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38:炎猴

「くろめ殿。その狒々を取り逃がしたのはどの辺りでしたか?」

「ああ、向こうのお山が見えるじゃろ。そのさらに影の辺りかのう、三、四里は離れておったか。狩りの獲物を探して、少し遠出しておったのじゃが。」

「その狒々が、こちらに近付いていますよ。もう四分の一里もない。」

「な、なんじゃと!そんな近くにか!……全く気づかなかった……。」

 そう、守護者たるくろめも、氏神たる明春様も、神木たる遠雷様も気づいていない。

 別に狒々が気配を殺して忍び寄っているわけではないのがなあ。もはや鎮守として機能していないのだろうなあ。

「かなりの勢いで走っていますね。もうすぐ来ます。」

「そ、そんな……。」

「私が相手しますね。なんちゅうか、負ける気が全く起こらない。戦ったことなんかないんやけど。」

「えっ!それでは……。」

「じゃ、ちょっと下まで行こうか、ゆき。」

「はいな、主様。」

「お、口癖復活。」

「そうですな、主様。」

「な、なんて気負わずに。」

「もし何かが流れてきたら危ないので、身を隠し気味して、皆を守ってやってください。」

「わかった、頼まれた……。」


 谷筋に少し降りたところの疎林の中でやや開けた場所がある。そこで待ち構えていると、すぐにそれは現れる。大きいな。牛ぐらい有る。それでこんなに素早いのか。妖怪すげえ。

『何者か!』

「かねかつらと申します。こちらは従者のゆき。」

『あーはっはっはっは!!肝が座っておるな!大餓のものか?いや、でも人間ではないな?従者もただの狐ではないぞ。なぜここにいる?わしの邪魔立てをするか?あれを喰いたいのか?』

 えらい大声で笑うなあ。

「喰いたいわけではありませんが、邪魔立てします。」

『喰いたくもないのにか?あれは高貴な人間だから、途方もなく美味いのだぞ。分けてやるほどの大きさではないがな。』

「美味いだけですか?」

『わかっておろう。魔の力を増すためぞ。地力天力が衰えたる今、人を喰うより他に手はあるまい。』

「私はそのつもりはありません。」

『……ぬしは強いな。何故かあれを烏天狗が守護しているようじゃが、逃げられてのう。あれでも喰らえば多少の力にはなったろうに。おぬしを喰らえば更に力は増そうが、今は引くぞ。』

「駄目です。『土』」

 狒々が目線をそらした瞬間、俺は杖の石突で地を叩く。

 ドコッと音がして地が抜ける。

『ひょぉー!』

 と間抜けな声を出し、狒々が穴に落ちる。

「『木』」

 蛇のようにくねりながら穴の周囲から太い蔦、葛のような植物が無数に穴に向かって伸びていく。

『待て、待ってくれ!』

 蔦に体中をグルグル巻きにされた狒々はもがきながら叫ぶ。その間もますます蔦は伸びていき、狒々を締め上げる。

『なぜ俺を捕まえる!お前は人間の味方なのか!』

「そうですね。味方です。」

『人間は!今、森や山をどんどん喰らっておる!このままでは山の民は、妖かしは、神さえも皆滅ぶぞ!それでもおぬしは奴らの味方をするのか!』

「そういわれると辛いところです。」

『やつらは!どんどん木を切り!わしの棲家だったところなど、とうの昔に禿山じゃ!そのせいで竜神が荒れ狂い、鉄砲水でたくさんの人間が死んだがな!』

 一旦、蔦が伸びるのが止まる。

『しかしわしらの力は弱まるばかりじゃ!許せるはずもなかろう!』

「しかし狒々殿は、そうなる前から人を好んで喰っておったでしょう。」

『あっはっはっは!狒々じゃからな!』

 ごっつ余裕あんなこいつ。息するのも苦しいはず。っと、ブワッという破裂音とともに蔦が爆散する。すごい熱気がおそいかかる。

「む、力を溜めとったんか。『水』」

 即座に逃げにかかる狒々を多量の水で包む。と同時にまた爆発が起こる。水蒸気爆破やな。

『ぐぉー!』

「『木』『木』」

 槍のように竹が地面から無数に突出し、狒々の動きを止めつつ、更に蔦で再び拘束する。材料が有ると良いわ、成長促進程度で済むから楽やわ。

「そうですね。山や森の力が失せるのは寂しいです。しかしこれは、時代の流れでしょうね。人間が力をつけて、非力ながらも世界を支配するのは多分既に織り込み済みの理なんだと思いますよ。」

