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君>世界   作者: 雪ノ雪
第二章『災禍の恵み』
16/32

エピローグ/未知という名の恐怖

 シャルロットの目の前に、たくさんの剣が並んでいる。長剣、曲剣、大剣、短剣と種類も様々だ。

 それらを一本一本手に取って、構えを取り、ゆっくりと振り下ろす。

 その度に「刀身が少し長い」であったり「柄が太すぎる」であったり「重心は爪先分前がいい」といったヴラドの声が背後から届けられた。

 それに対して、武器屋の店主は静かに頷きを返し、シャルロットに次の武器を手渡してくる。

 こうして、新しい武器選びはリリスの時とは比べ物にならない時間を使って吟味され、最終的にオーダーメイドの細剣が制作される運びとなった。

 さらには防護服も新調されることになり、それにもヴラドは付き合ってくれて、

「それに合う程度の身体を用意しておけ」

 という指令の元、今はちょっと緩く感じる衣装を身に纏う事になった。

 物凄くいい素材を使っているからか、着心地は凄く良い。でも、なんだかそわそわする。本当に、こんなに良いものを自分が使ってもいいのか、という不安がぬぐえない所為だ。

(もっと役に立てたら、気にならなくなるのかな……?)

 それは判らないけれど、とにかく頑張ろう、と自身に気合をいれたところで、店のドアが開かれプレタが入ってきた。

「へぇ、似合ってるじゃない」

「あ、ありがとうございます」

 お世辞なのはわかっているけれど、それでもちょっと嬉しい。

 災王を討った帰りの道中でプレタとは色々と話せた事もあり、彼女が傍に居ると少し安心できた。

「なにか用か?」

 素っ気ない口調で、ヴラドが訪ねる。

 するとプレタはやや困ったような表情をみせて、

「少しね。別に急ぎってわけじゃないけど」

 と、やや弱った調子で答えた。

「ここでの用は済んだ。二日後にまた来る」

 大金の入った袋を店主に渡して、ヴラドが店を出ていく。

「……ねぇ、もしかして邪魔しちゃった?」

 店の中に残される形となったプレタが、やや気まずそうにそんな事を言ってきた。

「え?」

「だって機嫌悪そうだし、あいつ」

「そんなことはないと思いますよ。……あ、えと、その、多分ですけど」

 躊躇いがちに、シャルロットはそう答える。

「そうなの? ……だとしたら、ほんとに付き合いにくそうな奴ね」

 ため息を一つついて、プレタは「ちょっと待ちなさいよ!」とやや声を荒げながら彼の後を追い掛けた。


                §


「ついてくる? あれの指示か?」

 店を出て三十秒後くらいに切り出されたプレタの言葉に、ヴラドは微かに眉を顰めた。

 二人に挟まれる形で歩くシャルロットは、どっちの表情を窺うべきか、或いは邪魔をしないように少し後ろを歩くのがいいのだろうか、などと考えながら、とりあえず声の様子だけはちゃんと見ておこうと、聴覚に意識を傾ける。

「いや、そういうわけじゃない。けど、どうせその時が来たら強制的に招集されるんでしょう? あたしに拒否権なんてないわけだし。だったら、この機会にザーラッハに足を運んでみるのも悪くはないと思ってね。そこまでは一緒でも問題ないでしょって話。あとは、あんたらの許可待ちなのよ」

