死の口づけ (2)
この決闘、わたしも応じざるを得なかった。サリー・へイズは、わたしを殺したがっている。そしてわたしは、彼女を殺すことが仕事だ。お互い汚れ仕事は辞めた身のはずだったが、皮肉にもここで復職せねばならないようだった。
わたしもまた、鋼鉄の左腕に叫び、霧の女皇を呼び出した。赤い霧が土砂降りのなか立ちこめる。赤錆色の霧は今にも消えてしまいそうだったが、雨の中、何とかその姿を現した。
わたしはミストレスに飛び乗り、そしてまたサリーもキス・オブ・デスに乗り込んだ。
「最後通告をしましょう、ミス」
回線に声が割り込んでくる。サリーだった。
「もし今後、私の捜索を行わず見逃すことを約束するならば、私はあなたを殺さないと約束しましょう」
「どの口が言っているのよ。あなたは霧の向こうの殺戮兵器をラリュングに持ち込んでいる。このままでは、ラリュングで大虐殺が起きるわ。そんなやつを野放しにできると思って?」
「それもそうですね。たしかに、私の目的は、この街を混沌に陥れることですから。……でも、あなただけは殺さないと約束しましょう。私を見逃すのなら」
「そんな要求、飲めるわけないじゃない」
「では、交渉決裂ですね」
刹那、豪雨の中で巨大な骸骨が動き出した。
雨粒をはじき、水飛沫をあげながら迫ってくる。わたしは左腕を構え、防御態勢を取った。いまの彼女が、どう攻撃にでるか。わたしにはわからない。
すると、そのときだ。
骨格標本がごとき細く白い巨人が、両腕を大きく左右に広げたのだ。そして直後、まるで衣服でもまとうように、肩から腕へと灰色の霧が流れ始めたのだ。まるで袖のような霧は、徐々に空間へと広がっていく。降りしきる大雨も、この濃霧をかき消すことはできなかった。
ほんの数秒で、あたり一面霧に包まれた。視界はすっかりホワイトアウト――いや、グレイ・アウトし、もはや何も確認できない。
「これが彼女の戦い方だったかしら……?」
わたしは、消したはずの記憶を頼りに、キス・オブ・デスの戦術に対策を講じていく。
この霧の中だ。相手もこちらも、遠くからでは互いの姿を確認できない。近距離での遭遇戦になるはずだ。ならば、一撃の重いわたしが有利のはずだ。
霧の中から、白い姿がのっそりと現れる。煙をかき分けるように。青黒く光るアイセンサーが、濃霧の中でひときわ目立って光っている。
「残念だったわね、サリー・へイズ」
わたしは言い放ち、左腕を大きく振りかぶった。
この距離でなら、外さない。彼女は攪乱のために霧を撒いたのだろうが、それは間違いだった。
拳を振るう。ミストレスと、わたしの鉄拳。シンクロした巨腕が霧の中で空を裂いた。
しかしそれは、風を切っただけで終わってしまったのだ。手応えはない。わたしは目をしばたたき、今一度前方を見据えたが、しかしそこには深い霧があるのみ。キス・オブ・デスの姿はどこにもいない。
「どこへいった……?」
と、そのとき、後ろから機体に強烈な振動がはしった。
「こちらですよ、ミス」
冷めた声。通信に割り込む。
わたしは大急ぎで後ろへ振り向き、バックカメラがとらえた様子に目をやった。
そこにいたのは、先ほどまでわたしの目の前にいたはずのキス・オブ・デスだった。細い骨のような腕で、ミストレスを羽交い締めにしている。
「転送のための霧ってわけ? おかしいわね。霧による転送には、一定時間のインターバルが必要なはずじゃなくって?」
「お忘れですか。私のキス・オブ・デスは、質量が小さいぶん、あなたのミストレスよりも高頻度で転送が可能なんですよ。残念ながら」
