06/素顔の彼女
そこは教会だった。
天井で静止する黒い翼をもった麗しい青年の像が、この土地の神が誰なのかを教えてくれている。
(これはアルドグノーゼの像ね。我々は間違いなくルウォ帝国へと転移させられたみたい。それにしても、行程や儀式もなしであれだけの領域に干渉出来るとなると、宿っているのは出来損ないの老いぼれか)
リリスの呟きに耳を傾けつつ、ヴラドは周囲の確認をさっさと済ます。
シャルロット、ラミア、ククル、ロロント、デューリ、そして後方支援を担当した二人の男女もこの場に跳ばされたようだ。
目立った被害は無し。よほど精緻な転移だったのだろう。誰一人酔った様子もない。
それでも一応シャルロットに「問題はないか?」と訪ねると、彼女は小さく頷いた。
「は、はい、大丈夫です」
「そうか、ならいい」
先程のようなレベルの戦場で無傷という事は、余計な真似はせずにしっかりと援護に務めたという証拠だ。まあ、無理をしなくてもいい程度にはロロントが強かったという風に見た方がいいのかもしれないが。
「さて、全員無事のようだし、そろそろ場所を移すとしようか」
淡々とした口調で言って、デューリが歩き出す。
「ここが、ルウォ……」
外に出たところで、ククルが圧倒されるように呟いた。
ザーラッハとはまるで違う、深々と雪が降り積もる白と灰色の都市。
街の在り方として特徴的なのは、高層建築が非常に少ない点だろうか。あと、全ての建物の屋根が急斜面となっている。平らなものは一つもない。それだけ積雪が多いという事なんだろう。事実、道路以外は五ヘクテル以上ありそうな高さの雪で覆われていた。
「ここって首都のブリガノエルデよね? その割には疎らというか、地味というか」
「ルウォは基本的に地下に向かって都市を拡張していく方針を取っている。ゆえに、地上の発展は控えめなんだ」
リリスの疑問にそう答え、デューリは歩調を少し早めた。
魔力で保護していても寒さを感じる程度の悪条件から、出来るだけ早く抜け出したいという意志の表れだろうか。
「――ひゃ!?」
ところどころ凍っている地面に、シャルロットが足を滑らせた。きょろきょろと興味深そうに周りを見ていた所為だろう。
ため息をつきつつ、抱きとめる。
「気をつけろ」
「は、はい、すみません」
口早に言葉を並べて、シャルロットは身体を離した。
それから数秒後、今度はラミアが足を滑らせる。近くにいたククルが阻止すると、その身体にさらに身を寄せて、
「ありがとう、ククル」
と、艶っぽい微笑を浮かべてみせた。
判りやすい色仕掛けだ。それを感じてか、ククルの表情もどこか昏い。
(ぎこちない感じね。猶予はありそうか。……ふふ)
わざわざヴラドにだけ聞こえるように、リリスが呟く。
またよからぬ事を考えているようだが、まあいつもの事だ。それが目的の役に立つのなら、なんだっていい。
「それで、どこに向かってる?」
「君たちが数日ほど滞在する事になる宿だ。陛下に会うのは上手くいったとしても最終日になるだろう。以前も言ったが、確約はできない。私もそこまでの権限があるわけではないのでね」
ヴラドの問いにつまらなげに答えてから、デューリはちらりと視線を左手の建物に向けた。
足が向いている方向とは違う。そしてちょうどラミアがククルに意識を向けているところでの動作だった。
(だから先に、腹を割った話を君としたい。そこの地下七階、773番地に落ちついて話せる場所がある。私は明日の早朝までいる予定だ)
『共有』による念話が届けられる。ただし全員に対してオープンなものではない。ヴラドとデューリだけのラインだった。
「――と、そうでした。そろそろ共有を解きますね」
それを施していた女が思い出したように言って、ぶつんと音をたてて接続が切れ、ほどなくして身体に刻んだ刻印も溶けてなくなった。
§
用意された宿は、地下五階にあった。
広く豪奢な大理石の宮殿だ。風呂も完備されていたし、夕食も実に豪華だった。もてなしとしては間違いなく最上級のものといえるだろう。ただし、信用の方はかなり低いらしく、常の監視の目を感じ取ることも出来ていた。
まあ、部屋の中にまでは及んでいなかったので、別に気にするほどじゃない。そして、こちらの魔法の対策がされているわけでもなかったので、出し抜くのは簡単だった。
