オトメ・ノ・シメイ
月明かりが天幕を透け、中にいる二人の輪郭だけを映し出す。
その内の一人である勝八は背中を向け、ゾマに火傷の薬を塗ってもらっていた。
「なぁ。このぐらい自分で塗るって」
狭い室内で女子と二人きり。
しかも刺激に敏感になっている肌を触れられていると、勝八も自身の性別を主張したくなる。
「ダメダ。背中は一人ではキチンと塗れなイ」
が、ゾマは彼の言葉を即座に却下。乳鉢から掬い上げた薬を勝八の背中へ広げていく。
薬のことは薬師に任せろという勢いだ。
「ゾマ先生。その割にはあまり慣れてない感じなんですが」
勝八としても普通の状況なら任せたい。
だが、彼女のぎこちない手つきが勝八を余計落ち着かない気分にさせる。
「……もっと下に塗ってほしかったのカ?」
背中ごしでもムッとした気配が伝わる。
ゾマはそう言って、勝八の尾てい骨へ指を当てた。
「い、いや下半身はそんな火傷してないからいいです!」
慌ててそれを辞退する勝八。
ウロボロスレイヴの皮は本当に丈夫だったようで、上半身に比べ勝八の下半身には大した火傷は無かった。
が゛、いくら綺麗でもお尻に薬を塗ってもらうのは、男子としての沽券に関わる。
結局勝八が完全敗北した形になって、その場に沈黙が落ちる。
「て言うかゾマ、寝てなくて大丈夫なのか?」
しばらくして、いくら広い背中でもそろそろ塗るところが無かろうというタイミングで勝八は尋ねた。
癒しの至玉で回復したとはいえ、病み上がりに寝不足は変わるまい。
「むしろ昼間寝すぎて眠れなイ」
心配して勝八が尋ねると、彼の肩から二の腕にかけて薬を伸ばしながらゾマは答えた。
「カッパチが約束してくれたから、安心して眠れタ」
その手つきは、優しく疲れを労わるようなものに変わっていた。
ただ、背中にたぽたぽと双球が当たり、勝八の心臓には良くない。
「……俺が帰ってきたら飛びついてきたじゃないか」
ほてりを抑える為の薬を塗られているはずなのに、逆に体が熱くなってくる。
耐え切れず身じろぎをしながら、勝八はつい意地悪なことを言った。
「アレは……その、カッパチの顔を見たら、抑え切れなくなっテ」
すると、背中にこつんとゾマの額がぶつけられる。
彼女はまるで自らのほてりを薬で冷まそうとするが如く、ぐりぐりと勝八の背中で頭を動かした。
ゾマが恥じらっているのが伝わり、勝八の体温が更に上がりかけたその時。
「カッパチは、ワタシをここに置いていくつもりなのカ?」
ピタリと動きを止め、ゾマがそう尋ねてきた。
「置いて行くって……ここはお前の故郷だろ」
「そういうことではなイ」
勝八がとぼけた声を出すと、ゾマはぴしゃりとそれを否定する。
「ワタシの使命はカッパチが世界の歪みを直すのを手伝うことダ。忘れたのカ」
それから彼女は、自らの使命についてもう一度語った。
正直忘れていた。
そう答えかける勝八だが、言えば怒られそうなので口をつぐむ。
「神が嫉妬すると言っタ……アレが原因なのカ?」
彼の沈黙をどう受け取ったのか。
ゾマはくしゃりと声を歪ませて問いかけた。
「え?」
彼女の言葉は、勝八にとって予想外のものだった。
思わず間抜けな声が出てしまう。
だが、自分は無意識にそれを恐れていなかっただろうか。
勝八は自身の心に問いかける。
確かに緩は、ゾマへの嫉妬で彼女に呪いをかけてしまった。
原因は不明瞭……だが、もう一度同じ事が起こらないと言えるだろうか。
「そうじゃない。それは、そんなに心配してない」
――言い切れはしない。
誰かを恨んだり、嫉妬したり。
それは人間にとって当たり前の感情だ。
それを緩が表に出した事に、勝八は不謹慎ながら喜びさえ感じていた。
しかしそれでも、緩は同じ失敗を繰り返さないという楽観を、勝八は持っていた。
自分がやってしまった事に、あれだけ落ち込んでいたのだ。
緩は自覚さえあれば、特定の人間に呪いを向けるような少女ではない。
そしてそれを助ける為に、やらかしてしまったなら何度でも直す為に、自分がいるのだ。
歪みの原因が自身である事に気づいてさえいれば、勝八の心持ちは立派なものだった。
「ナラ、何故……」
勝八が考えているうちにその正面へと回り込んだゾマが、顔を近づける。
