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Sweet Voice  作者: 葉未
7/16

6th story:ご褒美ホットケーキとぷち練習

挿絵(By みてみん)





ぐるりと高い塀に囲まれた一戸建て。車が入れる屋根付きの広い門。

その門と同じ幅を持つ灰色の石の道が建物の前まで続いていて、ぐるっとロータリーになっている。

難を言えば、門に適当な感じで引っかかっている「猛犬注意」のプレートだ。警備会社のマークが張ってある段階でいらないだろうよコレと思う。しかも犬飼ってないし。

緒倫の家は、本当でかい。

金持ちかと問われれば、金持ちだ。

最初に緒倫の家に遊びに来た時、俺は本当に驚いた。俺んちと違って塀がしっかりしているし、門もでかいし建物の前にある庭も広い。ドラマに出てくるみたいな家だ。金持ちの家、という設定で。

でも、金持ちだからって単純にイコール幸せとは限らないことを、俺は緒倫の家を詳しく知って学んだ。

立派な家の外見だけを見て羨ましく思っていた俺はまだ小さかったが、それでも一歩入れば、家の中にある冷え冷えとした空気にすぐに気付いて、これにもまた驚いた。

緒倫は、家に帰って「ただいま」を言う習慣が無い。

返ってくる声が無くなって久しいからだ。

ドアを閉めて鍵を掛け、何も言わずに靴を脱いでずかずかと奥へ行く。

入ってすぐ横にあるリビングは、いつもカーテンが閉めっぱなしでテレビやソファは一応置いてあるが、小物や雑貨が一般家庭と比べると、たぶん極端に少ない。

広い家だけど、必要最低限の場所だけ使っているから、生活感があるのは、玄関とキッチンと廊下とトイレと風呂と、緒倫の部屋だけだ。

テレビも殆ど見ないらしいから、家全体がしんとしていて、廊下のでかい時計が刻むカチカチの音に時々気付く。

緒倫の部屋に行っちゃえばそうでも無いのだが、未だに、俺は天海家に入る瞬間がちょっと怖い。

一人暮らしだと思えば思えるかもしれないが、それには広さが邪魔だ。

それくらい、違うものなのだ。

本当の意味で、他に誰も帰ってこない家、というのは。





「緒倫―。ホットプレート出してつけといてー」

「へーい」


男二人で、ガチャガチャキッチンをうろうろする。

よく見ればキッチンの部分部分がかなり埃っぽいが、比較的綺麗な場所だけを軽く布巾で拭いてホットケーキ作りを開始した。

一応自炊してるから、料理は本当にざっくりとだができる。

少なくとも、ホットケーキくらいなら問題無い。だって作り方書いてあるし。袋の裏に。

あとは直感でアレンジを。焼けばできるだろ、焼けば。大概。


「ココア生地も作っちまえーい。どばーっ」


適当にココアの粉を、生地の色が変わる程度に入れてみる。

普通の生地とココア生地を小さく積み重ねたりしたら面白そうだ。


「ナッツがあったけど」

「それ大丈夫なのかよ。賞味期限見ろよな。何年前?」

「…半年前。やばいんかな」

「やばいだろ……とみせかけて平気じゃね?ナッツだろ? 駄目なんかな。一個食ってみろよ。変な味したら止めれば」

「そうだな。…ほら、叶。あーん」

「ふざっけんな!テメェが食えよ!!」

「何でだよ」

「いや、お前が何でだよ!…って、ああ、ほら緒倫!ホットプレート、コンセント入れたって電源入れねえと意味ねえだろうが!」

「あ?」

「あ?じゃねーんだよ…ったく。…って、オイコラ!今、ナッツ入れただろ。勝手に何やってんだよーもー!味見したのか?」

「食えるだろ。たぶん。焼くし」

「いや切れよ!食えるとしてもクルミとかまんまじゃねえか。でかすぎ!刻むだろ、普通!」


ノリツッコミみたいなのをやりながら、完成したホットケーキは自分たちでいうのも何だがなかなか美味そうだった。

「ケーキが冷たいからヤダ」っていう主張を聞いた時は意味が分かんなかったが、ほかほか湯気立てて、バター乗せると溶けていくのを目の当たりにした瞬間、あったかいデザートがいいっていう緒倫の好みに納得した。





