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Sweet Voice  作者: 葉未
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7th story:朝の高台と非戦略的撤退

挿絵(By みてみん)




翌朝――。

何となくそんな気はしていたが、俺の方が早く起きた。

それでも九時とかまで寝てたけど、目が覚めても相変わらず緒倫がひっついてて、何とか腕の中から抜け出して両足をベッドから下ろしたところで、緒倫が身動ぎして少しだけ薄目を開ける。


「……」

「ああ…。よう。おはよ」


目を擦り、ぼーっとしながら俺は振り返った。

欠伸をしながら鼻声で口を開く。


「悪いな。昨日、寝ちまって。先、下に下りてるからな」

「……」


返事がないまま、寝返りを打つと肩まで布団を被って丸くなって、そのまま動かなくなる。

…まだ夢ん中だな、これ。

緒倫を置いて、俺はパジャマ代わりに借りた服のまま、部屋を出た。





顔を洗ってテレビを付けて、早速朝飯の準備をしにキッチンに入る。

何か朝飯になるようなもんあるかな。泊まる気なかったから、何も買ってきてねえし、緒倫の家のもので何とか飢えを凌がせてもらおう。

そう思って改めて冷蔵庫を開けてみて、あまりのモノの無さに驚いた。

卵もねえじゃん!

げー。なんだよー。

目玉焼き作ってやろうと思ったのに。

朝ご飯と言えば何かしらの卵料理だろ。


「あいつ、朝飯食わない派なのかな…」


当然、お米を炊いた覚えもないからご飯もない。

こんなことなら、昨日買ってきたホットケーキの卵、六個入りじゃなくてもっと大きいの買ってくればよかった。

昨日は漁らなかった色々な場所をがさがさしていると、何とか食パンが出てきた。


「食パンか…。フレンチトーストとか好きそうだけど、卵ねえしなあ。あるのは調味料レベルのもんばっかだし。…仕方ない、ここは」


冷蔵庫の中からマヨネーズとマーガリン、その辺の棚からコーヒー用のシュガースティックを取り出し、でんでんっと調理台の上に置いて、両手を腰に添え、高らかに宣言。


「マヨネーズパンと、シュガートースト!」





俺が起きてから一時間後くらいに、ようやくとたとたと足音が二階から下りてきた。

上はティシャツで下はパジャマ代わりのスウェットという姿で、ぬっと緒倫が姿を見せる。


「おう。おはよー」

「……」

「…あ?」


部屋に入って来るなり、緒倫が立ったままじっとテレビ見ながら携帯を弄っていた俺を見据える。

何で凝視されるのか分からなくて、俺は首を傾げた。


「何だよ?」

「別に。…おは」

「おう。朝飯食うだろ?」

「朝飯…?」


俺の隣に座る緒倫と入れ違いに、俺が席を立つ。

キッチンに行ってオーブントースターをピッと押し、コーヒーの準備にかかった。

辛うじてドリップコーヒーは大量に部屋の端に大袋ごと詰んであったのだ。

俺んちなんかインスタントだけど、ドリップはやっぱ濃くてうまいな。全然違う。


「結構起きてくるの早いじゃん。昼頃まで寝てるのかと思った」

「普通はそのくらい寝てるけど…」

「でもそれだと、午前損した気にならないか?」

「いや…。特にすることもないし」


寝起きのせいか、いつも以上にぼーっとした緒倫のいるテーブルに、まずはコーヒーを運んでやる。

こいつはブラックなんだろうけど、俺は砂糖とミルク入れないと飲めないからワンセットを付けて。

そうこうしているうちにトースターが鳴り、お皿に一枚ずつ載せてそれも持ってきた。


「ほらよ。お前、卵くらい常備しとけよ。お陰で卵料理一個もできなかっただろ。朝と言ったら卵だろ」


俺の意見を聞いているのかいないのか、緒倫はコーヒーを飲みながら、テーブルの上に置いた二枚のトーストを興味深そうに見下ろしていた。


「…これ、何?」

「マヨネーズパンとシュガートースト。マヨネーズ塗って焼いたとこに軽く塩胡椒振ったやつと、マーガリン塗ってコーヒーの砂糖まぶしたやつ」

「……」

「どっちか選んでいいぞ。…ああ。それとも四つ切りにして分けるか。それがいいな」


言うが早く、俺は包丁を持ってきて、トーストをそれぞれ四つに割った。

俺はマヨネーズパンの方が好きなので、早速一切れ咥える。

…うん。うまい!

