挿話3:魔王、サジェス・フィヨンディズの心の揺らぎとワッフル
「シホちゃんって可愛いですよね」
突然放たれたコンセルの言葉に私は動揺し、インク壺に羽根ペンを引っ掛けてしまい、机の上を真っ黒に染め上げてしまう。
その途端、コンセルの口から大量の空気が噴き出され、俯いた頭と肩を小刻みに震えさせた。
……揶揄ったのか、こいつは!
コンセルの押し殺した笑い声に苛立ちを覚えながら魔術でインクを消し、乱暴に椅子に座り直す。
「……すみません、そんなに動揺すると思わなくて……」
「……別に動揺などしておらん。それで、シホがどうした」
「いえ、可愛いですよね、とお聞きしただけですが?」
確かにシホは整った顔立ちだと思われるし、菓子に対する時の輝いた瞳や菓子を褒めた時の嬉しそうな顔など、かなり可愛い……などと、何故私が考えなければならないのだ?
コンセルに乗せられて思わず考え込んでしまった私を見、漸く笑いの収まったコンセルが、今度はニヤニヤと口端を歪めながら私を注視していた。
「……今、シホちゃんの嬉しそうな表情が浮かんでましたね?」
「そういうお前はどうなんだ?!」
思わず問い返すと、コンセルは跳ね上がった髪を撫でながら空を見つめて言葉を紡ぎ出した。
「実は結構好みです。話も合うし、肝も据わってて腕も立つ。背中を任せられそうな女性には初めて会いました」
「……それは褒め言葉なのか?」
あまり女性に対する評価とは思えないコンセルの言葉に若干首を捻りながら聞いていると、コンセルは意味深な笑みを浮かべて私を見返した。
「……さあ? どうでしょうか?」
「……そんな戯れ言より、例の件はどうなった!」
口元に手を当て笑い声を漏らすコンセルに、私はつい声を荒げて仕事の話を促した。
「……諜報部隊の報告では、旅立ったという異世界人はどうやら『魔術や魔法を拒絶する力』を持っているようです」
「……何だと?!」
魔術や魔法を拒絶出来るということは、物理攻撃しか効かない、ということか。
シホといい、異世界人というのは、何故こうも特殊な能力に恵まれた者が多いのだろうか。
これが当たり前の世界なら、随分と生き辛い世の中ではないだろうか。
どうやって統治者は世の中を統治しているのか、一度行って、その手腕を学びたいものだ。
私が異世界に思いを巡らせていると、コンセルが報告の補足を話し始めた。
「然も、その者はかなりの身体能力に優れ、あらゆる敵をかすり傷一つ負わず一掃して進んでいるそうです……」
「……魔術、魔法が効かぬ上に、身体能力も優れているのか……」
恐らくこの異世界人との戦闘は免れまい。
しかし魔力が通じず直接攻撃すら困難となると、犠牲を出さず、戦闘に勝利する事は難解だ。
それ以前に、この者がシホの知り合いであった場合、何というべきだろうか。
私が肘を付いた手の上に顎を載せて熟考していると、コンセルが軽く笑みを漏らしながら異世界人の近況を告げた。
「但し、精霊王の元へ行くことは、大分苦戦しているようですね。未だに第七大陸内をグルグルと回っているようです。大陸から出るだけでも、恐らく後一年は掛かるのではないかと……」
「……まあ、異世界人だからな。地理に疎くとも仕方あるまい」
私は軽く安堵の息を漏らす。
この世界の人間でも、精霊界が何処にあるかは分かっていない。
その上、地理に疎い異世界人なら尚更、辿り着くことは容易でないだろう。
しかし未だ大陸内から抜け出せないとは、この異世界人の地理能力は大丈夫だろうか。
事を先延ばしにしても仕方ないが、この異世界人を倒すよりも先に熟さねばならない事案が目白押しな今、方向音痴な異世界人というのは有り難い。
