第六十五話
灰色の狼はしっかりとした足取りでイリスの背中を追いかけていく。
「もう大丈夫? アクセル」
表情を曇らせて俯きながらも灰色の狼に声をかけたイリス。
『バゥバァウッ!』
「アタシ? 痛くて仕方ない、ドラゴンの恩恵なんて大して役に立たないんだって気付かされたし、全然大丈夫じゃないよ」
悲しい目をしたイリスの横に並んで歩き始めた灰色の狼は顔を足元に擦り寄る。
「ありがと、アクセル」
力のない微笑みを浮かべたイリスは城から離れた教会へと向かうと、扉の前には大きな体をもつ厳つい男が二人を待っていた。
「貴様だけ入れ、あの老いぼれ狼が待っている」
爬虫類に似た瞳孔が灰色の狼を睨みつけた。
イリスの肩に手を添えてどこかへ行こうとしている男に灰色の狼は威嚇するように唸る。
「逃げないから安心しろ、教会の近くで待つ」
その言葉を信用して、灰色の狼は唸るのをやめて鼻先で扉を押し開く。
鈍い音が沈黙を貫く教会に響き、耳をうるさくさせた。
天井が高い教会は薄暗く、蝋燭の火に照らされているのはドラゴンが象られた大きな像。
像の前には石で造られた長方形の台があり、その上に誰かが仰向けになり眠っているように映る。
両手は胸の上に重ねられて全く動かない様子に灰色の狼は警戒しながらゆっくりと進んでいく。
『アクセル、やっと来たんかね。まぁ遠慮しないで早くこっちにおいでさ……幸せそうな顔を見てやってよ』
小柄な狼は礼拝用の長椅子に座って灰色の狼に声をかけた。
『まぁでも人間の姿に戻らん方がいいさ。今は』
台の上にいる人物は小袖と緋袴を着た少女で黒く長い髪をしている。
はっきりと誰なのか認識できた灰色の狼は台に顎を乗せて、眠るように横たわる少女を見た。
胸が上下に動いておらず、呼吸をしていないのだと分かった灰色の狼は吠えることなく静かに尻尾を地面に垂らす。
『単身で行ったのは彼女さね、油断して背後から刺された。所詮ドラゴンの恩恵なんてそんなもんさ、それならワシらの方がよっぽど万能だと思うけどね』
遺体を目の前に平気で零す言葉に灰色の狼は唸り始めた。
『おー怖い、それより刺したのは誰かね? お前さんの短剣はどこに落としたのか、もしかすると誰かが拾って誰かが刺した可能性もある。ああ、ここにあったかな?』
小柄な狼は首を下げて足元にある何かを咥えると、灰色の狼の近くへ投げつける。
地面を転がってきたのは灰色の狼にとって見覚えのある短剣。
刃には乾いた血が付着していた。
『なんかね、帝都の外に落ちていたそうな。ちなみに拾ったのは誰か知らんよ……ま、今は祈ってやりなさい』
小柄な狼は長椅子を飛び越えると薄闇の中に姿を消してしまう。
静かな空気に戻ったところで灰色の狼は後ろ脚だけで立ち上がり、人の姿に変えていく。
背の高い本来の姿に戻ったアクセルは胸を苦しそうに押さえると台の壁に背中を凭れさせた。
「はぁ、クソあのジジイ。なんだってこんなことに」
短剣を腰ベルトの鞘に収めたアクセルは台に掴まって腰を上げ、シンシアの顔を覗き込んだ。
「嘘みたいに幸せそうな顔してんな。刺されたはずなのにきれいな顔して……でも本当に死んでる」
大きな手でシンシアの頬に触れたアクセルは寂しそうな表情を浮かべて蒼い目を小さく細める。
シンシアの髪は雨で濡れていて、顔も少し湿っていた。
「巫女様!」
教会の扉を強く押し開けたと同時に男の声が響く。
「この声は、バスか」
ゆっくりと振り向いたアクセルは思わず目を丸くさせてしまう。
「どうした? 怪我してるじゃねぇか」
銀の鎧は斜めに傷が入り、防御性は期待できない代物になっている。
「巫女様を、巫女様を……君が殺したのか?」
金髪碧眼の青年バスは引き攣る顔に爽やかさはなく、アクセルは怪訝な表情を浮かべた。
「何馬鹿なことを言ってんだ、シンシアを殺すわけないだろうが」
「ならその短剣を見せてくれ!」
腰ベルトの鞘に収められた短剣を指したバスが銀の剣を片手で握ってアクセルに迫る。
下手をすれば斬られてしまう、脳に過ったアクセルは険しい顔で短剣の柄に手を添えるが抜かずに握りしめた。
バスの要求に応えられないアクセルは首を横に振ってしまう。
「やっぱり…………お前なのかぁああ!!」
激怒したバスは銀の剣を目の前に向かって振り翳すが、アクセルは動かずに血まみれの短剣を抜くと斜めに亀裂が入った鎧の隙間に体ごと切っ先を押し付けた。
足を震わすアクセルは歯を食いしばり、呼吸を乱しながら視界に映したのは地面へと落ちていく銀の剣。
微かな呻き声、必死に堪えようとして力が入ったバスの手はアクセルの腕を掴むが、アクセルはさらに奥へ短剣を刺し込んでいく。
台の壁に凭れさせて、短剣を勢いよく引き抜くと血が鎧の隙間から吹き出す。
乾いた血の上から新たに塗られた血を空しく眺めるアクセルはふらつきながら長椅子に座り込んだ。
「悪いなシンシア、余計なもの、連れてきた」
首を垂らすバスの姿に苦笑したアクセルは天井を見上げて呟く。
視線を下ろして目についたのは深緑の宝石が光る首輪。
アクセルは最初に鼻で笑うと、止まらなくなったのか大きな声で笑いだした。




