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月の女神

 ユニクールを発って一時間半後。


「おーい、ただいまー」


 山を越え谷を越え、ついに勝八はゾマの里へと帰ってきた。

 しかも、行きよりも少し時間を短縮できた。

 また世界を縮めてしまったという按配である。


 テントから顔を出した部族の人間が、一様にぎょっとして勝八を見る。


 例の隕石騒動から碌に時間が経っていない上、勝八は全裸の体に鎖だけを巻きつけた前衛的にも程があるファッションをしているのだ。

 それも無理からぬことだった。

 股間には特に念入りに鎖を巻きカードしているが、それが更に怪しさを増幅している。


 だが、そんなものはまるで気にしない人間がいた。


「カッパチ!」


 まるで忠犬のように、じっと勝八の帰りを待っていたゾマである。

 勝八が軽く手を上げると、彼女は散々「待て」をされた犬の如く、弾丸のような勢いで彼の元へ駆けてくる。

 村の間に流れる川も物ともしない。

 ジャブジャブと渡り、乳バンドのズレも気にせず疾走した彼女は、その勢いで勝八に抱きついた。


「え、え、何!?」


 様々な衝撃的出来事が脳を襲い、勝八の頭は真っ白になる。


 ゾマは野生児な外見と裏腹に、中々クレバーな娘だったはずだ。

 それが、まるで童女のように勝八へ抱きついてきている。

 童女には決してあり得ないボリュームを押し付けながら。


「そんなに心細かったか」


 不治の病と闘っていたのだ。無理も無い。

 とりあえず出来事の整理は後でゆっくりすることにして、勝八は彼女の頭を撫でた。


「そういう訳じゃ、なイ」


 するとゾマは、額を勝八の胸につけながら首を横に振る。

 ぐずっているようにも見える仕草だが、では一体どうしたというのか。


「えーと、とりあえずもっと早く帰ってくれば良かったな」


 よく分からないまま、そう言って彼女を慰める勝八。


「こ、これ以上早かったら、僕は、僕は……ダメになってしまう」


 その時、背後から既に大分ダメになっている声がした。

 すっかり忘れていたが、キュール君である。

 彼は小箱をしっかり持った姿勢のまま、背中合わせで勝八に括り付けられている。


「ゾマ、とりあえず鎖解いてくれるか? 胸隠してから」


 泣いている病人に頼むのもどうかと思ったが、今の状態では自分も迂闊に動けない。

 名残惜しいが離れる為の理由付けも兼ねて、勝八はゾマに頼んだ。


 するとゾマは褐色の肌を上気させ、涙目で勝八を睨みながらお互いの肌と肌の間を滑らせるようにして胸元を直す。


 色々とたまらない気分になる勝八だが、今はそんな場合ではない。

 ちらりとゾマの胸元もとい手を見ると、彼女の病は手首まで進行している。


「で、そのキュール君が死にそうな顔で抱えてるのが癒しの至玉だ」


 黒い骸骨のようになっている彼女の指を痛ましく思いながら、勝八はゾマへ告げた。


「そうカ……ひゃっ」


 重々しく頷くゾマ。

 だが、勝八とキュール君を繋いでいた鎖が解けると、同時に勝八の下半身を覆っていた鎖も落ちる。

 可愛らしい悲鳴を上げる彼女を見て、数日前の出来事を妙に懐かしく思いながら、勝八はスッと股間を隠した。 


 同時にキュール君が腰からへたり込み、まるで最後の仕事かのように抱えていた小箱を掲げた。


「ちょっと待てよ。……よーし開けていいぞー」


 それを見届けた勝八は、両手で下半身を隠しながら急ぎ足でその場を離れ呼びかけた。


「何故離れル」


 不思議そうな顔をするゾマ。

 が、自身が納得したRPG理論をゲームしなそう系女子(異世界人)に説明するのは難しい。


「色々と事情があるんだ!」


 結局、勝八はそう言って誤魔化すことにした。

 ちゃんとした説明を出来そうなキュール君は、今や小粋な小箱置きである。


「むぅ……分かっタ」


 不満顔のゾマだったが、害はあるまいと判断したのか小箱をぱかりと開ける。

 すると、箱の中から白色の光が溢れた。


「オォ……」


 その眩さに、ゾマは病に侵された右手をかざし光を遮ろうとする。

 すると、光に影が融けるように、ゾマの右手から黒い靄が散っていく。

 

 神秘的な光景に、勝八は解放された股間を隠すことも忘れ見入った。


 やがて、ゾマが光の下から離れる。

 彼女が今度は手のひらを太陽に透かすと、そこには元の健康的な色をしたゾマ本来の右手があった。


「な、治ったんだな!?」


 勝八の感動もひとしおである。

 両手を広げて近づこうとする勝八を、ざっと立ち上がった影が制する。

 

