01/賑やかな道中
大陸のちょうど中心に位置するザーラッハに入国するには、東西南北にそれぞれ一カ所ずつ設けられている関所のどこかで、簡易な手続きをすればいい。
それは、この大陸において最も緩い審査システムであり(なにせ深刻な伝染病の疑いさえクリアすれば、本当に誰でもすぐに許可される)故にザーラッハは多種多様な人種の坩堝としても知られていた。
以上の背景から審査は驚くほど早く終わり、ヴラド達はザーラッハの国土に悠々と足を踏み入れる事に成功したわけだが、それはムルカ連合を出て十二日目の事だった。
十二日もかかったのは、飛龍の手を借りられなかったからだ。
理由はシンプルに、彼女がプレタの同乗を嫌がった為である。多分、風の精霊が気に入らなかったんだろう。自分の飛翔に干渉する存在が傍に居る事を嫌うのは、まあ自然な話ではあった。
もちろん、彼女にこちらの要求を押し通す事も出来たわけだが、それをしなかったのは、ザーラッハに一刻も早く到着しなければならない理由がなかったのと、その時間を使って片付けておきたい問題があったから。これもプレタが理由となるわけだが、契約者としてはあまりに未熟な彼女を、ザーラッハで動かしたくないというリリスの思惑によるものだった。
「どうせなら、もう少し使える状態に仕上げたかったんだけど、残念ながらそれは望み過ぎだったのか……ねぇ、お前はどう思う?」
そのリリスが、つまらなげな表情でプレタに言う。
「……当事者にそういう事訊く?」
「当事者が一番判っていることでしょう?」
「悪いけど、文句を受け付けるつもりはないわ。これでも全力でやってたの」
「文句じゃなく、ただの感想よ。お前は及第点だったなぁって。あぁ、ごめんなさい。言い方が悪かったわね。わたしが期待しすぎていただけ。有名な冒険者なんだから、さぞ呑みこみもいいだろうと、根拠のない幻想を抱いてしまったの。わたしが悪かったわ。本当、ごめんなさいね。……はぁ」
「このクソ悪魔……!」
盛大なため息を吐きだされたプレタのこめかみに、青筋が立った。
すでに日常化しているやりとりだが、今日のリリスはちょっと毒気が強い。おかげでシャルロットがあたふたし始めていたし、周りの空気も少しざわつき出していた。……まあ、別に無視する事も出来るが、これ以上煩くなる前に止める方が賢明だろう。
「具体的になにが出来るようになって、何が出来ないままなんだ?」
そう訪ねると、プレタは咎められていると思ったのか、少しバツの悪そうな表情を浮かべて、
「あの子の魔法は全部把握したわ。同時に魔法を扱う事も出来るようにはなった。ただ、配分が、まだ上手く行ってないっていうか――」
「片方が五割なら、もう片方も絶対五割になっちゃうのよ」割って入ってきたリリスが言う。「片方の魔力操作に異常が生じたらもう片方にも支障が出るし、とにかく柔軟性が足りないわ。もちろん、色の使い分けなんて論外だし、融和なんかもまだまだ先ね」
「そうか。上出来だな」
「悪かったわね! 物覚えが悪い愚図で――って、え?」
褒められるとは思っていなかったのか、こちらの言葉を最後まで待たずに噛み付いてきたプレタが、途中で間の抜けた声をもらした。
「い、今なんて?」
「上出来だと言った」
「そ、そうよね、あたし、結構がんば――」
「元々戦力になるなんて微塵も思っていないからな。最低限、二つの魔法が使えるならそれで十分だ」
「……」
一瞬だけ晴れやかになった表情をすぐに引っ込ませて、プレタはジトっとした目でこちらを睨みつけてくる。
「なんだ?」
奇妙な反応に眉を顰めると、リリスがくすくすと嗤い声をあげてから、視線をシャルロットに向けて、
「さすがに二対一は可哀想だわ。盛大にトドメを刺すなり、慈悲深く助け船を出すなり、なにかしら手を加えてあげないと。ねぇ?」
「――へ? えっ!?」
突然矛先を向けられた彼女は、大袈裟なほどに驚きを示した。それから、きょろきょろと、リリス、ヴラド、プレタの順に表情を窺って、
「え、ええと、ええと…………と、ところで、ザーラッハって、どんな国なんでしょうか?」
と、まったく無関係な話に舵を切るという選択を取った。
プレタに加担すればリリスに弄ばれるだけだし、リリスに加担すればプレタをより惨めにするだけなので、実際それは悪くない対応だったのだろう。少なくとも、この場凌ぎという意味では。
「……まあ、それでもいいわ。では、このリリス先生が優しく教授してあげましょう」
プレタに対して言いたい事は既に言い切っていたのか、リリスはあっさりとそれに乗って、このザーラッハという国の歴史について話し始めた。
