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第四十六話

 セレスティーヌとアンは茜色の空を見上げて、暗くなる前に娼婦館へ戻った。

「ただいまぁ姉さま」

 いつも扉を開けた入り口の近くで座っている娼婦がいない、セレスティーヌは言い終えてから気付く。

「あれ? 姉さまは?」

 派手なドレスを着ている他の娼婦達に訊いても知らないという返事。

「おかしいなぁ、もうすぐ仕事の時間なのに……先にオリットさんのところに行ったかな」

 自己解決をしたセレスティーヌの後ろでアンは口を紡いでフードを前に引っ張ると表情をさらに見えないよう隠した。

「アンは帰る」

「え、でもまだ時間があるからボクの部屋で休んで行けばいいのに」

 アンは横に首を振って拒否を示すと静かに娼婦館から姿を消してしまう。

 追いかけることは無謀で、身軽なアンより速く動ける自信もなかったセレスティーヌは口を半開きに立ち尽くす。

「セレスティーヌ! 時間よ!」

 強めな口調の娼婦に呼ばれ、元気に返事をしたセレスティーヌは急いで化粧室へ走った。

「早く塗ってちょうだい」

 化粧室には三人、派手なドレスを着た娼婦が座ってセレスティーヌを待っている。

 苛立っているのか眉間にシワを寄せて、セレスティーヌに化粧品を投げると鏡に涼しい表情で目を閉ざした。

「はい、分かりました」

 受け取ったセレスティーヌは濃いめの白い粉を顔全体に塗り、皺やシミを隠していく。

 眉毛も整えて、唇には赤い塗料を細い筆で丁寧に塗る。

 大体が出来上がったところで後は娼婦達が行い、セレスティーヌは残りの二人にも白い肌に見えるよう塗っていった。

 化粧が終わってからセレスティーヌは玄関先を覗くが誰もいない。

「あれぇ? まだ帰ってこないのかな」

 セレスティーヌは気になって仕方がないのか、玄関の外に出る。

 辺りは真っ暗になり、路地裏で明かりもないせいで全く見えない。

 疑問を抱えたまま玄関の扉を閉めようとしたとき、暗い道の奥から革靴を強く速く叩きつける音が響いた。

「せ、セレスティーヌちゃん!」

「あれ、オリットさん? 姉さまと一緒じゃなかった……え?」

 ぴっちりとした白いズボンとボタンが二列ある黒い背広を着ている貴族のオリット。

 白いズボンには真っ赤な液体が飛び散っており、セレスティーヌは途中で声を忘れてしまう。

 立派な顎鬚や細長い顔にも真っ赤な液体が飛沫のようについている。

「彼女が殺されて、し、しまったよぉ!!」

 泣きそうな表情を浮かべるオリットは顔面蒼白で、娼婦館の前で両膝を地面につけて座り込んでしまった。

 周りの娼婦達が集まって騒ぎ始める。

 誰の仕業なのか、最近は物騒だと言い合う背後を無視してセレスティーヌは呆然と立つ。

「誰かは分からないがボロボロのローブを着ていたんだ。ナイフを何本も持ってて彼女を刺していた。怖くて止められず、うあぅああ」

 顔を両手で隠して蹲るオリットの目撃証言に、セレスティーヌは眉を下げて唇を軽く噛んだ。

「セレスティーヌは危ないから館が出るんじゃないよ、あんたはまだ子供なんだからね」

 娼婦達は犯人を探そうと話し合う。

「ボクが探すよ!」

 セレスティーヌは娼婦やオリットの返事を聞かずに走り出す。

 暗闇の路地裏を抜けて商店通りに出ても誰もいない、見回りをしているはずの帝国兵もいない。

 何をしても分からないのでは、そう思ってしまうセレスティーヌ。

「アン! アン、いないの!?」

 名前を叫べば声が反響して返って来るだけ。

「娼婦、今アンと言ったな?」

 思っていた返事とは違う、予想もしていなかった首筋に当たる冷たい物。

 セレスティーヌはうまく息が吸えなくなってしまう。

 大きな手に握り締められた銀色の細長い針のようなナイフが当たっているのだと気付き、呼吸は酷く荒くなった。

「そんな肌の色で娼婦をしているのか」

 フードの奥からセレスティーヌの顔を覗いている男は鼻で笑う。

 オリットが言っていたようにローブを着ており、使い古された薄茶色の布は継ぎ接ぎばかり。

「姉さまを、こ、殺したのは」

 朱色の瞳で強く睨んだセレスティーヌ。

「さぁ、なんの話だ? そんなことより今アンと言ったな」

「そんな人、知らないよ」

「お前の声を俺はひとつも聞き逃さなかった、確実にお前はアンを呼んでいた」

 逃げられない状況に唇をまた噛んだセレスティーヌは首に当たっている銀色の細いナイフを眺めた。

 動けばナイフが刺さるのは確実であり、動かなくても刺される可能性だってある。

「さっさと吐け、さもなくば殺す」

「言っても言わなくてもボクのことを殺すつもりでしょ? だったら」

 男の手首を掴んでしまおうとセレスティーヌが手を動かすと、暗闇のどこからか男に向かって何かが飛んできた。

 銀色に輝くナイフが飛んできたのだと分かったのか、男はセレスティーヌの背中を押してナイフを弾く。

 仰向けとなって倒れたセレスティーヌは咄嗟に上半身を起こしてナイフが飛んできた方向を見る。

 しかし、誰もいない。

 落ちていたナイフは投げ用で柄が短く、横に広がった暗殺用のナイフ。

「あれ? でもこのナイフは」

 間違いなく持ち主はアンだと確信したセレスティーヌは振り返った。

 男は何も言わずに暗殺器具であるナイフを拾い、ジッと眺めている。

「アンがここにいるのは分かった。おい娼婦、アンに会ったら伝えてほしい」

 ナイフをローブの中に仕舞い込んだ男。

「帝都に来いと、俺達は待っていると、それだけでアンなら分かるはず」

「っ、依頼したのは誰なの!?」

 セレスティーヌは答えてもらっていない質問を投げつける。

「娼婦、お前なら分かるだろう」

 淡々とした返答にセレスティーヌは怪訝な表情を浮かべてしまう。

 男は街灯のない商店通りから姿を消してしまった。

 深く息を吐いて安堵したセレスティーヌだったが、それは束の間。

 甲高い女性の奇声が町の外にまで漏れるほど響き渡った。

 目を丸くさせて肩をビクつかせたセレスティーヌは急いで声のもとへ走ろうと立ち上がる。

「セレスティーヌ!」

 派手なドレスを着た先輩の娼婦達が慌てた様子でセレスティーヌに駆け寄り、強く抱き締められた。

「ど、どうしました?」

「危ないじゃないの! 勝手に出て行って、オリットも心配してんだから! これ以上のことは大人や帝国兵に任せて、アンタは帰りなさい」

 周りの娼婦も同じように怒ったり、泣いたり、心配そうにセレスティーヌを見下ろす。

 彼女達の様子にセレスティーヌは戸惑い、俯いた。

「ごめんなさい、ごめんなさいぃ」

 瞼に雫が溢れはじめると、重力に従って地面へ落ちていく。

 真夜中の商店通りで騒いでいる娼婦達を遠目から静かに眺めているのは、ローブで身を隠すアン。

 冷たい赤い瞳を光らせているアンは赤色と黒色が混じった液体が付着した細長い針のようなナイフを手に持っていた。

 そして、言葉を発さずにその場から姿を消していく。

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