第六話
商店通りを四脚で歩いている灰色の毛をもつ狼。
背中に火傷をして皮膚は爛れていたが、ようやく落ち着き毛も生え揃う。肩の切り傷も目立たないほどに。
狼の背中には黄色いドレスを身に纏い、黒の日傘を手に持つ身長の低い少女が跨っていた。
長い金色の髪は結んで右肩に垂らしている。
茶色い瞳は輝いて、普段の低身長では味わえない世界を見渡す。
狼は蒼い丸い瞳をぎらつかせて町を一周。
お店に戻ってきた狼はすぐに伏せて少女を降ろしている。
「何をやっていますの、あの狼は」
店内から青いつり目の少女が通りの様子を眺めていた。
小袖と緋袴を着てその上に肌色のエプロンをつけて、長い黒い髪は邪魔にならないよう結んでいる。
左手中指には赤い宝石から輝きを放つ指輪を填めていた。
「ニーナと遊んでるだけだよ。アクセルが元の姿でいるとニーナが怖がって倒れちゃうから。そうそう、今日はお店の管理人さんが用事に行ってるから品物を壊しちゃ駄目だからね」
雑貨商品を棚に並べている少女は見慣れた風景だったので気にしていない。
赤茶のボブヘアに緑色の瞳、動きやすい服装の上から焦げ茶のエプロンをつけている。
血色の石が埋め込まれた指輪を右手の中指に填めていた。
「盗賊ですのよね」
本来の職業を思い出しながら少女は苦笑いをしてしまう。
喜ぶニーナがぎこちない小走りでお店の中へ。
「イリス、シンシア、ただいま!」
「おかえりー、ニーナ」
「おかえりなさい、ですの」
ニーナの後ろを不満そうな表情をした狼がついていく。
「用心棒よりもやっぱり番犬だね」
しゃがみ込んで狼の耳元で呟いたイリス。
蒼い丸い瞳はイリスを睨む。
店の前で伏せの姿勢となった狼はニーナが商品を見ている間は待機。
雑貨品を手に持ちながら、ニーナは店内に置かれた時計と狼を交互に映す。
「番犬さんはご飯を食べないの?」
もうすぐ昼食の時間であることに気付いたニーナは疑問を浮かべた。
そんなことなど考えてもいなかったイリスは頷く。
「そうだね、犬だからエサをあげないと」
ニーナは狼をまだ犬だと思っている。
もちろんイリスは訂正するつもりもない、シンシアも触れなかった。
「アタシの特製料理を食べさせてあげるね!」
袖を捲って自信満々な様子でお店の奥へと入っていったイリス。
不安を隠せない狼は起き上がろうとせず、ずっと伏せている。
こうして待つこと数分。
イリスは小さな丸い器に緑色の粉末を山盛りにして悪戯な笑顔で運んできた。
「どうぞ!」
目の前に器を置かれた狼は少しニオイを嗅いだ。
「これは、薬草ですわね」
シンシアも傍でニオイを嗅ぐ。
狼はゆっくりと躊躇しながらも口へと粉末になった薬草のエサを運んでみる。
『!?!?』
狼は吠えることもできずにただ地面を転がった。
毒でも入っていたのかと思えるほど舌を出して目を回す。
「あれ?」
「まぁ死にそうですわね。仕方ありませんわ、わたくしが作りましょう」
涼しい表情でお店の奥へと入っていくシンシア。
狼はようやく落ち着いてニーナに水を与えられていた。
「できましたわ!」
調理時間が短い、そして異様に黒い泥のような物が器に入っている。
まず食べ物なのか、何なのか、焦げ臭い。
「これ、食べられるの?」
イリスとニーナも、狼同様の疑問を浮かべた。
「薬草を混ぜたパンですわ」
「パン……?」
二人と一匹は黒い泥を凝視して、次に自信満々なシンシアを眺める。
狼は逃げたいところだが、少女達に囲まれて脱走できない。
ニーナは何故か狼の体にもたれていた。
イリスもどうしてか狼の尻尾を掴んでいる。
シンシアは左手に炎を出して戦闘準備。
食べるしかない、狼は黒い泥をひと口、すると、
『……』
黙り込む、ただ瞳から涙を零して黙っていた。
次第に体を震わして、力無く伏せてしまう。
イリスが隣のお店から買ってきたパンとミルクを食べて狼は一命を取り留めた。
「今日は父様の大事な会議があるから帰るね、バイバイ!」
日傘を手によたよたと帰っていくニーナを見送るイリスとシンシアは背後で待ち構えている青年アクセルから目を逸らす。
「おいお前らこっち見ろ」
筋肉質の体がよくわかる肌と密着した黒いシャツにぶかぶかのズボン、腰にはコートを巻いている。
青みがかった黒髪は整えておらず無造作。
「俺を殺すつもりか!」
腕を組んでアクセルは怒っている。
「自信作だったけどなぁ」
「ちょっと失敗しただけですわ」
「失敗したってレベルじゃない、あれは悪魔の食べ物だ」
思い出しただけで味覚がおかしくなるのか青年は目をきつく閉じて水を一気に飲み干す。
「はぁー、お前ら料理をしたことないのか?」
イリスとシンシアは難しい表情を浮かべる。
「そういえば今まで携帯食料しか食べてないね」
味気ない物を食べているイリスに味覚はない様子。
「そもそも食べませんわ、ドラゴンに守られていますからお腹空きませんの」