「この国が設立されたのは今から三百万年ほど前。同時期に存在していた国はルウォ帝国だけだったとされているわ。他に国と呼べるほど大きな勢力はなかったようね。その頃はルウォの方が遙かに強大な国だったけれど、現在では対等以上の大国としての地位を手にしている。おそらく世界で一番影響力のある国よ。あらゆる分野に根が張られている。その中でも大きな影響力をもっているのは、兵に関して。このブーセット大陸では特にそうね。だから戦争国家なんて呼ばれ方もしているわ。同時に、大陸で一番平和な国とも呼ばれている。さて、ここで問題よ。それはどうしてかしら?」
「……他国が戦争をする状況は作っていても、自分たちは戦争をしていないから、ですか?」
躊躇いがちに、シャルロットはそう答えた。
「正解。ザーラッハが最後に行った戦争は、なんと今から千二百年前。それ以降、この国は戦争に直接的な関わりをもっていないの。逆に、この大陸で戦争がなかった期間は五十日にも満たない。ここには常に戦場が用意されている。おかげで外からも絶えず傭兵がやってきて、どれだけ死んでも兵に困る事がない。まったくもって素晴らしい環境よね」
と、そこで複数の足音が耳に入ってきた。
視線をそちらに向けると、傭兵の集団がこちらに向かってきているのが見える。
数は七十四、質は平均的、中堅どころの傭兵団だ。
目的は、ヴラド達と同じだろう。というか、関所からやや離れたところにある、こんな何もない平原に、他の用があるとも思えない。
「そして今日もまた、待遇の良さに釣られてその循環の素が追加でやってきて、わたしたちの待ち時間も終わり」
リリスがそう呟いたところで轟音が響き、滲み出るように歪んだ空間から、巨大な四足歩行の魔物が姿を現した。
その魔物に引かれた車輪のついた巨大な長方形の匣が、先頭に立っていた客の前で止まる。
『送獣』と呼ばれる運行手段だ。
透明化し気配を絶って、街から街へと移動するその手法は、魔法技術を高度に複合させなければ成り立たないために、先進国の象徴としても認知されていた。
その送獣の、匣の脇にある差込口にお金を入れて乗車する。支払わなければ結界が邪魔をするという仕組みだ。
中は空間が弄られているのか、外から見た印象の三倍くらいの広さとなっていて、座席同士の間隔も窮屈を感じない程度には確保されていた。
指定はないので、先に並んでいた者達から順に席を埋めていく。
ヴラド達の前にはちょうど五十人くらいが居たので、おそらく後部座席は選べないだろう。
その予想通りに、瞬く間に後ろの席は埋め尽くされた。
特に拘りがあるわけでもないので、流れのまま中央付近の席に腰かける。
シャルロットはその右隣に、プレタは右後ろに、そしてリリスはさも当然のように、ヒトの太腿の上に腰を下ろしてきた。
「邪魔」
「お前の上に座らないと読みづらいのよ」
そう言って、彼女は前の座席の背もたれに貼り付けられていた、新聞のようなものを顎で指す。
一応さっと目を通すと、そこにはザーラッハの第一皇子が六十日後に即位するという事と、病弱で人前にまったく姿を見せないらしい第二皇子も、それには出席するかもしれないという内容の記事が書かれていた。他に重要そうな情報は見当たらない。
「お前も、もう読み終えただろう?」
「表紙になってる部分だけはね。でも、ほら、これ捲れるから」
「立っていても出来る事だな」
「わたしの足が疲れるでしょう?」
「だったら解け」
「そういう気分じゃないの」
「……」
時々、こういうよく判らない我儘を通そうとしてくるのは、ある種の主導権争いなんだろうか。
無理矢理中に戻してやっても良かったが、そちらの方が遙かに面倒だし不快だという事実に、ため息が出た。
「ならいい」
「ふふ、感謝するわ、ご主人様」
機嫌よく声を弾ませて、リリスは次のページの情報に目を通していく。
と、そこで、送獣も移動を開始した。
ここから首都までは大体八時間程度らしい。二時間ごとに休憩所があり、十分程度トイレなどに時間を使うというアナウンスが、送獣の召喚師から告げられた。
とりあえず周囲にさっと魔力を流して、車内の様子を改めて把握しておく事にする。
ここが始発点となるので、中に居る客は平原で待っていた者達だけだ。そのうち八割が傭兵、ほぼ二割が冒険者、残りがその他といったところだろうか。
傭兵は、ヴラド達の前にいた集団と後からきた集団の二つに分かれていて、それぞれ最近まで戦場に身を置いていたのだろう、消しきれない高揚感と微量な後悔を滲ませた独特の空気を纏っていた。
故に騒がしくなるかもと思っていたのだが、車内は意外と静かなままで、目の前でゆらゆらと揺れている金髪と、太腿にかかっている重量以外に鬱陶しいものはない――と、結論付けようとした矢先、
