第14話-4:サントノーレと魔王討伐
この世界の村や町の周りにはその周囲を結構な高さの壁が覆っている。
この壁で魔族からの襲撃を防いでいるのだろう、出入りが出来る門の側には常に門番が立っていた。
そして、プレジアの隠れ家から門の方へ戻る途中に何でも屋のような小さい店がある。
「この村は大した物を扱っていない故、少し飛んで城下町まで足を伸ばすかのう?」
「いや、結構あるし、いいよ」
店には樽に入った小麦粉や牛乳が量り売りで売られているようだ。
生憎と砂糖は売られておらず、蜂蜜のような物も量り売りなのだろう、壺に入って置いてある。
「砂糖はまださっき買った取り置き分がある故、大丈夫じゃ!」
「それは助かるよ。でもパン用にでも少しだけ」
蜂蜜で作っても良かったが、蜂蜜だけで作ると甘味が弱いし諄くなることもある。
風味を生かして作るなら砂糖もあった方がいい。
そして、今夜はいいが、明日の朝のパンに、プレジアには必要かもしれない。
プレジアの家から持ってきた大きな壺に牛乳を、小さな壺に蜂蜜を入れてもらう。
「後は……何がいるかな~」
私は呟きながら店の中を見回す。
料理用の器具なども揃っており、昔使っていた小さい棍棒のような棒に突起物の付いた泡立て器も置いてある。
「泡立て器もボウルもあって良かったよ」
「一応乙女の端くれじゃからの、料理に使いそうな物は置いてあるのじゃ! ……使ったかどうかは別問題じゃぞ?」
そこが一番問題なんじゃないだろうか。
そういえば借りた調理器具は妙に使用感がなく綺麗だったが、生活魔術で綺麗にした訳じゃなかったのか。
胸を張って自慢げに語るプレジアに苦笑しつつ店内へと視線を戻す。
……お、あれは?
「プレジア、あれも買ってもらっていいかな?」
「絞り出し袋か? 構わんが、そんな凝った菓子でなくとも構わんぞ?」
料理だと仕上げの見場を整える事にのみ使われるのだろうか?
プレジアは絞り出し袋を手に意味深な笑みを浮かべる私を不思議そうに眺めていた。
バターの代わりに植物油を使い、鍋に牛乳と水、油と砂糖を入れて火に掛ける。
その中に篩った小麦粉を入れ、よく混ぜたら火を止め、溶いた卵を少しずつ加える。
そのシュー生地を絞り出し袋に入れ、小さい球体数個と大きめの円形、その円形の上端へ高さを付けるように絞り出し、焼き上げる。
小鍋に水と砂糖を加え火に掛け、九分立てにしたメレンゲに少しずつ加えながら更によく混ぜる。
それを作っておいたカスタードに加え、混ぜる。
砂糖と水を煮詰めてカラメルを作り、焼き上がった小さな球体の中と円形の台の中にクリームを入れ、球体を、作ったカラメルを付けて円形の台の段の上に載せれば、サントノーレの出来上がりだ。
今の時期は苺が旬のようで店に売られていたので、クリームの上に飾ってみた。
下にパイ生地を敷き、クレーム・サントノーレの上にクレーム・シャンティ(生クリーム)を載せるのが主流みたいだが、今回はバターも生クリームもないので、割愛だ。
クレーム・サントノーレはクレーム・シブーストとも呼ばれ、サントノーレというケーキの名前は、クレーム・シブーストを考案した葉子職人シブーストの店がサントノレ通りにあったからとも、パンや菓子の守護聖人『聖オノレ』からとも言われているらしい。
「うひゃひゃひゃひゃ!!」
テーブルの上に差し出したサントノーレを見、プレジアが奇声を上げる。
ちなみに私の夕飯は、骨付きの鳥っぽい肉とトマトっぽい野菜を香味野菜と一緒に煮込んだ、ミネストローネ風スープと何でも屋のお婆さんに分けてもらった酵母菌で作った黒パン、スープの肉を途中で少し取り出し塩胡椒で焼いたものだ。
ブイヨンやコンソメなどを入れずとも、肉やトマトなどからダシが出て、十分に美味い。
「ふはひ! へはふはふはひ!」
プレジアがサントノーレを頬張りながら言葉を話すが、やはり何を言っているのか分からない。
精霊とはいえ一応栄養を心配しスープをプレジアの側に置いてみると、プレジアは微かに眉尻を下げ躊躇いがちにスプーンを持ち、そっとスープを口へ運ぶ。
その刹那、何かに開眼したかのようにプレジアの双眸が大きく見開かれた。
「このテマッツのスープ、ウマッ! シホは料理が上手じゃのう!」
テマッツとはトマトのことだろうか?
