死の口づけ (3)
高電圧の銃弾を何度も喰らって、ミストレスの左腕はかなりの熱を持ち始めていた。
キス・オブ・デスは三組目の拳銃に持ち変える。オーバーヒートしたパルスガンは地上へ投げ捨て、そのままだ。
このまま四組目まで続けば、もちろんわたしに勝機はない。だが、わたしもおちおちそこまで耐えているつもりはなかった。
三組目の拳銃に持ち変える、その瞬間だ。
わたしは、今まで防御態勢をとっていた左腕を、大きく振り回した。左フック。熱せられた鉄拳が、霧の中で荒々しくも旋回。しかし、手応えはない。拳はただ空を捉え、殴り飛ばす。
「ついにおかしくなりましたか、ミス?」
無線に割り込むサリーの声。彼女はわたしをあざ笑った。だが、そうしていられるのは、彼女がわたしのねらいを理解できていない証拠だ。
高温になった手甲が、空間を切り裂く。霧が立ちこめる中を、何百度にまで熱せられた鋼鉄が。
霧とは、一種の異次元空間である。それは大昔、大戦中の人類が見つけだしたものだと言われている。ゆえに今の人間たちには、霧の原理を理解できていない。絶対不変の、神的なものとして捉えている。……しかし、しょせん霧は霧なのだ。
霧とは、冷たい空気の滞留によって起きるもの。わたしは、それを熱することで払おうと図ったのだ。
徐々に霧が晴れ始める。濃い、灰色の霧。その向こうから、キス・オブ・デスの全貌が見えた。
「なるほど、そういうことですか――ですが、好きにはさせません」
再び、雷撃の銃火。
そのタイミングでわたしは、機体を大きく旋回させた。やつの意識は、いまトリガーと照準器に向かっているはずだ。
バレエのごとくステップ。旋回、回避。流れ弾が、襟首を掴んでいたキス・オブ・デスの腕に着弾する。
「残念、フレンドリーファイアね」
わたしは密かに笑み、そして再び霧立ちこめる空間を、熱い鉄拳で横一文字に薙いだ。
霧が晴れる。今度は、わたしの番だ。
ペダルを踏み込む。ミストレス、前進開始。雨に濡れたアスファルトを、飛沫をあげながら駆ける。霧は晴れつつあった。
他方、サリー・へイズも見切りをつけたのだろうか。両手に構えたハンドガンを変形。銃身下部のアンダーマウントレールから電撃の刃が突出した。本来、銃弾に使われるエネルギーを変換させ、ブレードに固定化させたのだろう。彼女も、やりあう気のようだった。
そして雨の中、二つの巨人が衝突した。わたしは、ミストレスのクローを展開。三本の鉤爪をさながらドリルのようにさせて、勢いそのままキス・オブ・デスに叩きつけた。刃は、キス・オブ・デスのプラズマ・バヨネットと衝突。激しい光が、霧の残りカスで乱反射した。光は雨の夜を切り裂き、雨粒がさらに光を乱反射。曇った夜空を照らし出す。
閃光。破裂。稲妻のように一際激しい光をまき散らし、爆音とともに爆ぜた。その衝撃はミストレスとキス・オブ・デス、その両方を吹き飛ばす。
わたしは左腕を地につけ、アスファルトを掴んで強引に急ブレーキをかけた。こういうときは、重い機体のほうが有利だ。
一方、キス・オブ・デスはその華奢な機体を虚空に投げ飛ばしていた。空中で二度三度、体操選手の如く機体がひねる。
――勝ったか
わたしは一瞬、そんなぬか喜びに浸った。だが、間違いだった。
刹那、夜霧と雨に紛れ、雲間から満月が現れた。それがわたしの視界を一瞬だけ奪った。
その直後だ。虚空に投げ飛ばされたキス・オブ・デスの後方。彼女の第三の腕が霧とともに転送され、彼女自身の首を掴んだのだ。腕は空中で強引に機体を制止させ、さらには機体をこちらにめがけて投げ飛ばした。
その加速。とてもミストレスの反応速度では追いつかない。
わたしが気づいたそのとき、キス・オブ・デスはもう目の前にいた。青黒い瞳を輝かせ、二本の腕を大きく広げて。
わたしには、そのときサリー・へイズ――いや、元少尉はこう言っているように思えた。
「今度はあなたが二階級特進する番です、中尉」と。
*
誰かがわたしを呼んだ。それも、わたしが忌み嫌う、古くさい呼び方で。
――……れ、……中尉……だ。
その声は増幅され、わたしの耳に強く響いてくる。
女の声だった。ひどく落ち着き払った、まるで聖人がごとき静かな声。しかしその声は、しだいに叫びに変わっていると、わたしは気づいた。
――殺れ、中尉。彼女は敵だ。
耳がはたと気がつく。これは命令であると。
そして視覚野へと働きかけ、わたしの視界は《敵》を捉える。声が指示する、殺すべき対象に。
それはわたしの目の前にいた。
黒と灰が混ざり合う、マーブル模様の煙。その中に佇む一人の女と、彼女の後ろに立つ一体の巨人。女は袖の裂けたモッズコートを着て、前は開けていた。下には黒のタンクトップを着ているだけで、下着もつけていない。カーキのカーゴパンツからは黄土色の液体が染み出しており、またそれは上着の裾にも付着していた。一瞬わたしは、それは血液かと思った。だが、血はたとえ衣服の色に干渉されたとしても、濁った赤色をするはずだ。そんな鮮やかな黄色になるはずがない。それは血ではなく、一種の潤滑剤のようなものであると、わたしは理解した。
その女――死の口づけ。彼女の両腕は鋼の色をしていて、胸元にはいくつかのスリットが見えた。肩にはリベット止めをしたような痕もあり、それが痛々しいイボを描いていた。