「いや、単純に問題解決したら付いてくる理由無いかなって。危ないし」
二つの月のような黄金の瞳に怯みながら、勝八は答えた。
今回キュール君を散々振り回して、彼は悟ったのだ。
この体で全力を出すと、普通の人間では付いて来れなくなってしまう。
それに世界の歪みというものは勝八の想像以上に深く、危険なところに潜んでいるようだ。
そんな場所に、嫁入り前の娘さんをホイホイ連れて行くわけにはいかない。
「だ、だから、ワタシには使命が」
先程聞いたゾマの使命を即忘れた……訳ではない。
両腕を掴み言い募るゾマに、勝八はゆっくりと首を振った。
「緩は巫女の存在なんて知らなかった。誰にも命令なんてしてない。だから、ゾマに使命なんて無い」
緩は、自分が見える存在はおろか、蛮族達の存在すら知らなかったのだ。
ゾマの使命は勘違いであり、無理についてくる必要なんてない。
勝八ははっきりと告げた。
肩を落とすゾマ。
残酷なようだが、これが事実だ。
勝八とて、彼女と別れることになるのは辛い。
だが、ありもしない使命の為に、彼女を振り回すわけには……。
「ワタシは、神を恨んでいタ」
自身に言い聞かせるよう考えていた勝八だが、その耳にゾマの呟きが入り込んでくる。
勝八の両腕を掴む彼女の手に、しかと力が篭った。
「緩を……?」
あのぽややんとした少女が、何故遠い異世界の少女に恨まれる羽目になる。
神と呼ばれたのに人間としての緩を思い浮かべてしまったせいで、勝八は一瞬混乱する。
「父と母は優しい人で、病気の治療を懸命にこなしていたのに、何故神は二人を連れて行ってしまったのだろうト」
だが、彼女がそう考える理由はすぐに分かった。
ゾマは黒肢病によって両親を失っているのだ。
「でも、緩は……」
前回の黒肢病を緩が発生させたという確証はないし、そうだとしても故意ではない。
そう擁護しようとする勝八。
「分かっていル。神にも出来ない事、見えないものがあるのはカッパチの話で知っタ」
それを遮るように、ゾマは首を横に振った。
今の彼女には、ある程度神の事情も分かっている。
だが、過去のゾマにはそんな事を推し量れるはずもない。
なまじ神が見える目を持っているだけに、神などいないと思う事もできない。
だから、神はいたずらに破壊しか行わないと思い込む事で、ゾマは両親の死について納得していたのだろう。
ごくたまに発揮される勘の良さで、勝八にはそれを察した。
「今も、神に対してわだかまりがない訳ではなイ。ワタシは、それを解消したイ」
そして、事情が分かった今でも彼女は緩を信じきれずにいる。
幼なじみである勝八でさえ、もう少し何とかならないかと緩に尋ね落ち込ませているのだ。
無理もない。
「だからこそ、ワタシはこの世界がどう変わっていくかこの目で見たいのダ」
心の中で勝八が納得しているうちに、ゾマはそんな結論を出した。
「なるほど……」
自然と、勝八の口からいつもの返事が出た。
だが、それは平素のように説明が飲み込めなかったからではない。
むしろ、彼女の気持ちが理解できてしまったからこそ、つい頷いてしまったのだ。
「贅沢な、願いだろうカ」
それを切欠にするように、ゾマは勝八の両腕を掴んだまま顔を寄せる。
吐息がかかってしまいそうな距離も相まって、勝八は返事に窮した。
彼女が今話した理由は、ゾマの個人的な事情であり、勝八には関係がない。
だが、異世界人であるゾマが、孤独な神である緩を理解しようとするその努力を、勝八は嬉しく思ってしまった。
「分かった……」
結局、根負けする形で勝八はそう答えた。
その瞬間、ゾマの顔がパァと輝く。
「緩に聞いてみる。ダメそうだったら、置いていくからな」
この娘も意外と現金だ。
考えながら、勝八は彼女に釘を刺した。
緩が嫉妬を抑えられないと答えたのなら、やはり彼女を連れて行くことは出来ない。
「その時は、その時ダ」
「ひぅ!」
すると、ゾマはぺとっと勝八の胸に手を置いた。
突然の不意打ちに、勇者の一撃にも怯まなかった勝八の口から情けない声が出る。
「そ、その時ダッ! って、まさか勝手についてくる気じゃないだろうな」
