るんじゃないか?!


 訴えながら私を見つめるリアレスカさんをどうにか説得し、豆腐への思いを胸に秘めながら、私は今度こそ菓子作りの為に調理台へと向き直した。

 しかし残っているのはおからとドロドロの塩のみだ。


 ……まあ、豆腐自体はラッキーだったし、いっか。


 出来るか分からない豆腐の為だけに、ここまで大量の豆乳は拵えない。上手くいったら使おうと思ってはいたが、今回の目当てはあくまで、豆乳とおからだ。

 私はボウルで卵と少しだけ残しておいた豆乳を混ぜ、そこに小麦粉と砂糖を加え混ぜる。

 そこにおからを加え、よく混ぜ合わせる。

 それを小さな球体に丸め、少し潰して半分の量を油で揚げ、残りをオーブンで焼き、砂糖を掛ければ、おからドーナツの出来上がりだ。

 リアレスカさん用にあっさりとさせる為、豆乳とおからを加えてみた。

 魔王様には物足りないといけないので、チョコと溶かしたバター、砂糖をよく混ぜたチョコアイシングを用意する。

 砂糖の代わりに揚げたドーナツへ掛ければ、食べ応えのあるドーナツになるだろう。


「……なかなか美味しいわ。こういうもちっとした食感も、悪くないのね」


 どうやらリアレスカさんも焼きドーナツはお気に召したようだ。

 食堂まで我慢できず、早速その場で食べ始めている。

 油で揚げたドーナツの表面はサクサクしているが、おからのお陰で中はもっちりとしており、なかなか食べ応えがある。

 これに片栗粉やマッシュポテト、あればタピオカ粉などを入れれば、更にモッチリ感が味わえるが、そっち系は又の機会にしておこう。

 私は摘み食いをするリアレスカさんを連れ、食堂へと向かった。


「あれ? シホちゃんだ~」


 不意に背後から、甘く愛くるしい声が掛かる。

 艷やかで軽やかな指触りの獣耳と尻尾を持ち、メイド衣装に身を包む親友、ファムルだ。


「おお! ファムル! ちょうどいい。忙しくないなら、一緒に菓子を貪ろう」

「え? 忙しくはないけど……いい、のかな?」


 私が両手を広げ、ファムルに歓迎の意を表しながら、菓子の場に誘う。

 リアレスカさんと魔王様が菓子を食べ過ぎると、昼食をあまり食べないんじゃないかという懸念があった。


 ……もちろん、私がファムルと一緒に菓子を食べたい、という気持ちの方が強いが。


 先生の時と同様、不機嫌そうな顔付きにはなったが、遠慮がちにリアレスカさんの顔を覗き込むファムルの態度に罪悪感でも感じたのか、リアレスカさんは腕を組み、ファムルから目を背けながら呟いた。


「……別にいいわよ。貴女、あまり食べなさそうだし」

「アリガトー! リアレスカさん!!」

「あ、有り難うございます!」


 ファムルと私は二人でリアレスカさんに笑みを向け、再び食堂へと足を動かした。




 食堂へ入ると、何故かキャヴムさんがおり、先生と談笑しながらロシアンティを嗜んでいる。

 魔王様とコンセルさんはまだ忙しいのか、食堂には来ていないようだ。

 私は周囲を見渡し、テーブルにドーナツの入った器を置きながら二人の方へ顔を向ける。


「あれ? キャヴムさん、いらしてたんですね。魔王さまとコンセルさんはまだ忙しいみたいですね」

「ええ、お話があるとの事で伺いましたが、執務室が空でしたの。そうしたら良い匂いがしますし、厨房に伺おうかと思っていたら、先生にお誘いを受けたんですの。このジャムとかいう物とアンティ、凄く美味しいですわ」

