第27話 向こう側を視る
『──ん、せ』
何かぼんやり聞こえる。
『せ、ん……きて』
誰だ? 夢の中で誰かが呼んでる?
『お、き、て』
…………起きて?
言葉を理解した瞬間、急に息が苦しくなった。
なんだ、これってまさか妖怪に襲われてるのか?
何かが覆い被さってるように感じる。
重い。
一体何が……
目を開けると視界に入ってきたのは、
──下着姿の鬼村だった。
「どけ馬鹿もん!!!!」
「うわ声でっか! センセー寝起きめっちゃ良すぎない!?」
「お前のせいで目覚めたわ!!!」
怒声を上げたものの、鬼村は俺の上から退く気がないのかそのまま俺に馬乗りになっている。俺の手で退かすなんてできやしない。腰だの太腿だの触れるかよ。柔肌を視界に入れないために目をぎゅっと瞑る。熱くなる顔を腕で覆いたかったが、今しがた両腕は鬼村の手によって拘束された。
「~~~~っ、お前昨日雰囲気作りがどうとか言ってただろうがよ」
「え、もちろん雰囲気作りしてんじゃん?」
「どこがだ」
「朝優し~く起こしてあげたらセンセーからおはようのキスしてくれるかなって♪ 下着はめっちゃ可愛いの買ったからハッピーのお裾分け♪」
「いらんもんお裾分けすんな!」
「ほらほらぁ、この谷間のチャームがさぁ~ちょー可愛くない?」
「見てない、全然見てない」
「見てよ、目ん玉かっ開いてあげよっか?」
「こええよ!!」
今にもその凶器のような爪を携えた手が伸びてくる気がした為、俺は仕方なく薄目を開けた。鬼村が両手で自分の胸を下から持ち上げている。谷間のなんとかって、どれだよ!?
「あとショーツの横がさぁー、二段レースになってて~、そんでね~」
「もういい、もういいから降りてくれ」
「起きてじっくり見る?」
「見ない! 服を着ろ!!」
「じゃあセンセーのジャージでもまた借りるかぁ」
「自分の服あんだろ!?」
ああ、胃がキリキリしてくる気がする。こいつのせいだ。鬼村がようやく退けると俺は逃げるように布団から出た。そして寝室の戸を勢いよく閉める。
「着るまで出てくんなよ!」
「はいは~い」
俺は座ってテーブルの上の煙草に手を伸ばした、が、やめた。気分を落ち着かせたいがあいつがいるんじゃどっちにしろ無理だ。戸の向こうで衣擦れの音がする。カチャカチャという金属音も。ベルトだろうか。いや、違う、想像すんな。それなのに頭の中に勝手に着替えるあいつの姿が映し出される。やめろちくしょう。
苛立ちか、疼きか。俺は奥歯を噛み締めた。あいつは平気であんな格好で俺の上に乗って来るが、勃たないだけで男としての機能は一応あるんだぞ。わかってんのか。大して性欲も無く処理もたまにってだけで──
「センセー、着替えたよ」
戸が開く。
俺はびくりと肩を震わせた。
戸口に立っている鬼村は……そんなに露出のない服装だ。
ジーンズは足首が出ている程度だし、Tシャツもぴったりしていて体のラインが出ているものの谷間やへそが出ていて目のやり場に困るなんてこともない。よかった……。
「何安心した顔してんの? 腹立つんですけど。てかさー、あんだけ肌見せて密着してんのに勃たないとか~……呪いって強力すぎない? 実は叩いたら治るとかないの? 昔はテレビとか叩いて直してたじゃん」
「昔の電化製品と一緒にすんな。つかお前にぶっ叩かれたら一生機能停止だよ!」
アレがお陀仏になった光景を想像して俺はゾッとした。対して鬼村は気が済んだのか俺の横に腰を下ろすとやけにニコニコとしながら話し始めた。
「ねー、今日さぁー、あたし暇だからデートしよ」
「お前が暇でも俺は暇じゃねぇよ、仕事だ」
「えーなんで? 今日土曜じゃんあたし休みだよ?」
「お前が休みでも俺はいっつも出勤してんだろーが!!」
ふーん、とつまらなさそうにした鬼村は興味が薄れたのか自分の爪を眺めている。俺は放って自分の支度をすることにした。洗面所へ行って歯ブラシを口にくわえると、「ねー」と呼びかけられ仕方なく顔を出す。
「んだよ」
「じゃーさ、学校まで一緒に行って、仕事終わったら帰りにどっか寄って帰ってこよ~」
「どっかって、どこだよ」
「センセーと行くならどこでも~。別に街まで行ってお買い物コースでもOKだけど?」
「却下。つーかお前と休みに出かけんの無理だろ。こないだクラスの奴らにもバレてたわけだし」
「あーあたしと先生の関係がね?」
「二人でいた、って話だよ。関係ってなんだややこしくすんな」