深夜になったところで、光の魔法を使って透明化し部屋を抜け出して、シャルロットも連れてデューリが指定した場所に赴く。
地下七階の773号室には、ロビン・ウォーカーという表札が掛けられていた。おそらくは別名義で借りているのだろう。
ドアをノックすると、知らない青年が姿を見せて、
「どうぞ」
と、淡い微笑と共に言った。
一度だけ魔力の波を放って周囲を確認してから、中に入る。
ワンルームのその部屋にはベッドと小型の冷蔵庫しか置かれていなかった。他に目に付くのは、床に散らばった新聞や資料の束くらいだろうか。
「なにか飲むかね?」
「必要ない」
「毒でも盛られていたら怖いしね」
部屋に入ったところで実体化をしたリリスが、皮肉たっぷりに言う。
「君の魔法に毒は効かないと思うがね」
涼しげにそう返して、彼は冷蔵庫から飲み物を取り出し、ベッドに腰を下ろした。
それから、足から床に魔力を流して、こちらの傍らに三本足の椅子を三脚具現化させる。色はブラウン。一見すると木製のようだ。
「人間以外にも化けれそうね」
やや感心した様子を見せながら、リリスが真っ先に椅子に腰かけた。
「魔力の浪費を気にしなければね」
そう答えつつ、デューリは飲料を一気に煽り、ヴラドとシャルロットが席についたところで、おもむろに切り出した。
「抜け出した事がすぐには気付かれない細工くらいはしていると思うが、早速本題に入ろう。君たちの最終目的は何だ?」
「その答えを与えてやるには、信用が足りないわ」
侮蔑を込めた眼差しで、リリスは言った。
「信用、か」
ふむ、と小さく頷き、デューリは立ち上がって懐から核を一つ取り出した。
そしてそれをこちらに放り投げてくる。
受け取り、ちらりとリリスを見ると、
(無効化の魔法ね)
という答えが返ってきた。
文字通り魔法を消す魔法だ。ヴラドの魔力出力と色格で用いれば、神子以外の全てに機能することだろう。
(魔力の色も判明するわ。わたしなら、出来る事と出来ない事もある程度はっきり見極められる。もちろん、それをそのまま懐に仕舞ってもいいとは思うけれど)
貴重な魔法だ。たしかにそれもアリではある。だが、それよりも目の前の相手を知っておいた方が良い気がする。
その直感のまま、ヴラドは左の掌から自身の血を溢れさせ、核を呑み込み溶かし定着させて、デューリの首の下あたりに右手をつきだした。
触れると同時に直接魔法を注ぎ込む。
瞬間、目の前の男がぐにゃりと崩れた。
そうして露わになったのは、小柄な、シャルロットとリリスの中間くらいの背丈の、薄いピンク色の髪と灰色の瞳をした眠たげな少女だった。
身に纏っていたスーツとは合わなくなったためか、ズボンがずり落ちる。どうやら、着ていた服は魔法によるものではなかったようだ。無駄な魔力消費を極力避けたいというスタンスなのだろう。
「私の父は、デューリ・コンクという名の活動家だった。大した事はしていなかったが、利用できる程度の価値は見出されていたんだろう。ルウォの工作員と接触する事となった。もっとも、その結果すぐにザーラッハに勘付かれ、母ともども殺されたわけだが」
ベッドに腰掛け直した少女は、ズボンを脱ぎ捨てつつ淡々とした口調でそう言った。外見に合った、か細く澄んだ声だった。
「……」
目の前の十代半ばくらいに見える少女が、デューリの正体だという事がすぐには呑み込めなかったのか、シャルロットは呆然とした表情を浮かべながら、何故か少女の下半身周りをちらちらと見ている。
一方、リリスの反応は驚き一つない冷ややかなもので、
「お前はどうして死なずに済んだのかしら?」
と、鋭い口調で訪ねていた。
「その襲撃者を私が殺したからだよ」
「そして父親の死体を自分の姿に、自分の姿を父親に変えて、デューリ・コンクとして生きるようになったというわけ?」
「あぁ、そうだ」
「あまり利口な選択ではないわね。どうして?」
「父と母を愛していたから――と、答えたとして、君は納得するか?」
「するわけないでしょう? お前にはまるで熱が感じられない。だから訊いているのよ」
