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禍福

見切り発車の第二話。

 明日香が車いすを使うようになったのは、不幸な事故とちょっとした運の悪さが原因だった。

 その日は今日と同じように異常気象と言われるほどの酷暑だった。まだ小学生だった明日香は、友達数人と一緒に下駄箱に向かっていた。高学年ともなると、校舎の最上階付近のフロアに学年の教室があるため、階段の昇り降りがちょっとした運動のようだった。教室には空調があるため文句はないが、廊下や階段に空調が付けるようなことは、どの学校もしないだろう。そのため、一歩でも教室を出ればその温度差に嫌気が差してしまう。

 「あ……暑い……」

 「明日香ぁ~、涼しくなるような言葉でもないのぉ~」

 「か……かき氷……」

 「「「う~~~ん…………」」」

 早く帰宅して扇風機でも冷房でもなんでもいいから涼みたい。廊下をゾンビのような速度で進む明日香たちは同じことを考えていた。

 「……あっ! 雨だっ!!」

 「え? ほんとに!?」

 もしここが砂漠だったら、この雨は慈雨だったかもしれない。しかしここは都会。足元はアスファルト。雨が降ったところで蒸し器のような天気に拍車をかけるだけだ。

 「よし、みんな。今のうちに帰ろう!」

 明日香が言うとみんなの足が少しだけ早まった。降り注ぐのが雨ならば、太陽光よりまし……単純ではあるが、この時は慈雨に等しかった。

 しかし、廊下を進み、フロアを降りていき、下駄箱までの最後の階段で事故は起きた。

 廊下に空調がないため、校舎の所々では窓が全開となっていた。この季節の上昇気流によって発生する雨雲はほとんどが積乱雲。降る雨の勢いはお世辞にも小雨とは言えない。そんな中で窓が全開になっていれば、建物の中に降り込んでもおかしくない。

 この全開の窓は階段付近にもあり、明日香たちが今から早足で駆け降りるその足元を濡らしていた。

 「急ごう、急ごう! 帰るなら今だ!」

 「今日の帰り道はラッキーだね、雨が降ってさ」

 「毎日、この時間だけ降ってくれればいいのにね」

 使い慣れた階段。雨水を踏んだ経験だって何度もある。誰も、事故が起こるなんて考えてはいなかった。明日香も例外ではなく、足早に階段を下り続けた。

 「あ~、でも水着が乾く、きゃ!」

 「あ、明日香!!」




 「明日香さん……、上浦明日香さ~ん……」

 大学病院五階のフロアに受付の人の声が響く。明日香は明後日の方向に意識が飛んでいたらしく、周囲の人の視線に晒されていた。どうやら何度も呼ばれたらしい。

 「(うわ……しまった……)」

 急いで受付へ向かった明日香だが、特に何を言われるでもなく、笑顔で対応された。

 「どうしたの、ぼーっとしちゃって?」

 「すいません、気が抜けてました……」

 通い慣れた大学病院。明日香は車いす利用者ということで、病院内では覚えられやすい患者の一人であった。

 「ここでは恋の病は診察対象外となっておりますが?」

 「もう、冗談はやめて下さいよ~。誰だってありませんか、ぼーっとしちゃうこと」

 この病院内で一番、冗談が好きそうな人である。この性格が原因かは知らないが、実は結婚適齢期間近であることを気にしているとかいないとか。

 「そういえば、どうでした? お見合い?」

 「………………六番の診察室よ」

 「は~い(あぁ、失敗だったのか……)」

 結婚のことが絡むと空気が張り詰めるのは、あの人の恒例行事みたいなものである。

 「誰が『高齢』行事だって?」

 「(言ってないよ!)」




 「失礼します」

 506と書かれたスライドドアをノックし、明日香は診察室へと入った。

 「明日香ちゃん、久しぶりだね」

 「お久しぶりです、高橋先生」

 大学生にもなって『ちゃん』付けで呼ばれることに違和感はなかった。そもそも下半身不随になってからというもの、高橋は明日香の専属医師のような人なのだ。あと少しで通院十年目となる今となっては、高橋も少し老けたように見えた。

 「え~と、たしか今日は……」

 「はい、定期診察日のはずです」

 「おぉ、そうだったそうだった。う~ん……最近、足が痛むとか、症状が悪化したとか、あるかい?」

 もう治る見込みはない……。そう言われてから数年、車いすを自分の足だと思っていた明日香には、このような問診による定期診察を受けている。

 「いえ、特に変わったことはありません」

 「そうかい? 受付からやけに大きな声で君を呼ぶ声が聞こえたから、何かあったのかと思ったけど?」

 「え、あれ、聞こえてたんですか?」

 「あぁ、はっきりとね」

 苦笑いする高橋に引きつった笑顔を向け、明日香は恥ずかしさに顔が真っ赤になりそうだった。

 「いや、あれは私が単純にぼーっとしてしまっていただけで……何か問題があった訳ではありません」

 「いや、安易に決めつけてはいけない。体調が突然崩れる場合だって考えられるんだからね」

 「でも私、元気ですよ? 熱中症にもならずに今日だって病院に着きましたし……」

 「違うな、恋の病さ」

 掛け時計が午後四時を示した。沈黙した診察室に鳩の馬鹿にしたような鳴き声が響く。

 「……あれ?」

 「『あれ?』じゃありません、高橋先生!」

 「おかしいなぁ~、絶対に当たる確信があったのになぁ~」

 「それに、正直に言うと思いますか?」

 「はははは……それもそうだな」

 会うたびに受付の人に似てくる高橋であった。

 「冗談は置いといて……どうしてぼーっとしたんだい?」

 少し真剣な表情をした高橋に、明日香は正直に答えた。

 「……夏になると、いつも思い出してしまうんです。この足になったこと、今でもどこかで悔しいと思ってしまう自分がいること、いい加減割り切るべきだと思っても、どうしても……もう一度自分の足で立ちたいと考えてしまうんです」

 高橋は黙っていた。

 「独りで静かにしてるだけなら問題はありません。でも、私が少しでも動けば必ず何かの障害が出ます。その障害は普通なら小さいはずでも、私にはとてつもなく大きなものになってしまいます。誰かに助けてもらうしか……」

 「さて、何度目かな、このセリフは。明日香ちゃん、頼たっていいじゃないか。周りには沢山の人がいる。全てが同じ人間だとは言わない。車いすを使っている人を避けて通る人がいても不思議じゃない。でも、全員がそんな人に見えるかな?」


 “お姉ちゃん、びょーいんに入りたいの?”


 「……いえ、そうは思いません」

 「そうだろう? 必ず気づく人が出てくる。そんな時は頼っていいんだよ。それが普通さ」


 “どーぞ”


 「すいません、何度も同じ話ばかりで……」

 「気にしない、気にしない。この暑さで気が滅入るようなこと考えてると熱中症になるよ?」

 熱中症と暗い気分の医学的関係は無視して、明日香は視線を上げた。

 「君のような人を避けない人は必ずいる。いつか良い人に巡り合えるといいね! あぁ、でも、病院には来ないでくれな。恋の病は専門外なんでね」

 掛け時計の鳩が、先ほどより短い鳴き声を診察室に響かせた。

さて、続きはどうしようかな……(白目)。

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