家が総菜屋で良かった。
ブイヨンやコンソメなど、即席出汁を嫌う母はいつも出汁を作るのに一苦労していた。
……何気なく母が作っていたものでも、意外と見ているものだな。
「しかし、やはり菓子の方が良いな! このクリームもさっきのより軽いが、フワフワした感じがサクサクの生地と合ってて堪らんのう!」
「それは、有り難う。けど、明日の朝はこのスープとパンを食べちゃわないとだからね」
「?!! か、菓子を作ってはくれんのか?!」
私の言葉にスプーンを落とし、体を小刻みに震わせながら驚倒するプレジアに、私は笑みを引き攣らせ、その眼を見つめる。
ジッと凝視する私の視線にプレジアは反論の言葉を飲み込み、不意に視線を外した。
「……し、仕方ないのう……朝だけじゃぞ?」
「有り難う。食べちゃわないと悪くなるからね」
……今の、ちょっとツンデレ入ってて可愛かったな。
拗ねたような態度のプレジアに若干萌えながら二重の意味で感謝を述べる。
プレジアは少し頬を赤く染め、そのまま無言でサントノーレとスープを口の中に掻き込んだ。
「さて! 明日は早い! とっとと寝るのじゃ!」
「へ? 早いって何すんの?」
「決まっておろう? 魔王討伐じゃ!」
「……うへあ……」
どうやらまだ諦めてなかったらしい。
明日、どうやって宥め賺し討伐を諦めさせるか考えながら、私はプレジアのベッドの横に客用布団を敷き、眠りに就いた。
* * *
「ようやっと腹熟しが出来るのう!」
……やって来ました、再び魔王城です。
菓子を作るからと誤魔化そうとしたが、腹一杯パンを食べ尽くしたプレジアは、「朝からこれ以上食えるか!」と逆ギレし、結局腹熟しの魔王討伐をする羽目となってしまった。
「これが終わったら地人族の城下町を案内しようかの! ここの城下町は露店が多く、賑やかで面白いぞ」
「ほお! それは楽しみだな!」
プレジアは瞳を輝かせ、嬉しそうに笑みを向けながら城下町の説明をし始める。
何でも噴水のある広場では様々な露店が軒を連ねているようだ。
プレジアの楽しげな雰囲気に思わず相槌を打つ。
……仕舞った、これ、フラグじゃないか?!
しかし、私一人ならともかくプレジアがいる以上負ける気がしない。
魔王様には申し訳ないが、サクッと殺って城下町へ行こう。
私達は第七大陸魔王城正門へ歩を進ませた。
門の前には幅数メートルの掘があり、その上に跳ね橋が掛かっている。
その橋を渡り正門を潜ると、突如大きな音が外から響いてくる。
「跳ね橋が上がったようじゃな。人が通ると感知して作動する仕組みじゃ。……助けは望めぬ、覚悟せいとでも言いたいのかのう?」
「成る程、援軍を呼ばれたら困るしね」
城門を抜け、漸く城の中に辿り着く。
入り口の広いホールを抜け、下に敷かれた赤紫の絨毯に沿い、プレジアは躊躇う事もなく進んでいく。
淡々とされる説明に相槌を打ち、私はプレジアの後ろに付いて歩く。
通路には点々と不穏な空気を醸し出す調度品が飾られ、灰色の壁にはいきなり目が光ったり、突如、血を噴き出す不可思議な人物像が飾られていた。
「面白い仕掛けのある城だね。魔王ってやっぱ玉座で待ってたりする?」
「そんな訳無かろう? 玉座の間とは議会の際使われる場所じゃ。彼奴が早々議会など執り行う訳がないぞ」
「……そ、そうだよ、ね」
いかん、玉座で魔王が待つなど、脳がすっかりゲーム脳だ。
プレジアは曖昧な相槌を打つ私を振り返り、不思議そうな顔で眺めながら螺旋階段を登る。
その階段には、体重を掛けると床から一メートルほどの金属の棘が飛び出す場所があった。
「な、何奴……ぐはあ!」
「この床にも変な仕掛けがあるようじゃから気を付けるようにのう」
「どうし……ぐあっ!」
「ホントだ、面白いね」
「て、敵兵! 敵へ……っぐおおっっ!」
階段を下りてきた衛兵らしき者がこちらに気付き、剣を構えるがプレジアはそちらに掌だけ向け、兵の腹に空洞を開ける。
物音に気付き、階段の下から現れた衛兵に私は蹴りを入れ、階段から突き落とす。
プレジアと私は階段の棘を避け、襲い掛かる兵士を薙ぎ倒し、上を目指した。
四階まで辿り着いた私達は玉座の間に入り、その玉座の裏へと回り込む。
「き、貴様らあ?! な、何故此処があ?!」
