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君>世界   作者: 雪ノ雪
第二章『災禍の恵み』
14/112

04/雑談と狩り

 昼を過ぎたところで、隊商が足を止めた。

 左手にはウルタカの森が広がっている。そこは、四十ヘクテル以上の青々とした巨大な木々によって、完全に空を塞ぐ一帯だ。

天然の傘によって足場の安定はある程度確保されており、仮に豪雨に晒されても、非常に高い地表温度によって、ぬかるみなどはすぐに除去されるようで、移動自体に支障が出るケースは滅多にないらしい。

 ただ、そのぶん雨季のこの森の中は異様なほど蒸しており、長期間の活動にはまったく不向きで、あまり生態系についても理解が進んでいないというのが現状……というのが、制域に呑まれる前の、この場所の特徴だった。

 そんな森の中に、傭兵に守られた調査員たちが複数のルートから入っていく。

 国からの依頼がここでの主な目的のようだが、ヴラド達と同じく魔物を狩って食料や価値ある素材を収集する事を目的にしている部隊もいるので、かなりの人数だ。

「いよいよ本格的な制域探索が始まりましたね。いやぁ、壮観だ」

 先を行く彼等の後姿を記録石に保存しながら、パウ・ドズワルドと名乗った記者が愉しげに呟いた。

 歳の程は三十半ばくらいだろうか。戦士ではない。魔力も乏しく、本当に一般人に見える。魔物に襲われたらひとたまりもないだろう。

「呑気な奴ね、お前」

 呆れるようにリリスが言った。

「緊張の裏返しですよ。昨日は一睡も出来なくて、その所為で少し高揚しているのかもしれませんね」

 その言葉はおそらく事実だ。声には微かな疲れが残っている。

 だけど、それでも進んで危険に跳びこむのは、それだけの価値がその行いにはあるからなのか、或いはそれがやりがいというものなのか。……まあ、ヴラドにはどうでもいい事だ。

 ちらりとシャルロットの状態を確認する。

 深夜から早朝にかけて行われていた訓練の代償か、一つ一つの動作に強張りが感じられた。おそらくは筋肉痛だろう。大きな問題にはならない筈。……もっとも、仮に問題になるような故障を抱えていたとしても、殺し屋という存在がいる以上、シャルロットを本隊に置いていくという選択はなかったわけだが。

「……行くぞ」

「捉えたの?」

 リリスが軽く眉を顰める。

「あぁ、ここから十七ヘクターあたり」

 そこに、異様な魔力を持った存在がいる。

 プレタを中心とした他の冒険者たちも、それはすぐに把握出来るだろう。彼等は其処を避けて活動する。故に、戦闘の邪魔にはならない予定だ。まあ、あくまで予定でしかなく、実際どうなるかはわからないが。

「そこそこ遠いわね。一応こっちも調査班との足並みを合わせるつもりではあるから、着くのは夕方かしら」

「足場の悪い森の中を歩くのですから、夜になるのでは? 正直、出発時刻を間違っている気がしないでもないですが」

「普通の森ならそうかもね。でも、ここは制域。深海よりも昏い昼がある世界よ。夜の方が危険なんて常識はどこにもない。莫迦でも判る話ね」

 記者の指摘を愚弄しつつ、リリスが実体化を解く。

 突然の消失に記者は驚いていたが、こちらもいちいち説明するつもりはない。

「着くのは夕方だ」

 短くそう告げて、ヴラドは足早に歩きだした。


                §


 森の中は、情報とは大きく異なり乾燥していた。

 温度はむしろ肌寒いくらいで、体温が高いのか記者の息は白かった。

 まあ、これだけ見れば制域前よりも良さそうな環境……だが、周囲の魔力の分布が異常だ。目まぐるしく動き回り、振動し、時に異音までも響かせている。その所為で光が正しく機能していない。なにもないところで湾曲し反射し、逆に遮断されなければならないものを透過している。視覚だけに頼っていると、大変な事になりそうだ。

 実際、記者の男は道中すでに二度も大木の幹に顔面から突っ込んでいた。三度目がないのはシャルロットが注意するようになったからで、それがなければ二桁は失態をかましているだろう。

 はっきり言って邪魔だった。もう殺してしまおうか?

