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EP.87



希乃の通夜の夜。

綺麗に前髪を整えられ、顔の傷を死化粧で綺麗にしてもらった希乃を、私はぼぅっと見ていた。


通夜の夜は寝ずの番っていって、交代で見守るんだけど、それは故人が悪霊に取り憑かれない

ように守る為なんだってさ。


希乃の顔を見て、こんなに綺麗なんだから、悪霊も秒で浄化しそうだな……とかくだらない事を考えていた。




「綺麗な顔してるでしょ?

最後だから、ちゃんと顔を出してもらったの」


か細い声に振り返ると、希乃のお母さんが消え入りそうな笑みを浮かべて立っていた。


私は立ち上がると、お母さんの手を取り、そっと希乃の近くに座らせる。


「こんな可愛い顔に産んだのに、前髪で隠しちゃって、ホントに、ねぇ、この子ったら……」


くすっと笑うお母さんに、私も少し笑った。


「私達の為って分かってるんだけどね。

昔この子が危ない目に遭いかけた時、私達すごく動揺しちゃって………。

優しい子だから、この子なりに、一生懸命考えてくれたのよね……」


そう言って嗚咽を漏らし、涙を流すお母さんの肩を抱いていると、妹ちゃんが絵本を大事に抱えて部屋に入ってきた。



「ねーね、まだねんね?」


希乃の側に座ると、不思議そうに小首を傾げる。


「ママー、ねーね、まだおちない、ずーとねんねちてる」


お母さんを振り返って、責めるみたいな声でそう言う。


「……そうね、ねーねは凄く眠たいの……だから、寝かせてあげようね」


微笑みながら涙をボロボロと流すお母さんに、妹ちゃんはプウっと頬を膨らませて、そっぽを向いた。


「いなっ!ねーねとあしょぶっ!

ねーね、ごほんよんでくらさいっ。

くましゃんがぁ、ぱんけーちたべるの、よんでっ」


眠る希乃に絵本を差し出す妹ちゃん。

それを見て、お母さんが堪えきれずに声を漏らして泣いている。


「マ……ママが呼んであげるから、ね。

ねーねは寝かせてあげて、お願い……」


お母さんが妹ちゃんを後ろから抱きしめてそう言うと、妹ちゃんはイヤイヤして本格的にぐずり始めた。


「やっ!ねーね、いいのっ!

ねーね、よんでっ、よんでっ、ねーねがいいーっ。

ねーねぇ、おちてよ、ねーねぇ」


うわぁぁぁんっと泣き出した妹ちゃんを、お母さんは抱き上げて、ギュッと抱きしめた。



「……ごめんね、王子くん……。

この子、眠たいみたい……。

ちょっと寝かしつけてくるわね」


涙声でそう言うお母さんに、私は下を向いて、ボソッと答える。


「……スッ。自分が見とくんで、大丈夫っスから」


どうしても、声が震えてしまう。



妹ちゃんを抱いてお母さんが部屋から出て行った。

廊下の方からまだ妹ちゃんの泣き声が聞こえてくる。



「……ふっ、うぐっ、ぐっ、うっ、うぅっ………」


膝の上で服をギュッと掴んでいる手の上に、涙がポタポタと落ちた。


涙って、枯れないんだな……。

あれだけ泣いても、まだ涙って出るもんなんだな。



なぁ、希乃……。

お前の大事な大事な妹ちゃんが、あんなに泣いてるぞ。

いいのかよ?

早く起きて、絵本、読んでやれよ。



まるで駄々っ子みたいに、私もそう言ってしまいそうになる。



読んでやりたいよな、希乃。

お前だって、妹ちゃん、泣かせたくなかったよな……。



私にだって、泣いてなんか欲しくないんだろ?

そうだよな?

