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第七話

 毎朝町で行われている露天市場が終わっても、商店通りに人が途切れることはなかった。

 雑貨や新鮮な食材を売り出していた商人は屋内に引っ込んでいるが、料理を提供している屋台は通りに残っている。

 お店の一部を借りているのは、商人の中で一番若い少女イリス。

 赤茶のボブヘア、緑色の瞳、動きやすい服装の上から焦げ茶のエプロンをつけている。

 右手中指に填めた血色の石が埋め込まれた指輪はぶかぶかだった。

「いつ見ても思うけど、こんな大勢の人が来るなんて凄いね」

 雑貨品を台に並べながら通りに溢れる人々を眺めるイリス。

 見たことのない商人もいれば、近所の住民もいる。

「露天市場を毎朝やっている町ですもの、帝都でも有名ですわ。ところで今日は何かありますの?」

 つり目の青い瞳で行列を眺め、長い黒い髪を邪魔にならないよう後ろで結っている少女シンシア。

 小袖に緋袴姿でその上に肌色のエプロンを身に着けている。

 左手中指には赤い宝石が埋め込まれた指輪を填めていた。

「月に一度だけ食の感謝祭っていうのがあって、今日はその祭りでいろんな料理が無料で食べられるから昼になっても人が多いんだよ」

 雑貨品を並べ終えたイリスは普段なら別の商人が座っている椅子に腰掛ける。

「はぁ、食なんて無縁ですわ。お腹も空きませんし、美味しそうとも思えませんし」

 理由を聞けば肩を落とすシンシアは眉を下げて息を軽く吐く。

「それもドラゴンと誓約したから?」

「過保護、ですわ。不自由なく暮らせるようにとドラゴンがお呪いをかけましたの。他にも知らない人にはついて行くなとか、日が暮れる前に帰れとか、キリがありませんわ」

 耳元で物体のない誰かに囁かれている様だが、シンシアは返事をせずに唇を尖らせる。

「へぇー親みたい」

 イリスの感想にシンシアは目を丸くさせた。

「いいなぁ」

 羨ましそうな眼差しを向けられシンシアは優しく微笑む。

「家族のいないわたくしにとって、確かに親のような存在ですわ。イリスさんは?」

「アタシはお母さんがいるけど、一緒に住んでない」

 視線を遠くにイリスは空を眺めている。

「何かありましたの?」

「ううん、わからない。どうしてかな、一緒に住みたくないの……かな」

 両脚を前後に振りながら俯くイリス。

 人々が流れる商店通りに見慣れた人物がいるのに気付いたシンシアは微笑みながら軽く手を振る。

 群衆の中にいても顔を認識できる身長で肌と密着した黒いシャツを着ている青年もシンシアに気付いた。

 青みがかった無造作な黒髪を掻きながら人の行列を抜け出す。

「イリスさんは今、寂しいです?」

 シンシアの問いにイリスは顔を上げる。

「相変わらず暇そうだなこの店は」

 答える時間は与えられず、イリスはお気楽な声がする方向へ。