午後のおやつのつもりで作り始めても、食い終わってちょっとだらだらしてみたらもう夜の六時を過ぎていた。

カーテンを開けたリビングで、ふくれた腹を片手で撫でる。

うまかった…。

ホットケーキ久し振りだし一人じゃ絶対作るなんてしないが、予想外にうまかったな。


「はー…。おいしかったなー」


やっぱり微妙に埃っぽい気がするリビングに座って、俺は空になった皿を見下ろして腹を撫でた。

ちょっと大目に作って冷凍しておけば緒倫が後で食えるかなと思ったが、実際食べ始めてしまえば余らなかった。


「どうだ。満足したか、お前」

「まあまあ」


テーブルに頬杖を着いて、気のない調子で緒倫が答える。

素直じゃねえなあ…。

でもまあ、焼く途中とか楽しそうだったし、満足してるだろう。


「それじゃ、片付けして、俺そろそろ帰るかな」


よっこらしょ…と皿を持って立ち上がると、緒倫が見上げた。


「夕飯は?」

「腹一杯だからいらねえだろ。…何、お前まだ食えるの?」

「いや…」

「だよな。ちょっと食い過ぎたかもな」


あはは、と笑いながら、メープルシロップや生クリームで汚れた皿をキッチンの流しに入れる。

ちらりとリビングの方を振り返っても、緒倫は座ったままだ。

自分で皿を持ってくる気配がないんで、ため息を吐いて二往復してやる。


「ほら。皿寄こせ、皿。洗ってやるから」

「……」


手を差し出すと、座ったまま汚れた皿を取って俺に手渡す。

…こいつ、いつも晩飯とかどうしてんだろうな。

料理するとか聞いたことない。

時々、親父さんが持ってた会社の人が来て夕食作ってくれんのは聞いたことあるけど、それも毎日じゃないだろうし。

緒倫がこうして一人暮らしできるのも、その人のお陰らしい。本当は一緒に住んでいる設定になっているらしいし、あれこれと法律関係とか面倒くさそうなの一切をその人に任せているみたいだ。

信用できない人だったら一発で乗っ取られると思ったけど、十年以上その様子はないし、何度か会ったことがあるけど悪い人でなさそうだった。

…けど、本当はよくないんだろうな。

毎日来るわけじゃないなら、俺からすると緒倫は一人暮らしで、その点俺と同じなんだけど、なーんか自分のこと棚に上げて心配なんだよな、こいつのことは。

そんなことを考えながら皿を洗おうとスポンジを手に取ると、スポンジはかぴかぴに乾いていて、一瞬手が止まった。


「……」


間を置いて、気にしないように意識してそれに水を吸わせ、食器洗剤を取る。

こちらも出し口が乾いていて、詰まって出てこなかった。

中を見れば残量が少なくて、これもまた中後半端に固まっていたので、ガシャガシャと思いっきり振ってから、蓋自体を回して中をスポンジに垂らした。

カチャカチャという食器の繊細な衝突音に、ぼんやりする。

……。


「――なあ」

「うおわ…!?」


急に背後から声がかかり、びくっと肩を震わせる。

振り返ると、いつの間にかキッチンの入口の壁に寄りかかって、中を覗き込むように緒倫が来ていた。


「…? 何」


不思議そうに緒倫が首を傾げる。

やべ。足音全然聞いてなかった。そんな浸ってたかな、俺…。

どきどきしながら慌てて応えた。


「え、いや…。悪い、急に声かけられらたからビビっただけ」

「あっそ。…あのさ、叶、今日泊まってけよ」

「うん?」

「明日、別に何もないだろ。部活やってねーし、バイトもねーし」

「ああ…。うん、まあ…」


確かに明日の予定は何もない。

家帰ってもどうせ一人だし、緒倫の家だって、他ならぬ緒倫がいいといってる以上迷惑かける相手もいない。

このまま緒倫と明日遊んだって、何の不都合もない…か。


「うーん…。どーしよっかなー」

「……」

「うーん…」

 