瞳が動き、彼女はわたしを見た。青い瞳はゆっくりとピントを合わせる。カメラが絞りを動かすように――いや、まさしくそれなのだ。彼女の虹彩は、黒い羽根をかみ合わせたような形をしている。
羽根が閉じられる。入る光量を制限し、空を見あげるようにわたしを見る。彼女の動きは、どこか機械的で、冷たさがあった。
そしてそのとき、あの声がわたしに言ったのだ。
――殺せ、中尉。彼女は我々の味方ではない。アンドロイド……霧の向こうの兵器だ。
*
あの女の声が聞こえて、わたしは、はたと目が覚めた。そして覚醒するや、目の前に光が迫っているのが見えた。
それは、ミストレスのコクピットに押し当てられた、パルスハンドガンのエネルギー光だった。トリガーは引かれる直前。幸か不幸か、こんなタイミングで目を覚ましてしまった。
わたしはどうやら気絶していたらしい。キス・オブ・デスは、ミストレスの上に馬乗りになり、首取ったりと言う様子で銃口を突きつけている。その立ち居振る舞いからは、勝者の余裕さえ見て取れた。
鼻で嗤うような声が、スピーカー越しに聞こえた。彼女は、勝利を確信している。
――その鼻を明かしてやる。
わたしは、左腕を強引に開き、上に突き上げた。ミストレスが動きを連動させ、クローを展開。鉤爪を強引に開き、馬乗りになっていたキス・オブ・デスを吹き飛ばした。
その隙にわたしは立ち上がる。
霧は晴れていた。雨もいつしかすっかり上がったようだ。先ほどまでの土砂降りは嘘のよう。空には雲が浮かんでいたが、しかし雲間からはしっかりと満月が顔をのぞかせていた。一際大きな黄土色の光を、氾濫したラムズの湖面に落としている。波一つ立つたびに、月明かりは屈折し、道化師の顔のようになった。
「もう少し諦めがいいと思ってました」とサリー。
キス・オブ・デスはよろけながら、体勢を立て直そうとする。しかし、わたしは彼女にそんな隙を与えるつもりは無かった。
「残念、わたしはしつこいのよ。……サリー・へイズ、あなたに聞きたいことは山ほどあるのよ!」
左腕を構える。
フットペダルを押し込み、両足が地面を噛んだ。コンクリートに亀裂が走る。
クローを閉じたまま、鏃のようにして、わたしはキス・オブ・デスの胸元に突き刺した。確かな手応え。たとえ質量の小さい機体でも、そう何度も連続転送できるはずがない。
クローを装甲の奥深くまでねじ込ませる。そして突き刺さったとき、わたしは手のひらを無理矢理に開いた。ミストレスも同じく、強引にクローを開く。
鉤爪が、キス・オブ・デスの胸部装甲を引き裂いた。装甲の薄い骸骨のような機体だが、唯一分厚いのはもちろんコクピット――胸部周辺の装甲だ。ミストレスはそれを引っ剥がし、コクピットをあらわにした。
引き裂いた装甲は、花びらのように外へ向かって切り開かれた。コクピットは丸見えで、その中には両手両足をケーブルでつなげられた、憐れな女が立っていた。鉛色の手足。その各関節部に黄金色のコネクタが差し込まれている。コネクタの先に続く鈍色のケーブルは、蛇のように彼女の手足にからみつき、サリーの動きを支配しているようだった。
彼女が機体を動かしているのではない。まるで、彼女が機体に動かされているよう。
サリー・へイズは、青い瞳でわたしを見上げた。わたし=ミストレスの後方には、光を投げかける月がある。するとやはり、彼女の瞳の奥では、カメラの絞りのような羽根が閉じ、光量を調整した。
背筋にゾクリと悪寒が走った。わたしの知らぬ、消し去ったはずの記憶がよみがえる恐怖。
そうしてサリーは、自嘲気味に笑んだ。
「お見事ですね、ミス・ウェザフィールド」
「……そんなことを言われてもうれしくないわね」
「まあ、そうでしょうね。あなたはあのころから、機械であれ人であれ、何らかを破壊することに快楽は覚えていないようだった。むしろ、自分の信念のために仕方なくやっているようだった……。私とは違う……。
さあ、殺してください。行政府の依頼は、探偵のヘイズル・ウェザフィールドではなく、殺し屋の情婦に向けられたものでしょう?」
「そうね。……でもね、一つ聞いておきたいことがあるの。ねえ、あなた……あなたは、何者なの?」
「醜い人間のなれの果てですよ。あなたは幸いにも右腕だけで済んでいると思っているのでしょう? でも、それは違うんです。私の醜い姿を見てくださいよ。これが、人が犯した罪です。体を機械にして、戦闘機械を作り上げた。私は、この事実をラリュングの人間に知らしめる必要がある」
「……死の口づけ、あなたはやはり、アンドロイド――」
「さて、どうでしょう。……『人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である』……すべては、あなたが私を殺したときに変わってしまったんです。私も、あなたも、大佐も」
「大佐……。大佐は生きているの?」
「さあ?」
そうして彼女がつぶやいたときだ。
また、黒と灰の斑模様の霧が現れ、一瞬にして彼女を覆ってしまった。
もはやわたしにはどうしようもできず、ただ霧の向こうに消えていく彼女を見守ることしかできなかった。霧が晴れたころには、もう彼女はいなかった。キス・オブ・デスの残骸が、かすかに工場跡に残されただけだった。




