EP.85
「流石にタロちゃん、夏は暑いね」
ボサ子の呟きに、タロが申し訳なさそうにクゥーンと鳴いた。
「あっ、ごめんねタロちゃん。
でもこのふわふわの毛並みが夏毛になってる事には気づいてるからね」
訳の分からないフォローを入れるボサ子に、タロはますます申し訳なさそうにしていた。
「仕方ないだろ?こんだけ暑苦しけりゃ、そりゃ言いたくもなるって」
タロの頭をわしゃわしゃ撫でながらそう言うと、タロは何だか物言いたそうな目で私を見た後、バッと私に飛びついてきた。
「わっ!馬鹿っ、やめろっ!
あっち、アチーってっ!
あ〜暑苦しい……」
タロがワフワフ甘えてくるのを仕方なく全身わしゃわしゃ撫で回してやる。
「タロちゃん、本当に王子の事好きだね。
私にも触らせてくれるけど、そうやってお腹まで見せるのって王子だけだもん。
いやー、相変わらずモテるね〜、あっちでもこっちでも」
ニヤニヤ笑うボサ子に、私はフッと笑った。
「いやぁ、辛いよ?モテ過ぎるのもさ」
私がそう言った瞬間、タロがペロペロと顔を舐めてきた。
「うわっぷ、やめんかっ!こらっ!タロ公っ!」
「あらあらタロちゃん、ヤキモチ〜?」
訳の分からん事をのたまうボサ子は私を助ける気はないらしい。
この二匹、本当にいい性格してるぜ。
私達は相変わらずほとんど一緒に過ごして、気がつけば高一の夏。
ボサ子の夏の風物詩、珍妙な日焼けに警戒せねばならない夏だ。
タロともあれからずっと仲良くしている。
知れば知るほど奇妙な犬で、こんな大型犬であるにも関わらず、何故かご近所からノーリードを許されている。
いくら大人しくとも犬は犬なのに。
ちなみにタロは人間みたいにトイレで用を足す。
公園のトイレに用を足しに行くタロを私達は何度も目撃している。
………犬だよな?
たまにそう怪しむ事もあるが、荒唐無稽過ぎてすぐに忘れてしまう。
まぁ、こんな可愛い奴がおかしな存在な訳がない。
ラノベで脳が溶けかけている私でも、現実に不思議な事など起こらないくらいは弁えているつもりだ。
タロとたっぷり遊んだ後、私達はうちでダラダラと推し活しつつ過ごしていた。
「それにしても、本当に潔いよね」
ボサ子は私の部屋を見渡し、呆れたようにそう言った。
私の部屋には堂々と薄い本やらキティたんの抱き枕やらが置いてある。
下着姿の貴重なやつもあるんだぁ……へへっ。
「私には一生出来ない芸術的なレイアウトだわ……」
若干羨ましそうにそう言うボサ子は、家族には徹底的に隠す派。
ヤバめの物は押し入れに纏めて隠してある。
クラウスの裸の抱き枕とか、クラウスの薄い本とか。
ちなみに服着てる抱き枕はギリセーフって事で、ちゃっかりベッドに置いてある。
あくまでも基準が服を着ているか、着ていないか、であって、オタクかオタクじゃないか、では無い。
腐れオタは親バレOKらしい。
「王子、いっつも言ってるけど、私に万一があった時は早急的速やかに、私の部屋の危険物を廃棄されたし」
いや、私、危険物取り扱い甲種資格なんか持っていないんだが。
「わぁってるよ、家族に見つかる前に、だろ〜、へいへい」
くっだんね〜とばかりに耳ホジホジしながら答える私の脇腹を、ボサ子が手刀でズビシッズビシッと突いてくる。
「真面目にっ、聞きやがれっ!」
「痛いっ痛いっ、たまに痒いっ!やめんかっ!」
その手をバシッと払うと、ボサ子は頬をぷぅっと膨らませると、いじけた声を上げた。
「ちゃんと約束してくれなきゃ、おちおち成仏も出来ん」
いや、成仏すなっ!