彼女の手を撥ね退けられないまま勝八が尋ねると、ゾマは胸に塗った薬を延ばしながら呟いた。
「カッパチについていきたい理由は、もう一つあル」
「な、なんだ?」
先程の理由のほかに、まだ重要なものがあるのか。
身構える勝八をほぐすよう彼の胸をスリスリとしながら、一瞬間を置いた後ゾマは語りだした。
「カッパチに大丈夫だと言われると、安心すル。でも、カッパチの顔を見ると胸が締め付けられル」
少し前にした会話と同じものである。
胸を触られながらそんな事を言われると、やはり勝八の心臓はどんどん脈を早めてしまう。
だが、それが旅についてくるのにどう関係するのか。
疑問を持って勝八が見ると、やはり少し恥じらいを見せてから、ゾマは口を開く。
「こんな気持ちになる理由を、ワタシは知りたいのダ」
自身の中に潜む矛盾。
それを探るように、ゾマの指が勝八の胸板をなぞっていく。
その指が、勝八のみぞおち辺りでピタリと止まった。
彼女は「いや、これも言い訳ダ」と呟いて、勝八の顔を見上げる。
「ワタシは、カッパチと、もっと一緒にいたイ」
出てきたのは、ストレートにも程がある言葉だった。
あかん。俺ダメになりそう。
のの字を描くゾマの指に悶えながら、勝八の理性が融けていく。
その中で、ふと思いついた疑問があり、勝八はゾマに尋ねた。
「ところで、神様はゾマの何に嫉妬してるんだと思う?」
自分でも何故このタイミングで彼女に聞いたか分からない。
ただ、本能的にここに何か緩を怒らせる要素があるような気がしたのだ。
彼の質問に、ゾマがきょとんと黄金の目を開く。
それから、しばしの沈黙。
「…………ワカラナイ」
帰ってきたのは、そんな答えだった。
彼女は顔を伏せ、誤魔化すように勝八の顔へグリグリと薬を塗りたくった。
「ゾマでぼ分きゃらないかぁ」
顔面を変形させながら、乙女の謎に勝八は首を捻ったのであった。
◇◆◇◆◇
翌日、勝八が目を覚ましたのは異世界の中でだった。
隣には裸のゾマが寝ている。
……ということはない。
彼女は薬を塗り終えた後、あっさり自分の家に帰ってしまった。
いやいや別に残念って事はない。
頭を振って、勝八は正気を取り戻す。
異世界で眠りから醒めるのは初めてのことなので、どうも調子が狂っているようだ。
勝八が似合わない自己分析をしていると、やがて里の者が彼を呼びに来た。
どうも長老が呼んでいるらしい。
村を流れる河で顔を洗った勝八は、何の用かと思いながら長老の家へ向かう。
昨日できていた火傷は、すっかり治っていた。
「昨日は、申し訳ありませんでした」
テントを潜った途端、土下座フォームをした長老がおり勝八は面食らった。
「え、あ、ちょ、とりあえず顔上げて!」
どうしたと問いかけようとした勝八だが、とりあえずナントカ岩のようになっている長老を起こす事を優先する。
「長老、カッパチは気にしていなイ」
それを助けたのはゾマだった。
彼女は長老の脇に手を回し、その上半身を起こす。
バキボキゴキ。
という恐ろしい音が鳴り恐怖する勝八だが、ゾマの冷静な表情を見るに問題はないらしい。
だが、そんな彼女も勝八と目が合うと、褐色の肌をパッと上気させ顔を逸らす。
何その初々しい反応。
長老に昨日何かあったと勘違いされるじゃない。
思う勝八だが、自身も顔が熱くなるのを避けられない。
「アリュナ達を諌める為、貴方様は自身を悪役にしてしまっタ。それに気づいていながら、私は里の平和の為、本当のことを黙っていましタ」
二人して青春をしている脇で、長老がなおも謝罪の言葉を口にする。
なるほど。そういえば長老にも緩の尻は見えていたのだ。
それなのに「自分が呼んだ隕石だ」という勝八の嘘に口を挟まなかった事を、彼女は気に病んでいたらしい。
「いや、そうしてくれて助かったよ。これであいつらが大人しくなるなら良いじゃないか」
しかし、長老に謝られる筋合いは無い。
彼らに恨まれようと勝八には痛くもかゆくもないし、長老が真実を告げれば悪ぶった勝八の演技がとんだ茶番になるところだった。
「……ありがとうございまス。罪滅ぼしと言うわけではありませんガ」
だが、それでは気が済まないらしい。
長老はそう言いながらゾマに目配せをする。