「……え?」

「ですよね! これは至高の逸品ですよね!!」


 私の質問にキャヴムさんは華やかな笑みを浮かべて紅茶を啜る。

 キャヴムさんの言葉を受け、先生も、周囲に花を撒き散らさん勢いの上機嫌で、紅茶を掲げている。

 私は、キャヴムさんと先生が遭遇しなかった場合を想像し、身を震わせながら二人を眺める。

 また、生クリームにバター、パイ生地やタルト生地などを全て無に帰され、厨房を崩壊されたら堪ったものではない。


 ……取り敢えず、キャヴムさんが厨房に来なくて済んで助かった。


 私が心の中で先生の功績を讃え、安堵の息を漏らしながら各々に皿を配るが、未だ魔王様達が現れる気配はない。


 ……まあ、来ていないものはしょうがないか。先に始めてしまおう。


 お預けを食らっているリアレスカさんの、ドーナツを今にも噛み付かん勢いで凝視している姿が堪らなく怖い。


「んじゃ、先に食べてましょうか」


 私は席に着き、ドーナツを口に運んだ。


「ん! 美味しい! この中のモチモチ感、好き~!」

「ええ、この、サクッと感もいいですね! 紅茶によく合います」

「本当! サクッもちっとした食感が堪りませんわ~!!」


 それぞれの感想が飛び交う中、リアレスカさんは凄まじいスピードで焼きドーナツを黙々と平らげていく。

 それを見たキャヴムさんと先生、そしてファムルは焼きドーナツに遠慮し、揚げドーナツを口に運んでいる。


 ……これ全部食べて、昼食食べないとか言い出したらどうしようかな……


 私は若干の冷汗を流しながら焼きドーナツへ手を伸ばすが、まるで獲物に食らいついた肉食獣のような勢いでリアレスカさんに睨まれ、仕方なく揚げドーナツを頬張る。

 私がドーナツを一口齧ると、リアレスカさんは一つ食べ終わり、もう次に手を伸ばしている。

 しかし、焼きドーナツの減りも早いが、揚げドーナツの減りもかなりのものだ。


「揚げてるのに食べやすいからつい手が伸びちゃう! 私、太っちゃったのに~!」

「ファムルが?! 嘘!! 全然そうは見えない!」

「そうですわ! むしろ細すぎるくらいですわよ。シホさんもですが、もっとふくよかな方がいいですわ」

「ええ、羨ましすぎる話です……!!」

「確かに、シホちゃんはいっぱい食べてるのに、全然太らなくて羨ましい!!」


 ファムルの嘆き声に、各々が気になる箇所を摘みながら、忌憚のない感想を述べる。

 いや、太っている人は全然いないのだが、そこが女性特有の悩みといった所だろうか。

 ちなみに、リアレスカさんは相変わらず無言を貫き、猛烈なスピードでドーナツを貪っている。

 結局筋トレを一日でサボってしまった私も、実は腹部が怪しいままなのだが、バレずに済んでいるようだ。

 談笑に花を咲かせていると、不意に徒ならぬ殺気を伴いながら、扉の軋む音が聞こえてくる。

 殺気に驚き振り向くと、そこには魔王様とコンセルさんが扉の隅からこちらを窺っていた。


「……美味そうな匂いがすると思えば……私達を蚊帳の外とは、随分だな」

「ホントだよ、シホちゃん。非道いなぁ」


 どうやら魔王様とコンセルさんは用事が済ませ、ここに訪れたのだろう。が、それにしては様子が可怪しい。

 私は首を傾げ、気後れしながら魔王様に近付き、顔を見上げる。


「……蚊帳の外って……先生が声掛けた時、忙しくて直ぐに来れなかったんじゃ?」

「えっ?! わ、私はてっきり、シホさんが声を掛けたのだとばかり……!!」

「へ?! ……げっっ!!」


 私の放った魔王様達への質問に、先生が激しく身を震わせる。テーブルに両手を付いて身を乗り出し、その目は飛び出さんばかりに見開いている。

 そんな先生の言葉に私も驚いて大口を開け、先生と顔を見合わせた。


 ……まさか、先生も私が言ったと思い、声を掛けなかったとは……


 先生と私は、恐る恐る魔王様達の方へ視線を移動させる。

 魔王様とコンセルさんは毒々しい笑顔を向けながら、鬱々とした黒い怒気を漂わせていた。

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