料理をする以前に食べないシンシアは味覚というものを知らない。
「おいおい、そんなのでよく作ろうと思ったな……俺の方が上手だろ、絶対」
二人は揃って口を膨らました。
「なんでお前らが不満そうなんだよ。このままだとニーナが来たときは俺が地獄を見る。よし! 今から俺が料理ってものを教えてやる」
これから始まる料理教室は先生アクセル、生徒は未経験のイリス、シンシアの計三人だけでお送りします。
お店の奥にある狭い厨房には鉄のフライパン、薪を使って火を起こす四角い箱状のカマドと調理台があった。
「オムレツでも作るか」
調理台の上に用意した鶏の卵と油と各調味料。
アクセルは首を傾げる二人の少女に作り方を簡単だが丁寧に教えていく。
「火なんて薪を使わなくても出せますのに」
掌から現れた赤い炎を薪に点火。
「庶民はできねぇよ」
アクセルは軽く相手をしながらフライパンに油を引いていく。
「フライパンを温めてから溶いた卵を一気に流しこむ」
「おー」
初めて見た調理にイリスは釘付けとなる。
「バカ、顔近づけると火傷するぞ」
熱されたフライパンに接近してきたイリスに、アクセルは慌ててフライパンを遠ざけた。
「こうやって手首を返して、丸めてと、シンシア皿を持ってきてくれ」
指示されたシンシアは急いで棚から平たい丸皿を調理台の上に置く。
「形を崩さないようにな」
丸皿に乗せられた黄金色に輝く半熟な黄身が湯気を出す。
皿を手に取ればそれだけで包まれている黄身が揺れる。
「やらかしょう、おいししょう!」
イリスは見本のオムレツに涎が垂れそうになりながら喋るので、はっきり言えていない。
「とりあえずこれを作ってみろ、俺はしばらく店番をするからな」
「しっかりコツは掴んだから楽しみにしててね」
「今度こそ大丈夫ですわ!」
やる気と自信に満ち溢れた二人にアクセルは期待はしないで手を振ってお店の表へ。
壁にもたれながら、お客が来るはずのない暇な午後を過ごす。
奥から時折聞こえる慌てふためく声とどうしてか発生する爆発音に苦笑しながらもアクセルは決して厨房に行かない。
商店通りを巡回している鋼鉄鎧を装着した帝国兵士を視界に映すなりアクセルはしゃがみ込む。
伏せた状態で大きな体格が縮んでいき、服装が消えると代わりに灰色の毛が覆っていく。
耳を尖らせて口は大きく前に突き出す。
フサフサの尻尾が伸びて蒼い丸い瞳はぎらつかせた。
「さっきあの店に人がいなかったか?」
兜を被っていて顔はわからないが低い声をあげた兵士は隣にいる仲間に確認。
「いや、犬しかいないぞ」
気付かずに通り過ぎていく帝国兵士達に狼は息を鼻から出す。
「今日は貴様だけか? 奥はどうも騒がしいが、店主と巫女が何かしているようだな」
アクセルは伏せの姿勢からお座り状態になると尻尾を左右に大人しく振って視線を逸らした。
狼を見下ろしているのは凛とした顔立ちの女性であった。
軽装鎧の上に羽織っている黒に赤のラインがあるコート。
腰には両刃の剣を鞘に収めて吊るしている。
深緑に輝く宝石が埋め込まれた首輪が目を引く。
「それは敵意がないということだな? どんどん人間離れしていく姿を見ていると可笑しいよ」
口元だけが微笑んでいる。
「焦げた臭いと黒い煙、厨房で料理を作っているようには見えないが、お前はその実験体というところか」
今の状況を見抜かれてしまった狼は頷く。
「町が平和なことは良い事だ。盗みは働くなよ?」
一体何をしにきたのか、狼は鼻から息は出して女性を睨んで見送る。
「アクセルー、できたよ!」
「完成ですわ!」
奥から嬉々とした声が響き渡り、そのままの姿で狼は歩いていく。
『……』
黒い煙によって壁は汚れ、爆発によって調理器具が破損。
二人とも服を汚しながら丸皿に入れたオムレツを狼の前へ。
左右の丸皿に乗っているのは確かに黄色い卵の黄身だった。
形は崩れてしまいイリスが作ったオムレツは液状となっている。
シンシアが作ったオムレツは火を通し過ぎてしまい固く焦げていた。
料理らしい物であるのは確かで、狼はゆっくりと液状のオムレツに舌を出す。
『?』
首を捻った狼は、次に固く焦げたオムレツを噛んだ。
『……』
またも首を捻る狼。
「アクセル、どうしたの?」
「どうですの?」
評価が待ちきれない期待の眼差しに、その場で人間に戻ったアクセルは腕を組んで俯く。
「はっきり言って味がない、無味。調味料を入れてないだろ」
「え、入れたよ」
「入れましたわ」
アクセルは思わず頭を抱えてしまう。
「それでも味がないなんて、ある意味では才能があるかもな……」
地獄のような味に比べれば大分進歩したと、納得するしかないアクセルは喜ぶ二人を眺めながら肩をすくめた。
用事から帰ってきたお店の持ち主である管理人は厨房の大惨事に泣いていたという。