 眠たそうな蒼い瞳と表情はだらしない。

「どうした、イリス」

 見上げている表情が呆けているように映ったのか、イリスは口を一瞬紡いですぐに解放する。

「ううん」

 イリスは首を横に振って笑顔を浮かべた。

「アクセルが遅いって話、してただけ」

 シンシアは静かに頷いて同意。

 二人を交互に視界へ映してアクセルは肩をすくめる。

「なんだよそれ……っ」

 突然背筋を指でなぞられた感触に体を震わしたアクセル。

 思わず流れ続ける人の行列を振り返った。

 好きな食べ物を頬張り、両手にまだ料理を持つ観光客で溢れかえった町にアクセルを敵視している人物がいる。

「シンシアはイリスと一緒にいてくれ。ちょっと出かけてくる」

 眠気が覚めてしまったアクセルは人混みを掻き分けて路地裏へと進む。

「わかりましたわ」

 シンシアは状況を理解したうえで返事をする。

 左手を拳に変えて戦闘準備。

「えっ」

 戸惑うイリスの手を引くシンシアは町の通りを歩きながら辺りを見回す。

「今回は一人じゃありませんわね」

 商人にしては愛想がなく、明らかに人相の悪い顔つきをした男が複数、各お店の中にいる。

「もしかして、アンが来てるの?」

 シンシアは何も言わずに頷いた。

 人気のない暗い路地裏に灰色の毛に覆われた狼が凛々しく逞しい四脚で立ち尽している。

 蒼い丸い瞳で周囲を睨み、人では絶対に入れない狭い通路を歩く。

 前に突き出た鼻で目当てのニオイを嗅いでいた。

 鼻を地面に密着させたとほぼ同時、鼻先に銀と鈍く光る投げ用ナイフが突き刺さる。

 硬い石の地面を抉ったナイフから二歩下がった狼は通路の上を覗く。

 狭い通路を挟む建物の天井と晴天の空だけが映り、他は何もない。

 狼は人混みの中へと駆けだした。

 器用に慣れた様子で人の足元をすり抜けていく。

 尖った耳は騒がしい音を拾いながら、別の足音も拾った。

 群衆とは違う離れた場所で走っている。

「祭りは中止だ!」

 低く渋い声が突然発したことで大勢の人々が足を止めた。

 鋼鉄鎧を装備した帝国兵士が槍をもって商店通りを囲む。

 狼は急いで帝国兵士の股を通り抜けてボロボロな宿屋まで辿り着く。

 そこは商店通りの終わりでもある道。

 古く薄汚れたフード付きのローブで全身を隠す少女が待っていたかの様に立っていた。

 両手に銀色のナイフを握っている。

「アンはお前が邪魔、だから殺す。それだけ」

 フードを自らの手で捲り、短い茶色の髪、紅い瞳、幼い顔立ちを惜し気もなく見せた。

 同時に騒ぎ戸惑う人混みのなか、頭部が鋭く尖った鈍器であるメイスを空に掲げた厳つい体格の大きな男が通路の真ん中に現れる。

 商人と一緒のエプロンを着た服装で目つきは非常に悪い。

「今からこの町は俺達の物になる! 今日ここに来た奴らはおめでとう、お祝いとして俺達からとっておきのプレゼントを渡してやるよ、その代わり、金目の物を置いていけ!!」