もごもご食ってる俺を一瞥してから、緒倫ものそのそとトーストを齧り始めた。

一口食べたと思ったら、それを呑み込んだ後でちらりとまた俺を見る。


「…もしかして、朝飯、叶も食ってねえの?」

「おう。お前待ってた」

「……」

「簡単だし、結構うまいだろ。どっちが好きだ?砂糖の方?」

「……。何か、変なの…」


ぽつり…と、緒倫が呟く。

俺は瞬いて顔を上げた。


「え…。まずい?うまくね? …あ、マヨネーズの匂いがダメか?」

「じゃなくて。…朝起きて、誰かいて、もう朝飯あるのが」

「あ? …ああ。何だ、そっちか」

「砂糖の方が好き。…ありがと、叶」

「…!」


目を見て感謝されて、思わずどきっとする。

おわわ…。悪いとかサンキュじゃなくて“ありがとう”だよ、珍しい。


「い、いいって…!何だよ急に、改まって」

「別に改まったつもりねーけど」

「ありがとうなんか滅多に言ったことないくせに、よく言うよ。サンキューより威力高いわー。…さて。それじゃあ、食ったら俺はぼちぼち帰りますかねえ」

「何で?」

「いや、何でって…。元々昨日帰るつもりだったし」

「特に予定ないなら、もう少しいれば」


緒倫はそういってくれるけど、ちょっと家でやりたいこともあるんだよな。

…ていうかぶっちゃけ、仕事の練習しておきたいし、台本読み込みしておきたいし。

筧さんが俺のやり方知ってるから、俺のキャラクターのプロフィールや生い立ちとかざっくりした資料を別に作って用意してくれたんだよな。A4裏表くらいのぺら一枚だけど、すごく有難い。

緒倫と合わせができたら良かったんだけど、何分まだ緒倫はやりはじめだ。

昨日の様子からして、ちょっとまだ一緒にって感じは無理そうだし。時間かかるし。


「うーん…。でもまあ、掃除とかしたいし。やっぱ帰るわ」

「あっそ。…じゃあ、送る」


送る…?