 

――ピーン、ポーン…。

 

 

食器を洗いながらうだうだ迷っていると、不意にチャイムが響いた。

俺も緒倫も、玄関の方へ顔を向ける。

ちょっとした違和感があった。

こんな時間に緒倫に客とか、滅多にないと思うんだが…。


「誰だ?」

「さあ。別にこのまま無視しても…。…ああ。そうだ」


不意に緒倫が壁から身体を浮かせ、玄関の方へ行く。


「おい、緒倫?」

「通販。頼んでたんだった。それかも」


ああ、何だ。通販かよ…。

ほっと安堵して玄関の方へ消える緒倫を見送って、俺は食器洗いに戻った。

最近物騒だからな。

見るからに金持ちな家。しかもそこに出入りしているのが未成年者一人ってなれば、泥棒的には涎が出るくらいオイシイ獲物だろう。

この辺は治安悪くはないからまだいいけど、そう考え始めると危ないよな。家持ちの一人暮らしって。

残り少ない食器を洗い終わる頃、緒倫が小箱程度のダンボールを抱えて戻ってきた。

どうやら本当に宅配便か何かだったらしい。


「通販だった?」

「通販だった」


荷物をテーブルの上に置いたのを、皿洗い終わった俺も傍に寄って覗き込みながら座った。

近くの棚からカッターを取りだして、ダンボールに切れ目いれてる緒倫の手元を見下ろす。


「何頼んだんだ?靴?」

「いや。叶のCD」

「……」


数秒、沈黙。

……。


「ばっ……はあ!?」

「…!」


一瞬後、緒倫を押し退けて横から荷物をひったくると床に置いた。

既にカッター入ってるダンボールの蓋を開けると、中には何冊かの女性向けノベル雑誌が入っていた。

うわもうめっちゃ見覚えあるぞ、これ。

付録に俺がやってるドラマCDが付いてるやつだ…!


「う、うわあー…」

「取るなよ」


胡座かいた上に乗せてるダンボールを見下ろして呻くしかできない俺に、横から緒倫が手を伸ばして荷物を取り返す。


「えーっと…。緒倫…?」

「何だよ」

「何してんだお前そんな…。俺の大量買いとか…」

「プロデューサーに叶の偽名聞いたし。普通の通販で検索したら出てこなかったけど、何かマニア向けっぽい検索サイトがあって、マイナーな声優の名前でも一斉検索できたから。雑誌が多かったから、絶版も多かったっぽいけど。ガキ関係のやつは一応はぶいたけど、結構あるんだな。一年ちょいのくせに。……まあ、あるのは売れ残ってるからなんだろうけど」

「……」

「勉強。しなきゃマズイんだろ?」


しれっとした顔で言う。

べ、勉強っつったって…。


「お、お前、そういうの聞くの苦手なんだろ!」

「仕事なら、苦手とか言ってらんないだろ。一応名は連ねたわけだし、俺にも他にホモ話来るかもしれないってプロデューサー言ってた。免疫つけとけって」

「そりゃそうだけど…!」

「でも知らない男の喘ぎ声聞くとか、マジ無理。吐く。冗談抜きで相当気持ち悪ぃ。当面は勘弁」

「そ、それで俺の買ったのか?」

「叶のは一度聞いたし。入口としては普通なチョイスだろ?」

「う…」


そう言われてしまえば、別段異常な判断でもないような気がしてくる。

…い、いやでも!