 荒れ狂う声とともにメイスを振り回せば当然近くにいる観光客に直撃する。

 訳が分からないままに人々は商店通りから逃げ出していく。

 お店にいた商人も住民も我先にと相手を押し潰してでも逃げて行った。

「賊を捕まえろ!」

 帝国兵士達は槍を手に突撃。

「帝国の犬をぶったおせぇ!」

 複数の賊がお店の中から現れ、メイスを手に飛びかかってくる。

 逃げ遅れた観光客をメイスで叩きつけてお金に変わる物を探す。

 誰もいなくなったお店の中を荒らして商品を奪っていく光景に狼はアンを睨んだ。

「アンは指輪だけ、それ以外は知らない」

 唸って威嚇する狼にアンは落ち着いた表情で溜息を吐く。

「アンはさっさと終わらしたい」

 銀色のナイフを一本、水平に投げられた狼は地面を蹴って即座に前進。

 真正面に飛んでくる銀色のナイフを噛んで受け止めた狼はそのままアンに突進していく。

 簡単に横へと避けられてしまうが、狼は諦めない。

 体を捩じって方向を変えた。

 噛んだナイフの刃先をアンに放つ。

 回避するには近すぎる距離であるがアンは難なくナイフを弾き返す。

 今度は地面を蹴り上げて空を舞い、牙を剥き出しに飛びつく。

 体を庇う為に覆った右腕に噛みつくことができた。

 牙を深めに突き刺して皮膚を裂くが、アンに細いナイフで頬を斬りつけられてしまう。

 血飛沫が飛び交うなか灰色の毛も数本、ヒラヒラと空気中を泳ぐ。

 腕から口を離した狼はアンから距離を取った。

「アンは……痛い」

 右腕に深い傷を負ったアンは零れ出る真っ赤な血液に眉をしかめる。

「ま、町が、みんなが」

 通りの真ん中でイリスは顔を青ざめて俯いていた。

 その前で立ち塞がるシンシア。

「近寄らないでくださいまし!」

 左手から放たれた激しく燃え盛る炎が一気に賊を包み込む。

「あちちっち!!」

 鉄の鎧を着ている賊は熱さに耐えられず地面を転がる。

「なんだあの魔術師は、聞いてねぇぞ!」

 予想外だった出来事、賊達はシンシアの存在に顔を険しくさせた。

「たかが指輪如きに町の人々まで巻き込むなんて悪の極みですわ」

「そうだよ、何もないのに皆を巻き込むなんて酷いよ!」

「黙れガキ! お前らは知らないだけだ、その指輪には想像以上の力があることをなぁ!!」

 最初に先導を切った厳つい男は重いメイスを片手で軽々と持つ。

「あの暗殺者に依頼したが、つかえねぇ。やっぱり俺達のやり方が一番いいってことがよーくわかったぜ」

 逃げ回る商人や観光客を捕まえて金品を奪い、さらに命まで奪う。

 帝国兵士達も抵抗しているが賊の数が多すぎて相手にならない。

「もぉやめてよ、お願いだから!」

 武器もなければ抵抗する手段がないイリスは苛立ちを抑えられずに叫ぶが止まる気配はなかった。

「助けて……お父さん」

 しゃがみ込んだイリスは目をきつく閉じて指輪を左手で覆う。

 シンシアは耳元で何者かに囁かれて相槌を打つと、

「わたくしもよーくわかりましてよ」

 涼しい表情で厳つい男を睨んだ。

「あぁ?」

「わたくしが全員を焼死させてもいいのですが、道徳を失った人間は神によって罰せられる必要がありますわ」

 両手を広げて常人では聞き取れない言葉を呟く。

 青い空だったはずがゆっくりと厚い黒い雲に覆われ始める。

「あれ、指輪が」

 シンシアが唱えていた言葉に反応したのか、イリスの指に填めていた指輪が赤い光を漏らす。

「こ、このガキ」

 厳つい男はメイスを詠唱中のシンシアに振り翳した。

『グアゥ!』

「っ、今度はなんだよ!?」

 振り上げた腕に目掛けて噛みついた狼は厳つい男の態勢を崩す。

 乱暴に振られた狼はすぐに腕から離れて地面に着地。

「次から次へと、お前らその犬を晩飯にしてやれ!」