しかしコンセルは表情を険しくしながら手元の書類を読み続けた。
「……どうやらオフゲイルの元には『他人の魔力を奪い取り特定の魔法に変換して他人に付与する力』を持った者がいるようです」
「……それは旅立ったという異世界人とは、別の異世界人か?」
「はい、そのようです」
真顔に戻ったコンセルの報告から、面倒な話が飛び出す。
やはりオフゲイルはまだ召喚を続けており、着実に勢力を増しているようだ。
この異世界人の能力も規格外過ぎる。
こんな力を持っていれば、シホ以上に精霊の力を借りる必要がない。
然もその力を他人に付与出来るというのは、最早、精霊と同一能力ではないのだろうか。
マリンジもこの能力者はシホ以上に処分したがることだろう。
「……マリンジはどうした」
オフゲイルを早々に処分する心積もりでいたマリンジの動きが最近見えないことを懸念し、私は考えを巡らせながらコンセルに尋ねる。
「……精霊界内部で意見が分裂し、重鎮がマリンジ様と対立なさっているようです」
「……あの重鎮か、やはり面倒だな」
精霊界一の長生きでご意見番としても権力を持つ重鎮は、己の面白さのみを追求し波乱を巻き起こす節があり、割と保守的なマリンジと暫し対立している。
困ったことに人望──この場合は精霊であるが──もあり、かなりの数の精霊が、マリンジよりも重鎮を尊重している。
然も他の魔王達も何人かはマリンジより重鎮を敬仰しているため、マリンジと重鎮の敵対は、則ち精霊界と魔族界の対立をも意味する。
「……やはり、行かねばならんだろうな……」
「……そうですね、魔王様の言葉ならプレジア様もお聞きになるかと……よっ、この女たらし!」
「茶化すな!!」
コンセルの余計な一言を叱責して黙らせる。
……拾ってきた時は、可愛い子供だったのだが、一体いつの間にこんな生意気な大人になってしまったのだろうか……
当時の懐かしい姿に思いを馳せながら手元の書類に目を向ける。
不意に目に付いた書類に、見慣れた名前がある。
アピカ・ゼルの嘆願書……シホに付けた家庭教師の名前だ。
「……シホに是非魔術、魔法修行をさせ、精霊に次ぐ魔力の第一人者に育てたい……気持ちは分からんでもないが……」
「シホちゃん、魔術・魔法の才能の塊ですからね……」
眉を顰めて書類を読み上げる私に、コンセルも眉間に皺を寄せながら苦笑している。
シホはある程度、私に順従している。
恐らく魔術の修行をせよ、といえば奉じるのだろうが、シホの本職は菓子作りだ。
他の使用人のように、その辺は恭敬してやらねば色々不満が溜まり、私に不信感を抱くようになるかもしれない。
それでは本末転倒ではないだろうか。
「教師役に念を押しておけ。シホに魔術の訓練を無理強いするな。無理をさせて不信感を抱かせては逆に厄介だ」
「勿論、そのように……シホちゃんは剣術の方が、鍛え甲斐がありそうですし」
「……お前も無理強いはするな、シホが望んだ時に教えてやれ。シホは飽くまで菓子職人だ」
「承知しました」
本当に承知したのだろうか?
何やら悪巧みをする子供のようにニヤニヤと笑みを漏らすコンセルの表情が若干の不安を煽る。
「……そんな言い方をなさらなくとも、普通に庇えばいいと思いますが? 『シホにはずっと側にいてもらいたいから、嫌がることはさせるな』と」
「……ッ邪推をするな!」
「自分の考えを魔王様に重ねてしまいました。失礼いたしました」
真顔で素直に頭を下げるコンセルに、私は口を開いたまま言葉を失ってしまう。
……こいつは何処まで本気なんだ?
いや、本気というか、どういうつもりなんだ?