意外な緒倫の言葉に、俺は瞬いた。

送るもなにも、ご近所ですが。


「は~? 送るぅ?」

「一人で家にいてもすることねーし。散歩がてら」

「めちゃ近いけど?」

「別にいい」


譲る気はないらしい。

朝の散歩なんて、随分ジジクサイことしたがるんだな。

苦笑して、俺はトーストをもう一切れ皿から取った。


「あっそ。そんじゃ、送ってもらいますかねーえ」

「ああ」


緒倫も頷いて、コーヒーを一口飲んでからまたシュガートーストに手を伸ばした。





「…叶」

「うん?」


俺の家までのたった数分間の帰り道。

途中、緒倫が足を止めて、家がある方向とは少しずれた場所を指差した。


「掃除くらいの用事なら、ちょっと寄り道しねえ?」


緒倫が指を差す先には、高台がある。

この辺は住宅地だけど、高低差が微妙にあるつくりをしているせいで、社はその周りの杜も含めて少し小高い場所に建っている。

…というより、住宅地の中にある階段の、踊り場のようなスペース端っこに社があるのだ。

何の神さまだか知らんが、その小さな社があって、傍には簡単な子供向けの遊具や座っている人を見たことがないベンチなんかがあるのも知っている。

俺の家はこのまま真っ直ぐ行けばいいから、本当に完全な寄り道だ。

また妙な場所を指定したなあ。


「高台か…。そういえば、昔一緒に遊んだことあったよな。最近は全然行ってないけどさ」

「結構眺めいいしな」


俺たちが小学生の頃、よくあの辺りで遊んでいた。

見晴らしもいいし、遊具もあるし、それにあんまり人が来なくて、ちょっとした秘密基地的なノリだった。


「無理?」

「いいや。無理じゃないよ。ちょっとだろ? 行くか、久し振りに」


どことなく心配そうな緒倫に笑いかけ、俺は爪先の方向を変えた。

たらたらと昇り出した階段。

だが、残り数段に差し掛かる頃には子供心が返って、足早に跳ねるように駆け上がった。


「ヘーイ!いっちばーん!」

「いやガキ過ぎだって…」


両手を振り上げて高らかに発する俺に苦笑しながら、緒倫が昇ってくる。

久し振りに訪れる高台スペースは、記憶とちょっと変わっていた。

遊具が減っていて、俺の記憶にある“子供が遊べるエリア”ではなく、完全な大人向け高台になっている気がする。想像していたよりも広く感じた。

もう少し先に行くともうひとつ階段があって、そこを昇ると一本上の住宅道路に当たるが、俺たちはいつもここ止まりだった。

手摺りに歩み寄ると、狭い町がそれなりに一望できる。


「気持ちいいなー。マジで久し振りだな、ここ来るの」

「俺はそうでもないけど」

「え? ……おわっ!」


振り返ると、緒倫が缶ジュースを放り投げてきて、反射的にキャッチする。

肩越しに、敷地端にある自販機が見えた。

…おお。あんな所に自販機ができたか。


「俺は時々来るし。今みたいに、ふらっとね」


言って、ジュースを開ける。

俺もそれに倣って、まさかとは思うが念のため炭酸じゃないことを確認してから蓋を開けた。


「へえ…。知らなかった。そうなのか。ここ気持ちいいよな。お気に入りの場所ってやつ?」

「…て言うか、他に居心地いい場所ねえし」

「んー?」

「思いつかないから来んじゃね?」

「あー。…んー」


ジュースを飲みながら、曖昧に声を出しておく。

断言する緒倫の言葉に、それをフォローする言葉が俺にはなかった。

緒倫には、家族がいない。

俺が緒倫に会った時にはもう、両親は他界していた。

二人揃ってなんて、きっと事故死だったんだろうと思いこんでいた俺は、何気なくその前提で話を進めたことがあって…。


『事故じゃないよ。僕んちのお父さんとお母さんは』

『え?そうなのか? じゃあ、病気? かんせんびょーってやつ?』

『ううん。“心中”なんだってさ』


そう言った緒倫の、何でもないような幼い横顔は今でも覚えてる。

長い付き合いの中で、俺は、緒倫の後見人みたいな人と何度か顔を合わせたことがある。

緒倫の父親の部下だとかいう人で、献身的に、付かず離れずで一人遺された子供を後見人として見守っている。

その人にぽろっと聞いた話じゃ、どうして緒倫の両親が心中なんてしたのか、詳しいことは分かっていないらしい。経済的にも人間的にも、特に問題があったとは思えないというのが、その人の意見だ。

だからなのか、その人はその人で気づけなかったことを酷く悔やんでいて、その悔やみが緒倫をまるで恭しい宝物みたいに、最優先に最大限に手厚くサポートしている。

上場企業の重役さんのはずだ。実際、緒倫の家に来る時はちゃんと運転手がいる車で来るし、秘書っぽい人もセットで来る。

本当に何度か会ったくらいだけど、そんなおっさんが、まるで自分が緒倫の秘書やお手伝いさんくらいの勢いで緒倫を立てるので、ちょっと妙な気分になった。

本当は緒倫の家に通ってもっと様子を見たいらしいが、緒倫の方は有難く思っているが必要以上に来ないで欲しいという感じで、緒倫の家は俺んちよりずっと複雑な感じがする。

両親に何があったのか、俺には分からない。

でも、他に何を言われたわけじゃなかったけど、小柄で可愛かった昔の緒倫の、それでも淡々とした陰のある横顔は、当時から多くを語っていた。


――“どうして、自分は置いていかれたんだろう。”