 厳つい男の指示で集まった仲間達に狼は囲まれてしまう。

 どの方向を見回しても悪賊。

「ダメェ! アクセル!!」

 イリスの強まる叫び声に血色の石が応え、深紅に染まった光が曇天の空へと眩しく放たれた。

 誰もが目を閉じて光に視界を奪われるなか、イリスは上を向く。

 赤く頑丈な鱗に覆われている爬虫類のような生物が猛々しい姿で立っている。

 蛇の目で睨み、鋭く伸びた牙が生え揃う口の奥には燃え盛る泥の塊が溜まっていた。

 硬い翼が生えて蜥蜴の手足には尖った爪。

 軽々と人間達や建物を見下せる巨体にイリスは呆然とする。

「ど……ドラゴン?」

『醜いニンゲン共、悪夢のナカで怯エルガイイ!』

 人間では耐えようのない重々しい声。

 地面へ押し潰そうとする重力に人々は倒れ込む。

「確かにドラゴン、ですがわたくしの誓約しているドラゴンとは違いますわ」

 悪賊や帝国兵士が押し潰されているなか、シンシアとイリスは平然と立って深紅のドラゴンを眺めている。

 狼は震える四脚で重力に逆らいながらドラゴンを睨む。

 ドラゴンの口に溜まっていた泥の塊は球体となって真下に飛び出してきた。

「え」

 イリスとシンシアは思わず目が点になる。

 近寄るだけで皮膚が溶けそうになるほどの熱さをもつ球体が狼に向かって放たれたのだ。

『!?』

 狼はすぐに気付いてその場から全力で逃げていく。

 球体が地面に着地したのと同時に周りが一瞬にして焼け消え、眩しい閃光に商店通りが包み込まれる。

 狼は無我夢中で商店通りから抜け出して宿屋へと駆けていくが、熱風によって脚は浮いて飛ばされてしまう。

 何度も空中で宙返りをしながら宿の壁へと激突。

 ボロボロな壁が破れ、狼は砂煙を舞い上がらせて室内へ。

 首を左右に振り、なんとか立ち上がった狼はドラゴンをもう一度確認する。

『フェンリルの子よ、次ハ夢ではオワラナイ』

 狼から視線を外さず、睨みつけているドラゴンは真っ赤な光の中へと消えてしまった。

 イリスの指輪へと戻っていくのをアクセルは見逃さない。

 狼は後ろ脚で立つと体を伸ばし、灰色の毛が体内に潜って衣服が現れる。

 筋肉質の体と他者より大きな身長をもつアクセルは蒼い瞳で町の景色を見渡す。

 商店通りは何も変わっていなかった。

 悪賊に殺されたはずの観光客や商人が呼吸している。

 ドラゴンが放った灼熱の球体によって抉られた痕はない。

「イリス、シンシア」

 中央で気を失っている二人に声をかけると、同時に唸った。

「あ、れ……?」

 先に目を覚ましたのはイリス。

 厳つい男とその仲間も気を失って倒れている。

「まぁ助かったみたいだな」

 しゃがみ込んで苦笑したアクセルは息を吐く。

「た、助かりましたの!?」

 勢いよく起き上がったシンシアの頭がアクセルの顎に直撃。

 背中から倒れたアクセルは両手で顎を押さえて停止する。

「なにをやっていますの、アクセルさん」

 悪気のない声にアクセルは納得できず上体を起こす。

「ところで、さっきのドラゴンはなんだよ」

「あれは一種のリザードドラゴン。他のドラゴンより小さく、人間と同じ様に二足歩行が可能ですわ」

「あはは、あれで小さいんだね」

 間近でドラゴンの存在を感じていたイリスは顔を引き攣らせる。

「ま、何にせよ助かったなら、次はあの暗殺者だ」

 宿屋の前でうつ伏せになって倒れているアン。

 不思議なことに噛みついたアンの右腕が治っていた。

 アクセルは不可解な出来事に肩をすくめて、アンを起き上がらせる。

 宿屋の壁に凭れさせ、両肩を揺らすと目は半開きに紅い瞳を露にした。

「起きたか?」

 三人に囲まれていると気付いたアンは鋭く睨む。

「お前はあいつらに雇われた暗殺者だな、指輪を狙ったが失敗して、最後は依頼主と一緒に町を襲いにきたってところか」