恥ずい!!


「ば、馬鹿…!んな大量買いするなよ。恥ずかしいだろ!」

「今更かよ。一発目で人に聞かせておいて」

「そりゃそーだけど!何もこんな一度に揃えるみたいに買わなくたって…」

「あと、そういえば台本のコピーもらった。一部だけど」

「え…?」


思い出したような緒倫の言葉に、ぴたりと攻め手を止める。

初耳だ。そうか、台本見せてもらってたのか。


「出だしんとこだけだけど」

「コピーだった?」

「コピー?」

「紙の束だったか?」

「ああ…。うん」

「そっか…。俺、一応ちゃんとしたの一冊もらったんだよな、この間。ちょっと見るか? 本当はダメだけど、お前もう関係者だし。そこにあるバイトカバンの中入れっぱなしだし、確か」

「でも、内定とか言ってるけど、正式決定じゃないんだろ。まだ分かんねーってプロデューサーも言ってたし、保険いるらしいじゃん。相手俺じゃないかもしんねーし」

「げ…!プロデューサーそこまで言ったのか!?」

「比べるって」

「え!比べる!? 何、じゃあその筧さんの部下の人案も浮いてきたのか!?」


保険のことは内緒にしとくって自分が言ったんじゃねーかよ!

ひでえと思ったけど、当の緒倫は「そりゃそうだろう」と納得している感じだ。

うー…。シビアだな…。

やってみるはみるんだろうが……折角緒倫で決まったと喜んでたのに、俺が予想していたよりも浮いてきたぞ。


「でもさ…。……。…あのさー、こっからはちょっと狡いけどさ」

「…?」

「サンプル、録ると思うんだよ。お前の声の。今のとこ、きっと最初のうちの事務所で録ったテストん時の声しかないから、この後たぶん先方が、台本の台詞をお前にちょっとやらせて、できを見たいとか要求してくると思うんだ。うちの事務所のことよく知ってる人だし」

「もう一回、本番前に何かやれって言われるってことか?」

「先にストーリー知っておいて、ちょっと練習しちまった方が、いいと思う」


少し罪悪感にかられながら、言ってみる。

ストーリー全体…というか、俺がもらったのだって数話分ってだけなんだろうが、それにしても緒倫がもらったやつ以上のボリュームがあるだろう。

話を知っておいた方が、キャラクターのシーンシーンの感情も掴みやすい。


「お前が俺の相手役になったとしたら、役の性格的に結構難しいところもあると思うんだ。今回の攻め役って熱血漢っつーか…」

「“せめ”…?」

「男役のこと。お前がやるかもしれないやつ。熱血漢っつーか、一途で突っ込んでくるタイプだから、流れ見るような、受動的っぽいお前とは逆かも。見といた方がいいって」

「……」


俺がカバンに手を伸ばして引き寄せ、中からフォルダーを取り出すまで、緒倫は黙っていた。

やがて、ふう…と息を吐く。


「…じゃ、見るかな」

「ああ。そうしろよ。…ほら」


フォルダーを空けて台本を差し出すと、緒倫はそれを受け取った。


「…結構厚いのな」

「そうか? 今回は薄いだろ」

「見るの時間かかるから、やっぱお前泊まれよ」


時計を見る。

…確かに、今から見たりしてると八時過ぎるかも。

そこから帰るのも、正直億劫だ。

「じゃあ、そうするかな。悪いけど」

「全然。…てか、その方が嬉しいし」

「…!」


緒倫が素直にそんなことを言うので、ちょっとびっくりする。

何だお前、可愛いなあオイ…!

