第1話 ある日
童話の称号を持つ者たちが暮らす地下拠点「蟻ノ巣」から始まる、戦争と魔法と幸せの物語です。
初回は朔たちの日常と、忍び寄る異変の始まり。
ある日
「お師匠様!」
幼い声が、煙の向こうへ伸びていく。
師匠は振り返った。いつものように、困った顔で笑っていた。
「様はいらないって、何回言えば覚えるんだよ」
その声が、爆音に呑まれた。
空が赤黒く染まる。土が跳ねる。誰かが泣いている。誰かが名前を呼んでいる。伸ばした手の先で、師匠の輪郭がエメラルドの光に滲んだ。
「待って」
光が弾ける。
「お師匠様…!」
「朔! 起きろ!」
薬の声で、朔は汗をかきながらはっと目を開けた。
目の前にあるのは、赤黒い空ではない。エメラルドの光でもない。見慣れた天井と、枕元で大きな獣耳をピコピコさせながら腕を組んでいる見慣れた獣人、やくの顔だった。
「……朝から死人みてぇな声出してんじゃねぇよ」
「なんだお前か…」
「飯できてる。全員待ってんぞ」
「あと五分」
「その五分で鍋が冷めたら、お前の分だけ水な」
「起きる」
食堂に移動すると、焼いたパンとスープの匂いが満ちていた。
蟻ノ巣の食堂は広い。中央には、やたらと長い木製の机が一本置かれている。誰が作ったのか、どこから持ってきたのか、朔は知らない。知ろうともしていない。座れればいい、というのが朔の結論だった。
「遅い」
朔が椅子に腰を下ろすより先に、夜が言った。紫がかった黒髪を簪で纏めあげ揺らし、彼女はまるで城の晩餐会にでもいるかのように背筋を伸ばしている。
「私を待たせるとは、いい度胸じゃないの」
「お前、もう食べてるじゃん」
夜の皿には、すでに半分ほど減った卵料理が乗っていた。
「これは待っている間のつまみよ」
「朝からつまむな」
やくが鍋を持って戻ってくる。小柄な身体に似合わず、鍋はやけに大きい。中では野菜と肉のスープがぐつぐつと音を立てていた。青緑の髪から覗く獣耳が、不機嫌そうに伏せられている。
「文句ある奴は食うな。作ったのはオレだ」
「やくのごはん、おいしいから好き!」
白がぱっと顔を上げた。右目を覆う包帯の下で、見えている青い片目だけがきらきらしている。隣のレキは無言のまま、白の前にスプーンを置いた。
「ルキ、ありがと!」
「ん」
レキはそれだけ言って、自分の席に座る。白は嬉しそうにスプーンを握ったが、すぐにスープを覗き込んで首を傾げた。
「これ、熱い?」
「熱い」
「じゃあ冷まして」
「ん」
レキは白の皿を少しだけ自分の方へ寄せ、息を吹きかけた。
それを見ていた祈々が、なぜか自分のスープにも息を吹きかけ始める。
「祈々、それもう冷めてるぞ」
朔が言うと、祈々は肩を跳ねさせた。
「れ、練習です! 熱い時に備えて!」
「何の?」
「色々です!」
ricoはその横で、静かにパンを千切っていた。表情はほとんど変わらない。けれど、皿の上のパン屑だけはやけに几帳面に並べられている。
「やく」
「なんだよ」
「今日のスープ、昨日より塩が少ない」
「悪い意味か?」
「良い意味」
「なら最初からそう言え」
食堂の端には、No.Aが立っていた。白いエプロンのような布を身につけ、背筋を伸ばし、両手を前で揃えている。その姿だけ見れば、給仕係かメイドのようにも見える。
ただし、彼女の前に皿はない。椅子もない。
「No.A、座れば?」
朔が言うと、No.Aのゴーグルに細い光が走る。
「ワタシに食事摂取の必要はありません」
「必要じゃなくても座るくらいできるだろ」
「座位姿勢への移行は可能です」
「じゃあ座れよ」
「しかし現在、給仕補助および食卓内事故発生率の監視を行っています」
その瞬間、K太の肘がコップに当たった。
「あっ」
倒れたコップから水が机の上を走る。水は器用に皿と皿の隙間を抜け、なぜか一直線に朔の袖へ向かった。
「うわ冷たっ」
「事故発生を確認しました」
No.Aが布巾を差し出す。