 アクセルが確認をする為にこれまでの状況を整理していく。

「アンは知らない」

 内容を聞いても首を縦に振ろうとしないアン。

「でも、賊の一人がアナタを雇ったって」

「この役立たずのクソガキ」

 イリスの発言を遮ったのは静かに震えた声。

 アンは黙って厳つい男を眺めて、三人は後ろを振り返った。

 いつの間に目を覚ましていたのか、厳つい男は武器を持たずアンを険しい表情で睨んでいる。

「どれほどの金を積んだと思ってんだ、てめぇみたいなガキの為に!」

 アンの眉と口角が下がった。

「お前なんかもういらねぇ、俺が殺してやる!」

「ちょっとお待ち下さいな」

 荒れる厳つい男に向かってシンシアは涼しい表情で左手から軽い電気を流す。

「ぶははあ!?」 

 全身に走った電撃に厳つい男は飛び跳ねた。

 前歯が一本ポロリと落ち、両膝が地面につく。

「乱暴な巫女様で」

「何か、言いまして?」

 鋭く冷めた視線が横から送られアクセルは目を逸らす。

「で、これでも知らないって言えるか? お嬢さ……ん」

 振り向いてみると、アンの姿がどこにもない。

「あれ、逃げたな」

「イリスさんもいませんわ、落ち着いていないで早く追いかけますわよ!」

 いつの間にかイリスも姿を消し、アクセルとシンシアは急いで町の外へ。

 大草原が広がる先には深く生い茂る草木と景色を見渡せる丘がある。

 外を歩こうとする人など、まずいない。

「で、ホントに町の外にいるのか?」

「ドラゴンが空から監視していますから間違いありませんわ」

「すげぇなドラゴンって」

「それが世界を支配するドラゴンの役目ですもの」

 二人は走りながら深い森林の中に入っていく。

 奥まで続く深緑の森は土地勘のない者が入れば迷うことは容易くなる。

 だが、探すのに時間は掛からなかった。

 森林の入り口に見覚えのある少女が二人、向かい合っている。

 イリスは相当走ったのか息を切らし、両膝に手を置く。

 アンはイリスを警戒して、近寄ろうともしない。逃げようともしない。

「イリス」

「あ、アクセル……シンシア、お願い、アンを説得、して」

 喋ることが難しいほど呼吸が荒いイリスは大粒の汗を体中に掻いてふらふらしている。

「わかったからちょっと休んでろ」

 呆れながらもアクセルは笑みを浮かべてアンに歩み寄った。

「アンはもうお前らに用はない、仕事は終わった」

「その仕事内容について聞きたいわけで、あいつらはなんて言ってお前を雇った? 俺も盗賊っていう犯罪者だから帝国兵に突き出さない、お前を騙すつもりは全くないぜ」

 アンはイリス、アクセル、シンシアと順に目で追うと肩を落とす。

「アンはあいつらに雇われた。その指輪には神の力が宿っていて持っていればどんな力も意のままに使えると言って、イリスを殺して奪うように依頼された」

 シンシアは思わず頭を手で押さえてしまう。

「何を勘違いしていますの、あの賊は」

「と、いうと?」

 アクセルは腕を組んで答えを尋ねる。

「先程リザードドラゴンがイリスさんの指輪から召喚されましたわね、つまりそれは恩恵の指輪ですの。ドラゴンと誓約をした者だけが与えられ、ドラゴンを召喚して従わせることができる最上級の指輪ですわ」

「あれも恩恵の指輪だったのか、イリスは知ってたのか?」

 イリスは右手を胸元に寄せて表情を曇らせていた。

 言いたくなさそうな態度にアクセルは眉をしかめる。

「イリス?」

「この指輪は……アタシのお父さんの形見」

 重たい口を開いて呟いた言葉。

「お父さんが病気で亡くなった時、いきなりお父さんが光に包まれて指輪に吸い込まれていって、アタシが知っているのはそこまでだから……これが恩恵の指輪だなんて知らなかった」