いつもの調子で背中をぶっ叩こうと手が動きかけたが、さっき見た、埃のたまったキッチンの隅やぱさぱさのスポンジ、固まってる洗剤などを思い出した。

……。


「…緒倫」


テーブルの上に立ってるお互い買ったペットボトルを端へと退かしながら名前を呼ぶと、台本をぱらぱら捲ってた緒倫がちらりと俺を一瞥する。


「何かあったかいの飲むか?淹れてやるよ」

「……」


笑いかけながら聞いてやると、間を置いて、「コーヒー」と、素っ気ない返事があった。





「おーい、緒倫―。風呂出たぞー」


風呂上がり、借りたティシャツとジャージ姿で俺は緒倫の部屋に戻った。

床に胡座かいて台本を読んでた緒倫が顔を上げる。


「おー」

「服、サンキュ。まんま昼間の着ててもよかったんだけど、やっぱ借りると楽だわ。ちょっとでかいけど」

「サイズいっこ違うからな。まあいいだろ。寝るだけだし」

「おう、悪いな。未使用の下着ももらっちまって助かるわ。お前も風呂入ってこいよ」

「ああ」

「出たら、お湯抜いとけよな。お前、風呂入る直前まで前のお湯入れっぱなしって、面倒臭くないか? 入りたいときにまず掃除しなきゃなんないじゃん」

「別に。いつもシャワーだし。…てか、お湯入れたんだ?」

「当たり前じゃん。洗ってお湯入れたっつーの。…ん?じゃあ、何か。あの入ってたお湯って、相当前の?」


どうりで、すげー臭かったわけだ…。

風呂の蓋あけたら、むわ…っと悪臭が広がって咳き込んだもんな…。

速攻で窓開けて、げほげほ噎せたわ。


「あのな…。使わない時は、水抜いとけよ」

「ああ…。分かった。そうする」

「たまには銭湯とかもいいぞ。一人だとお湯はるの勿体ないの分かるからさ。俺、時々行くけど」

「一人で?」

「一人で」


こくりと頷くと、緒倫はへえ…と意外そうに俺を見た。


「じゃあ、次行く時声かけろよ」

「そうだな。そうするか。…どうだ、台本は。どんな感じ?」


俺も腰を下ろして、傍に寄ってその手から台本をやんわり取り上げ、覗き込む。

すると何故か、緒倫が一瞬、す…っと身を引いた。


「……」

「…おいコラ。何で今逃げた」

「…別に」


半眼でわざと意地悪く睨むと、さらりと流され、普通に台本を覗き込んだ。

…ん?

何か冗談めいた返しか苦笑が来るかと思ったが、何も無いな。

何で今逃げたんだ?

気のせいか…?

それとも何か、臭うのかな。

風呂のあの悪臭が身体に付いたとか…?

自分の片腕に鼻をそえてくんくん臭いを嗅いでみても、ボディソープの匂いだけで特に悪い臭いはしないと思うんだけど……自分じゃ臭いって気づかないらしいしな。

俺がくんかくんか自分の腕の臭いを嗅いでいると、ばさっと緒倫が台本を振った。


「ざっと見たけど…。まあ、確かにドストレートな性格してるよな。片っぽは。気ぃありすぎだろ。バレバレっつーか、露骨過ぎてねーわ。キモい」

「だろー?」

「軽くストーカーだろっつー。…ていうか、叶、俺の後輩だし」


緒倫が、どこか得意気に俺を見る。

何言ってんだ。そんなことで得意顔しやがって。

今回任されたシリーズの話は、前に聞いたとおり学園モノで、主人公の一応のメインである相手役は先輩設定だ。

つまり、役の中では俺が後輩、緒倫が先輩ということになる。


「仕方ないだろ。そういう配役なんだから。何得意気になってんだよ。現実じゃ、お前が何しようが、泣こうが喚こうが俺が先輩、いっこ上。現実と混同することのないように。先輩は俺!崇め奉れっ!」

「――『へえ…。随分生意気だな、なぎさ』」

「…!」


言葉に帰ってきた声に、はた…と一瞬止まる。

呆けて顔を上げると、横にいる緒倫が小さく笑った。


「…とかね。現実は違っても、この話の中じゃ、俺が先輩になってい上から目線でいわけだ。でもこいつ、高飛車であんま好きじゃないかも。ツンデレってーの? メンドクセエ性格。損するだけじゃん。好きなのに口悪ぃし、そのくせいいトコで叶のこと助けるとか、こえー」