「首都では人身売買の組織が暗躍しているんですって、怖いわね。もし、わたしが攫われたら、お前はどんな風に狼狽えてくれるのかしら?」
その煩わしさの根本が、また口を開いた。
心底どうでもいいので目を閉じる。
目的地までは長いので、ここで仮眠を取っておくのもいいだろう。
「話なら隣としてろ、これ以上邪魔するなら戻す」
それだけ言って、ヴラドは最低限の警戒は残しつつ、意識だけをぶつんと落した。
§
「あ、本当に眠ったわ、この男。こんなに愛らしい娘の柔肌を前にして、信じられない。……悪戯してやろうかしら?」
じぃとヴラドの顔を見つめながら、リリスが呟く。
「あ、あの、それは止めた方が……」
「分かっているわよ。こいつは言ったら本当にやるしね」
躊躇いがちにシャルロットが言うと、リリスはあっさりと引き下がって、座席の情報にまた目を通し始めた。
十秒ほど、沈黙が過ぎる。
「それにしても、平和な国という割には物騒な情報が多いわね。お前たちも一応眼を通しておいた方がいいかもしれないわよ」
「もうしてるわよ。ってか、あんたって本当黙るのが苦手なのね」
「違うわ。退屈が苦手なのよ。それってこの上なく時間を無駄にしている状態でしょう? というか、こういう感覚は本来人間が持っているべきものじゃないの? 大半が二百年ちょっとしか生きられない短命種なんだから」
呆れ気味なプレタにそう返しながら、リリスはヴラドの上から降りた。
もう読み終わった、という事なのだろうか。
そんな彼女はシャルロットの元にやってきて、今度はこちらの太腿の上に腰を下ろしてきた。
こういうスキンシップは普段から多いので、戸惑いはそこまで大きくない。
「貼られているものが違うわね。これは二日前の新聞の写しみたい。更新し忘れたのか、列ごとに更新状況を変えて車内の情報量でも増やしているのか。なんにしても、こっちの方が面白そうね。死人が多くて」
不謹慎極まりない発言にさすがにちょっと胸が重たくなったが、彼女の言う通り、シャルロットの目の前に貼られている記事には、多くの犠牲者の名前が挙げられていた。この記事が発表された前日に、爆破テロが起きたためだ。
貴族を狙ったらしいその凶行によって、民間人が二十名、標的にされた貴族と妻子三名の計二十三名が亡くなったとの事だった。さらにその数日前にも、とある貴族が襲撃され、護衛の騎士が二人ほど犠牲になったらしい。
「犯行を表明した連中は自らを『平和主義者』って名乗っているみたいね。指導者の男は、なかなか愉快な皮肉を好んでいる。でも、顔は平凡ね。幸が薄そうなところ以外特徴がない。すぐに忘れてしまいそう」
と、そこで、おもむろにリリスが顔を近づけてきた。
息の熱が伝わる距離。でも、視線の先に居るのはシャルロットではない。その後ろにいるプレタだ。
「ねぇ、お前は本職の冒険者として、賞金首を狩った事もあるのでしょう? この似顔絵の下に記されている金額ってどうなのかしら? 見合ってる?」
「見合っているかどうかは知らないけど、十億リラ以上の懸賞金を掛けられている奴なんて、世界に五人もいないわね」
「へぇ、じゃあ、捕まえるのも面白そうね。軍資金もあるに越したことはないわけだし。ふふ」
上機嫌に微笑んで、リリスはシャルロットから降りて今度はプレタの元に向かった。
ただ、そこにあった記事はシャルロットと同じだったのか、ため息を一つつき、隣の見知らぬ傭兵に声を掛ける。
「ねぇねぇ、これ、見てもいい?」
そのさまは、外見年齢相応の、好奇心旺盛な落ち着きのない子供そのものだ。普通は迷惑そうな顔をしたり、保護者に対してイラつきを見せるものだろう。
しかし強面なその傭兵は、むしろ媚びるように引き攣った笑みを浮かべて「……あぁ、どうぞ」と、それを了承した。
「ふふ、やった」
子供っぽく、リリスが喜んでみせる。さすがにそれがポーズなのは、すぐに判った。そして、これはすぐにではなかったけれど、傭兵である彼等がまるで借りてきた猫のようにおとなしかった理由にも辿り着く。
彼等は、皆一様にヴラドを意識していたのだ。
クリスエレスでは殆ど気にされる事なく、ムルカ連合でも疑心や反発を多く連れてきた傭兵ヴラド・ギーシュの勇名が、このザーラッハではこれ以上ないほどの権威として浸透している。
それは、有名な傭兵への注目度や情報の精度が、それだけ高いという事も意味していて――
「――あ、あの、ヴラド・ギーシュ様とリリス様ですよね? サインを貰ってもいいですか? 出来ればお二人から、貰いたいんですけど」
その最たる証のように、情報収集を終えてヴラドの膝の上にリリスが戻ったところでやって来た十歳くらいの身なりのいい少年が、緊張した面持ちでそんな事を口にしたのだった。