「君は近づかないように!」


 またもキュール君である。

 どうやら癒しの至玉である程度回復したらしい。

 とはいえ心の傷は癒せないようで、その顔にはやさぐれた気配が滲み出ていた。


「先程から一体なんなのダ?」


 彼らのやり取りに、ゾマが右手をにぎにぎとしながら首を傾げる。


「えーと、他の患者を治療しながら説明しよう。後……彼に着るものを用意してあげてほしい」


 彼女に応えたキュール君は、そう言って丸出し両手広げの勝八から目を逸らしたのであった。



 ◇◆◇◆◇



 黒肢病の治療が為される間、勝八はテントの外にいた。

 モサルルと呼ばれる腰ミノを身に着け、煤けた肌も相まって完全に集落へ溶け込んでいるように見える。

 

 だが実際には、勝八は周囲の人間からかなり距離を取られ、ちらちらと奇異の目で見られる立場にあった。

 過激派の人間だけではない。

 勝八が旅立つ時はテントの中に隠れていたらしいそれ以外の――おそらく穏健派というか日和見派と思われる人々もゾロゾロと出てきて遠巻きに勝八を観察している。

 総勢は50名ほど。

 どこに隠れていたのかと思うほど人数だ。


「やはりあの尻は、神のモノなのカ?」


 勝八が恐れられている原因は、例の緩ヒップアタックである。

 唯一彼の傍にいるゾマが、勝八に問いかけた。


 集落の人間は勝八が緩の尻もとい隕石を召喚したのだと思い込み、彼を恐れているのである。


「あぁ。本当はもうちょい小ぶりなんだけどな」


 誤解を解こうにも話を聞いてもらえる雰囲気ではない。

 なので勝八は、ゾマにだけはそう説明しておいた。


 尻のデカい神などと伝承されては、緩も立つ瀬が無かろう。


「そう、カ。やはり女性カ……」


 勝八が考えていると、ゾマはその横でふむと考え込む仕草を見せた。

 緩が女神だというのは世界に広まっていないのだろうか。


 女神……自分で考えておいてなんだが、どうにも緩には似合わない称号である。

 そのしっくり来なさに勝八も首を捻っていると。


「二人ともどうした。首を痛めたか?」


 テントの入り口が捲られ、中から治療に当たっていた隊長が現われた。


「いや、そうじゃなくて……どうだった?」


 神の尻に関して語っていたとは言い難い。

 適当に誤魔化して、勝八は治療の首尾を尋ねた。


「……全員治療できたよ。衰弱はしてるけど2、3日安静にしてれば問題ないと思う」


 すると、今度はキュール君がテント内から出てきて答える。

 どちらかというと医療の知識がある彼が本命であり、隊長は付き添いである。


 勝八の火傷も治しきれない国宝の体力に若干の不安を覚えていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 ゾマのほうを見ると、彼女は自分が治った時とは比べ物にならない嬉しそうな顔で勝八を見つめ返した。