「対応します」
「……今の、予測できてた?」
「K太様の周辺における液体転倒確率は、通常の三・七倍です」
「俺のせいっすか!?」
「はい」
「即答つらいっす!」
やくが呆れたようにため息をつきながら、K太の前に新しいコップを置いた。
「お前はもう両手で持て」
「子供扱いっすね……」
「こぼす奴は子供だ」
「正論っす……」
食事が半分ほど進んだ頃、No.Aの瞳に淡い光が走った。
「朔様」
「ん?」
「第三都市トルルカーン付近にて、ダスト濃度の急上昇を確認しました」
食卓の空気が、少しだけ変わる。
薬が鍋を置く。
夜の箸が止まる。
レキは何も言わず、白の皿を机の内側へ寄せた。
朔はパンを噛んだまま顔を上げる。
「自然発生?」
朔が聞くと、No.Aは首をわずかに傾けた。ゴーグルの表面を、走査線のような光が横切る。
「いいえ。通常値の約六・二倍。現在も上昇中です」
「六倍って、飯食ってる場合じゃねぇやつか?」
やくが眉を寄せる。
「食事継続は可能です。ただし、対応が遅れた場合、蟻ノ巣外縁部への到達予測時間は二時間二十七分です」
「食ってる場合じゃねぇやつじゃねぇか!」
「訂正します。急いで食べることを推奨します」
K太が慌ててスープを飲もうとして、舌を火傷した。
「あっつ!」
「K太様の熱傷発生を確認」
「報告しなくていいっす!」
朔は小さく笑った。けれど、その目はもう眠そうではなかった。
夜が先に口を開く。
「発生源はトルルカーン火山?」
姫のように背筋を伸ばしたまま、視線だけをNo.Aへ向けていた。
「断定不可。ただし、採取済みのダスト片から、トルルカーン火山帯と一致する鉱物反応を検出しています」
「火山の中にはアーティファクトがある」
朔がスプーンを置いた。
「偶然って言うには、ちょっと嫌な場所だね」
白が不安そうに首を傾げる。
「ダスト、花に悪い?」
「悪い」
レキが短く答えた。
白の見えている青い目が、きゅっと細くなる。
「じゃあ、やっつける」
「ん」
レキはそれだけ言って、白の袖を直した。
朔は長い机の上を見渡した。食べかけのパン。冷めかけたスープ。倒れかけたK太のコップ。その全部が、蟻ノ巣の朝だった。
だからこそ、壊される前に動かなければならない。
「夜、白。二人はトルルカーンに行って。火山と炭鉱周り、あと変な奴がいないか確認」
「私を朝から働かせるとは、よほど切羽詰まってるみたいね」
「姫様ならできるでしょ」
「ふん。分かっているわよ」
レキが真っ直ぐ白を見つめた
「白、無茶しすぎないこと」
「ルキも行く?」
会話を聞いていた朔が一言添える
「レキは蟻ノ巣防衛」
「えー」
「白」
レキが低く呼ぶと、白は頬を膨らませたまま頷いた。
「……ちゃんと帰る」
「ん」
朔は次に、やくと祈々を見た。
「やくと祈々は入口警戒。クイックバイトが出たら即潰して」
「任せろ。飯の後ならな」
「はい! 全力で行きます!」
祈々の左腕に、かすかに雷の気配が走った。
「ricoはダスト片を博士に。解析を頼んで」
ricoは無言で頷き、パン屑を一列に並べ終えてから立ち上がった。
「K太は――」
「俺も行きます!」
朔はK太の手元を見た。コップが、今にも倒れそうな角度で揺れている。
「まずそれ置いて」
「信用が底辺っす!」
「床に水たまり作ってから言え」
その瞬間、コップが倒れた。
「……すみませんっ」
No.Aがすっと布巾を差し出す。
「K太様の周辺における液体転倒確率は、通常の三・七倍です」
「追い打ちやめてほしいっす!」
朔は笑って、それから椅子を引いた。
「じゃ、食べながら聞いて。朝飯は大事。でも蟻ノ巣の方がもっと大事」
彼女の赤い瞳が、食卓の向こうを見据える。
「動くぞ」
閲覧ありがとうございます。
初めての小説なのでお見苦しいところもあるかも知れないですが、雰囲気として楽しんでいただき、これからも付き合って頂けると幸いです。