分かってるよ、でもちょっと、もうちょっと待ってくれよ。

そしたらさ、また戻るから。

いつもの私に戻るからさ。


頼むから……もうちょっとだけ、待ってくれ……。








翌日の葬儀には、沢山の人が来てくれた。

皆、希乃の早すぎる死を惜しんで、涙を流してくれている。


あちらこちらから嗚咽のような声が聞こえる。

堪え切れずに大声で泣く人もいた。



クラスメイトも皆来てくれた。

クラスメイトだけじゃない、うちのクラスの子も、それ以外のクラスの子も。


希乃の前の学校の友達も沢山。



葬式って、なんか大人が集まるイメージだったけど、希乃みたいに若いと、こんな風景になるんだな……。


学生服ばかりのその風景は、見ていてただ痛々しかった。



希乃の両親と妹ちゃんにお願いされて、私は親族席で妹ちゃんを抱っこして座った。


お経を聞きながら、妹ちゃんはつまらなそうに私に話しかけてくる。


「ねーね、まだおちないんだよ。

おねぼうしゃんでしゅね。

あやくおちてーって、あたちいおっか?」


その声を聞いて、周囲が咽び泣く。

堪え切れずに、顔を両手で押さえて蹲る人もいた。




むせ返るような、花と線香の匂い。

百合の花の残酷なまでの白。

咽び泣く参列者。

肩を寄せ合い、支え合いながら泣いている、希乃の両親。

幼く無邪気な存在。

きっと、もう、脳裏に焼きついて、一生離れない………。






ああ……ここは、地獄だ。

きっと、地獄なんだ。





希乃を見送らなければいけないだなんて……。

覚めない悪夢に取り憑かれただけじゃないのか?


そうならいい……。

この悪夢に取り込まれ、1人彷徨うのが、私だけなら……いいのに………。







妹ちゃんが私から離れたがらず、ご両親にお願いされて、私は火葬場まで付き添った。


妹ちゃんは火葬場の廊下でぐずって、どうしても先に進みたがらない。


「やっ!やなのぉっ!いちゃないっ!

こわい〜、あっち、やっ!」


泣いてそうぐずる妹ちゃんを、希乃のご両親は困ったように見つめていた。



「……まだ小さい……無理はさせなくていいんじゃないか?」


見かねたお祖父さんがそうご両親に声をかけた。


2人は少し悩んでから、私を見た。


「……王子くん、申し訳ないが、火葬が終わるまでこの子を預けてもいいかな?」


おずおずと申し訳無さそうにそう言う希乃のお父さんに、私は深く頷いた。


「はい、責任持って預かるんで、お二人は希乃を見送ってあげて下さい」


ジッと2人の目を見つめてそう約束すると、ホッとしたような顔をする。


「ありがとう……王子くん。何から何まで……本当に申し訳ないわ……。

ヨーちゃん、王子くんの言う事を聞いて、良い子にしててね」


お母さんは震える手で妹ちゃんの頭を撫でた。



「はぁ〜い」


妹ちゃんは不機嫌そうに、それでもちゃんと返事をしている。

まだこんなに小さいのに、本当に賢くていい子だ。




お父さんに肩を抱かれながら、お母さんがお祖母さんに話しかける。


「……本当は、あの子にも見送って欲しかったんだけど……」


そのお母さんに、お祖母さんが静かに首を振った。


「もう十分よ、ここまでよく頑張ったわ……。

貴女は自分の覚悟をしなさい……。

この先は…………地獄だから」


お祖母さんの言葉に、私はドキッとしてその声の方を見た。


お祖母さんは深い哀しみをその目に宿し、お母さんの手をギュッと握っている。



……お母さんの青白い横顔を見送りながら、私はその場に縫い付けられたように動けなくなって、腕に抱いた小さな体をぎゅうっと抱きしめた。








どれくらい経っただろう。

実際は、それ程時間は経っていないと思う。



お母さん達の向かった奥の方から、悲鳴のような泣き声が響いた。




「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!焼かないでっ!やめてっ!わた、私の娘なのっ!可愛い娘なのよっ!

やめてっ、やめてっ!焼かないでぇぇぇぇっ!」




泣き叫んでいるのは、きっとお母さんだ………。



妹ちゃんが私の腕の中で、ガタガタ震え始めた。


「おうじたん……こ、こわいよ……。

やだっ!こわいよぉっ!」


「大丈夫…大丈夫だからね」


私は妹ちゃんを抱き抱え、その建物の外に向かった。


すでに言葉になっていない、お母さんの悲痛な泣き声から逃げ出すように……。






火葬場の駐車場から、その建物を見上げた。

長い煙突の先から、白い煙が空へと上がってゆく……。




希乃……。

どこに行くんだよ。

その空の向こうに何かあんのか?

