第六十話
よろしくお願いいたします。
「馬鹿ですわねぇー」
シンシアの一言にアクセルは何も答えることができなかった。
馬鹿だと言われても返事をしないアクセルは目を半開きに唸りながら仰向けで寝転んでいる。
「ねぇアクセル、さっきまで付けてたあの首輪はどうしたの?」
城内の一室で冷たい地面に横たわるアクセルの頭を太腿に乗せているイリスは顔を覗き込みながら問う。
身に着けていたはずの首輪がない、イリスは少ししか見ていないが覚えていた。
「あぁ……どうしたっけ」
口を開いたアクセルは苦しそうに呟き、そんなアクセルにイリスとシンシアは目を合わせて息を吐く。
「せっかくわたくしが調整した首輪ですけど、監視塔から落ちた衝撃で壊れてしまいましたわ」
シンシアの手元にはアクセルが身に着けていた深緑の宝石が埋め込まれた首輪がある。
「そっか、でも本当に無茶なことをしたよね。落ちたって聞いた時は本当に心配したんだから、アクセルのばーか」
優しい口調で頬をつつくイリスにアクセルは表情を少し綻ばせて大きな手でイリスの指を掴んだ。
「なんか大丈夫? 会わない間に変わった?」
甘えるような態度のアクセルにイリスは首を傾げて、その様子にシンシアは微笑む。
「久しぶりにイリスさんと会えましたもの、嬉しくて仕方がありませんのよ」
「そういうもの?」
「そういうものですわ、きっと」
イリスの指を離さないアクセルに呆れる二人。
『うぉーい、開けてくれぃ』
扉の向こうから聞こえてきた低め声、シンシアは誰なのかを瞬時に理解して渋々扉を開けた。
シンシアは顔を下に向けて小柄な狼を視界に映す。
「あら、小父様何か用ですの?」
『その呼び方やめてさぁ、照れるよ』
「焼かれたくなければすぐに用件を言って下さいまし」
冷めた言い方に変わったことで小柄な狼はお座りの姿勢になる。
『リザードドラゴンから伝言、天空の城にフェンリルが入ったとさ。これって大変な事じゃないかね?』
シンシアは小柄な狼の顔を両手で挟んで青いつり目で睨みつけた。
「一体どうやって行きましたの? これはマズいですわ、リザードドラゴンはどこに!?」
『ど、どこって、外にいるさ。でも、外は……大変なことさね』
小柄な狼から手を離してシンシアは駆けだす。
城内を抜けて正門から帝都の街並みに出ると、残された帝国兵士が槍を持って二メートル以上の大きな狼達と戦っていた。
「ドラゴンを消滅させるだけなら内戦を、人を、殺す必要なんてありませんわ!!」
シンシアは叫び、左手を握りしめると巨大な狼に向かって走る。
それに気づいた帝国兵士は、
「いけない、危ないから近づいてはいけない!」
来ないように呼びかけるがシンシアはそれを無視して握りしめていた左手を広げ、掌から放たれた灼熱の炎。
巨大な狼の鼻先から全身へ覆い、丸焼き状態になる。
呆気にとられた帝国兵士はその場で座り込んで腰を抜かしてしまう。
「帝都にまで侵入してきたということは、帝国軍は劣勢ということですわね。アンは……無事ですの?」
誰に問えばいいのか分からないまま呟いたシンシア。
耳を澄ましても声は聞こえない。
「このままでは帝都は壊滅、それどころかイリスさん達も危険ですわ、なんとかしませんと」
シンシアが帝都の中心部に体を動かすと、青いつり目を大きくさせた。
視界に映ったのは金色の毛並みを持つ巨大な狼と、黒い日傘と小さな少女。
目の前の狼に怯えている少女はどこかで見たことがある、シンシアは左手から触れれば凍る冷気を出す。
『ア、エア、あぁガエェァアア!』
巨大な狼の悲痛な鳴き声と大きく口を開けて赤く染まった牙を露わにさせて少女を噛み殺そうと動く。
「い、いやぁあああ!!」
座り込んだ少女が叫んだと同時に冷たい風が皮膚に当たり、少女は顔を上げた。
口を開けたまま体を硬直させた巨大な狼とその横にいたのは左手を翳すシンシア。
「あ、れ、シンシア?」
「やはりニーナでしたのね。ご家族はどうされましたの?」
「父様は、内戦に行っちゃった。母様は途中ではぐれちゃって、分からない」
ニーナと呼ばれた少女はシンシアの手に掴まって立ち上がると日傘を持って俯く。
「そうですの。ここにいては危険ですから城に入ってくださいまし、そこにイリスさん達がいますわ」
「イリスがいるの? よかったぁ、でもシンシアはどうするの?」
安堵の笑みを浮かべたニーナだったがすぐにシンシアを不安そうに見上げた。
「わたくしはこの状況をなんとかしますわ、そこの兵士さん」
腰を抜かしていた帝国兵士を呼び、呼ばれた帝国兵士は目を丸くさせている。
「彼女を城まで避難させてくださいまし、無謀な事をするよりは立派ですわ」
「は、はい」
帝国兵士はなんとか腰を上げてニーナを抱え、城へと走った。
心配そうに見つめているニーナを微笑みながら見送ったシンシアは目つきを変えて、左手を握りしめると息を吐く。
「全く、リザードドラゴンはこの一大事に何をしているのでしょう」
建物の屋上、路地裏、通路、シンシアを囲むように現れた巨大な狼達の口先は既に赤く染まり、毛先にも付着していた。
逃げる場所もないこの状況にシンシアは沈黙し、そっと口角を上げる。
一匹の巨大な狼が屋上から牙を剥き出しにシンシアを狙って飛び降りた。
同時に路地裏からも巨大な狼が飛び出す。
『ガぁァアア!』
耳が痛くなるような鳴き声、シンシアは眉をひそめて左手から電気を放出させ上空にいる狼へ青光りする閃光を直撃させた。
相手の反応を見ている暇はない、シンシアは横から襲い掛かる狼にも雷撃。
小刻みに体を震わした巨大な狼二匹は横向きに倒れる。
『ぐぅ……我ガ、ど、ほう』
必死に人語を話す巨大な狼がシンシアの後ろから跳びかかった。
大きな口から見える喉の奥へと爆発を起こすほどの火を浴びせ、シンシアは逃げるように走る。
内側から破裂を起こした巨大な狼の肉片が周囲に飛び散ってしまう。
「あと何匹ですの?」
大通りには二匹、シンシアを獲物として捉えているのか涎を垂らす。
空腹を満たす為に二匹は揃って動き出し、左手を構えたシンシアを狙う。
シンシアの左手から現れたのは氷でできた槍で、それが現れると巨大な狼二匹に目がけて真っ直ぐに飛ぶ。
氷で作られた槍は狼の顔面と首に突き刺さり、絶命。
ようやく敵が消えたというのにシンシアは瞳孔を収縮させて唇を強く噛んだ。
無謀、その言葉を一瞬だけ頭によぎらせて。