ゾマが立ち上がり、巫女らしい恭しさで壁際へと歩いていく。
そこにあるのは、大きな鹿……いや、角の生えた猪の頭骨である。
かつて祖父の自宅に置いてあったので、勝八にはその判別が付いた。
彼女はそれを手にとって、儀式でも行っているかのようにしずしずと持ってくると、勝八の目の前に置いた。
「これを、お納めくださイ」
まさかと勝八が思っていると、そのまさかな事を口にし、長老が頭を下げる。
またしてもバキボキと音が鳴った。
「いや、お納めくださいって……」
こんなものをどうしろと言うのだ。
猪は頬肉はもちろん脳みそも食えると聞いた事があるが、さすがに骨だけではどうしようもない。
美味い出汁でも取れるというのか。完全に食欲メインで猪の頭蓋を眺める勝八。
すると彼は、その真ん中に丸い穴が空いていることに気づいた。
「この頭蓋は、先代の山の主――三つ目猪のものでス」
それを待っていたかのように、長老は説明を開始する。
魔物の名前を聞いたとき、勝八には日本語と英語両方の名称が伝わった。
「ごめん、もっかい言って」
「三つ目猪。この魔物は頭部への魔法の力を遮断します。それは、死後も変わりません」
それが面白くて勝八が要請すると、長老は律儀に魔物の名前を繰り返し、その効能を説明した。
「えっと……」
だが、二重音声に気を取られた勝八は見事に彼女の説明を聞き逃す。
「被れば、脳に作用する魔法にかからなイ。睡眠魔法とカ、魅了魔法とカ」
そんな彼のアホさを察して、ゾマがざっくりと説明する。
爽やかな笑みで感謝を伝える勝八だが、ゾマの呆れたような表情を見るに、常に赤面される関係からは脱してしまったようだ。
……まぁ、このぐらいの方が話しやすくていいさ。
勝八が心の中ですっぱいブドウをしていると、ボキボキ。
長老は猫が背筋を伸ばすような姿勢でずずいと頭蓋を押し出す。
「神の使者様には無用のものかもしれません。しかし、我々の忠誠の証としてお受け取りください」
そして、そんなへりくだった事を言った。
頭限定とはいえ、魔法にかからないというのは勝八にとってありがたい事この上ない。
状態異常ガード。そういうのもあるのかといった按配である。
こういった物を集めれば、魔法にも負けない無敵の勝八君が完成するかもしれない。
しかし――。
「これって被るの?」
ふと、嫌な予感を覚え、勝八は問いかけた。
「被ル」
すると、ゾマから無慈悲な返事が返ってくる。
それを聞き、勝八は戦慄いた。
腰ミノに頭骨の兜。
それではまるっきり蛮族……良くて上級蛮族ではないか。
「お気に召さないでしょうカ?」
想像して勝八が渋面を作っていると、長老が首だけを上げて問いかけた。
「あぁ、いや……」
魅力的なアイテムではある。
そう、それは間違いないので勝八の返答は曖昧になる。
「分かっておりまス。この兜に似合う衣装が必要ですネ」
すると、長老は柔和な笑みで再びゾマへと視線を向けた。
ゾマが立ち上がり、部屋の隅から反物を運んでくる。
あの長さはインドのサリー的な物か。
勝八が期待したのは、その上に蛇の顔が表れているのを見るまでであった。
「これは、聖邪龍ウロボロスレイヴが十年前に脱皮した時の皮でス。その為一回り小さくなりますが、腰巻きとしては変わらず使えるはずでス」
解説をする長老。
口調が何処か誇らしげなのは、勝八が好きで蛇の腰巻なんぞつけていたと勘違いしているせいだろう。
確かに、失った後で多少は別れを惜しんだが……。
「これで、ゾマのことをよろしくお願いいたしまス」
勝八の複雑な表情を浮かべていると、それに気づかず長老はそんな嘆願をしてきた。
「ちょ、長老!」
彼女の言葉は予定外だったのか。
ゾマがひっくり返った声で長老を止めようとする。
……皆の前ではゾマを置いていくと話したはずなのに、彼女にはゾマがついてきたがっている事がバレている。
これが黄金の目を持つ長老の眼力だろうか。
まさか盗み聞き?
「か、神様に聞いてからな」
昨日の恥ずかしいやり取りも聞かれてしまったのではないか。
そんな危惧をしながら、結局勝八は賄賂めいた上級蛮族セット一式を受け取ってしまったのだった。