「……」

「絶対ェどっかに盗聴器とか仕掛けてタイミング――…おい?」

「お、おま…お前今……」


すぐに言葉が出なくて、ばたばたと片手で緒倫の膝を叩く。

鬱陶しそうに緒倫が俺の手を払った。


「何だよ。叩くなよ」

「お前今、いい感じだったぞ…!」

「…は?」

「今っ、今いい感じだった!声、ちょっと変わるのなお前っ。少し下がるっつーか、腹の空洞から出るっつーか…。いい感じだったっ!」


“なぎさ”というのは、俺の役名だ。

実際、今の台詞が台本の中にあったかどうかまではハッキリ覚えてないけど、緒倫のキャラは“そういう奴”だから、言いそうな台詞だ。

今のはすごく自然だった。

意外だ。

こいつ、俺が思った以上に乗るのが上手いぞ…!

急に俺がテンション高くなったので、微妙に緒倫は引いたらしい。

疑問符浮かべながら曖昧な顔をしている。


「あ、そう…。そりゃどーも…」

「いけるかもしれん!」


ぐっと拳を握ってから、俺は鼻息荒く緒倫に詰め寄った。

緒倫がその分身を引く。


「何が?」

「練習!練習だ、緒倫…!!お前がその気になれば、マジでホントに、初めてでも筧さん側の他の人達も納得するかも!」

「…誰?」

「はい、ほら!それから出だしんとこだけでいいから、やるぞ。お前俺の使えよ。俺、そっちのコピーでいいから。ペンとメモ貸してやるほらっ」


俺が突きだした台本と筆記セットを、緒倫が嫌そうに見る。


「いや…。そんなのいいから、DVDでも見ようぜ。それに、どうせ読むなら絵本の方が…」

「忘れないうちにやれって。絶対その方がいいから!」

「……。風呂…」

「一回読んでからでいいじゃん!」

「……」

「ほら、持てって!」


いつまでたっても両手を上げない緒倫の片腕を取って持ち上げ、その手に台本を押しつける。

俺は俺で、床の上にぶんながっていた緒倫のカバンを取って勝手に開け、中から前半部分のコピーをホチキスで束ねた簡易台本を取りだし、広げる。

むにむにと両手で顔筋をマッサージした後、べちべち自分の頬を叩く。


「よーっし。やるぞー!」

「……」


気合いいれて片腕を振るう俺と違い、緒倫は隣で露骨にため息を吐いた。






――で。

一通り読みを初めてみたわけだが…。


「……」

「……」


背中合わせで座ったまま、別にストップの声もない状態でどちらともなく沈黙する。

何とも言えぬ空気があった。


「……。緒倫」


俺が呆れてとうとう名前を呼ぶと、背中の緒倫が俺を振り返ったのが分かった。

俺も後ろを振り返る。


「やる気出せよ…」

「出してる」

「全然だろ!」


堪らずに声を張ってしまった。

さっきの一言。

緒倫のさっきの一言はナチュラルに良かったのに、声合わせしてみた途端に全部棒読みだ。そのやる気の無さにびっくりする。


「さっきのはどうしたんだよ。すごく良かったのに」

「やってる」

「嘘吐け!」


パン――!と、片手の甲で手に持ってるコピー用紙の台本を叩く。

それから、台本を少し巻き戻って、もう一度同じ場所を言ってみる。


「『ありがとう、毅。…あ、そうだ。今日帰りは? やっぱり、忙しいの? じゃあ、俺バスと電車乗っていい? バスのボタン押したいんだ。テレビで見たことあるんだけど、降りたい時に押すんだって。毅押したことある?』」