そんなに急いで、その先に何があるって言うんだよ………。




腕の中で妹ちゃんは、ついに泣き出してしまった。


「おうじたん、ママ、こわいの……。

ママ、おこってる?」


大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて私を見上げる妹ちゃんの顔が、希乃と重なる。


「大丈夫、ママは怒ってないよ。

ママは……哀しくて……泣いちゃってるんだよ」


優しく話しかけると、妹ちゃんは涙をポロポロと流した。


「ねーね、おちないから?ねーね、もうおちない?

ねーねに、もうあえないの……?」


妹ちゃんの無垢な問いかけに、私はぐっと言葉に詰まってしまった。


「……うん……もう、会えないんだ……」


迷ったけれどそう伝えると、妹ちゃんはうわぁぁぁんっと泣き出した。


「ねーね、ねーねにあいたいよぉ、ねーねぇ」


泣きじゃくりながら私にしがみ付く妹ちゃんの体を、優しくギュッと抱きしめ、私も自分の涙を止められなかった……。


「そうだね、王子たんも、ねーねに会いたいよ……」



この小さな温もりが、どれほど私を支えてくれただろう。

妹ちゃんがいなければ、今頃とっくに発狂して、狂っていただろう。


妹ちゃんがずっと私といたがってくれたのは、希乃が私の側にいてあげて、と頼んでくれたからかもしれない。


人の機微に聡い希乃の事だ、たぶん、そういう事なんだろうな………。


最後まで人の事ばかりで、アイツ、人が良すぎるにも程があるだろう……。


そう思うと、少し笑えてきて、バカみたいに晴れ上がった空に登って行く白い煙を、優しい気持ちで見送る事が、やっと出来た………。













「すいません、忙しい時にお邪魔して」


数日後、私は希乃との約束を果たす為、希乃の家にお邪魔していた。


「いいのよ、王子くんならいつでも大歓迎だから」


泣き腫らした目で迎えてくれた希乃のお母さんは、痩せてしまって、やつれたように思う。



「おうじたーんっ!」


奥から妹ちゃんが駆け出してきて、ピョンと私に飛びついた。

それを難なく抱き上げて、私はその頬をスリスリする。


「おっ、かわい子ちゃんじゃないか〜、うりうり」


希乃そっくりのその顔を見ると、何だか無性に泣きそうになってしまって、誤魔化すようにわざと明るい声を出した。




その後妹ちゃんと遊び倒していたら、妹ちゃんは疲れてお昼寝をしてしまったので、私はミッションをコンプリートする為に、希乃の部屋に上がった。


持ち主の居なくなったその部屋は、生前そのままの筈なのに、何故かガランとしているように感じた。



押し入れを開けると、ギッチリとクラウス関連のイケナイグッズが詰まっている。


アイツ〜〜……。

いや、知ってたけどさぁ。


パンツ一丁のクラウス抱き枕とか、どないせぇっちゅーんじゃっ!

棺の中に一緒に入れてやれば良かった……。



内心毒づきつつ、私は持参したデカリュックやら袋やらにそれら危険物を詰めていく。

甲種資格も持ってないのに、いいのか?

など不安になりつつ、作業を終わらせる。


デカリュックを担いで、両手にデカい袋を持って現れた私に、希乃のお母さんは目を見開いて驚いている。


「あの子から聞いてたけど……そんなにあったの!」


吃驚しているお母さんに、私はチベスナ顔で頷いた。



「あの子ったら、万一の時は自分の部屋にある危険物は王子くんに頼んでるから、絶対に誰も触らないでって言ってたけど……まさか、そんなに……。

本当にごめんなさいね、王子くん……」


申し訳なさそうなお母さんに、私はチベスナ顔のまま首を振った。



私が適当に突っ込んだクラウス抱き枕(パンツ一丁バージョン)をチラッと見たお母さんが、それを指差して口を開く。


「あっ、それ、あの子のベッドにいつも置いてあるもの?」


首を捻るお母さんに、私はまた首を振った。

あっ、ちなみに裸部分は折り曲げてあって、お母さんにはクラウスの顔しか見えてない。



「いや、また別っス」


私の返答に、お母さんはあんぐり口を開いた。


「あの子……そんなの2つも……」


ですよね〜。

分かります。

いや、私もキティたん抱き枕2つ所持者ですけども。



それから、お母さんはプッと吹き出した。


「そう言えば、おばあちゃんが、あの抱き枕をお棺に入れようとしてたのよ?

