第十章:電脳の神もろとも大決壊、液晶と生身の因果応報
一、 闇夜のキーボード
東京・神楽坂の裏路地。便利屋『嶋屋』の仕事部屋は、いつもと違う緊迫感に包まれていた。 カタカタカタ、と不器用ながらも激しいキーボードの打鍵音が、深夜の室内に響いている。
「――そこ、違うよ慎二! 構文の末尾にバックドアのパッチを噛ませなきゃ、神楽坂のメインサーバーを叩いた瞬間に検知が飛ぶ!」 「くそっ、これか……!?」
ノートPCの画面を見つめる藤堂慎二の目は、血走っていた。その隣で、いつもの小銭を数えるがめつさを完全に消し去った加代が、凄まじい速度でセカンダリの端末を叩いている。
慎二は、数ヶ月前までただの冴えない就活生だった。神楽坂怜の運営する「AI全権委任塾」に嵌められ、人生をジャッジされ、憧れだった詩織先輩の精神と未来を完全に破壊された男。かつての彼は液晶画面の向こうのマウント合戦に怯え、ただ泣き寝入りすることしかできなかった。 だが、今の彼は違う。加代から電脳ハックのイロハを叩き込まれ、復讐のデジタル武器を自らの手で練り上げていた。
「明日、神楽坂は千人規模のホールで『人生の全権委任』を謳うカンファレンスを開く。自分の心拍数から、ステージの演出、裏の脅迫データまで、すべて自作のパーソナルAIに管理させてね」 加代が冷酷な笑みを浮かべる。 「あいつは生身の人間を『ノイズまみれのゴミ』と笑った。なら、あいつが神と崇めるAIサーバーの背後に、最高の『大決壊バグ』を仕込んでやろうじゃないの」
慎二は、詩織が残した最後のログをベースに、神楽坂のスマートウォッチと巨大ホログラムUIを直結する不正プログラムを組み込んだ。 「神楽坂……お前が信じる完璧な世界ごと、泥の中に叩き落としてやる」 慎二の指が、怒りとともにエンターキーを静かに押し込んだ。
二、 臨界のカウントダウン
カンファレンス開始二時間前。会場のVIP楽屋。 「スマート、実につまらん言葉だ」
神楽坂怜は、姿見の前で純白の高級インポートスーツの襟を整えながら、鼻で笑った。彼の腕にあるスマートウォッチには、自作の『就活最適化AI』から『バイタル:完璧(ストレス0%)』という青白い通知が浮いている。 「人間は感情という不純物でバグを起こす。だからこそ、クソ真面目なだけの底辺学生は、私のような選ばれた人間にデータを差し出し、家畜として搾取されればいいのだ」
そこへ、「ケータリング失礼します」と、冴えない中年男がワゴンを押して入ってきた。変装した何でも屋の半兵衛である。 「本日特注の、オーガニック・高濃度水素サプリ飲料でございます」 「置いておけ」
神楽坂は疑いもせず、その純白の液体を美味そうに喉へと流し込んだ。 神楽坂が知らないはずを。その飲料には、半兵衛の手によって、通常の科学捜査では絶対に検出できないほど高純度に精製された「超濃縮バラムツの脂」と、過敏性下剤が極限まで調合されていることを。人間の消化器官では絶対に分解できない、凶悪な「泥水の濁流」が、いま彼の胃袋へと注がれた。
「――では、ステージへ移動を」 黒服の警備員に変装した念仏の鉄が、楽屋のドアを開けて待っていた。 神楽坂が傲慢な足取りで鉄の横をすれ違う、その刹那。
(ドン)
「おっと、失礼」 鉄がわざとらしく肩をぶつけた。 「チッ、不器用な底辺め。触るな」 神楽坂は不快そうにスーツを払って歩き去る。
だが、すれ違いざま、鉄の鋼鉄のごとき指先が、神楽坂の腰椎――排泄神経を司る秘孔を、無痛の速度で正確にズドンと貫いていた。 生体ロック完了。 神楽坂の体内では、バラムツの脂がギガクラスの津波となって腸壁を滑り落ち、臨界点に達している。しかし、鉄の秘孔によって脳への神経伝達が完全にフリーズしたため、神楽坂自身は「凄まじい便意」を1ビットも感知できない。スマートウォッチもまた、麻痺した自律神経を『極めて正常』と誤認し、電脳の神(AI)へクリーンな偽情報を送り続けていた。
三、 液晶と生身の大決壊
「さあ、愚かなる人間に告ぐ! 感情を捨て、AIという無謬の神に人生を委任せよ!」
カンファレンスホールのステージ上。まばゆいスポットライトを浴び、神楽坂が両手を広げて絶叫する。会場を埋め尽くした千人の信者から地鳴りのような拍手が湧き、オンライン配信の視聴者数は数万人に膨れ上がっていた。 彼の背後には、数メートルに及ぶ巨大な液晶プロジェクターとホログラムUIが浮遊し、青白く神々しい光を放っている。画面には、神楽坂の完璧なバイタルデータが『健康度:100% / クリーン度:100%』とスマートに表示されていた。
「人間はノイズだ。ゴミだ。汚物だ! 私のようにクリーンに生きるのだ!」 ドヤ顔で熱弁を振るう神楽坂。講演開始から四十分。鉄の秘孔のタイマーが、ついに限界を迎えようとしていた。
ステージの袖、暗がりのコントロールブース。 現役の警察官でありながら、警察帽を深くかぶり、冷徹な昼行灯の目で神楽坂を見つめる男がいた。中村主水である。 その背後には、ノートPCを構えて待機する加代と、藤堂慎二が息を呑んで控えている。
「お前さんたち、タイミングはいいかい」 主水がボソリと呟く。 「いつでもいけるよ、主水。あいつのサーバーの根幹は、アタシと慎二で完全に握った」 加代の目がギロリと光る。 「……お願いします、主水さん」 慎二の指が、エンターキーの上で微かに震えていた。それは恐怖ではなく、圧倒的な怒りの震えだ。
「よし――データじゃ測れねえ人間の尊厳ってやつを、その身に刻んでやりな」
主水は「舞台音響の緊急点検スタッフ」の腕章をつけ、音もなくステージへと歩み出た。機材の影、カメラと観客の死角。完璧に計算された死角から、主水は神楽坂の背後へと肉薄する。
神楽坂が「生まれ変わる瞬間は、今だ!」と絶頂の叫びを上げたその瞬間、主水はすれ違いざま、神楽坂の下腹部(S状結腸の直上)へ、服の上からは絶対に痕跡の残らない、プロの暗殺掌底(浸透勁)を深々と撃ち込んだ。
(ズドン――!)