まったく縁起でもない。
「へいへい、分かったよ。私に任せて下さいよ。
ちゃんと処理しますんで」
ちっ、チキンめ。
そもそも万が一とか軽々しく言うなっつの。
そりゃ頼まれた事はちゃんとやるが、そんなの何十年先の話だよ。
ボサ子はたまに訳の分からん事を言う。
それもチキンゆえと思うが、流石に気分が悪いのでやめてもらいたい。
とはいえ本人は至極真面目に言っているので、たまに対処に困る。
まっ、変な奴だよな〜。
と、その時までは呑気に考えていた……。
夏休み明け早々、貴腐人方が慌てた様子で私の所に駆け込んできた。
「王子殿っ!大変でござるっ!」
「このままではキティ会長のヒロインポイントが爆上がりしてしまいますわっ!」
「私、お小遣いカツカツなんですっ!
お助け下さいっ!」
要約すると、ボサ子のヒロインポイントが爆上がりするような事が起きている、このままでは課金(お菓子代)が大変な事になる。
という事だ。
ふざけているようで、貴腐人方の顔は必死そのもの。
焦れば焦るほどふざけてしまう貴腐人方の特性を熟知している私は、すぐに頷くと貴腐人方について行った。
高一になり、私とボサ子は別のクラスになった。
そしてあろう事か、ボサ子はニアニアとシャカシャカと同じクラスになってしまったのだ。
それからボサ子の私物がよく無くなるようになった。
文房具なんかは別に大した事ないが、クラウス関連のものは流石に死ねる、と学校には一切持ってこなくなった。
教科書がズタズタに切り裂かれていた時は買い直すしか無く、そんな事がもし続いたら流石にお母さんにも怪しまれるって事で、ボサ子の教科書なんかは私のロッカーに入れておく事にした。
「アンタのロッカー、俺tueee系ラノベでギッチギチじゃない」
「片付けておくよっ!」
私のロッカーに入れておけよと提案した時にそんな会話をしたばかりだ。
お陰でボサ子は休み時間の度に私のクラスに来るから、王子の姫としてこっちでも認知されている。
同学年だけではなく私の部活の関係で上にも下にもすっかり定着しているので、ボサ子自身顔が広くなってきていた。
ボサ子に悪い感情を持つ人間など皆無と言ってもいい。
この女子校の暗黙のルール。
男役の姫には手を出さない。
実はそんなものがあったりする。
ちなみに姫は男役を独り占めしない、って逆ルールもある。
お互いその辺をうまくやりつつ成り立っている訳だ。
その不可侵条約を平気で無視する奴なんてニアニアくらいだ。
皆ボサ子に嫌がらせをしているのはニアニアだととっくに気付いている。
お嬢様校特有の上品さで逆にニアニアに何かする人間はいないが、やんわりニアニアから離れていき、今ではニアニアの相手をするのはシャカシャカ1人だけになった。
ニアニアはますますシャカシャカに依存していってるように見える。
日に日に顔つきがヤバい事になってきている。
最近はボサ子の机もロッカーも空っぽなもんで、次は靴とか上履きだな、と勝手に私が鍵をDIYしたのでこっちは今のところ無事。
……無理やりこじ開けようとした後はあったけどな……。
この急激に加速しているニアニアのボサ子への執着……。
私は先輩の時の事を思い出し、嫌な予感がして仕方なかった。
先輩の時は年齢も体格も違ったし、毎日鍛えている先輩は咄嗟に受け身を取れたので、手首を痛めただけで済んだが、それがボサ子なら……。
ボサ子は体格も小さいし、運動音痴、ただ歩いているだけなのに躓く、珍妙な生き物なのだ。
ニアニアに手を出されたら大怪我確実だ。
はやる気持ちで貴腐人方(足遅い)について行くと、使われていない教室からニアニアの怒鳴り声が聞こえた。
「アンタみたいなキモいオタクが王子の姫とか調子に乗ってんじゃねーよっ!
陰キャは陰キャらしく教室の隅で存在消してりゃいいんだよっ!
皆がアンタに優しいのは王子のお陰だからっ!
皆王子に嫌われたくないからアンタみたいなキモいブスにも優しくしなきゃいけないって迷惑してんだよっ!
アンタ本当は皆に嫌われってっから、ちょーしこいてるとマジ痛い目見るよ。
分かってんのかよっ!あっ⁈」
だ〜っ、くそっ!
あの女っ!
それ全部自分の事じゃね〜かっ!
皆に嫌われてんのも、迷惑かけてんのもお前じゃね〜か。
自己紹介乙か?
自己紹介乙なんだな?