「精霊に強請られたか。わかりやすい」

 どこか嘲るように、ヴラドは呟いた。

 途端に空気が悪くなる。

「なに、喧嘩売ってんの? 大体、あんただって似たようなもんじゃない。ずいぶんとあの悪魔には甘そうに見えるけど?」

「役割を分けているだけだ」

「言葉遊びね。いいように使われてるだけでしょう? それに、レーニィスはあんたのみたいに性格悪くないし」

「性格が悪い?」

 微かにイラついたようなヴラドの声。

 リリスを酷く言われて、怒ったのだ。

 その反応に、プレタは自身の認識が正しかった事を確信するように強気な表情を浮かべ――

「違うな。本質が最悪なんだ。それを、いくらでも歪められる生易しいものと同じにするな」

 真顔でそう言い切ったヴラドに、吐き出す筈だった言葉を失い、

「い、いや、さすがにそれはちょっと言いすぎなんじゃ……」

 根はいい人なんだろうなぁ、という事が伝わってくるようなフォローを並べる事となった。

 そんな彼女を前に、ヴラドは小さな吐息を見せて、

「奴等を人間と同じだと思うな。人の姿をしているだけの化物だという認識を正しく持て。ルールが違うんだ。適切な距離を保て。同調だけはするな。今ある世界を敵にしたくないならな」

 と、真剣味を帯びた調子でそう言った。

 戸惑いと反発の二つの感情がプレタから滲みだす。シャルロットには想像出来ない話だけど、プレタにとって契約相手は既に相当特別な存在になっているのだろう。故に、彼女は反発を吐きだす事に決めたようだ。

 しかし、その意志は第三者によって挫かれる。

「シルフィの好物は、高度な知性を持った生物の脳味噌。それは当然、人間も該当する」

 ぞくりとするくらいに、冷たくて甘い声。

 左手の道から出てきた声の主は、ある系統の頂点と言ってもいいほどの美貌をもった、二十三、四歳程度に見える女性だった。

 リリスだ。以前の襤褸とは違い、シックなドレスワンピースを身に纏っていたために、印象はかなり違っていたが、これほど異常な美貌を思い出すのに時間は掛からない。

 そんな彼女と初めて遭遇したプレタは、数秒無防備に惚け、完全に釘づけにされていた。

「男の精を喰らうだけの淫魔よりもずっと物騒な存在なのよ。今お前の中にいる精霊は」

 可笑しそうに笑いながら、リリスが言う。

 そこで、目の前の相手が誰なのかに気付いたのだろう。

「そ、それが、あんたの正体ってわけ……?」

 抑えきれなかった上擦り声で、プレタは若干引き攣った笑みを浮かべた。

「まるで普段の私が何かに化けているみたいな物言いね。あれは十歳の私、そしてこれは二十四歳、成長の終点の私。それだけの話よ。心配しなくても、すぐにお前好みの私に戻るわ。体積が多い分魔力の消費も多いこの姿を、彼はあまり許してくれないから」

 口調も普段とは違いゆったりで、声の全てに色香が込められている。

「そんな事より、ほら、見て? 災王の核を最高強度の透明な保存石にいれて加工させたの。私に似合うでしょう?」

 煌びやかなネックレスを手にヴラドに近付いて、リリスは妖艶に微笑み、それを手渡した。

 そして「掛けて」と、言いながら身体を密着させる。

 キスをしそうな至近距離だった。

 何故か心臓が跳ねて、背筋に冷たいものが過ぎる。

 ヴラドは言われた通り、抱きしめるように両手を伸ばし、ネックレスをリリスに掛けようとして――突然、甲高い金属音が響いた。続けて破砕音が左手のほうで鳴る。

 音に釣られるようにそちらに視線を向けると、近場の建物の壁には、ヴラドの手の甲によって弾き返された矢が突き刺さっていて、

「ほらね? わたしの言った通りになったでしょう? そして当たりも引いた。三十分の七のね。ふふ、あっはは!」

 愉しげに嗤うリリスは、瞬き一つの間に、見慣れた少女の姿へと戻っていた。


                §


 仕掛け時は決めていた。

 それは、標的が女絡みで明確な隙を晒した瞬間だ。

 そう決めていたのには、もちろん理由がある。ヴラド・ギーシュの契約相手が、淫魔だったからだ。

 ニルは契約者ではないが、契約者を殺した事は何度かある。脅威度の高い対象を始末するわけだから、当然下調べもしっかりしてきた。その過程で、契約者という存在がなんなのかは人並み以上に知っている。