真面目に語り合ったことなんてないから、勝手な想像で悪いけど…。

緒倫の中のもやもやしているであろう気持ちの中で、最も強いだろうと思われるのは、たぶんそのことなんじゃないだろうか。

緒倫は無口だが、ごく希に、何も言わなくても外から察せるくらい、感情が周囲に溢れている時がある。

いつも一人の方が好きで、たまに他の奴らと話す程度の距離感を好んでいるのに、何故か時々“寂しい”の感情が見える時がある気がする。

勿論、そんなのは俺の気のせいである可能性が十分にあるわけだが。

勝手に想像して緒倫のこと分かった気でいるのは失礼だと分かっちゃいるから、余計にあまり面と向かって色々聞いてはいないんだけど…。


「…学校は? クラスの奴らとは仲良さそうだったじゃん」


何でもない風を装って、俺は聞いた。

緒倫が苦笑する。


「学校って、“出かける場所”じゃん。感覚的にソトだろ。“戻る場所”じゃなくね?」

「まあ、確かに…」

「“あー。今日家に帰りたくねえなー”って時は、ここ来んの。未だに」

「ほーん…。知らんかったわー」


目の前の手摺りの向こうには、のほほんとした休日の住宅地が広がっている。

一つ一つの家は勿論色々あるのだろうが、ここから見る景色としては、“家族”とか“集団”とかの中にある悪いものは見えないし、かといって善いものを押しつけてもいない。

何を考えることもなく、ぼーっとできる景色だ。

街並みを見下ろしている俺の横で、緒倫が逆にくるりと反転して背後の公園を一瞥する。


「ここから、誰もいないその辺見てると…。なんか、ちまっこい頃の俺と叶が遊んでんの、見える気がする」

「…へえ」


呟いて、沈黙した。

間をおいて、ちらりと緒倫を盗み見る。

微妙な距離で、緒倫は手摺りに両肘を乗せて、同じように景色を見ていた。

…あれかな。時々人に甘えたくなるとか、そーゆー感じだろうか。

今まで言わなかったことを俺に話してくれたのは、何かのサインだろう。秘密を一つ打ち明けてくれて、素直に嬉しい。


「ちょいセンチメンタルやねー。何だ何だぁ、緒倫。寂しくなったか?ん?」


少し冗談めいて、つつつ…と開いていた距離を縮め、ぴっとりとくっつくように真横に寄ると片肘で相手の肘を突っつく。

景色を見ていた緒倫が隣に来た俺を見て、珍しく小さく吹き出した。


「…ねえ、叶。お前、彼女とかマジでいないの?」

「は? 何だよ、突然。センチメンタルどこ行った」

「候補も無し?好きな奴もいねえの? 保険とかセフレは?」

「ふ…。寂しい乾いた男子校だからな。知ってる女子とか、特にいないし。そもそもコイゴコロ的なのが高校入ってからないなあ。…って、分かってて言わせてるだろ、お前」

「うん」

「うんじゃねーよ!…あぁ、でも彼女かぁ。彼女ほしーわー。可愛い彼女がいたらいいよな。あとセフレとか。彼女いたら浮気しねーけどさ、セフレならセフレでもいいかもしんない、俺。二,三人いたら夢過ぎる」


もみくちゃにされてみたい。どういう状況がもみくちゃなのかいまいち具体的にはイメージできないけど。

…しかし、突然の恋バナか。

彼女とかいれば寂しくないとか、そういう話だろう。

確かに、緒倫には恋人が必要な気がする。

その気になればきっとすぐ美人を捕まえられると思うけど……“イケメン”“金持ち”って餌で引っかかる女子じゃ、たぶん緒倫の求めるものは持ってないんだろうな。

そう考えると難しい気がしてきた。

どういう子が似合うんだろうな…。

ひとまず、俺らが絵本好きでも引かない女子じゃないと無理だな。

包容力があって緒倫のワガママに付き合ってくれそうな……それだと、年上か。そうだな、年下合わねー気がする。

…好きなタイプくらいあるのかな?


「聞き返してやるが、お前はどうなんだよ」

「俺も、寂しい乾いた男子校だからな」

「だよなあ…。…はあ。潤いないな、お互い」

「ところで、話変わるけどさ」

「うん?」


すぱっと恋バナからすっ飛んで、次は仕事の話になった。


「叶って、仕事でホモ話やってるだろ。今回もそうだし」

「ああ…。はいはい。BLな。うん、やってるよ」

「叶自身は、男って守備範囲内?」

「へ?」


予想外の質問に、俺は変な声で聞き返してしまった。


「何ソレ。男と付き合えるかって話か?」

「そう」

「うーん…。バイなつもりはねえから考えたことないけど…。友達にはいるからな。偏見はないつもりかな…」

「へえ…。マジで?」

「うん。でも、別に特別変な感じじゃないぞ。普通だし。外から見てるとちょっと普通に仲いいダチって感じで。本人同士がいいんなら、いいんじゃね? そりゃ、普通の男女より壁はちょっと多いかもしんねーけど。…そうだなあ。絶っっっ対、無理!ってことはないと思うけど、実際そうなってみないと分かんねーな。…けど、まずそれ野郎を好きになんねーとダメじゃん。普通にしてりゃ機会ないだろ」