『なぜそんなに達観しておるのか!おまえは僧か!』

「いえ、もともとはただの宮仕え、今は用心棒ですか。おおっと、『水』」

 また溜めた力で破壊を試みようとした狒々にぶっかけてやる。

『わしをどうする気だ!殺すのか!呪ってやるぞ!』

「いえ。あなたの真名を教えて下さい。」

『それを聞いて……呪うつもりか!』

「いえ。それも違います。早く言いなさい。」

 おれは魔力を込めた杖で狒々に向けてことばを放つ。『言』

『お、俺の真名は、炎のさると書いて、『炎猴』、だ……』

「わかりました。これ以上は何も言いません。では。」

 改めて。

『炎猴』

 狒々は何重もの蔦越しにも眩い光を放つ。

『我は、我は……』

 光が収まると、木の魔法を解除する。

「『還』」

 蔦と竹がみるみる枯れていき、土に帰る。そこには、年老いた日本猿が横たわっていた。俺は近付き、頭に触れる。猿がはっとして手を払いのける。

「キィッ!」と鳴いて、じわじわ後ずさりすると、猛ダッシュで逃げていく。叩かれた手を見ると、血が滲んでいる。

「主様は本当にお人好しですわね。」

 狐が目を瞑るとすっと傷が治癒する。

「ありがとう。」

「主様の状態異常に関して最高の原状復帰を行えるのは私だけですから。主様以上ですから。頼ってください。」

「わかった。すまないな。」

 ドロンと音がして杖が人化する。

「主様の魔法を最高の状態にできるのは私です。今回はお疲れ様でした、使い心地は如何ばかりだったでしょうか。」

「あ、あぁ最高だな。助かったよ。ありがとう。」

「どういたしまして、礼には及びません、いつでも何にでもお使いください。」

「別に鹿がいなくとも主様には問題ないな、大きな顔はせぬが良いわ。」

「狐こそ、主殿は自分のことなど本当は自分できるのに、勝手に恩を売るのはよしこさんですわ。」

 おい、そんな古いギャグどっから引っ張ってきたんだこいつ。

「まあ、二人とも、お陰で助かったよ。戻ろうか。」

 なにげにそっぽを向いている一人と一匹を見てふと思う。

「なあ、せじろはもしかして鹿にも成れるんか?」

「はい!お恥ずかしいですが、人間の姿より楽です!」

 ドロンと音がして、立派な鹿がいた。大きい。なんか変な大きさだ。エゾジカより大きい?ヤ○クか!まあ、角が普通の三叉の鹿角やけどな。サラブレッドほどではないが、戦国時代の馬くらいの大きさはありそうだ。……閃いた(電球の絵)!乗れるんじゃね?

「これ、もしかして俺乗れるか?」

「もちろんです!多分大丈夫です!」

 これはニヤニヤが止まらない。名前のせいか、背中に白い筋がある。毛は鹿なのでやや固いが、なんというか、動物かわいい。足を曲げて腰の位置を下げてくれたので、乗ってみる。

「よいしょっと。」

 おお、いい塩梅。鞍は合わないから、ローマの頃みたいに布でも引くか。鐙も有った方がいいが、それは可愛そうやな。鹿やし。轡と手綱も有ったほうが良いだろうがそれも可愛そうやな。鹿やし。

「このまま帰ってくれるかな?」

「いいとも!」

 いやいやいや……。


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