 契約者は必ずしも望んだ相手と契約できるわけではない。それはつまり波長が合わないものとは絶対に契約できないという事でもある。そして奴の契約対象は淫魔。多少他の淫魔とは毛色が違うようだが、纏っている魔力の感じがまさにそれだし、交渉事以外の場でも肉体を与えられていることや、喋ることくらいしか出来ない点などからも、その可能性は非常に高い。

 淫魔と契約できる人間は、色に狂う余地のある人間だけだ。故に、観察を続けて機会を待っていれば、いずれ女絡みでボロを出す筈。

 その可能性を信じて静かに復讐の機会を待っていたわけだが、思いのほか早くその時は訪れた。

 必中の魔法を込めた矢に、最大限の魔力を込めて放つ。

 仮に凌がれたとしても、すぐに移動すればリスクはない。そういう意味では、別にこちらの読みが的外れだったとしても大した問題にはならない。そんな認識がニルの中にはあった。身内を殺された憎しみが、短絡的な結論を促していたという事なのだろう。

 結果、彼は致命傷を負った。

 矢を離す刹那、攻撃に全神経を集中させたその瞬間に、胸に風穴が開いたのだ。

 狙撃にはベストと判断した建物の屋上の床に、ニルの身体は力なく倒れる。

 痛みはなかった。

 落下する果実のように、意識が遠ざかっていく。

 殆ど条件反射的に魔力を用いた延命を図るが、あまり効果はない。

 あと十数秒程度で、自分は死ぬだろう。……まあ、それは別に驚くことじゃない。殺して生きてきたのだ。いつか誰かに殺される事に文句などある筈もない。

 とはいえ、誰に殺されたのかも分からないのは、少し不満で――

「ヴラドを狙ったわね。標的は不死の娘の筈でしょう? 公私混同、取るに足らない人間らしい最期というべきかしら?」

 いつのまにか、視界に金髪の女性が立っていた。

 ヴラドに抱きついていた女……リリスだ。

 ここから奴までの距離は七ヘクターある。普通に考えれば、こんな一瞬で此処に来られるわけがない。

「それにしてもいい腕ね。核だけはちゃんと外して心臓を射抜いている。良かったわ。一番可能性が高い、一番綺麗に殺せる担当の場所にお前が来てくれて」

 その言葉で、ニルは全てを理解した。

「……そうか、罠を踏んだのは、こちらの方だったか」

 完敗だ。全ての行動が想定された上で、それを十二分に潰されていたのだから、たとえここで運が味方していたとしても、次かその次には確実に仕留められていただろう。

 なら仕方がない。もし死後に世界があるのなら、そこでゼルに仇を討てなかった事を謝罪するだけ。

 ただ、それでもまだ一つだけ心残りがあって、

「お前は、何者だ……?」

 答えを聞く猶予はもうないと知りながらも、最後にそんな疑問を口にしつつ、赤青のタイラントと呼ばれた双子の殺し屋の経歴は、ここで完全に途絶えた。


                §


「お前は、何者だ……?」

 死にゆく者の問いに、リリスは何も答えなかった。

 代わりにナイフを取り出す。おそらくだが、心臓を抉り取るつもりなのだろう。そうして核を手に入れようとしているのだ。

 隠密の魔法をもってこの場に隠れていたパウがそう判断したところで、おもむろにそのナイフの切っ先がこちらに向けられた。

 そして、数秒後、

「なにをぼけっとしている? 早く取りなさい。私にお皿以上に重たいものを何秒も持たせないで、落としちゃうでしょう? お前たちの命みたいに。――ほら?」

 リリスが、あっさりとナイフから手を離した。

 地面に落ちる前に、パウはそれを掴み取る。間一髪だった。もう少し判断が遅れていたら間に合わなかったし、間に合わなかったらおそらく、ニルと同じ末路を辿っていた事だろう。このまま、ただの記者をやっていれば。

