第四十話
灰色の狼は鼻先で土を触れながら急斜面を黙々と歩いていた。
体格もよく逞しい四脚は斜面を物ともせず登っていく。
人の手が加えられていない山は草木が伸び放題で視界も悪い。
そんな山に巨大な長方形の窪みが左右に間隔を空けて続いている。
草は土に沈み、細い木の半分より上は乱暴に千切られて地面に落ちていた。
灰色の狼は顔を正面に戻して山の頂上を急ぐように駆けていく。
しかし、頂上へあと三歩というところで突然足が空を切る。
目を丸くした灰色の狼は真下が落とし穴だと気付く。
正方形に切り取った綺麗な穴へと灰色の狼は落下。
もがくこともできず、背中から底に下手な着地をしてしまう。
すぐに体を起こして全身を振って付着した土を払い、空を見上げると人間の顔が穴を覗いていた。
見覚えがある丸顔の幼い顔立ちをした男。
「なにが落ちたのかと思ったら狼か、バスがうるさいから助けないといけないのかな」
面倒なのか男は渋々とロープを穴に下ろす。
「それを咥えていろ」
言われた通り灰色の狼はロープを器用に咥えた。
ロープは上に向かって引っ張られ、吊るされた状態で灰色の狼は土の壁とぶつかりながら救助される。
地上に戻った灰色の狼はその場でお座り。
茶色い目を細めた男の手には分厚い本があった。
「山から離れた方がいいよ、もうすぐこの山ごと町は消えるからね……この先の頂上からフェンリルの腹がいる魔獣の森へ行ける。そこで休んだ方がいいかも」
頂上を指して優しく答えた男。
灰色の狼は鼻から息を吐き出すと、男に向かって飛びつく。
『グアゥ!』
「な、なに!?」
男を押し倒して上に乗ると、灰色の狼は元の姿へと戻る。
青みがかった黒髪と人相の悪い顔立ち、筋肉質で身長の高いアクセルが現われた。
「あ! お前はさっきの」
アクセルを睨む男。
「ルフレイ、お前がゴーレムを召喚したんだな」
襟を掴んで腰ベルトに装着された鞘から取り出したナイフを喉元に近づける。
それでも臆せず睨みつけてくるルフレイにアクセルも蒼い目で睨む。
「それがどうした、フェンリルの仲間なのになんでゾフィーに加担しているんだよ!」
「はぁ? ゾフィーはそもそも帝国に命令されて狩っていた。帝国がやらせたんだよ」
「それがなんだっていうんだ!」
そんな説明に意味はないと、突っ張るルフレイ。
「僕がこんなことで降参すると思うなよ」
笑みを見せたルフレイにアクセルは怪訝な表情を浮かべた。
山が突如震えて、体も上下に揺れ始める。
「なんだ!?」
ルフレイから離れたアクセルはよろけながら斜面で身を屈めると、囲むように光の円が浮かび上がった。
土が意図的にアクセルを持ち上げていく。
ルフレイは分厚い本を大切そうに持って斜面を四つん這いで登って頂上に逃げてしまう。
「ルフレイ、待て!」
追いかけようとするも、声とは思えない轟音を発している人の形をした塊が土の中から草木を掘り返して現われ、身動きが取れなくなる。
あっという間に高い位置にまで運ばれてしまい、アクセルは肩の部分にしがみつく。
「ゴーレムなんて代物こんな山で作りやがって!」
顔の部分には三つの窪みがありそれぞれ目と口になっている。
山からはみ出るほど大きなゴーレムは肩に乗っているアクセルを振り払おうと体を揺らす。
急いで飛び降りる空中にいるなか、アクセルは身軽な灰色の狼になり地面にうまく着地することができた。
ゴーレムは灰色の狼に狙いを定めて右拳を振り上げている。
逃げれば最悪の事態になり兼ねない、灰色の狼は右腕に噛みつく為地面を蹴って高く飛ぶ。
鋭く太い牙で右腕部分を噛み砕くと、柔らかい土だったのか感触もないまま崩れ、そこから腕にヒビが入っていく。
右手は握られたまま切断され、地面に落下すると共に砂となって散る。
口に残る土を吐き出したくなるのを我慢して、灰色の狼はもう一度ゴーレムの肩に乗って顔を噛みつこうとするも直前で体が何者かに包み込まれる。
『グアゥ!?』
強く握り締められ、このままでは血液が充分に行き届かない、それどころか圧死してしまう。
隣にはもう一体、同じ土の塊でできたゴーレムが立っていた。
新たなゴーレムの右手に灰色の狼が掴まれている状態。
暴れても逃げることができず、何より四脚を動かすことができないでいる。
右腕を失くしたゴーレムは鈍い動きで下がって、今度は左拳を振り上げた。
唸ることしかできない灰色の狼。
ゴーレムの左拳は仲間の手も一緒に壊すつもりでいるのか、躊躇なく振り下ろす。
