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大型わんこが消えた教室はしんとしていた。
その中で、わたしは楡井の答案を写していた。
物理では「波動」についてやっていた。
波の特徴についてあげろ、だとか、その中の一つの「波の干渉」に合うように、図を書けだとか。
(ちなみに「干渉」は波の特徴の答えにもなっているので、意地悪にもそこは空欄で、自分でうめるようになっていた)
基礎とは言うけれど、面倒な問題だった。
やるほうは勿論面倒だけど、答案の採点も、そう簡単ではないはずだ。
学生の頃は気がつかなかったけど、先生も大変だな。
コツコツと机が叩く音がする。
楡井が、シャーペンの先で机を叩いている。
「どうしたの?」
「顔が」
「えっ? 顔?」
「顔が……。やっぱ、なんでもない」
いやいや。顔と言われたら、さすがに気になるでしょう。
「わたしの顔が、どうかした?」
顔、顔って。少なくても女子に向かい連呼する単語じゃない。
「朝倉の顔が、赤くなった」
「え?」
確かにわたしは勉強をすると、頭に血が上り顔が熱くなるけれど。
「さっき、宗田先生を見たとき、朝倉の顔が真っ赤になった」
わたしが握るシャーペンの芯が、ごりっと折れる音がした。
焦るな、焦るな。笙子になりきれ。
「見間違いだと思うわ」
折れた分だけの芯を出そうとしたが、こんな時に限り、芯が出てこない。
カチカチカチと、その音まで、楡井の言葉に動揺しているように聞こえる。
「朝倉が宗田先生を好きなんて、意外だ」
楡井のピンポイントな発言に、くらっときた。
それは、笙子の立場でのNGはもちろんのこと、わたしだって、そんなこと、言われたくないのだ。
「あのね、楡井君。わたしは、宗田先生を見たから、顔が赤くなったわけじゃありません」
「ふーん。そうなの? じゃ、なんで」
なんで? なんでって、聞く?
そこは、スル―して欲しい乙女心ってことが、わからないかなぁ。
「赤点見たから赤くなった、なぁんてね」
えへへ、と笑いながら、血が引いた。
ない。
ないないない!
今の会話、即刻消去したい。
笙子が「なぁんて」なんて、そんなこと言うなんて、ないから!
ふっと手を額に当てる。
「あ、なんか頭が」
ふらっとしたように、ふるまう。
ここはもうこっち系で誤魔化すしかない。
すると、勢いよく椅子が引かれる音とともに、ぐいっと腕を掴まれた。
「朝倉、保健室に行こう」
「いやいや、大丈夫だってば」
え、なに?
そうなっちゃうわけ?
「ごめん。まだ本調子じゃないのにからかい過ぎた。保健室まで歩けないなら、俺が担いでいったほうがいいか?」
「担ぐって、わたしを?」
頭の中に、米俵を担ぐ楡井の姿が浮かんだ。
「だったら、誰が先生を呼んでくる」
「そんなのやめて。本当に、大丈夫だから」
けれど楡井の眉間には、皺が寄ったままだ。
……心配してくれるんだ、笙子のことを。
そんな楡井を見ていたら、今、わたしがしたことは、全くシャレにならないってことに気がついた。
これは、やっちゃいけない誤魔化しかただったのだ。
ごめん、楡井。
深く反省します。
立ち上がってしまった楡井は、座るタイミング失ったようで、机の前をうろうろとした。
「俺、飲み物買ってくるから」
「いってらっしゃい」
「朝倉、なに飲みたい?」
「果汁系なら、なんでも」
楡井が教室を出ていく。
あぁ、少年を深く傷つけてしまった、かも。
わたしは反省を態度で示すべく、真面目に物理のテスト直しに励んだ。