「かくれんぼには自信があったんですけどね、はは」

 引き攣った笑顔を浮かべつつ、両手で挟んだナイフの刀身から手を離し柄の部分を握る。

「ただの記者にしてはずいぶんと俊敏ね。あの森の魔物より速かったわよ」

「火事場の馬鹿力というやつでしょうかね。自分でも驚いていますよ、ええ」

 冷や汗を滲ませながら、パウはそう答える。

 答えながら、どこまで明かしてどこを隠すのが最善かを考えた。

 が、そんな足掻きなど無意味といわんばかりに、

「未来視か。珍しい魔法を持った奴と契約しているみたいね。種族はなにかしら? レムヒミア? それともリッタフェルメ? 或いはクシナトラクなんて線もあるけれど……あぁ、ノルネか。この状況で此処に来なければならない能力を持っているのは、それしかいないものね」

「――っ!?」

 咄嗟に右足を下げた直後、その箇所が抉り取られた。

 ニルを仕留めた狙撃手による、視認困難な圧縮の魔法だ。

「早く手を動かしなさい。次は当たるわよ? 今日の未来視はそれで打ち止めなんだから。受動的な方のはね」

 つまらなげにリリスは言う。

 胸の奥が、急速に冷え切っていくのが実感できた。……当然だ。この女の言っている事の全てが、当たっているのだから。

「血は綺麗にふき取って、もちろん傷なんてつけずに取り出すの。見物料としては安い話よね。安すぎるかしら?」

 唾を一つ呑んでから作業を始めたパウに、リリスの指示が飛ぶ。

 このままでは完全に向こうの思い通りだ。それはあまりよろしくない。

「……いやはや、それだけ貴女が寛大な方という事なんでしょうね。私としては有難い限りですが、その寛大さに甘えて一つ訊いてもよろしいですか? どうして私が契約者だというのが解ったんでしょう? 私は貴女が実体化していない時はちゃんと見えていないように振る舞えていたはずですし、彼女もずっと私の中にいて一切力を使わなかった。器だって空に見えるように細工してありました。非常に不可解な話です。是非とも答えが知りたい。……あぁ、出来れば、その方が最後に残した質問にも、答えて頂けると嬉しいのですが」

 恐怖を押し殺しながら、飄々とした表情で言う。

「相変わらず図太い神経ね」

「それが売りですからね、はは」

(パウ、いつでもボクを顕現できるようにして。もしかしたら、やる必要があるかもしれない)

 乾いた笑い声の裏で、契約者である彼女の聲が届いた。

 相当にピリついているのが判る。多分、表に出た瞬間に、彼女はリリスを殺すだろう。だが、それは意味のない行為だ。目の前のこいつにはろくに魔力が感じられない。本体ではないのである。

「お前と同じだからよ」

 そんな悪魔は、悪戯っぽい笑顔でそう答えた。

 それが意味するものがなんなのかを、パウはすぐに理解する事が出来なかった。

「私も、サラヴェディカだから」

 瞬間、右目が見えなくなった。彼女が表に出ようとしているのだ。

 不味いと思ったが、危惧していた事態にはならなかった。それよりも早くリリスが行動を起こしていたからである。

 といっても、彼女はただパウの眼を覗き込んだだけなのだが、それが牽制として機能したのは、この悪魔の底知れなさのおかげか。

「お前はともかく、お前の眼の奥に居る奴はずいぶんと素直なのね。まあ、恥じることはないわ。どの道、この大陸に災王が出た時点で関与していない筈がないんだから。お前の落ち度にはしない。少なくとも、私はね」

 もういいわ、待つのも疲れたし、と言ってリリスは切り開いたニルの心臓に手を突っ込んで、そこから核を取り出した。

 星のように煌びやかな白い手が真っ赤に染まる。

 その血を、パウの服で拭って、

「確認は済んだ。お友達になれるかもしれない子を消さずに済んで良かったわ。では、またね」

 悠然とした足取りで、リリスは屋上を去って行った。


                §


 そうして足音が聞こえなくなって、さらに数分が経過したところで、右側の方から、ドサッ、という音がした。

 同時に、右目の視力が戻ってくる。

 振り返ると、そこには黒髪の華奢な少女の姿があった。額と両手の甲にも眼をもった、ノルネという種族の悪魔であり、パウの契約者でもある女性だ。

 普段はめったに表に出てこない彼女が、危機が去った状況でこうして顕現したということは、この場の情報を読み取ろうとしているいう事なのだろうが……いや、そんなことよりも、まずは彼女の精神状態を安定化させるのが優先だろう。両膝を地面について震えている彼女は、むしろ、それを望んで出てきたようにも見えた。