ゆっくりだが、壊すのに問題のない力だった。
灰色の狼は掻き消えそうになる自らの声を耳で聞きながら、唸り続ける。
薄れていく視界のなか、一本の矢が左拳を粉砕していくのを捉えた。
次に灰色の狼を握っていた右手が崩れ、粉々になっていく土と一緒に急斜面の山に落下。
「アクセルさん、大丈夫ですの!?」
聞き慣れた少女の声に耳を立てた。
「自分でも言っていたのに……どうして単騎で戦った? 貴方は馬鹿か?」
淡々と心配しているような口調ではない女性。
まだ意識が戻ってこないのか、灰色の狼は口から涎を零して体を横にして弱く唸る。
「シンシア、貴女の魔術でゴーレムを一掃できる?」
「簡単ですわ、たかが一体や二体相手になりませんの」
シンシアと呼ばれた少女は左手を翳し、二体のゴーレムに向けた。
球状の白い光が二つ、手の平から現れて速度を緩めずにゴーレムの中心に入っていく。
ゴーレムは手で胴体を触って光の球を取り出そうとしている。
「意志なきゴーレムは主の命令で動いていますの。可哀想ですけど仕方ありませんわ」
左手を握りしめれば、ゴーレムは内側から形を崩して土が山へと返っていった。
灰色の狼は頭に血が戻らないのか、起きることができない。
「でも、ありがとう。災害に繋がらないよう阻止してくれた。貴方のおかげで町は無事だ」
感謝を述べる女性の声には少し、優しさが含まれていた。
瞼を閉じた灰色の狼。
次に目を開けたのは、山に囲まれた町の中。
「アクセルさん!」
「ぅん?」
消えそうな返事をして、目の前に自らの手を置いた。
人の手をしていることに気付き、アクセルは口を半開きに視界をはっきりとさせる。
「起きましたわね」
アクセルを覗いているのは、シンシアだった。
長い黒髪に青いつり目、白い小袖と赤い緋袴姿。
「シンシア? お前はイリスを探していたんじゃなかったのかよ」
弱々しい声で尋ねると、シンシアは呆れている。
「探している途中でゾフィーさんと会いましたの。シルバードラゴンが居場所を察知して駆けつけましたのよ」
「ああ、そうなのか」
やがて自分がベッドの上にいるのだと分かり、ゆっくりと上体を起こした。
「シンシアからイリスのことは訊いた。それと、フェンリルの腹を探しているのも」
ゾフィーが部屋の扉を開けて入ってくる。
「私がそれに答える前に……魔術師は見つかった?」
その問いに、アクセルは口をへの字にして俯いてしまう。
「見つけた」
静かに呟くと、ゾフィーは冷めた緑色の目を細めて腕を組む。
「逃がしたけどな、この町を山ごと消そうとしている。しかも、フェンリルの仲間だった」
「そう、ありがとう」
深く聞こうとしないゾフィーの様子にアクセルは無言で見つめる。
「貴方の質問に答えるわ。フェンリルの腹は崇拝者が集まった組織で、私がそこでリーダーを務めている」
「リーダー? 帝国側の人間じゃないのか」
ゾフィーは横に首を振って否定をした。
「別に私はフェンリルを崇拝しているわけじゃないけど、ただドラゴンを憎んでいたから。私の母はドラゴンに焼き殺された。だけど、父が帝国側だから私も従い、仕方なく狼殺害に手を貸していた」
「最愛の妻を焼き殺されても帝国とドラゴンの為に従軍するなんて、帝国兵らしいですわ」
シンシアは顔を伏せて呟く。
「アクセル……魔獣の森は先程の山を超えた先にある、残念だが私はこの町を見捨てることはできない。だから、シンシア」
「わたくしが案内します。恐らくイリスさんはそこに向かっていると思いますわ。目的地は一緒ですから、行動するしかありませんの」
あまり納得がいかないのか、シンシアは浮かない顔をしている。
「とりあえず、今日はもう遅いからここで休めばいい。私の部屋は向かい側だから何かあれば言って」
ゾフィーはそう言い残して部屋から出ていく。
周りを見渡すと、ここが町長の家だと気付いたアクセル。
ベッドが二つだけの客室で、シンシアは無言のまま引違い窓の先を見つめていた。
「シンシア?」
「魔獣の森に着きましたら、別行動ですわよ」
冷めた口調のシンシアはアクセルに視線を合わせない。
「あ、ああ」
「イリスさんをもし先に見つけたとしても、そこからはわたくしのするべきことですから。アクセルさんはアヤノ隊長を探してくださいまし」
「シンシア?」
名前を呼ぶもシンシアはそれ以上は何も口に出さず、部屋から去ってしまう。
疑問だけが残り、アクセルは胡坐を組んでベッドの上に座り込んだ。
「どうしたんだよ」
一人空しくアクセルは呟いた。