「リリス系譜の特性か。やはり感情を読み取る能力は非常に高いようだな。……その方が、ルウォとの関係を継続する上では色々と都合がよかったからだ。事実、復讐という動機を得て、デューリ・コンクは極めて自然に積極的な行動を取れるようになった。そして、実績を積み重ねた結果、それなりの信頼と地位を得ることにも繋がった」
「それらの恩恵を使って、お前はなにをしてきたのかしら?」
「そうだな、知る事を、してきたよ」
「知る事?」
「リグチラ・コンクは物心がついたころから世界の行く末に興味があった。自身の将来や身近な誰かの未来ではなく、世界そのものを知る必要性に私は駆られていた。ルウォは私の求める知識を有している数少ない国家だ。なにせ、原初の神を宿す契約者が統治している国だからね」
「……それで、欲しい知識は得られたのかしら?」
「極日」
端的に、リグチラはそう答えた。
それから足元にあった資料を広い、色をつけた爪を走らせて、複数の星座を描いていく。
そして最後に、親指の腹でこの人間界を記し、それをこちらに見せてきた。
「全ての星の座標がこのように整う特別な日に、多くの神は儀式を企てている。そしてその日以外では叶わない奇蹟は、間違いなく世界を一変させ、多くの者は何も知らないままに別のなにかへと変貌する事になるだろう。或いは、一切合財が絶滅するか。全ては儀式を行う者の目的によって変わる。当然、ルウォも参加者の一人だが、彼の目的はまだ見えていない」
「見えている勢力はあるのかしら?」
「私が把握しているのは、儀式の価値とおおよそ参加者くらいだ」
「ルウォ、サラヴェディカ、エンシェ、クリスエレス、ザーラッハ、そしてノイン・ゼタ。わたしが把握していない名を、お前は何か一つでも持っている?」
「目の前の忌子と悪魔が抜けているな」
「――」
その一言に、リリスの気配が尖った。ヴラドが忌子である事を看破した点に、強い警戒心を抱いたのだ。
そんな彼女から視線をこちらに向けて、リグチラは言った。
「先程も口にしたが、私は自分の利益にはあまり興味がない。今で十分だと感じているからね。そして、世界がどのような変貌を遂げたとしても大差がないとも考えている。だから、どの勢力が極日を利用できる勝者になろうが構わない。その目的さえ、私が見えているのなら。……さて、以上の話を聞いたうえで、今決めて貰いたい。このままルウォとだけ手を組むのか、私とも手を組むか」
「仮に前者を選んだ場合はどうなるのかしら?」
「別にどうも。私の選択肢が一つ減るだけだ。皇帝への謁見の取次が無くなる事はないし、これからもルウォの協力者同士、手を組むこともあるだろう」
言って、リグチラは手にしていた資料をその場に落とし、代わりに上着のポケットから証明石を取り出した。
嘘を暴く魔石だ。
今の会話の真偽を確かめても構わないという事らしい。
「必要ない。お前が使えばいい」
そう言ってから、ヴラドは彼女の要望に応えるべく、自分たちの最終目的を口にした。
§
ヴラド達が立ち去り一人になったところで、リグチラの契約者であるヌゥスーが影に宿った。
波紋のように揺れたそこから、くぐもった声が響く。
「本当に、奴等の側に付くつもりなのか?」
「何か問題でも?」
「……いや、だが、理由は知りたいな」
「そう……」
少し考えて、リグチラはこう答えた。
「父に似ていたから。それが一番強い動機という事になるのかな」
「あの愚かで弱く、そのくせ身の程知らずにも過大なものを求め続けたデューリ・コンクにか?」
「酷い物言いだね。私の父なのだけど」
「お前の選択肢を奪った男だ」襲撃の夜を思い出してか、ヌゥスーの語気が強くなった。「奴がもう少し強ければ、もう少し賢ければ、身の程さえ弁えていれば、そのどれか一つでもあれば、お前は此処以外を選べた」
「かもしれないね。けれど、私は別に後悔していない」
「そうだな、私がしているだけだ。……話を戻そう。どこが似ていると言うんだ?」
「もちろん、目指すものの大きさが、だよ。父は戦争を無くそうとしていた。戦争をなによりも肯定しているこの大陸で、そんな愚かしい夢を見て、ささやかではあるけれど実行もしていた。彼の願いは、それと同等か、或いはそれ以上に身の程知らずで、けれど同じくらいに尊い。なによりロマンチックだ。……あぁ、私はきっと、そこにこそ心を打たれたのかもしれないね」