「駅までのウチ持ちのバスにボタンなんかあるわけないだろ。そんなバカ丸出しの質問他の奴にするなよ。吉原の車が駐車場に来ているはずだから――…」

「……」


肩を落として、ため息を吐く。

…うーん。いつもの緒倫の声で緒倫のまんまだ。雰囲気も全然これっぽっちも先輩が入ってない。

さっきのはたまたまだったのかもな。

ここで無理強いさせちゃ良くないや。止めよ。


「…悪い、緒倫。無理強いさせて。止めるか」

「…そんなヘタなんだ、俺」

「うーん…。おかしいな。さっきは相当ナチュラルだったんだけどなー…」

「…否定ねえし」

「上手くはなかったかもな。…ほんと悪い。変なこと強制しちまって。ゲームでもやるか? 映画見る?」


背中を向けていた身体を戻して、横にあるテーブルに向き直る。

背中合わせを解いた俺を、緒倫がちらりと一瞥した。


「…そういえば、何で背中向けて座るんだ?」

「顔見られるの苦手なんだよ、俺。今みたいなシーンだったら平気だけど、キスとか甘めのシーンになると、顔見せてらんないだろ?」

「…やっぱ、そーゆー顔になるわけ?言ってる時って」

「多少な。真顔でそーゆー声出ししてたら逆に怖ぇだろ。小さい部屋だと横向きのスタジオとかあるんだ。…だから、その時は俺、いつもこーしてんの」


説明しながら、片手で持ったコピー台本を上げ、顔の横に添える。


「基本、BLの時は二人一緒に録っちゃうから大きな部屋なんで、背中向けてはいるんだけどな。調整室の窓から見られないようにしないとさ。嫌じゃん。流石に」

「じゃあ、誰も叶の顔は見てねえんだ。そういう時のは」

「あー…。うーん、どうだろうな…。同時録りしてると、角度によっては。大体同じ方向見てるんだけど、台本は一つだろ? 滅多にないけど、調整室から隠そうとすると、同室の奴には見られたりは微妙にするかも」

「昼間会った、おっさんとか?」

「おっさん…?プロデューサー? あの人はあんまり収録室来ないよ」

「違う。黒髪の声優」


誰のことか分からなかったが、間を空けて行き当たり、思わず吹き出した。


「おっさんって、まさか正行か?」

「そう。そいつ」

「おっさん…!くふふ…。あいつ、聞いたら青筋立てそー!」

「……」

「確かに、おっさんには見られてたりするかもなー。時々からかわれるし。…でもまあ、同じ仕事してんだし、俺だってあいつのそういうシーンの時の顔見たことあるから、お互い様だろ。もっとも、あいつの場合はノリノリでそーゆー顔してるけどな。AV男優かよ的な」