そんな奴リアルで初めて見たけど、胸糞悪りぃなぁ、おい。
貴腐人方を追い越して、その教室に飛び込もうとした瞬間、聞いた事もないボサ子の凛とした声が響いた。
「それ全部、ミアさん個人の見解だよね?
確かに王子のお陰で友達は増えたけど、皆、私の事を嫌ってたり迷惑に思ってるなら自分でちゃんと言ってくれる人達ばかりだよ?
ミアさんに皆の意見を託してこんな風に私を責めるような事しないと思う」
思わず飛び込もうとしていた足が止まった。
貴腐人方と目が合うと、皆信じられないといった顔で驚いている。
それもその筈だ。
貴腐人方は自分達のコミュニティ以外で自分の意見を発信する事に非常に苦手意識がある。
そんな時は基本、あうあう言ったり、小さい声に早口でボソボソ言ったりしている。
更にニアニアみたいなタイプは貴腐人方がもっとも苦手とするタイプ。
一方的に言われ放題になって、帰ってから思い出し怒りして推しのクッションに八つ当たりし、あ〜○○くんっ!ごめん〜っ!てのが様式美だ。
なのにボサ子の声はニアニア相手にも全く震えていない。
真っ向から正当に言い返している。
「は、はぁっ⁈おまっ、お前っ!
誰にもの言ってんだよっ!!
そーゆーとこが調子づいてるって言ってんだよっ!
いいかっ?本当ならお前みたいなキモオタ、私と話す事も出来ねーからっ!
それを私は王子の為に、仕方なく、勘違いしてるお前に分からせる為に言ってんだよっ!
お前さぁ、王子が迷惑してんのも分かんねぇのかよっ!
王子だってお前の事、キモくて嫌がってんだよっ!」
苛立ちの増したニアニアの怒鳴り声が廊下にまで響くが、すぐにボサ子の涼しい声が聞こえてきた。
「それこそ、王子が本当にそう思ってるなら自分で私に言うから、間違いなく。
アイツが何か腹に溜め込んだまま人と付き合える訳ないし。
それに、ミアさんと私じゃ、ステージが違う事も分かっているけど、じゃあわざわざステージから降りてきて私に話していると言うなら、人とか王子の代弁じゃなくて、ミアさんがどう思ってるか、ミアさんが私をどうしたいのかを話してくれなきゃ、要領を得ないんだけど」
もっともな指摘にニアニアが言葉に詰まる様子が伝わってくる。
ボサ子はニアニアを全て見抜いているような口ぶりだった。
確かにニアニアには主体性が無い。
誰かに難癖をつける時は、皆が〜とか誰々が〜とか言って、そこに自分を含ませる。
自分発であるとは絶対に言わないのだ。
つまり自分個人の意見ではなく、その他大勢も含ませたり、発言力のある人間の名前を出して自分の意見を通りやすくする。
更に後の責任からも逃れようとしているのも丸わかりだ。
コイツがただの自分のみで勝負しているところなど見た事がない。
ボサ子は真っ正面からそこを指摘したのだ。
誰も面倒くさがってあえてやらない事を。
ボサ子はニアニアに対して真っ直ぐに相対してやるつもりなのだ。
本人はそんな意識ないだろうが、今までニアニアに対してそこまでしてやる人間はいなかった。
人が良いというか、なんというか……。
真っ直ぐであるからこそ、ニアニアみたいな人間には突き刺さったのだろう、先程までの勢いはなくなり、ニアニアはボソボソと自信の無さそうな声を出した。
「別に……私は……。
ってか、王子みたいなカッコいい人の隣にアンタみたいなのが引っ付いてるのが、本当に気に食わないんだよね。
王子だったらもっと可愛い子を姫に出来るし……。
ってか、アンタみたいなのより姫に相応しい子は他にもいるし……」
急に弱々しくなったニアニアに、ボサ子はスパッと聞いた。
「私じゃなければそれで納得する?
他の姫なら私にするみたいにしない?
それとも、ミアさんが王子の姫になりたい?」
真っ直ぐなボサ子の問いに、ニアニアは面食らって、なっ、とか、あっ、とか声にならない様子だ。
その時、つまらなそうなシャカシャカの声が聞こえた。
「もういいじゃん、面倒くさいし、そいつには言っても無駄だって」
異様な声色だった。
まるで声に力があって、相手を無理やりねじ伏せるような……。
貴腐人方は気分が悪くなったように固まって、ガタガタ震えている。
ややして、ニアニアの無機質な声が聞こえた。
「そうだね、朱夏。コイツには言っても、無駄……」
ヤバいっ!