突然山羊男の私室に現れた私達を発見し、山羊男が黒い顔を青ざめさせ、大きな口を開いて戦慄く。
私室で寛いでいたためか、鎧は脱がれ、襟元や袖口に大きなフリルの付いた、ブラウスのような物を着ている。
黒いピッタリとしたハーフパンツからは黒い毛に覆われた獣っぽい脚が覗いており、何とも不思議な光景だ。
この騒ぎで慌てて鎧を身につけようとしたのだろう、手甲だけ付けられているのが余計に物悲しい。
私が顔を引き攣らせ山羊男を凝視していると、青かった山羊男の顔は見る見る赤く染まり、部屋の隅に置いてあった大鎌へと駆けていく。
「み、見たなあ! 生かしては帰さんぞお!!」
山羊男は振り向きながら大鎌を振り被り、こちらへ振り下ろしてくる。
「シホはこれを使うのじゃ!」
プレジアが山羊男の隙を突き、空に手を挙げて赤く光る剣を出現させる。
その長さはプレジアは愚か、私の身長を凌ぐ二メートル近いもので、幅も広く、赤い光を放っている。
……この光り方はもしや……?
「オリハルコン製の両手剣じゃ。その位は振り回せるじゃろ?」
「……まあ、大丈夫そうだけど……」
やはりオリハルコンか。
それはともかく、最近周囲からの扱いが損在になっているのは気のせいだろうか。
私は渋々プレジアから剣を受け取り、両手で構えて山羊男を睨み付ける。
「覚悟しろ、山羊……魔王!」
「抜かせえ!」
Xの字を描くように振り回される大鎌を避けながら、私は間合いを取るため山羊男に向かって剣を振り抜く。
その剣は大した抵抗も感じさせずに山羊男の体を切り裂いた。
……あ、あれ?
「ぐぎゃああ?!!」
山羊男の叫声が響き渡る。
床に倒れ込んだ体の切り傷から赤黒い液体を噴き出し、山羊男は体を痙攣させる。
山羊男に掌を翳し魔力の光を集めていたプレジアが、その力を霧散させて私に近付いた。
「やるのう、シホ! どうじゃシェーヴ、シホの実力は。命が惜しくば儂らの軍門に下るがよい!」
プレジアはいつの間に軍を作っていたのだろうか。
というか、何故『儂ら』なのだろうか。
プレジアは体から血を溢れさせる山羊男の顔を覗き込み、自慢げに言葉を紡ぐ。
「……た、助け……プレ……俺とお前……仲あ……」
「どんな仲なのじゃ? 儂は知らんのう? 儂は軍門に下れ、と言うておるのじゃが?」
プレジアは救いを求める山羊男を一瞥し、手厳しく条件を告げる。
話し方を聞いていると、どうやら二人は以前から知り合いのようだ。
……知り合いなのにここまでやるって、一体どういう仲だ?
訝しげに二人を見つめていると、プレジアは私に顔を向け笑みを浮かべた。
「儂は各地の城をよく冒険しとるからの。大体の王とは既知の仲なんじゃよ」
「……それを討伐ってどうよ?」
「サジェスを怒らせた罪としては軽いものじゃと思うがの」
私の率直な問いに、プレジアは胸を張って私を見返す。
そう言われればそうなのかもしれないような気もするが、どうなのだろう。
……取り敢えず、魔王様を怒らせた時、プレジアには内緒にしてもらおう。
私は混乱する心の中、決意を新たにプレジアを見つめる。
プレジアの足元で蠢く山羊男は、瞳を潤ませ血を吐き出しながらプレジアに懇願した。
「……下ります……!! プレ……ア様あ、お助け……!!」
「うむ……良いかの、シホ?」
「……良いんじゃない? 早くしないと死ぬよ?」
山羊男は既に虫の息だ。
軍門云々はともかく、改心したのなら討伐する意味はないだろう。
助けてやるなら早くしないと死んでしまいそうだ。
プレジアの悠々とした態度に若干不安を感じつつ、二人の様子を眺める。
私の言葉にプレジアは山羊男の傍にしゃがみ込み、掌を翳して魔力を放出させる。
傷口が見る見る塞がっていき、辺りに撒き散らされた血液も消えていく。
「……おお! これが回復魔術か! 初めて見た!」
「回復? まあ、回復と言えんでもないのかのう……?」
言葉を濁すプレジアに私は首を傾げて顔を見つめる。
どうやらこの世界、一瞬にして元の元気な体に戻すという魔術や魔法はないようだ。
これは傷口を魔力の粒で繋ぎ、血液を浄化して体内に転移させるという、魔力を使った手術のようなものらしい。
……血管とか臓器とか、全部透かして見て繋いでるのだろうか? プレジア……恐ろしいコ!!