これ以上喋らせると碌なことを言わん、と思った俺はさっさと背を向けて洗面所へと戻った。なんでこれから仕事だってのに朝から疲れなきゃならんのか。いや、この展開まさかこのあと狗谷木も来るなんてこと……
ハッとして、玄関の方へと耳を澄ませる。人の気配はない。来る前にさっさと家を出るのが良いか。
時計を確認して、もう九時を回っていることに気が付いた。
***
「じゃーセンセー、仕事終わったら来るから連絡してね~」
「お前はどこ行くんだよ」
「凛菜が遊ぼって言うから行ってくる~。待ち合わせ場所こっから近いから」
高校最寄りの駅前で「じゃーね」と手を振ると鬼村はすぐさま行ってしまった。仕事終わったら連絡して、って……したらまた一緒にいるところ誰かに見られてめんどくさいことになんだろ。一人で帰るぞ俺は。
ひとまずようやく解放された──と思いながら歩き始める。そういやこないだ天狗に襲われた時転がされて打った背中が未だに痛い。鏡で見てねーけど相当ひどそうだなこれは。天狗だの鬼だの、妖怪だの神様だの、そんな奴らと戦ってたら生傷絶えねぇじゃねーか。こちとら普通の人間様だぞ。
頭の中で愚痴を垂れ流しつつ高校の前まで辿り着く。夕方前には仕事を終わらせて帰りたいな、と考えながら歩いていれば校門の前に人が立っていることに気づく。嫌な予感がした。
「……あれは昨日の」
背が低く、肩までの短い髪の毛。それだけで昨日帰り道に会った『土御門』と名乗った少女だということがわかった。どうしようか、できれば顔を合わせたくない。どうせ俺に用事があってそこにいるんだ。いや、どうだろう。さすがに土曜日にここで待ち伏せるなんてことあるか? とりあえずぐるっと遠回りして別の場所から──
「あら、桃間さん。そこで突っ立って何をしてらっしゃるの?」
少女は俺を見据えて言った。見つかったのならわざわざ踵を返すのもどうかと思い仕方なく近寄っていく。いや、そういえば昨日俺のこと処分するみたいな話もしてたような……逃げた方が良かったか?
「貴方の動向は調べさせてもらったわ。この時間なら出勤してくるかと思って待っていたけど当たったようね」
「調べたって……」
俺は口元が引きつった。なんで俺の行動が筒抜けなわけ? この学校に知り合いでもいんのか?
土御門は「コホン」と咳払いをして胸の前で腕を組んだ。
「昨日も言った通り、私はここでの戦闘の調査をしに来たの。また同じようなことがあれば被害がこちら側にも及ぶかもしれないから」
「こちら側に?」
「ええ、そうよ。貴方は向こう側のことはわかっているようね? 私たちは向こう側のことを転外界と呼んでいるわ。もっとも、異界とかあの世とか言う人もいるけれど」
テンゲカイ……?
鬼村が言ってた反転世界のことを人間はそう呼んでるってことか。
「ちゃんと名前があるんだな」
「対妖情報機関が定めたのよ」
「それで、こっちに被害が及ぶってのはどういうことだ? 向こうの世界……その、テンゲカイってので起こったことはこっちには関係ないんじゃないのか? 現に戦闘の跡なんてここには何もないだろ」
「限度ってものがあるのよ。転外界はこっちとズレた世界。その空間はとても不安定で急にこちらに繋がることが多々あるわ。だから妖の攻撃がこちら側へ飛んできて甚大な被害になる……そんなことも有り得る」
「そう、なのか」
「ちなみにこちら側のことは盤上界としているわ」
「ばん……?」
この幼い小学生女児の口から次々とわからない言葉が飛び出てきて俺の頭は混乱する。が、ともかくこの子がここへ調査に来たというのは本当なんだろう。
「ここで戦闘があったってのはなんでわかるんだよ」
「視えるからよ。貴方にも視えるんじゃないの?」
「いや、俺には本当にわからな……」
「力の使い方が下手なのね? 桃間は代々訓練も何もしていないらしいから納得だわ」
土御門はそう言うと、高校の敷地を指差した。そこは確かに山神と戦った場所だ。
「あそこを視て御覧なさい」
「……別に何も見えないな」
「視るのよ。そうね、ぼうっとする感覚に似てるかしら。ない? どこに集中するわけでもなくぼーっと一点を見つめること」
「……?」
その感覚自体はわかるが、それで向こう側が見えるのかは疑問だ。だが隣には目付きの鋭い少女が立っている。俺は仕方なくぼんやりと眺め始めた。戦ったのは校舎を出てすぐ、駐車場近くだ。戦ってる最中にどの辺りまで動いたのかは最早覚えていないが、とりあえず広範囲をゆっくり見渡してみる。
「………」
景色は変わらない。何も。
そう思っていると視界の端に赤色がかった場所があることに気が付いた。
なんだ?