私がコンセルの真意を読み取れず、思案に暮れると、コンセルが壁の時計に目を向け呟いた。
「そろそろ菓子の時間ですね。今日の菓子は何でしょうか?」
「……うむ、そうだな。先程から良い香りがしているな」
ここから厨房は結構な距離があるのだが、菓子の匂いだけは、何故か届く。
コンセルも私の言葉に頷きながら鼻を動かしている。
「我々の前に、空調は効きませんね!」
「……それもどうかとは思うが、ひとまず食堂へ行くか」
私とコンセルは足取り軽く食堂へと移動した。
「魔王様、こんにちは。私の嘆願書は読んでいただけたでしょうか?」
食堂には既にシホの家庭教師が来ており、椅子から立ち上がり、こちらに頭を下げてきた。
こいつは元々城の魔術研究者であったため、魔術や魔法に対して妙に執着がある。
それは研究者としては有り難いことだが、シホの家庭教師としては若干ありすぎるように思われる。
その辺も踏まえての選別であったはずだが、やはり研究者から選んだのが失策というべきであろうか。
……他の者に頼めば良かっただろうか……
暫し後悔の念が頭を駆け巡る。
「……シホに魔術を無理強いするな。以上だ」
「ですが魔王様、あれほどの逸材を放置するのは、魔術研究者としての私が許せないのです。是非にも……」
「……ッ! シホちゃんが来ますよ! 話は後でお願いします」
コンセルが扉の外に気配を配り、教師の言葉を遮る。
教師は納得がいかない表情で椅子に座り直し、眉間に皺を寄せながら口を噤んだ。
食堂でシホを待つと、格子状の凹凸をした、やや平たいケーキを載せたトレイを手にしたシホが扉から入ってくる。
私が感慨深くケーキを眺めていると、シホが目の前にケーキの載った皿を差し出した。
「今日は格子状の鉄板を見つけたのと、シロッ……おじさんから天然酵母を分けてもらったので、ワッフルにしてみました。」
シホは料理長を何故かシロップおじさんと呼んでいるのだが、それを必死に隠そうと言葉を濁している。
シロップおじさん、というのがどういう意味かは分からないが、恐らくシホの付けた渾名なのだろう。
私も変な渾名で呼ばれていないか若干不安になりながらも、目の前のケーキを注視する。
表面に焦げ目の入った四角い模様のケーキに白いクリームが添えられている。
いつものような豪華さはないが、美味そうな匂いが辺りを支配し始めた。
「ジャム……甘煮? ……を作ったので好きなのを付けて食べてください。これがストレリイでこっちがギュージー、チョクラとアンティ、コーヒー……カフィンもジャムにしてみました」
「……ほお」
早速チョクラのクリームをワッフルに掛け、口に運ぶ。
こってりとした甘さを含んだチョクラに、香ばしい香りを持つワッフルの甘味が合わさり、得も言われぬ調和を醸し出す。
「カフィンのクリームって美味いな! 苦みに甘味がよく合ってるよ!」
カフィンのクリームを取ったコンセルが歓喜の声を上げている。
その傍らにある飲み物はやはりカフィンだ。
コンセルは私をチョクラ中毒と揶揄うが、彼奴も立派なカフィン中毒だろう。
「これ、そのままでも美味しいですよね、表面に付いてるのはシガルでしょうか? でも、アンティのクリームも美味しいですし、ストレリイもギュージーも美味しいですし、全部食べたいのにワッフルが足らないです!!」
「結晶の荒いシガルを塗してから焼いたんですよ。お代わりもありますからいっぱい食べてください」
教師の感嘆の声に、シホは嬉しそうに柔らかな笑みを受かべてワッフルを差し出す。
……先を越されるとは、不覚!
私もシホに追加を頼み、今度は別のソースでワッフルを平らげる。
……ストレリイの甘酸っぱさ、ギュージーのまったりとした塩気のある甘さ、アンティの爽やかな香りにカフィンの香ばしい苦みのある甘さ……どれも素晴らしい。
「俺にもお代わり! ……って、シホちゃんの分、足りてる? 大丈夫か?」
「私は味見でそれぞれ食べてるし、大丈夫だよ。夕飯もガッツリ食べたいしね」
山盛りのワッフルは最早風前の灯火となり、コンセルは一度も追加をしていないシホを気に病む。
確かに夢中で食べ過ぎたかもしれんな。
私もワッフルを食べるスピードを落とすとシホがそれに気付いたのか、私に視線を動かし笑みを浮かべた。
「勿論自分で食べるのも好きですが、最近は皆が美味しそうに食べてくれるのを見る方が好きなんです。……変ですかね?」
はにかんだ笑みを浮かべながら頭を掻くシホを全員が見入っている。
「すっかり職人の域だね、シホちゃん」
「そうかな? 実力的にはまだまだだと思うけど、確かに料理人になりたがる人の気持ちが少し分かった気がするよ」
「実力も十分でなければ菓子職人にはしておらん……では、遠慮なく追加を貰うかな」
「私もお願いしますね!」
「あ、お、俺も!!」
私が皿を差し出すと教師やコンセルも負けじと皿をシホにつき出してくる。
シホは嬉しそうに微笑みながらワッフルを皿の上に載せていく。
……コンセルが、可愛いと言葉にしたくなる気持ちも分からんでもないな。
私は素直に感情を言葉にするコンセルを少し羨ましく感じつつ、シホを眺めながらワッフルを口に入れた。