「ふーん…」

「あ、でもさ、そういう奴的には男子校はおいしーよな。俺がもし男もいけるなら……そーだなぁ。誰と付き合うかな~。少なくとも、俺より身長低くて可愛い奴がい……?」


興味が無さそうな相槌を打って、緒倫が手摺りから腕を離す。

それから、飲みかけの缶ジュースをすとんと足下に置いた。

何だ…?とそれを見送っていると、俺の片腕をぐいと引っ張った。

寄りかかっていた手摺りから、身体が浮く。


「…へ?」

「こっち向いて」


手摺り側に向いていた身体が、掴まれた腕にひっぱられて一歩横にずれる。緒倫の方へ。

瞬いて顔を上げると、緒倫が真面目な顔をして、行く手を塞ぐように近距離で、少し背を屈め、顔を近づけた。

ただならぬ空気に、身が固まる。


「…あのさ、冗談とかじゃないから、真面目に聞いて欲しいんだけど」

「な、なんだよ…?」

「俺、叶が好きなんだと思う。付き合ってる奴いないなら、俺と付き合って」

「……」

「……」

「は…、はあっ!?」


あまりの予想斜め上な言葉に、素っ頓狂な声が口から溢れた。

手に持った缶ジュースを強く握る。


「な、何言って…。……へ?何? どうした緒倫、急に…」

「告白ってやつ」

「いやだから…!……え、マジで? マジで言ってんの!?」

「そう」


こくりと頷く緒倫の調子はいつも通り過ぎて、とても真剣味を帯びているとは思えない。

…いやいやいや。

何言ってんの、こいつ…。

俺は呆れて苦笑した。


「おいおい…。冗談だろ?」

「だからマジだって」

「ははは。おー。サンキュー。俺も緒倫のこと愛してるぜー。んじゃーさ、マジでいっそ付き合――おわっ!」


いつも正行がしてる見たいに投げキスしてやろうと片手の指を口に添えかけたが、その手首をがしっと捕まれた。

思わぬ強い抑制に、びくっと身が強張る。

きょとんと緒倫を見上げると、カケラも笑ってないマジ顔があってぞっとする。


「…今そういうのやったら、本気にするからな」

「………え」


勢いよく捕まれた手首から、そっと手が離れて行く。

…何だか頭がぼーっとして、他人のことのように自由になってぶら下がった自分の手首を見送った。


「俺と付き合って。叶がいい。叶といると、どれだけいてもいたりないし。時間、速攻で進むし」

「……」

「今日だって帰すの、すげー嫌だから足止め中」

「帰すって…。い、いや…でも…。それはほら、寂しいからだろ。家に一人って寂しいから…。…いやっ、ほら!俺も時々あるから、そういうのよく分か――」

「友達感覚なら、キスしたいとか、他の奴と仲良くしてんのすげー腹立つとか、俺以外マジで邪魔だから消えればいいとか、あんま無いだろ」

「……………」

「フリーズしてる暇無いから」


硬直してる俺の頬に、緒倫が一本指を立ててぶすっと突き刺す。

苦く笑ってから、手摺りの向こうの景色へ視線を投げた。


「…小さい頃から、家は俺にとって“家”じゃなかった。誰もいねーし。俺の“家”は、毎月第二第四土曜日の図書館。絵本があって、同じ年頃の子供がいて、カーペットに寝っ転がれて、いい意味でざわざわしてて、ぬいぐるみとかぶんなげて遊んで、すぐぶっ壊れそうな手作りのオモチャ作って、本を読んでくれるおばさんがいて、それを手伝ってる叶がいた」

「……」

「お話し会終わると、いつも一人で来てた俺と遊んでくれてたじゃん。叶といると楽しいし、あったかいっつーか…。俺が、おっかけて同じ高校来ても同じ委員会入っても、当然って顔で迎えてくれるから違和感もねえし。俺、すげーいいダチに恵まれたと思った。叶が家族で兄貴だったらいいのにと思ってた」

「……。えー…あー…うん。えっと……。じゃ、じゃあ、それでいいんじゃ……」


唇から出る声は、怖ろしい程小さく霞んでいた。

さっきまでは冗談にして笑えてたのに、頭の中が痺れて動かない。

じわじわと、緒倫の本気が伝わってきて、足が竦む。

俺の逃げ腰を、緒倫が鼻で笑った。

それから、目付きを変えて俺を直視する。


「駄目。…てか、無理」

「な、何で…?」

「あの声優のおっさんが、叶に馴れ馴れしいから」

「おっさんって…。ま、正行…か?」


正行…。

確か、この間も正行だった。何であいつなんだ?

同じバイト仲間ってだけのあいつが、どうして緒倫にはそんなに引っかかるのか、いまいち俺は分からない。

でも、あいつに対しての態度が、ちょっと冷たい態度だなとは思っていたのも確かだ。

それは、緒倫の元々の性格かと思っていたけど――。


「あいつ、俺が知らない叶のことばっかり知ってるだろ。すげー悔しくて、苛々した。本当は声優なんて根暗なバイト、あんまり興味ないけど、叶がやってるからやる。あいつとの接点がそこだっていうなら、俺が割り込む。ヘタっていうなら、練習する。…俺だって、あいつと同じ側面の叶を知ってないと、気が済まない」

「……」


ぱくぱくと口を開閉する…が、言葉にならなかった。

…。

…あ、あれ?

目の前のこいつは誰だ?