私がプレジアを畏敬の念を抱きながら見ていると、傷の塞がった山羊男がゆっくりと体を起こして正座をし、こちらに向かって額を床に擦り付けてきた。
「あ、有り難うございます!! プレジア様、シホ様!!」
「うむ。儂らの為にその命を賭け、生涯尽くすと良いぞ!」
「ははっ!!」
術直後にしては随分元気に平伏する山羊男を、プレジアは腰に手を当て、肩を聳やかして見下ろす。
……頭が山羊だと回復が早いのか? いやそれより、コイツには拘束魔術を掛けられたっけな……
威圧的な態度を取るプレジアの姿に、私の中でも過去にやられた経歴からか、元気そうな姿に安心したのか、加虐心が膨れ出す。
「……五体投地って一度見てみたいんだよな……」
「……!! は、ははあっっ!!」
私の呟きに、山羊男は胸や腹、腕に至る体前面を床に付け、それはそれは綺麗な五体投地をしてみせる。
……治りたての人に少々やり過ぎか?
素直すぎる山羊男の姿に私は我に返り、己の行動を顧みる。
しかし山羊男は小刻みに体を震えさせ、私に懇願してきた。
「もっとお……!! もっとご命令をお……!!」
……ああ、うん。そういう人か。
プレジアも山羊男の本質を分かっていたからこその非道振りだったのだろう。
あまり関わり合いになると加虐心が煽られ、今後の対人関係に悪影響を及ぼしそうだ。
用件は済ませたことだろうし、さっさと退散しようとプレジアへ視線を向ける。
視線の先のプレジアは、大きく開いた瞳を輝かせ、両手の指を組んで私を見つめていた。
「さ、さすがシホじゃ! 見事な調教じゃの!! 儂も見習わねば……!!」
「……いやいや、プレジアさんには及びませんて……」
死にそうな人を脅し、散々焦らすプレジアに尊敬の念を抱かれるとは心外だ。
私は複雑な心境を胸に、頬を引き攣らせながらプレジアに笑みを向ける。
私の言葉にプレジアは歯を見せて破顔し、私を見返した。
「謙遜するでない! しかし、腹熟しにもならんかったのう」
「……ここに来るまでが結構な腹熟しになったと思うよ」
「確かに行き来は骨が折れるが、此処では儂も空を飛ぶ力を押さえられていてのう。突破しようとする方が歩くより疲れるんじゃよ」
門の中から城まで、城の中からここまではかなりの距離があった。
……これをまた帰りに歩かねばなのかと思うと、正直うんざりする。
しかしそこは魔王城、精霊でも魔法を制限させる術が施しているようだ。
それを突破するのは力の凄そうなプレジアでも難儀するらしい。
プレジアも私の言葉に同意しながら難しそうな顔で考え込むが、不意に同じことを思ったのか、二人で山羊男へと顔を動かす。
「勿論!! お二人が城を去るまで魔術は消しておきますぞお!!」
「良い心がけじゃ! 用がある時はこれで知らせる故、直ぐに対応するようにの!!」
山羊男は五体投地のまま顔を擡げ、こちらに嬉しそうな笑みを浮かべて提案する。
プレジアは山羊男の言葉に満面の笑みを浮かべ、山羊男に向かって掌大の透明な球を投げ付けた。
男は頭上でそれを受け止め、晴れやかな声でプレジアの命に答える。
「ははあ!! この命に代えましてもお!!」
「さあ、次は城下町を案内しようぞ!」
「おお! 待ってました!」
私は城下町に心をときめかせながら魔王城を後にした。