「が、はっ……!?」 神楽坂の息が止まり、膝がガクリと折れる。 主水の掌底による強烈な衝撃波が、神楽坂の体内で、鉄の秘孔を『強制完全解除』した。
フリーズしていた神経回路が一瞬で爆発する。数日分の暴虐的な、この世の終わりかと思われるほどの爆発的な便意が、数万粒の細胞の拒絶を置き去りにして、神楽坂の脳を直撃した。 「ひっ……あ、熱、い……!? え?」
脳が事態を認識した時には、すべてが手遅れだった。 次の瞬間、カタルシスの幕が上がる。
「慎二、今だよ! 仕掛けな!!」 加代の鋭い悲鳴。 「神楽坂……お前のAIごと、泥の中に落ちろおおお!!」 慎二が怒号とともに、エンターキーを強く、激しく叩き込んだ。
(グ、パァン!!!)
【生身の決壊】 神楽坂の純白の高級インポートスーツの股門から、凄まじい内圧を伴ったオレンジ色の脂と、ドス黒い汚物が、ドババババッ!!!と大噴出を始めた。 「あ、が、あばっ!? 汚っ、何だこれ、止まら――ッ!?」 腹に力が入るたびに、凄まじい噴射音とともに純白のズボンがドス黒い茶褐色へと染まり、ステージの美しい床へ汚泥がぶちまけられていく。
【液晶の決壊】 それと完全に同期して、慎二と加代の「大決壊プログラム」が発動した。 神楽坂のスマートウォッチが検知した『腸圧3000%オーバー』のバイタル大暴走が、巨大AIホログラムへリアルタイムで送信される。安全弁の壊れたAIはバグを起こし、青白く神々しかったホログラム画面が一瞬でドス黒い「茶褐色(クソまみれ色)」に変色した。
液晶のシステムUIから、まるで下水管が破裂したかのように、デジタルエフェクトの汚泥と茶色いノイズ、そして「リアル脱糞バグ検知」「排泄物の全権委任を処理できません」という巨大なエラー文字が、大量にドボドボと溢れ出る視覚演出が炸裂する。
さらに画面には、慎二たちがサーバーから引き抜いた、神楽坂が受講生を恐喝していたチャットログ、そして「受講生は金を出す家畜、自殺しようが知ったことか」と嘲笑う神楽坂自身の本音音声が、会場のスピーカーから爆音で再生された。
「消せ! AIを止めろぉ! カメラを止めろぉ!!」 神楽坂は狂ったように叫ぼうとするが、言葉を発するたびに「ブチャッ! ドバババッ!」とオレンジ色の濁流が容赦なく決壊し、自らの足元を汚物まみれにしていく。
千人の観客は総立ちになり、スマホのフラッシュが一斉に焚かれた。世界生配信のコメント欄は、秒間数万件の速度で埋まっていく。 『電脳の神がクソ漏らしたwwww』 『リアル脱糞バグ発生ww』 『クソ塗れAI詐欺師、因果応報じゃねえか!』
神楽坂が愛し、万能の神と崇めたデジタルそのものが、彼を一生閉じ込め、社会的・精神的に完全抹殺する檻となった瞬間だった。
四、 エピローグ
夜、カンファレンスの騒動が嘘のように静まり返った『嶋屋』のオフィス。 「はい、今回の取り分。主水に半兵衛、鉄の分ね」 加代が不機嫌そうな顔で、ジャラリと小銭を机に並べる。
そこへ、少し晴れ晴れとした顔の藤堂慎二が入ってきた。彼のスマートフォンには、入院中の詩織先輩から届いた「体調が良くなったよ。また就活、一から頑張るね」という優しいLINEの画面が映っていた。
慎二は主水たちを見つめ、深く頭を下げた。 「ありがとうございました。僕……自分の足で、もう一度歩いてみます」
主水は警察帽を指先でくいと上げ、不敵な笑みを浮かべた。 「お前さん、いいキーボードの叩きっぷりだったぜ。……AIだか何だか知らねえが、人間のケツの穴と尊厳までは、データじゃジャッジできねえようだな」
主水は警察帽をかぶり直し、コートを羽織って席を立つ。 「行くか。明日もまた、お上から無駄な書類仕事がどっさりと降ってくる」
ネオンの明滅する現代の東京の闇へと、仕事人たちはそれぞれの顔に戻り、静かに散っていった。液晶画面の檻を超えた、生身の因果応報の夜が、静かに明けていく。