直感でそう感じた私は今度こそその教室に飛び込んだ。
「おいっ!」
丁度ニアニアがボサ子に何かしようと手を伸ばしているところだった。
シャカシャカは相変わらず我関せずでいつも通りの様子だ。
私はズカズカとニアニアに歩みよると、その体を押し退け、ボサ子を背の後ろに庇う。
「コイツに何しようとしてた?」
ギラリと睨むと、ニアニアはハッとしたように目を瞬かせ、今やっと私に気づいた様子で、急に焦り出す。
「あっ、ち、違うの、王子……。
わ、私はちょっとその子に身の程を教えてあげようと……。
だってその子じゃ王子の姫には相応しくないじゃん?
だから……」
しどろもどろといった感じのニアニアに、私は冷たい声色で答える。
「余計なお世話だよ。ってか、姫とか関係なく、コイツは私の親友だから。
テメーにつべこべ言われるような事じゃないんだよ」
刺すような視線で見下ろすと、ニアニアは真っ青になり、泣きそうな顔でガタガタ震え始めた。
「あ、私、私は、王子が、好きだから、だから、王子にはもっと相応しい相手がいるんじゃないかって……」
ニアニアの震える声に私はハッと鼻で笑った。
「例えば、お前とかか?死んでもごめんだよ。
お前はただ自分の虚栄心を私で満たしたいだけだろ?
私は友達でもなんでもねー、ただのお前の映え用のアクセサリーかなんかじゃないか。
そんな奴が私の姫?
気分悪すぎて反吐が出るぜ」
私の言葉にニアニアは顔面蒼白になり、ポロポロ涙を流した。
「あ〜あ、王子が女の子泣かすとか、王子失格なんじゃないの?これ」
珍しくシャカシャカがクスクス笑いながら、こちらに近寄ってきた。
「あっ?なにお前、喋れんの?」
馬鹿にした笑いを浮かべシャカシャカを見下ろすと、見た事もない楽しそうな笑いをその顔に浮かべている。
「アンタさぁ、どうすんの?
王子様気取りで偉そうにしてるけど、ただの女子高生のアンタに出来る事なんて、なんも無いよ?
そもそも、その子がこんな目に遭ってるのはアンタのせいじゃん?
アンタのせいでその子、危ない目に遭うんじゃない?
で、そうなったらアンタに何が出来んの?
庇い切れる?いつでもどこでも駆け付けて助けてやれんの?
いやいや、無理でしょ。
アンタただの人じゃん、出来ねーよな?
そん時になってアンタがどんな顔するか、楽しみだよ……。
自分のせいでその子になんかあったら、アンタどんな顔すんの?
今みたいに笑ってられる?
それとも面倒になってその子を放り出す?
自分のせいじゃないって逃げ出す?
……私達を殺したいほど、憎む?」
異様な目でクスクス笑うシャカシャカに、一瞬息を呑んだが、すぐに私もニヤリと笑った。
「疑問系多くてうぜーよ。
それよりお前、喋り過ぎじゃね。
いつも通りその辺でシャカシャカいわせてろよ」
私の返事にシャカシャカは肩を上げて、ニアニアの首根っこを掴んでズルズル引き摺っていった。
教室の出入り口で一度振り返り、心から楽しそうなニヤァっと笑う。
「じゃあね、まっ、せいぜい頑張って?」
最後まで疑問系かよ……。
マジうぜぇなぁっ!アイツっ!
やっとアイツらがいなくなった途端、ボサ子がヘナヘナとその場に座り込んだ。
「こ、こ、怖かったでござる〜」
泣きそうな情けない声に、一瞬で力が抜けた。
私はボサ子の隣に屈んでその頭を優しく撫でた。
「よしよし、よく頑張ったな」
ボサ子はホッと息をついて、へにゃっと口を緩ませている。
「会長〜っ!ご無事でござるか〜〜っ!」
私を呼びにきてくれた今回の功労者、貴腐人方が泣きそうな顔で教室に飛び込んできて、ボサ子を取り囲む。
嬉しそうにボサ子の無事を確認する貴腐人方を眺めながら、私はシャカシャカの言葉を思い出していた。
『アンタに何が出来んの?』
その言葉がヒヤリと冷たく私の心臓に突き刺さり、胸にチクチクした痛みが広がっていった……。