「大丈夫だよ、イリア。もうあの悪魔はいない。こちらを見ている気配もなくなった。だから、ゆっくりと、まずは落ちつこう」

 十代半ばの大人とも子供とも言えない身体を、抱きしめて背中を擦る。

 昔はよく自分がされていた事だ。大人になってからは、むしろこちらがする事が多くなった。

「……すまない。もう大丈夫。状況を整理しよう。出来れば、このままで」

「あぁ、もちろん構わないよ」

 数十秒ほど、静かに彼女の体温を感じる。

「人間は温かいな」

 ぽつりと、彼女はそう零した。

「他の人間は私ほど温かくはないさ。そして、好きな時に確かめる事も出来ない」

「無用な心配」彼女はくすりと微笑んで「……貴方も、怖かったんだね」

「そりゃあ、あんな恐ろしげな悪魔を前にすれば誰だってそうさ。……サラヴェディカと彼女は言っていたけれど、どうだった?」

「今、確認を終えたけれど、該当者はいなかったよ。少なくとも、ボクの権限を前提にすれば、あれは同胞じゃない」

「イリアより上となると、最上位の管理者たちという事になるけれど……ないとは、言い切れないのかな?」

「そうだね。今断言できるあの悪魔の情報は、間違っても淫魔リリスではないという事だけ」

 密着をやんわりと解きつつ、イリアは言った。

「でも、ボロを出してしまった私たちと違って、彼女は淫魔(リリス)以上の事はしていないよ? 分身も姿を変える事も、男を悦ばせるうえで淫魔(リリス)になら可能な事の筈だ。魔力さえ貰えればね」

淫魔(いんま)という系統の中で最下位に位置付けられているリリスという名の種族は、そもそも頭が悪い。股を開くしか能がないから、口だけ淫魔(リリス)とも呼ばれている。二つ以上の肉体に、知性を伴った行動をさせるなんて真似、出来るはずがない」

「だからリリスではない、というのは少し早計なんじゃないかな? 頭のいいリリスだっているだろうし、その中でも彼女は天才だったのかもしれないし」

「仮に知能があっても知識を得る事は出来ないよ。特に、サラヴェディカのような、上位存在くらいしか知る機会のない知識なんてものは絶対に。それが出来る淫魔(いんま)は、支配層に分類されるサキュバ系統だけだ。でも、それには貴方も会った事があるだろう?」

 パウの下半身に視線をむけながら、イリアはどこかつまらなそうな表情で続ける。

「あの時は、邂逅直後から見事なほどに勃起していたね。サキュバとはそういう上級淫魔。どれだけ存在を抑えても、一定以上の強制力を持っている。だけど、貴方の下半身は今平らだ」

「それ、あまり思い出したくない話なんだけど……ま、まあ、サキュバでないのは私にも判るよ。隊商に居る時も彼女は時々色気をふりまいていたけれど、その発生元は仕草だったり声色だったり魔力の流し方だったり、テクニック的の部分が多かったしね。だから、サキュバほど否応なしな感じはしなかった。或いは、だからこそリリスと名付けられたとか?」