「人が吸い込まれるなんて聞いたことありませんわ」

 シンシアも知らなければ、アクセルも当然知りようがない。

「アンは去る」

「どこにさ?」

 依頼者に契約を切られてしまえばもう用はない、アンはすぐに森林を出ようとしたがアクセルに道を塞がれてしまう。

「アンは言えない、機密情報だから。次の依頼が来るまでそこで待機をしている」

「ははぁ、依頼ね……じゃあこうしよう」

 アクセルは悪いことでも思い浮かんだのか、不敵な笑みでアンを見下ろす。

「俺が今からお前を雇う、お金はこれから盗品を売り捌いて出すさ。いいだろ?」

「アンはお前の依頼内容を知りたい」

「んぁ、依頼内容? そうだな」

 内容を考えていなかったアクセルは髪を掻いて眉間に皺を寄せた。

「イリスの指輪を狙う奴を一緒に追い払うってことで」

 苦し紛れの依頼にアンは目を細める。

 イリスはともかく、シンシアは呆れて何も言えない。

「アンは人の命を奪う仕事をしている、その内容はよくわからない」

 彼女が暗殺者であることを思い出せといわんばかりに睨むシンシアの目。

「あー、なんだ、どうしよう。そうそう、俺の命を狙う奴が来たら殺してくれ」

「アンは依頼者が誰を殺したいかが重要。護衛はしない」

 何を提案しても良い返事はない。

「アクセルさんは何がしたいのです?」

 単純な疑問をシンシアは投げた。

「なにって、さっきの賊みたいにイリスの指輪を狙う奴がいるのなら、暗殺者や盗賊を雇う可能性は高いだろ。だったら逆に俺達も雇って少しでも戦力を増やせればなぁって、思っただけ」

 深い意味がなかったことにシンシアは頭をまた抱える。

 イリスも冷めた目でアクセルを眺め、黙っていた。

 責められているアクセルの姿をずっと視界に映すアン。

「アンは……承諾する」

 何を思ったのかアンは全く暗殺とは関係のない内容に首を縦に振った。

「な、なんですって!?」

 シンシアは期待していなかった返事に驚いてしまう。

「よし! 決まりだ。よろしくな、アン」

 短い茶色の髪を撫でまわすアクセルにアンは眉を下げて首を傾げる。

 そんな様子を眺めていたイリスは、

「うーん」

 心配そうな声で唸った。

「どうしましたの? イリスさん」

「なんか、大丈夫かなって」

「はい?」

「狼の姿ならいいけどなぁ」

 何を一体心配しているのか、シンシアはわからないまま町へと皆で戻っていく。

 商店通りで帝国兵士が悪賊達を縛って横一列に並ばせていた。

「放せ、このクソ犬ども!」

 厳つい男は未だ抵抗の色を見せて、両手を縛られても暴れている。

 猛獣のような態度である男を前に腕を組んで見下ろしていたのは、帝国の女性兵士であり班隊長。

 漆黒の髪と瞳に凛とした顔立ちは男に負けない。

 深緑の宝石が埋められた首輪を身に着けていた。

 軽装鎧に黒と赤いラインが入ったコートを羽織っている。

「貴様は強盗殺人以外に未成年である少女に対して異様な執着があるらしいな」

「な、なんの話だ」

 急に大人しくなった厳つい男は隊長から目を逸らした。

「少女誘拐、子供の人身売買、若い村娘に対して性的行為を強要」

「しらねぇ、しらねぇよ、そんなの」

 次々と読まれる前科に厳つい男は顔を青ざめていく。

「アンという少女に事情を聴いてもいいが」

 隊長はアクセル達を目で追うと、アンに視線を向ける。

「ばばばばバカやろっ!」

 厳つい男が赤面して首を大きく横に振った。

「あいつと何かあったのか?」

「アンは」

「ちょちょちょまって! 言わなくていい、絶対言わないでくれ!!」

 言いかけたところを遮られ、アンは無言で頷く。

 答えを聞けなかったアクセルは肩をすくめる。

 そんなアクセルと厳つい男を交互に眺めていたイリスは息を小さく吐く。

「ああいう風になったらどうしようかなって思うんだよね」

「多分、ならないと思いますわ……多分ですけど」

 シンシアは肩を落として苦笑いを浮かべて、罪状を読み上げていく兵士の声を耳で拾いながら慌てふためく厳つい男を眺める。

 そして、賊達はそのまま兵士達と一緒に帝都へと送られていった。

 厳つい男は帝都に着くまで仲間の冷たい視線を浴び続けたという。

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