希乃ちゃんは小さい頃から王子様が好きだったから、一緒に入れてあげようねって言って」



本当に入れられようとしてんじゃねーかっ!


お棺にクラウスと一緒に入っている希乃を想像して、その顔が幸せそうににやけていたもんだから、私は思わず吹き出してしまった。


大満足で天に召されてんじゃねーよっ!



「あははっ、それいーっスねっ!

本当に入れちゃえば良かったのにっ!」


声を上げて笑う私に、お母さんもクスクス笑っている。



「……ああ、なんか……。

笑うなんて久しぶり……。

下の子のために、無理してでも元気でいなきゃって思ってたんだけど……。

笑うって、そういう事じゃなかったのね」


希乃のお母さんは、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、消え入りそうな笑顔を浮かべる。


「今はまだ、難しいけれど……。

あの子の事、こうやって笑って思い出せたらいいわね。

その後少し泣いちゃうと思うけど、それでもきっと、あの子はその方が良いって思ってくれている気がするの」


そう言って微笑むお母さんに、私も笑って返した。


「希乃ならきっとそう思ってますよ。

あの子はそういう子なんで。

笑い話には事欠かないし」


私がそう言うと、私達は顔を見合わせ同時にプッと吹き出した。






「じゃ、私はこっちをキッチリ成仏させてきますんで」


スチャッと手を額に当ててお母さんにそう言って、私は希乃の家を後にした。


「本当にごめんねぇ、最後まで面倒かけて……」


お母さんは申し訳無さそうに眉を下げ、そう言って私を見送ってくれた。











河川敷で、焚き火の中に希乃の極秘危険物を少しづつ投げ入れていく。


パチパチと音を立てながら、クラウスの薄い本が炎の中に消えていった。


最後に大物の抱き枕をそっと入れて、燃えていくクラウス(パンツ一丁)を見守る。


かなりヤバい図なのは知ってる。



あ〜あ、こんなにクラウスに貢いで、アイツ本当クラウス一筋だったよな。


ぼーっと炎から上がる煙を見つめていると、あの日火葬場で見た希乃の煙と重なった……。



……あっ、そうか………。

希乃が飛んでいくところなんか、一つしかないじゃんっ!


クラウスのとこだよっ!



急に目の前が開けた気がして、私は我慢出来ずに笑い出した。



あの希乃だぜっ?

クラウス廃オタ沼住人の希乃が行くとこなんて、クラウスんとこで決まりじゃんっ!

そうだ、絶対そうだよっ!



頭の隅で、まだラノベに溶けてない脳の一部分が、ナイナイ、そんな転生とか実際ないから、と呆れているが、いいんだよっ!



だって、あの希乃なんだからっ!

行くっつったら行くんだよっ!

クラウスのところにっ!



私は天に登っていく煙に向かって叫んだ。


「クラウスーーッ!お前っ!希乃にこんなに課金してもらって、大事にされてっ!

ちょっとは恩返しくらいしろよっ!

希乃がお前んとこに行くからさーーっ!

大事にしてやってくれっ!

良い子なんだっ!すげー良い子なんだよっ!

だからっ………うっ、ぐっ、うぅっ……」


涙が溢れて言葉に詰まる……。

煙が無くなってしまう前に、言いたい事は山程あるのに………。



「……だがらざぁっ……!

頼むっ!頼むよっ!クラウスッ!

希乃を頼むっ!希乃を頼むよ……っ!」


堪え切れなくなって、私はその場に蹲ると、膝を抱えて泣いた。


「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!ぐっ、うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」


子供みたいに泣きじゃくりながら、いつまでもいつまでも、空高く登って行く煙を見送った………。








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