「…ふーん」


気のない返事に、内心またため息を吐く。

…まあ、仕方ないか。

初めてだもんな、緒倫はさ。

これからたぶん急遽な研修プログラムが用意されるだろう。


「ゲームやるか?」

「本がいい」

「よーし。じゃあ、絵本選べー」

「…ていうか、風呂入ってくる」


ああ、そうか。そういえば、まだ緒倫は入ってなかったな。


「適当にやってて」

「分かった。ごゆっくりー」


のたりと立ち上がる姿を、俺は手を振って見送った。



――パタン…。



ドアが閉まる音がしてから、何気なくぐるりと室内を見回す。

…うーん。

この部屋にいる限りは生活感があるんだけどな。

見回した部屋の片隅、机の上に、さっき緒倫が一階から持ってきた、例の俺のCD付録が付いてる雑誌の荷物が乗っかっている。


「……」


何とも言えず、肩を落とした。

…大人買いすんなよ、こんなの。

でもこういうものを買い集めるったってことは…。


「…やる気は、あるんだよな。たぶん」


声優っていうバイトに興味もやる気もあるんだろうけど、普通、慣れるまでは大変なのかもしれないな。

俺なんかはお話し会の経験があって、人前で何かするっていうのに対して今じゃすっかり抵抗ないけど…。

緒倫も時々手伝ってくれるが、あいつは手伝うくらいでちゃんとお話し会スタッフの一員って感じでもない。俺とは微妙に違うんだろうな。

例えば…。

不意に思って上半身を伸ばし、背後にあったベッドのヘッドへ手を伸ばす。

そこに適当な感じで座っていた、片手手乗りサイズの地方ゆるきゃらな黒熊のぬいぐるみを引っ掴み、ぐにぐにと弄ってみた後、ひょいと顔の高さまで持ち上げ、すちゃっと熊の片手を上げた。


「『心配しないで、叶くん!オリンははじめたばっかりだもん。叶くんはあの子に期待しすぎだよっ。あんまり期待しちゃ、かわいそうだと思うよ?』」


――…なーんちゃって。

少し甲高い声で、一人腹話術してみる。

……。


「ふ…。まあ、確かに緒倫や普通のDKがこんなことしねえか、滅多に…」


どっちかってーと、俺が変わってるんだろうな。

溜息吐いてから、手の中にある熊を元の場所に戻すため、また上半身と腕を伸ばしてベッドに半身乗り上げる。

熊を元あった場所に戻し、そのままぱたりとベッドに片頬を付けて力尽きた。


「あー…。どーすっかなー…」


筧さん、緒倫で納得してくれるといいけど…。

でも、あんなに棒読みじゃ普通に考えてアウトだろう。

滑舌とかもたるそうだけど、やっぱ空気だな。雰囲気っていうか…。


「でも、そればっかりは慣れか…。…ふわ~……」


大きく欠伸をして、軽く目を伏せる。

ねーみ…。

…ああ、そうだ。緒倫が風呂から上がってくる前に、読む本選んどくか。

丁度良い。声色変えて、遊びがてら少し練習させてみるか…。


「そうしたら…。緒倫も、すぐ……」


………。

……。





さらりと、誰かに髪を撫でられている感覚がして、眠っていた意識が僅かに浮く。

ぽやぽやした感じのまま、小さく身動ぎした。


「……うー…」


眠い…。

あったかい…。

もぞもぞと動いて横向きになり、僅かに双眸を開けてみる……と。


「……!」


何気なく開けた自分のすぐ目の前に、誰かの手首が横たわっていてびっくりする。

な、何だ…?

一瞬どきっとしたが、冷静になってみると、その手首には当然腕が続いており、腕は背後から伸びて、俺の肩の上に乗っかっていてそのまま目の前に手が横たわっているという感じだった。

そろそろと振り返ると…。


「……」

「……」


すうすう…と細い寝息を立てた緒倫が爆睡していた。

…いや、密着し過ぎだろお前。彼氏か。

寝相なのか何なのか、狭いベッドの中をわざわざ俺にくっついて、抱き枕よろしく腕の中に囲って寝ているようだった。

半眼で一瞥してから、肩を落としてまた正面を向く。

人はストレスが多いと、抱き枕とか何かにしがみついて寝るのを好むっていうけど…。

緒倫、色々堪ってんだろうな…。

勝手にそんなこと思ったって、同情になるから口にはできないけど。

こんな広い家で毎日一人か……って、人のことは言えないハズなんだけど、何だか自分のことは放置で気になってしまう。


「……」


…ていうか俺、寝ちゃったのか。

今何時なのか時計を探したが、テーブルの上にある携帯へは当然手が届かず、壁掛け時計もないこの部屋ですぐにそれは分からなかった。

だが、緒倫も寝ているみたいだし、もういいだろう。

このまま寝てしまえい。

…ああ。人とくっついて寝ると、こんなに温かいんだな。暑いくらいだ。

忘れてたよ…。

うとうとしながらそんなことを思い、そのまま深い眠りの中に意識を手放した。





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