第四十二話
未だ不調が続く灰色の狼は山の頂上で伏せている。
狼の様子を見下ろすシンシアは青い目を細めた。
「このままだと完全な狼になってしまいますわ」
『グゥゥ』
弱々しい唸り声にシンシアは呆れてしまう。
「もう、やめてもいいですわよ。わたくしがアヤノ隊長とイリスさんを探すこともできますわ。何も無理をしなくていいですの」
優しい言い方に灰色の狼は返事をしないで立ち上がる。
目的地へと続く山頂の道を黙々と歩きはじめ、シンシアは口を閉ざして彼の後ろについていく。
緩やかな下りの途中で灰色の狼は足を止めてしまう。
地面に複数の足跡があるのに気付き、灰色の狼はシンシアに軽く吠える。
「誰の足跡か分かります? もしかしたらイリスさんのもあるかもしれませんわ」
早速灰色の狼は鼻先を近づけてニオイを嗅いだ。
『バゥ!』
「やはり、イリスさんも魔獣の森へ向かっていますのね」
確信を得たシンシアは、狼の頭を撫でて感謝を示すと先に歩く。
一人と一匹しかいない場所でシンシアの耳に誰でもない声が囁いてくる。
「ずっと黙っていましたから天空で何かが起きたのかと思いましたわ」
小さく相槌を打って目を細めたシンシア。
「そう、ですの、帝国が」
灰色の狼は耳を立ててシンシアの声を拾い、その場でお座りをして待つ。
「早くイリスさんを探さないといけませんわ」
シンシアは険しい表情を浮かべる。
左手の中指に填められた赤い宝石が輝く指輪を眺めたシンシアは、その左手で狼の頭を撫でた。
「ですから、今のアクセルさんをこのまま連れて行くことはできませんわ。できるだけ無駄を省かないと……いけませんの」
左手から放たれた微弱な電流が狼の体に走り、一瞬にして意識を奪われて倒れてしまう。
真っ暗な世界が続くなか、聞いたことがある女性の声が響いてくる。
『貴様はいつだってそうだ、私は貴様のようにはなれない』
懐かしく落ち着いた口調だった。
「そんなこと、ない」
それに答えるように青年が口を開く。
『お前なら大丈夫だと言いたいのか? 盗賊に成り下がった貴様にどうしてそんなことを言われければならない』
「違う」
『そうだ、私は貴様と違う』
信念を曲げず、静かに強く呟かれた女性の声。
「そうじゃないって!」
蒼い目が大きく開いて、上半身を起こした。
真っ暗だったはずの世界は殺風景な一面灰色の壁と床へ変わり、固いベッドの上に座っている。
目の前には驚いた表情を浮かべている幼い顔立ちをした男の姿。
「ルフレイぃ!?」
「大声を出すなバカ犬」
咄嗟に名前を叫んだ青年アクセルはルフレイに頭を分厚い本の平たい面で叩かれてしまう。
頭を押さえて歯を食いしばったアクセルはルフレイを睨みつける。
「お前逃げたんじゃなかったのか」
「逃げたよ、一旦はね。でもドラゴンの気配がしたから戻ってきたんだ。そしたらお前が倒れていた」
「それで助けてくれたのか、ありがとうな」
素直に感謝をすると、ルフレイは口をへの字にしてそっぽを向く。
「ここはどこなんだ?」
窓の景色を覗いても木々しかないので現在地が分からないアクセル。
「僕の隠れ家さ。ゴーレムに造らせたんだ」
自慢げに話す様子にアクセルは肩をすくめた。
「あっそ、俺は魔獣の森に行きたいんだけど」
「どうして魔獣の森に行きたいの? ゾフィーに協力しているから教えたくないな」
「アヤノがいるって聞いた。知らないか? 帝国の女兵士で余裕ぶった顔をした奴」
ルフレイは目線を上に腕を組み、少しだけ唸っている。
「余裕ぶった顔……分かんない。そもそも帝国兵士は森に入れないし」
「まぁそうだよな。やっぱり噂ってそんな程度か」
返答に納得したアクセルは息を深く吐いて苦い笑みを浮かべた。
「でも最近女が森にやってきたのは知ってるよ」
「教えろ!」
素早い反応でルフレイの両肩を掴んだアクセル。
強引に揺らされてしまったルフレイは頭も前後に動いて目を回す。
「ちょ、ちょ、待って、案内するから、痛いよ痛い!」
「あぁ悪い、つい勢いよく」
掴んでいた肩から手を離してルフレイは余韻が残ったまま地面にへたり込んでしまう。
アクセルはそんな彼を見て、今度は笑みを浮かべる。
案外悪い奴ではないのかもしれない、そう思うアクセルだった。