そちら側に目を向けると、一か所だけ異様に赤らんだ世界があった。
「……あれがそうなのか?」
「視えたかしら?」
「いや、えーと……一部変に見える場所があるってのしかわからないけど」
「大丈夫よ。そこは多分一番強い力が残ってる場所だと思うわ。あなたはまだ慣れていないから全体像が視えないだけ。慣れればもっと広範囲が視えるようになる」
「へー……」
驚きつつもその赤い場所に意識を集中する。地面が抉れてるように見える。と言ってもそれが誰のつけた跡かまではわからない。山神の攻撃かもしれないし、鬼村の金棒による跡かもしれない。
「……それで、ここでは誰と戦ったのかしら?」
「あの時はやまが──」
むぐっ、と慌てて口を押える。
「何?」
「………」
俺はだんまりを決め込んだ。
何故なら、山神は──山上さんはもう俺になんの危害を加えても来ないだろうし、それにあの人が俺を襲ってきたのは詰まるところ『山を守る為』だったわけだ。今あの人のことを話せば、今後どうなるかわからない。
……あと普通に事務の人員が減ると困る。山上さん仕事できる人だし。
「桃間さん、素直に事実を答えなさい」
土御門さんがその小さな体から強大な圧を発して詰め寄ってくる。妖怪に襲われた時と同じような緊張感が俺を駆け巡った。だめだ、口は割らない。山神のことを話せばきっと鬼村のことも言わなければいけなくなる気がする。陰陽師が妖怪に対してどう行動するかわからないんだ、今は何も言えない。
「昨日も言ったけれど内容によっては貴方自身も処分があるわ。今なら私が上に掛け合って処分を軽くしてもらうこともできる」
「……っ」
「桃間さん」
土御門が、肩に掛けた小さな鞄の中に手を入れた。何を出そうってんだ。まさか何かしらの攻撃──
「あれ、桃間先生じゃん。何してんの?」
聴こえてきたのは、狗谷木の声だ。
振り返って見ると鞄を持ち制服を着てそこに立っている。
「……狗谷木?」
一瞬にして緊張が解れ、肩で息をする。
いや、こいつも俺を襲ってきたんだから安心できる相手ではない、んだけど。
「狗谷木こそ、どうした。今日授業ないぞ。土曜だから」
「あー! お前オレのこと馬鹿にしてんだろ! 休みぐらいわかってらい!」
「じゃあなんだ……?」
「部活! オレ水泳部に入ったんだ~♪」
何やらニコニコと楽し気に笑い、狗谷木は胸を張って仁王立ちした。あっけらかんとした様子に、俺はこいつに襲われたことなど頭から消えていくような気さえした。
「オレずっと山にいたからあんなでっかいプールとか新鮮! 海ってあんな感じ?? 美鬼ちゃんと海デートとか行きた~い」
「お前、高校生活楽しんでんなぁ……」
俺は「ははっ」と笑いつつ感心してしまった。部活に精を出すのはいいことだ。俺の隣では土御門が困ったようにしている。鞄の中に入れていた手も、今は外へ出していた。
「で、先生は誰と話してー……あ、なんかこのチビ見たことあるぞ?」
狗谷木は俺の後ろから顔を出すようにして土御門のことをじっと見つめた。対して見られている土御門本人は少したじろぐようにしている。
「な、なによ……」
「どこで見たんだっけー……あ! お前! 天狗会の時に来てたちびっこだろ!」
「天狗会ですって……?」
土御門はハッとしたようにして狗谷木を見つめ返した。真剣な表情をしているが、俺には何が何やらわからない。狗谷木は俺を押しのけるようにして土御門の前でしゃがみ込んだ。
「オレオレ! って言ってもわかんない?」
「……??」
「ほらほらー……ばあ!」
そう言って狗谷木は自分の顔の前で手を下から上へと動かす。まるでそこにかかっている暖簾をかき分けて顔を出すように。俺は狗谷木の背後にいる為何が見えたのかはわからないが、土御門は目を見開いて震え上がるようにすると口をパクパクさせた。
「桃間先生って~こんなチビとも知り合いなの? もしかしてロリコン?」
「おい、今の言葉はなんだ。取り消せ」
「なんだやっぱパツパツのでかいねーちゃんの方が好きか~。オレも!」
「………」
「じゃーちびっこ、俺と先生は学校あるから~またな~!」
そう言うと狗谷木は無理矢理俺と肩を組み、校門を抜けて敷地へと入っていった。正直鬱陶しい、が、助けてくれたのかもしれないとこいつを見直した。
「で、先生はなんで学校来たん? 先生も部活?」
「仕事だっつーの……」
「先生って土曜も仕事すんだ! めんどくさくね?」
「仕事ってのはそーゆーもんなんだよ」
「まじか。先生も大変だな~」
大口を開けて笑う狗谷木に俺は先ほど見直したのを撤回した。
多分助けたわけじゃないな、さっきのは。
どうにか土御門から逃げられた俺はその後無事に校舎へと入って行き、職員玄関の窓口で目が合った山上さんに会釈をした──。