俺の知っている緒倫とは、随分印象が違う気がする。

軽く怯えが入っている俺を見て、緒倫が張り詰めていた空気を少し和らげた。


「…とかね。こんな風に思うのって、友情じゃなくね?」

「……」

「俺、あんまり他人と長時間いるの好きじゃねーんだけど、叶は平気だし。昨日一日一緒にいてもストレスないし、くっついて寝てたのも隙見てそうしたからだから」

「え…!あ、あれ、わざとなのか…!? 寝惚けてたのかと…」

「当然だろ。どんだけ寝相悪ぃんだよ。他の部屋は埃っぽくて無理だけど、普通なら床かリビングで寝るだろ」

「う…」

「それに俺、たぶん叶で勃つし」

「たあっ…!?」

「叶のキスのとこ、ぞわぞわして堪んなかった。…考えたら、CD聞かされた時からお前のこと意識してたのかも。最初は死ぬほどびっくりしただけだったけど、後で落ち着いて考えたとこで、これ相手役で一緒に録ってる奴とか事務所とか、叶に何させてんだよ許せねえとか思ったのも、そっからだし。こんな短時間で、今まで気にならなかったことが急に苛々し始めた」

「……」

「最初は普通に手伝いのつもりだったけど、あれ聞かされた後は、何か、叶がバイトで何してんのか知ってねえと無理っつーか危ない気がしたっつーか……けど、お前ホント普通に、仕事外でも時間使ってガチでやってるっぽいし、叶の邪魔はできなくなったっつーか。そうなると、相手役が腹立つっつーか…。あの時のCDだけ一足先に買ったけど、今だと聞くとグッとくるし、本当なら、あれ、リアルで聞きたいし」

「ほへ…!?」


熱烈な言葉に、びくっと肩が震える。


「え、えっと…。えっと……」


…なんか……怖ぇ。

俺の知っている緒倫じゃない…。

無意識に一歩後退した俺に気付いて、緒倫がまた俺の手首を取った。


「ひ、ひええっ…!?」

「逃げんな」

「に、逃げてねえよ!!」


情けなく大袈裟に反応した俺に、緒倫がゆっくり声をかける。


「ぁ…。え、えっとー…。俺、は……その」

「駄目でもいい。でも、チャンスくらい欲しい。叶が今好きな奴もいなくてフリーなら、別にいいだろ。俺に彼氏気取らせて」

「…って、俺が受けかよ!?」

「“うけ”って何?」

「女役!」


いや、体格差からしてそうなるんだろうけど…!


「ああ…。俺、女役とか嫌だ。男だし」

「俺だって嫌だわ!!」

「仕事で女役やってんのに? …まあ、いいじゃん。一応、俺が彼氏で試させて。それでも俺に落ちてこなかったら、諦めるから」

「さ、最初から諦めろよ…!」

「最初から諦める奴とか、馬鹿じゃん」

「お前、結構何でもかんでもスルーしてやらないタイプだろ!今更何言ってんだよ!!」

「興味無いのと、あるけど諦めるのは違うだろ。…何、叶そーゆー馬鹿が好きなの? 不幸になるから止めろよ、ヘタレ好きになんの。そんなの、男でも女でも駄目じゃね? タレた女に引っかかるくらいなら、俺のが絶対マシだから」

「何、お前その自信…。…つーか、い…いや…。いやお前、ホント何言って……」

「叶が誰かを好きならともかく、その辺の奴らが一方的に叶を好きなら、俺マジで妨害するから。権利あるだろ。俺はお前が好きなんだから」

「……」

「俺、叶が好きだ。一番傍にいたい」

「…………」


…ぁ、あたまがぐるぐるしてくる。

身体中の血液が、一気に顔に集まってきたみたいだ。


「あ、う……」


目が回る。

ああぁ、緒倫馬鹿だ。何言ってんだよ急に。馬鹿すぎだろう。

いや…、いやでも、俺これ今告白されてんだよな…。

されてるんだから、受けるか拒否るかしないといけないわけで…。

でも、でもっ……んああっ、わけわっかんねええぇええ…!

急に言われても困る!

困るよ…!!