「それもないよ。そもそもサキュバとは、リリスが大量かつ濃密な精を得て変異した結果だからね。そして不可逆的なものでもある」

「なら、あのヴラドという人間が知識を授けたって線はどうかな?」

「制域探索の時、あの二人を観察していてそう見えた?」

「……いや、そうは見えなかったね」

「そう、決定的なのは其処なんだ」

「え?」

「彼女は明らかに主導権を与えられていた、どころか多くの場面で握ってさえいた。なのに、彼女は自分をリリスと呼んでいる。あり得ない話だよ」

「それって、そんなにおかしな事なのかい? リリスが自分をリリスと呼ぶなんて、そう珍しい話でもないと思うんだけど」

「確かに、それに触れる機会は多いだろうね。存在する階層が同じ事もあってか、特別な門を使わなくても幻獣もどきよろしく彼女達はこの世界にやって来るし、娼館に居る奴等なんかは特にそう。でも、それは名前を与えられてないからなんだ。来たばかりで自分の名前もない最下級の淫魔が自分をそう呼ぶんだよ。頭の悪い、身体を開く事でしか生きていけない、まだ誰にも愛されていない淫魔(リリス)がね。そして名前という個を与えられることで、彼女たちはサキュバへの進化の可能性を手に入れることが出来る。……うん、やっぱり駄目だ。何度検索しても該当者はいない。厄介な話だよ、これは」

 忌々しげに呟きながらイリアは立ち上がった。

 膝についた埃を払いつつ小さく吐息をこぼしてから、こちらに視線を向けてくる。

「パウ、今の話を聞いたうえで、貴方はどう考える? 貴方の意見を聞かせて欲しい」

「……ふむ、そうだね。とりあえず、私が気になったのはその目的かな」

「目的?」

「そう、仮に違うと仮定した場合、どうして淫魔(リリス)を騙る必要があるのか、それが一番重要な気がするんだ。どんな可能性が考えられると思う?」

「ぱっと思いつくのは、自分の本当の正体を知られたくないから、とかかな」

「でもだったら、どうしてサラヴェディカの事を話したのかな? そこらの淫魔(リリス)でいたいのなら、私達に語る必要はなかったはずだ。気付かないフリをして、さっさと核を回収して立ち去れば良かった。実際私達も、彼女がサラヴェディカと関係していないのなら、ここまでの問題としては捉えていなかっただろう?」

「……見栄を張るため、とか?」

「うん、たしかにそれもあり得るかもしれない。彼女は非常に自尊心が高そうに見えたしね。でも、あくまで見えただけだ。本当のところは判らない。これも、彼女が纏っている淫魔(いんま)の気配と同じと言える」

「そこにもなにか意図があると、貴方は思うんだね?」

「まあ、勘でしかないけどね。……結局、本当にはっきりしている事は一つだけ。彼等がこれからザーラッハに向かうという事だけだ」

 その名称を聞いた途端に、イリアは口元に手を当てて、両手の瞳を深く閉じた。

「……ザーラッハ、か。最近はその国の話ばかりが入ってくる。まるで全てがそこに集束しているみたいに思えるよ。やっぱり他の勢力も、二百六十八日後に訪れる、あの『極日(きょくじつ)』を無駄にするつもりはないという事なんだろうね。大事に備えた人手が必要になってくる」

「つまり、ここでの仕事は終わりってことかな?」

「あぁ、ボクたちも程無くしてそこに向かう事になるだろう」

「正義の味方は大変だね。休む暇もない」

 苦笑気味にパウは軽口を並べる。

 普段の彼女なら、こちらと同じようなトーンの切り返しをしてきた事だろう。だが、まだ深刻さから抜け切れていないのか、

「仕方がない事だよ。この世界には、何があっても許容できない存在があるんだから」

 と、どこか思いつめた表情でそう答えて、空を見上げた。

 釣られてパウも空を見上げ、息を呑む。

 世界の風穴のような黒点。そしてその周りをのた打ち回る蒼色の炎。

 そこには、蒼黒の太陽と一般には認知されている、『最疫(さいやく)』という名の破滅を封じ込めた檻の姿があった。

「ボク達は一刻も早く、白紙の神子を処理しなければならない。あれを復活させようなんて狂気を宿した者がいるとは思えないし、それを宿すに足る器をもった神子だって、存在するはずがないとは思っているけれど。それでも、可能性は零ではないんだから」



これにて第二章『災禍の恵み』は完結となります。

ここまでお付き合いしていただき、ありがとうございました。


もしよろしければ、評価なども付けて頂けると嬉しいです。


次章も、来週の日曜日までに完結まで投稿する予定ですので、またお付き合いしていただければ幸いです。


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