↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
揺蕩う水底 〜山村伽倻子の日常。1〜  作者: 四方末いそじ
揺蕩う水底

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/3

浮かぶ瀬


「村ちゃんはさ、何でもかんでも引き受け過ぎなんだよ」

 ため息を溢した伊藤さんは、散髪したばかりであろう白髪混じりの前髪を、後方へと撫で上げている。

 ロマンスグレーが絞り出す渋い呆れ声の裏には、隠してるつもりの苛立ちが、癖と共にしっかり滲み出してしまっている。


 昨日、あれから各所に頼み込んで、今日の開店時間前に配送を捩じ込んだ。

 その配送から帰ってきた私に、伊藤さんは朝の挨拶もそっちのけで素直な感想を口にした。

 

 ただ、言いたい気持ちは理解できる。

 そして、大変耳が痛い。反論の余地は猫の額(ひたい)だ。


 けれど、今の私にその言葉を言って良いかは別の話だとも思う。


「何か、ほんとにすみません……」

 本当に返したい言葉は、腹の底にグッと飲み込んだ。

 ここで喧嘩を始めても、事態の悪化を招く以外の役に立たない。


 昨日起こったドミノ倒しの続きが、当たり前のように伊藤さんを巻き込んでいる。

 溜まった洗濯物と、タライに溢れている惨劇の残骸。そして、待っても来ない内勤担当者。

 何も知らずに出勤してきた伊藤さんは、訳も分からぬまま、朝の発注対応に追われていたようである。


 ──社長。あんた、伊藤さんへの連絡忘れてたな?


 連絡を任せた私がバカだったとも思ったが、私がそこまでする義理も道理もない。

 けれど、そんな葛藤など今は無意味で、只々『すこぶる空気が最悪』と言う事実だけが横たわる。


 目の前には、3人でこなすはずだった作業がてんこ盛り。

 昨日の夕方から降り続いてる雨のせいで、予想外の雨漏れ。

 そして、誰かが数日前に仕掛けたトラップが見事に発動。

 しかも、本当にひと言ってやりたい人たちは、今日ここに誰一人いないのだから尚更だ。


 こう言う時は往々にして、悪い方に転がっていく。

 それは私が散々読んできた、物語のセオリーなのだけれども。

 あぁ、神様。失礼を承知であえて言おう。

 ──『貴様、時と場合を考えろ』


 今日だけは、神様の暇つぶしなんかに付き合いたくなかった。

 そうじゃなくとも昨日の夕方から、私の心は低空飛行のままなのだから。


 けれど、そんな事を思っている端から、着信音が私を嘲笑う。

 画面には、嫌な予感しか連れて来ない人物の名前。

 ──ブルータス、お前もか……

 そんな言葉を脳裏に過らせながら、私は渋々と通話ボタンをタッチした。

 

『村ちゃん、今日休みだっけ?』

 もはや、お約束の芸当だ。

 分かっていても、『とりあえず電話してみる』の精神を遺憾なく発揮したのは、取引先の専務。

 取引先に握られてしまった個人電話番号が、こうやって良い仕事をしてくれる。


「生憎、今日は出勤してますよ。どうかしましたか?」

 私の答えに『良かった』と、屈託なく笑う彼は確信犯だ。

 そんな彼の反応とは真逆に、私の顔は苦虫を噛み潰したようになっていく。


 彼にとっては、私が休みでも、出勤でも関係ない。私を捕まえる事が大切なのだ。

 ただ、聞く前におおよそ予想はついている。

 内容は分からないが、面倒臭い事になるって事だけは。


 大体。

 社長経由でない。事務所の電話宛てでもない。

 しかも、個人商店に毛の生えた程度の会社とは言え、専務直々のご指名だ。

 こんなもの、役満以外の何者でもないのだから。


『清水が発注やらかしちゃっててさ。お客さん入ってんのに、夜間分の在庫がすっからかんなのよ』

 向こうさんも、後には引けない状態らしい。

 そして、私自身も反対の立場の時には、専務を切り札として扱っている節がある。

 持ちつ持たれつ。……尤も、ここまで非道ではないのだけれど。


 ──清水、許すまじ。

 とりあえず、専務は厄介事を運んできたが、犯人は清水くんだ。

 そして、被害を被るのは、何も悪くないお客様。

 同じ客商売をしている身としては、拒否する選択肢を選べない。


「時間、遅くなっても良いですか? 営業時間内の配送は難しくって。しかも、今日は内勤さんも居ないから、配送終わって作業してからの配送になりそうで……」

 私は、必死に脳内のスケジュール表をめくっていく。

 けれども、既に昼休憩を取る時間もないスケージュールは、どう足掻いたって絶望だ。

 私の電話を怪訝な顔で聞いている伊藤さんには、これ以上のお願いなんてできやしない。


『さすがは、村ちゃん! 本当、神様・仏様・村山様々だ。これでお客様に迷惑掛けないで済むよ!』

 専務は大袈裟に嘯いているけど、半分は本心からの言葉だとは思う。

 私が反対の立場なら、きっと同じ反応になったはずだから。


『21時までは、会場の作業員通路の鍵開いてるから。それ以降は、22時まで高木が居るから、電話して裏口から入れるように手配しておく』

 専務の気遣いにもならない気遣いに、「そこまで遅くなりませんよ」とは返せなかった。

 開始早々の暗雲だもの。自分の首を、これ以上自分で絞めたくはない。


「とりあえず、早急に注文書のファックスお願いします」

 専務の了承と感謝の言葉で電話は終わり、話もどうにか段取りがついた。


 けれど、伊藤さんの顔も直視したくない。

 忠告された端から、しかも言った本人の目の前で、仕事を背負い込んだ私だもの。

 隣から何度も聞こえるため息で、既に胃が痛くなってくる。

 今の私にできる事など、目を合わせないようにして、誤魔化し笑いをするのが精一杯である。


 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ──


 お肌の曲がり角を曲がったあたりから、そう思ってやってきた。

 けれども、世間と現実は、私の浅慮を嘲笑する。

 いつの間にか、思いもよらない流れに乗せられて、翻弄されて、浮上する事なく沈んでいる。

 身の捨て方が足りなかった自業自得か、救命胴衣の用意もせずに飛び込んだ私がバカなのか。


 今日の夕飯も、スーパーの惣菜に決定。

 ただし、アルコールはやめておこう。

 明日、万が一でも朝寝坊してしまったら、二度と立ち直れない自信がある。


 まぁその前に。

 スーパーが開いている時間に帰れるか。そこが甚だ疑問ではあるのだけれど。


 何にせよ。

 私の人生は、喜劇にしかならないようだ。

 逆再生のゼウスエクスマキナなんぞ、私はちっとも楽しくないのだが。

 

 私は諦めたように、小さくため息を吐く。

 そして昨日濡らした洗濯物を、恨みと一緒に洗濯機へと放り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。