「――!」


パンッ…!と音がした。

しどろもどろになった俺は、気付いたら緒倫の腕を払っていた。


「かな――…」

「きゅ、急にそんなこと言われても……困るッ!!」

「…! っておい!!叶!」


声を振り絞って叫び、背中から飛んでくる声を振り切って、俺はその場を駆けて逃げた。

全力で逃げた。






あれから数日――。

新しい週に入って、放送委員の仕事は別の班に移った。

元々、遊ぶ約束でもしない限り、日常生活で委員会以外で緒倫に会うことは殆ど無い。

告られた次の日から気が気でない。とにかく緒倫を避けまくって、登下校の時間は地獄だ。家に走り帰ると帰ってほっと息を吐く毎日。

…でも、このまま逃げてるわけにはいかない。そんなの俺だって分かってる。

第一、逃げられやしないのだ。

何故なら…。


「……」


事務所の前で足を止める。

…そう。何故なら、同じ作品に出演するからだ。

当然だ。

いつまでも逃げられるわけもないのは元より、録りの日にちとか、あんまり時間は取らない。

有名所の人ならバラバラでタイムテーブル組むのかもしれないけど、ウチの事務所は大体、初めの頃に事務所内でメンバー集めて同じ部屋で打ち合わせや読み合わせをしたりしている。

先方に出す前に、デキの底地を上げて、事務所内でまとまっておくのだ。

普通は先方を交えてのミーティングとかだけでここまでしないのだが、ウチはなんというか、一作品一作品を大切にしている。良く言えば博打や無理をしない、悪く言えば請け負いで稼ごうというハングリー精神が低い。

スタジオ持っているのに声優が少ないとか、元々スタジオレンタルでの収益があるから声優業はサイドビジネスというか、まだ出足だし、第一プロデューサー始め「潰れる原因は人も会社も実力以上の無理をするから。上げろ実力!見極めろ、現状可能な最大出力!」が社訓だし、小さな成金事務所だからできることなのだろう。

だから、俺たちも全くあっぷあっぷしてない。ちょっと大きな仕事が入ってきたら、その仕事に最適のスタッフで、その都度ばらばらのチームを作る。

フットワークの軽さと目の前の仕事に対しての会社代表!みたいな意識はウチの売りだと思う。

だから、音響班の重鎮だろうが声優班の新人だろうが、社内打ち合わせなんて普通にある。特に新しい仕事が入り込んできた時はたくさんある。

…この数日、俺は緒倫から逃げまくってきた。

例の告白の翌日、月曜日。学校に行こうと思ったら登校途中で、あいつ待ち伏せしてやがった。

差し掛かる前に気付けてよかった。その日から俺は登下校のルートを変えた。

さすがに教室までは追って来なかったが、それでも何となく怖くて、休み時間とかもあんまり廊下に出ないように、一週間休まず弁当作ってきたし…。

平日のバイトは、お互い呼び出された時間であって結構不規則だから、今の所一緒ではなかった。

…けど、それも今日まで。

今日は、絶対緒倫とも顔を合わせる。

……。

…ああ。泣けてくる。

行きたくないよう…。


「ぅ…――わっ!!」

「……ッ!!?」


急に肩の所で大声出されて、俺は文字通り跳び上がった。

跳び上がって、ば…!と勢いよく身を引きながら振り返ると、正行が驚いた顔して俺のことを見ていた。


「何だよカナミーン。お前驚き過ぎじゃね?」

「お、お、お前ぇええええ…!!」


顔寄せられた方の耳を押さえながら、真っ赤になって正行を睨む。

人がすっげえ繊細な気分でいるってのに…!


「マジで止めろよ!俺、今ホントに驚いただろ!!」

「ははは、悪い悪い。…でもさあ、こんなとこ突っ立ってんだもん。事務所見上げちゃってるしぃー」

「う…」

「入らねーの?」

「…入るよ!」


正行に背中を押されるようにして、俺は事務所のドアをくぐった。





スタッフのロッカールームで置きっ放しの私服に上だけ着替え、顔マッサージやら柔軟やら、いつもの事前運動と発声を正行とする。

けど、その間もドアが開いてスタッフが出入りする度、緒倫じゃないかとびくりびくりと一々そっちを振り返ってしまうという挙動不審っぷりだ。


「頭んとこのシナリオ読み込んできただろ? どうよ、なぎさチャン。後で茶でもしばきながらお前の連れてきたなぎさチャンイメージの共有しときたいんだけど。架空履歴書作ってんでしょ、どうせ。見せてー」

