第三十話
住宅街の隅にひっそりと建つ平屋の中は日記帳で散乱している。
ベッドに腰掛けて日記帳を読み漁る若い商人のイリスは赤茶のボブヘアを時折触っては緑の目を細めた。
「どうしてそこまで、復讐の為にできるんだろ……本当に愛した人まで犠牲にしてこの指輪を手に入れるなんて、アタシには分からない」
独り言を大きく、イリスは首を横に振る。
右手の中指に填めた血色の石が埋め込まれた指輪を視界に映し、
「お父さん」
既にこの世にはいない父を呼ぶ。
眉を下げて、イリスは数年分の日記帳をそのままに平屋から元気のない足取りで出て行ってしまった。
外に出ると、目の前にはイリスの体を覆えるほど身長の高い青年アクセルがイリスを見下ろしている。
「アクセル」
顔を上げて人相の悪いアクセルを見ると、イリスは名前を呼んだ。
「なにやってんだ、まだ休んでいろって言われてただろ?」
呆れたような表情を浮かべたアクセルは少し笑っている。
「もう大丈夫、ちょっと外の空気でも吸おうかなって、部屋にいても暇だしね」
いつもと変わらない悪戯な笑顔と明るい声で対応したイリス。
肩をすくめたアクセルは、イリスの髪をくしゃくしゃに撫でる。
「お前が大丈夫なのは知ってる。けどもうちょっと休め」
「うん、ありがとう。でも散歩には行かせてよ」
アクセルの手をどけて、イリスは笑顔のまま商店通りへと歩いていく。
右手に輝く血色の石が時々赤く光っていることに二人は気付かず、別々の方角に向かう。
一人になったイリスは深く息を吐いて、前を見つめ直す。
露天市場が終了し、閑散とした商店通りは寂しさだけが残り、商人達は昼間であっても店を閉めていた。
色々と町で事件もあったので人の気配はなく、物騒だというのに帝国兵の巡回は一切されていない。
「イリスさん!?」
巫女であるシンシアが慌てた様子でイリスに駆け寄ってきた。
「あ、シンシア。ちょっと気分転換に散歩を」
「まだ休んでいないと危ないですわ!」
「大丈夫だってば」
シンシアを落ち着かせて、イリスは苦笑い。
建物の壁にもたれた二人。
「ところでアクセルさんから話は聞きました?」
「ううん、話ってなんの?」
シンシアは青いつり目を細めた。
「アヤノ隊長のことですわ、実は処刑にされていなかった、という情報がありますの。それで、アクセルさんはアヤノ隊長の居場所を探しているわけですわ」
「そうなんだ、でも良かったよね」
「どうして、ですの?」
怪訝な表情を浮かべているシンシアはイリスの笑顔に首を傾げる。
「だってこの町を任せられるのはアヤノ隊長しかいないよ。優しいし、強いし、隊長がいれば間違いなく町は平和になるからね」
自信満々に答えたイリスにシンシアは笑顔になった。
「そうですわね、それにイリスさんも元気になりましたし、わたくしも安心ですわ」
「そうだよ。アタシは元気なんだから、いつまでも皆に迷惑はかけれないよ」
笑顔で二人は別れ、イリスは町の門へ。
門番の兵士はイリスのことなど眼中になく、草原地帯の世界へ踏み入れようとしているのに忠告も警告もしなかった。
いつ獣が出るか分からない外でイリスは俯きながら歩く。
進んだ先には深い森があり、森を抜ければ母が住む山の町に辿り着ける。
イリスは森の入り口で立ち止まった。
「アヤノ隊長のことよく知らないから、アタシにできることってないのかな? アタシのことはアクセルとシンシアが全てしてくれたのに、アタシはアクセルに協力もできないなんて……はぁ、情けないよ」
誰もいない町の外で脱力気味に呟いたイリスは、右手を胸元に寄せて血色の指輪を見つめる。
そこでようやく指輪が赤い光を放っているのに気付いた。
石の中は液体が生きているように動いている。
「え、さっきまで光ってなかったのに」
驚いている間にも赤い光は激しさを増し、周囲を包み込んでいく。
『見ツケタァ、負ヲ感ジルゾオォ!』
「え、え!?」
轟く声と共に襲いかかる眩しい光に目を強く閉じてしまったイリス。
数秒ほどで眩しさが消えたのを感じ、イリスは恐る恐る瞼を開けて指輪を覗くと光は消えていた。
血色の石が埋め込まれた指輪は右手の中指にしっかりと填められ、イリスは安心するように息を吐く。
『アァ……マダ肉体ガァ』
「あ」
目の前には爬虫類の瞳孔をもつ蜥蜴のような存在が二本脚で立っていた。
頭に角が二本、背中に生えた翼に柔らかな深紅の鱗がついている。
「ド、ドラゴン!?」
二メートルはあるであろう巨体にイリスは首を痛めてしまう。
『我ハァリザードドラゴン、負ヲヨコセェ』
「ふ? な、なんなの、あっち行ってよ!」
怯えながらも追い払うように手首を上下に振るイリスはリザードドラゴンを睨みつけた。
『オマエノ奥底ニ見エル、負。我ガ望ム物』
武器も持っていない相手に怯むわけがないリザードドラゴンはイリスに近寄ってくる。
息が詰まりそうになり、イリスは顔を引き攣らせて尻餅をついてしまう。
手と足で後ろに下がったイリスだが、リザードドラゴンの鋭い眼光と体に伸しかかる重力で動けなくなってしまった。
「あ……あ、う」
『今度コソ、奴ラヲぉぉおぉ!』
リザードドラゴンは途中で形が崩れていき、赤い光となって血色の指輪に吸い込まれていく。
「あ、ゆ、指輪に」
腰が抜けてしまったイリスは右手の指輪に視線を向けると、指輪が赤く発光している。
『我トノ誓約、オワッタト思ウナヨ』
イリスにしか聞こえない耳に届いた先程の重い声。
「っ!?」
目を丸くしたイリスは肩を震わして耳を塞ぐが、
『アノ女ヲ先ニ見ツケテ、殺セ。忌々シイ獣共ヲ、消シテシマエ!』
聞こえてしまう。
イリスは胸に刺さる痛みと脳に響く重低音にしばらく草原で蹲っていることしかできなかった。