 そのまま別次元へと二人で転移しそうになるが、隊長達の手前勝八はそれをぐっと堪える。


「本当によく取ってきてくれた。キュール君も、男の顔になったな」


「縛られたまま奈落に放り出された時の恐怖に比べたら、その辺の魔物なんてドンと来いですよ……」


 一方そんな隊長は、キュール君の肩に手をまわし彼を褒め称える。

 それに対しキュール君は、どちらかというとやさぐれた表情で答えた。


 鎖の固定が甘く、跳躍中にキュール君が落ちた時は勝八も本当にダメかと思った。

 そんな時でも至玉を手放さなかった彼は、真のヒーローである。

 ……ただ単に体がこわばって動かなかった線もあるが。


 勝八がそんなことを考えていると、テントの入り口がもう一度開いた。

 肩をすぼめて出てきたのは、金髪ドリル蛮族のアリュナである。 


「アノ……」


 彼女は初対面の面影を感じさせない気弱な表情で、勝八を見た。

 直視はできず、目線は彼の胸元辺りを彷徨っている。


「なんだよ」


 その姿に若干同情心を呼び覚まされながら、いや、騙されまいと思い直し、勝八はぶっきらぼうに問う。


「ひっ。あの、巨大な岩は……貴方が呼び寄せたのですカ?」


 すると、彼女はびくりと肩を震わせてから勝八に尋ねた。

 彼女もまた、周囲の人間と同じ勘違いをしているようだ。


 視線が自分に集まるのを、勝八は感じた。


「あれハ……」


 ゾマが勝八の代わりに説明をしようとする。

 だが、彼女の顔を「貴女には聞いていませんワ」とばかりにアリュナが睨む。


 病み上がりだというのに見上げた対抗心だが、やっぱりダメだこの女。

 息を吐いてから、勝八はニヤリと笑ってみせた。


「そうだ。あれは俺サマが呼び寄せたのだ」


「あんな大きな岩ヲ……!?」


 慣れない一人称に発音が不安定になる。

 だがそれでも、もしくはそれが恐怖を更に掻き立てたのか。

 アリュナが青い顔になる。


「でもカッパチくん……」


 我々あの隕石から必死で逃げたじゃないか。

 キュール君が視線で訴える。

 だがそれを視線で制して、勝八は言葉を続けた。


「このちっぽけな集落だって、俺サマの力があれば粉々にすることができる。そうされたくなければ、今後勝手な破壊行為は慎むこと」


 目的はとりあえず、ペガスへのテロをやめさせることだ。

 宰相や国の体制は嫌いだが、マリエトルネ達に被害が出るのは避けたい。

 そして。


「ゾマへの嫌がらせもやめること。彼女と仲良く……は無理でも助け合って暮すこと」


 もう一つ。勝八はアリュナへ要請した。

 彼女の態度からしていきなりゾマと親友になることは出来ないだろうし、ゾマだってアリュナが急に優しくなっても気持ち悪かろう。


 だから、この辺りが妥協点だ。


「……ハイ」


 ゾマの名前が出ると、アリュナはやはり嫌な顔をする。

 だが、勝八の力を勘違いしたことと周囲からの頷けというプレッシャーに耐えかね、結局はそう返事をした。


 それを見届けた勝八は、「お前らもだぞ」とばかりに他の者達へもぐるりと睨みを利かせる。

 波立つように人々が震え上がり、彼はよしと頷いた。


 自分の評判は最悪になったが、これでゾマの平和はしばらく確保されたはずだ。


「暮ス……」


 その横でゾマが唇を噛み締めたのに、彼は気づいていなかった。



◇◆◇◆◇



 深夜、勝八は宛がわれた集落のテントの中でもぞもぞと蠢いていた。

 眠れないのは、これが初めての異世界で過ごす夜だからではない。

 敷かれたござの感触が気に入らないわけでも、身に着けた腰ミノがチクチクするだけでもない。


 あれから小規模な宴が催され、勝八には不確定名:いのししの丸焼きが振舞われた。

 その豪快な料理にテンションが上がった勝八はそれをガツガツと食い、周囲の人々は彼の様子を遠巻きに窺っていた。

 が、中には彼に近づき治療の礼を述べる者たちもいた。

 黒肢病で臥せっていた者達や、その家族である。


 子供の母親などは涙を滝の如く流し、感謝の言葉を小一時間並べ立てる勢いで、勝八でなければ感謝の握手で手の骨が砕けていたのではないかと思えたほどだ。

 彼女が呼び水となり、宴の終わり頃には勝八の周りにぽつぽつと人が集まるようになっていた。


 膝の上に座った子供達に沢田康夫珍エピソードを最後まで教えられなかったのは残念だったが、これならゾマも里でやっていけるだろうと思えたのは収穫だった。

 ここで平和に暮していくゾマ。

 それを考えると、何やら勝八の胸にもやっとしたものが生まれる。


 件のゾマが、あれから勝八とまるで口を利いてくれなくなったのも勝八のもやもやを大きくした。


 自分は何か悪いことをしただろうか。

 その思いが、眠れない原因の一つである。


 そしてもう一つ。


「熱い……」


 ドラゴンにつけられた火傷が、今になって熱を持ち始めたのである。

 

 動くには支障のない程度の火傷ではある。

 しかし紙で切った小さな傷がいつまでもじんじんと痛むように、軽微な火傷だからこそ、そのほてりが勝八を苛んだ。

 癒しの至玉をもう数秒だけ借りれば良かったか。


 後悔しながら勝八が寝返りを打ったその時。 


「カッパチ」


 テントの外から、小さく声が響いた。


「ゾマ?」


 この怪しげな発音で勝八を呼ぶのは、この世界でゾマだけだ。

 だが、こんな時間に何の用だろう。


「入ってもいいカ? 火傷用の薬を調合してきタ」

 

 勝八が疑問に思っていると、ゾマは彼の心の中の疑問にそう答えた。

 そういえば彼女の両親は薬師で、彼女もその真似事が出来る話していたはず。


「おお、助かる!」


 ちょうどそれに悩んでいたところだ。

 やはり心を読んだかのようなタイミングの良さに、勝八は喜色満面にテントの入り口を捲った。


 するとそこに、月明かりの逆光の中、乳鉢を手にしたゾマが立っていた。


 輪郭が白く浮かび上がり、いつも以上に細く華奢に見せている。

 反面、柔らかな光は女性らしい丸みを強調していた。


 まるで月の女神のような、彼女の立ち姿。


「カッパチ……ワタシハ」


「あの、ゾマ?」


 そして覚悟を決めたその表情に、勝八はごくりと唾を飲み込んだのであった。

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