キス・オブ・デスの白い腕。それは確かに細く華奢だが、しかしそれでも十分なパワーを持っている。わたしには、ミストレスが悲鳴を上げるのが聞こえていた。腕が張り裂けそうだと、彼女は言っている。
「そういえば、そうだったわね」
――思い出せない。
彼女はわたしの同僚だった。だが、その仔細を思い出すことができない。
もはやわたしにできることは、強引に倒すことしか残されていない。
左の手のひらを開くイメージ。巨腕に備えられた大型クローを強制展開させる。二の腕から肘、手首にかけて、三本の爪が強制的に動き始める。それがキス・オブ・デスの左腕を引き剥がした。
わたし=ミストレスは、そのまま勢いをつけて左腕を振るう。遠心力で機体が大きく回転、重心を外側へ。くるりと一八〇度反転し、再びキス・オブ・デスに相対する。
「もう逃がさない」
左腕に意識を集中。
フットペダルを踏みしめ、両の足で塗れたアスファルトを掴んだ。
クローを展開。手のひらを開く感覚。次は、掴んでみせる。
わたしはキス・オブ・デスの胸元めがけて左ストレート。しかし、また手応えがない。
キス・オブ・デス、ゆらりと攻撃をかわす。しかし、この距離ではよけきれなかったはずだ。なのに、なぜ避けられた? たとえ機体を左右へ回避させたとしても、片腕だけは貫ける距離にあった。なのに、手応えはまったくない。
わたしは、文字通り霧を掴むような感覚におそわれた。そして、あらためてサリー・へイズ=キス・オブ・デスを見たとき、はたと気がついた。
彼女の、右腕がないのだ。肩から下が、忽然と消えてしまっている。しかも切り口が不自然なほどに綺麗だ。
――おかしい、手応えは無かったはずだ。
疑問が頭の中を支配し、わたしを混乱させる。
すると、次の瞬間だ。
「後ろですよ、ミス・ウェザフィールド」
衝撃。
強い揺れが機体を襲う。何メートルも落下したような大きな縦揺れに、わたしは驚かざるを得なかった。
バックモニターを確認。
そのときわたしが目にしたのは、《右腕》だった。切り離された右腕が、霧の中でふわふわと浮いている。そしてそれが、ミストレスの襟首を掴んでいたのだ。
「くそっ!」
舌打ちし、真後ろの右腕をどうにかしようと画策する。しかし、そうしている暇はなかった。
「腕が落ちましたね、中尉。残念ですが、死んでもらいます」
キス・オブ・デス。その骸骨のような姿。胸元に刻まれた肋骨のような八本のスリットが開いた。上部六本のスリットが展開するや、そこから現れたのは巨人用にリサイズされたパルス・ハンドガン。そして下部の二本には、予備の腕が格納されていた。
スリット内部の装備は、周囲の霧に紛れながら転送開始。予備の右腕が接続され、二丁の拳銃が両手に構えられた。
「あなたとは敵になりたくなかった……でも、あなたが先に私を裏切ったんです。……中尉、死んでください」
トリガーにかけられた指が、一斉に動いた。
白い閃光が瞬き、光球がわたしに向けて浴びせられる。
わたしはすぐさま左腕を構え、クローを格納。左腕を盾にして防御態勢を取った。しかしそれで防ぎきれるはずがない。
残りの弾数など気にせず、彼女は引き金を引いてくる。まもなく、パルスガンのジェネレーターが焼けたのか、一瞬だけ銃火が止んだ。
わたしはその一瞬の隙をつこうと考えたが、しかし後方の右腕がそうはさせない。ミストレスが一歩踏みだそうとすれば、馬鹿力で後ろに引っ張ってくる。そうして足踏みしているうち、キス・オブ・デスは二組目の拳銃を手に取るのだ。また、銃火がほとばしる。
このままでは機体が保たないことはわかっていた。だが、今のわたしに何ができるか?
考えられる手は、一つ存在した。
――この濃霧を晴らす。