昔から自分の気持ちというものには鈍感だったが、まさか自分の言葉で動機の核心に気付かされるとは思っていなかったので、少し可笑しかった。
そんなリグチラを前にして、ヌゥスーは不満そうな、それでいて諦めるような吐息を零して、
「理由は判った。私も、あの男に悪感情はない」
「リリスの方にはありそうだね」
「当たり前だ。あれほど得体が知れないモノなど、そうはいないぞ」
「得体が知れない、か」
ヴラドが忌子だと一目で解ったのは、リグチラもまたそれに近しい存在――忌子の血の隔世遺伝者だったからだ。その関係で、生まれる前にリグチラは知らず門を開き、ヌゥスーとの契約を果たしていた。
その所為なのか、生まれたリグチラの眼には核が備わっていた。いわゆる魔眼である。そしてその魔眼には、高い魔力の識別能力があった。
それによって、淫魔の気配がリリスの魔力と溶けあったために滲み出ているものではなく、ヴラド自身の血から香るものだという事をリグチラは看破していた。
それはつまり、リリスが一切自分の魔力を使っていない事も意味していて、裏世界でヴラドが危機に晒された時ですら、彼女は何もしなかったのだ。或いは、本当に何もできない存在なのではないかという可能性すら、リグチラの中には浮かび上がっていた。
もし本当にそうだとしたら大した役者だと思うが、これも別に断定できる要素があるわけではない。
「彼女は鏡だ。下手に意識をするのは望ましくない」
「鏡?」
「向かい合っている相手の知識によって見え方が変わる存在という意味だ。翼を隠して実体化した彼女に出会った多くの人は、彼女を貴族の令嬢だと勘違いするだろう。魔力を多少嗅ぎ分けられる者の多くは、彼女を強力な後ろ盾を得て生意気になっているただの淫魔と捉えるだろう。ある程度淫魔の知識がある人間ならサキュバスの類を疑う。そして彼女が語る言葉の中に極めて貴重な情報が含まれている事に気付ける者は、彼女を魔神の類だと危惧する。つまり、彼女をどのように見ているかによって、自分たちがどのレベルの知識を有しているのも露わになってしまうというわけだ」
リリスがただの淫魔を徹底していない理由は、おそらくそれだろう。
貪欲な悪魔らしい選択であり、リリスでない事がバレる事自体には、そこまでのリスクを感じていないという事でもある。いや、或いは、全ての可能性を滲ませて、ひたすらに候補を増やすのが狙いなのか……。
「いずれにしても、確たる証拠がないうちは幾らそれを追及しても意味はない。それに、彼女より注意するべき相手もいる」
「それは誰だ?」
「ククル・オーウェンだよ」
「ククル? お前が平和主義者を主導する前から、ラミアが粉を掛けていた奴か」
「正確に言えば、アルドグノーゼが求めていた少年だね」
「戦力としては一級程度にしか見えないが、どこにそんな価値があると言うんだ?」
「器だよ。許容量については貴方も把握していると思うが、あれがまだ拡張できるといえば、どれだけ破格なのか判るだろう?」
言いながら、魔眼で視た情報を共有する。
「……なるほど、たしかに神子には届かないが、使い捨てとしてなら十分神の力を揮えそうだな」
「つまらない戦争で散らすには惜しい駒だ。出来れば手を打ちたい」
「さっそくヴラド・ギーシュの為に動くのか。……楽しそうだな」
「楽しい?」
「私の前で微笑っているのを見たのは、久しぶりだ」
言われて、自分の頬に手を当ててみる。
少し口角が上がっていた。変身中の身体制御と違って、生身の制御はあまり得意ではないとはいえ、また自分の事なのに気付いていなかった。
でも、これはきっと良い変化だ。何故ならこの高揚感は、未来に対する期待から生じているものだからだ。
その事実を強く胸に抱きながら、リグチラは言った。
「それはきっと、格好のいい男に口説かれたからだろう。私も少女だからな」
「だったら、少女らしい事をもう少しするべきだな。少女というものの寿命は短いのだから」
淡々とした、でもどこか真面目な口調で、顔のない悪魔は言う。
まるでぎこちない父と娘のやりとりだ。
そんな彼の頬に手を当てて、
「あぁ、考えておくよ。その時間があれば」
と言うと同時に、リグチラは再びロビン・ウォーカーという名の青年の姿へと戻った。