「あ?…ああ、まあ。今回は筧さんがくれたし……て、ん?」

「お前中心の、サプソンズのBLものだろ? 俺もお零れもらったぜ!」


シャキーン!…と、どこからかの効果音を期待しそうなハンドポーズ取って、正行がウインクする。

初耳だ。予想外の吉報に、ふわっと少しだけ心が軽くなる。


「え…。マジで?」

「Pちゃんさんに話もらった。結局、もう一人ウチで固めるかみたいな話になって、俺も相手の一人な。宜しくハニー。また頑張ろうぜ」

「あ…。そーなんだ…。誰役?」

「司書のおっとりヤクザにーちゃん」

「ああ…。うん、そうか…」


正行の参加に、俺はほっと胸を撫で下ろした。

…あ、なんか。ちょっと嬉しい…。

普通に嬉しいいつもの感じプラス、今回は私的事情が私的事情だ。

今日はてっきり、緒倫と二人で声合わせになるかと思った。マジでよかった…。

…ああ。何か、肩の力が抜けた。


「新人君、お前のダチなんだってな。期待大だね~。この間あんま喋れなかったけど、後で紹介して。…つか、あいつ超顔良くね? 身長高ぇよな。野生イケメン腹立つー」

「…あー。…うん」

「カナミンてば、ますますお姫様ポジションじゃーん。ウチ所属の男、結構みんな背ぇ高ぇもんな。カナミンだけちみっちぇーの。ははは!」

「……」


正行がいつもの調子で明るく話を振ってくるけど、どうしても俺はそれに乗れなかった。

緒倫と二人で顔を合わせるって意気込んで来たからかもしれない。

正行が参加すると聞いて、一気に体から力が抜けて、ここに来るまでに“意地でも表面上は普通に振る舞ってやる!”という意気込みが、どっかへ抜け落ちてしまったらしい。

…本気で、俺、緒倫と顔合わせるの嫌だな。

そんで、こんな風に逃げ回っている自分が、一番嫌だ。

分かっているけど、でも逃げたい。

だって、どういう顔していいか分からないし、どう応えていいかも分からない…。


「カナミン…?」

「……」

「…。どした?」


一人悄気ている俺の様子に気付いて、正行の声が少しマジになる。


「元気ねえじゃん。何か愚痴とか悩みとかあるなら、帰りに飯でも食い行くか? …つか、たこ焼き。たこ焼き行こうぜ、たこ焼き。ほら、店みっけたっつったじゃんたこ焼き」

「ああ…。うん。そうだな」

「カナミン元気無いと困るんだけどー? ミーテっつったって、お前ストレートに声に出るじゃん。ほぼ地声だからカバー力弱いし」

「……。…あ、あのさ、正行」


わざとおちゃらけてくれている正行に、意を決して協力を求めてみる。


「あの、あのさ…。頼みが、あるんだけどさ…」

「うん?」

「俺…。実は、ちょっと緒倫と喧嘩中でさ…。顔、合わせづらいんだよな…。出来る限りでいいからさ、今日、俺の傍にいてくんね? 俺が一人にならなきゃ、あいつ、突っ込んで来ないと思うんだよな…」

「はあ?喧嘩中だあ~? …うわあ。それで落ち込んでんのなー、お前」


俺の弱々しい発言に、正行は呆れた。

正行に嘘を吐くのは、正直滅入る。

…でも、これくらいなら、いいよな。似たようなもんだろう。

話したくないのは事実だし、俺が一人にならなきゃ緒倫の奴が突っ込んでこないだろうというのも正しいと思う。


「なーる。そんでそのテンションなワケねぇ…。この間、あんなに仲良さそうだったのに、何があったのやら」

「うん…。ちょっと…」

「バチバチ中なん? 仲直りしそうな空気はないわけ?」

「あいつは、あいつの中で答えが出てるみたいだけど…。俺がもうちょっと考えたいっつーか…」


何とか言葉にして現状を伝えると、正行は意外そうな顔で俺を見た。


「な、何だよ…?」

「ああ…。悪い。…いやね、お前が拒否ってんかーと思って。ちょっと珍しいじゃん。基本的にお前、折れてやる奴だし許す奴じゃん」

「…今回は、ちょっと」

「ふーん…」


正行は多くを質問せず、後ろ頭を掻いた。


「そんじゃまあ、愛しのカナミンの為だ。気は使ってやるか。とにかく今は、お前は相手と話したくないのな?」

「そう…」

「あっちはどうなん?」

「…たぶん、俺とイチイチで話す機会を狙ってんだと思う」

「いやーん。修羅場ぁー」

「あと、帰りもたこ焼き連れてって。…俺、あいつと帰りたくないし」

「あらら…。天海君かーわいそ。…でもお前、どんだけ辛くても、天海君の仲介で紹介だけはしろよ。それやんないと異常過ぎて、他の人にも迷惑かけるだろ?」

「…うん」


それは、確かにそうだ。正行の言うとおりだ。

顔を合わせるのが確実である以上、せめて他の人に迷惑かけない程度に普通にしてないと。


「早く仲直りしとけよ?」


ぽん…!と俺の頭を軽く叩いて、正行は荷物を置いて上着を脱いだ。

こいつから離れたくないので、俺も慌ててそれに倣い、部屋入りの用意を始めた。






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