 そんな事を何度か思いつつ、森の奥へと進んでいくと、ある一帯に足を踏み入れたところで空気が一変した。

 標的の変異種の狩場に入ったのだ。その事実に、しかしシャルロットとパウはまだ気付いていない。

「……ところで、こいつの護衛は含まれているのか?」

「いいえ、そんな追加依頼はないわ。だからサービスの範疇ね」

 ヴラドの問いに、リリスはそう答えた。

「あ、あのぉ、出来れば守って欲しいのですが」

 長時間の移動で生じていたパウの汗に、冷たいものが加わる。声も少し震えていた。

 だが、なんだろう、その割にはどこか――

「あ、それは持って帰りましょう。役に立つかもしれない」

 思考を遮るように、リリスが言った。

 視線を彼女が指差す方に向けると、そこには炭化したかのように真っ黒な枝が落ちている。

 魔力を込めて凝視すると、その中心に奇妙な気配を感じた。

 災禍の欠片だ。周囲に撒き散らされた残滓と違って、その性質がまだ分解されていない。たしかにこれを持ち帰れば、災王の特性を掴むことも出来るだろう。

 枝を拾って、懐に入れる。

 と、そこで、一つの気配が消えた。狩場に迷い込んでいた他の生物が殺られたのだ。さらに二つほどが立て続けに消える。

「そんな枝を持って帰ってどうするんですか? あ! もしかして――」

「黙れ。気付かれる」

 状況がわかっていないパウの喉を片手で絞めつつ、静かに告げる。

 ……まだ気付かれてはいないようだ。ゆっくりと手を離す。

 と、そのタイミングで、別の魔物の群れがこちらに近付いてくる気配を捉えた。

 今の音が探知された所為なのかは判らないが、いずれにしても面倒な展開。下手をすれば挟撃の恐れもある。

「そうだ、餌にしましょうよ、この男」

 悪魔と悪魔憑きにしか聞こえない事を良い事に、ぽん、と大きく手を叩いてからリリスが言った。

 シャルロットの表情に驚きが過ぎる。

「真正面からやり合うのは少し面倒だと感じているのでしょう? だったら、それが一番いいわ。我ながら名案ね。あっはは」

 いつもの嘲笑が響き渡った。

 悪くない提案だ。ただ殺すよりも有意義。

 が、足手纏いの面倒を引き受けていたシャルロットにとっては、そうでもなかったようで、

「そ、それは、私がやります」

 と、小さな声で、しかし明確な意志をもって主張してきた。

「なに、その寝言? お前は死んではダメだけど、その男は別に死んでもいい。選択の余地なんてないわ」

 冷めた様子でリリスが言う。

「で、でも、私は言う通りに動きます。この人にそれは求められません。注目を引くタイミングは、細かく選べた方がいい」

「なんだか必死ね。他人の為に知恵を絞るよりも、やるべき事があると思うのだけど。まあいいわ。一理もない、というわけでもないしね。……ただ、残念ながら決定権を持っているのは、わたしじゃない」

 リリスの視線がこちらに流れる。

 少し遅れて、シャルロットも怯えたような眼をヴラドに向けてきた。

 ……ため息が出る。

 一度すぐに目を逸らしてから、それでもこの娘は再びこちらの眼を見て訴えてきたのだ。そこにあるのは、決死の覚悟だった。

 だとしたら、安易に踏みにじるわけにもいかない。それに今のやり取りで、自分が捨て駒にされそうになっていた事にパウも気づいたようなので、シャルロットが囮をやるメリットも増していた。

「……もし、致命傷に相当する傷を負った場合、その男のハラワタを引き摺りだす。それが嫌なら上手くやれ」

 こちらが妥協できる最大限の条件を告げて、ヴラドは周囲の世界に同化するように気配を消し、標的に向かって駆けだす。

 その後ろで、

「へ? えぇ……」

 という、パウの困惑と嘆きを多分に孕んだ、どこか間抜けな吐息が漏らされていた。


                §


 悪魔憑きになってから、シャルロットはずっと様々な役割を強いられてきた。

 その中には仲間を守る事も含まれていたし、彼等の為に死ぬ事も多くあった。自らが望んでやって来た事は、多分ない。

 それでも、誰かを守れた時、自分にも少しだけ価値があるような気がしたし、それに救われてきたのも事実だ。

 パウの代わりになろうと思ったのも、結局はその経験を引き摺っての事でしかない。

(怒ってた、よね……)

 今更ながらに、後悔の方が膨れあがってくる。

 無駄に命を危険に晒すなと訓練で言われたばかりなのに、こんな真似をして……

「自分の要求を押し通せてなんで落ち込んでいるのか知らないけれど、そんな暇はないわよ。お前が今考えなければならない事はなに?」

「……上手く、魔物の注意を引くことです」

 リリスの質問に、おずおずと答える。

「その通り。お前は奇襲を成立させるための状況を作らなければならない。それが出来なければ、其処の間抜けな男をヴラドが殺す――までもなく、魔物に殺されて終わりとなるでしょうね。まあ、やる事は簡単。適当に隙を晒せば近くの奴等が襲ってくるだろうから、上手いタイミングを見計らってそれをするだけ。そのタイミングで、本命も奇襲をしかけてくるはずよ。そこをヴラドが仕留める。……と、丁寧に説明してみたけれど、まだ合図が来ないわね。思っていたよりも大物なのか、かなり慎重だわ。近付いてきた奴等もお友達同士じゃなかったみたいだし…………暇ね」

 そう呟くと共に、リリスは実体化を果たした。

 突然の出現にパウが少し驚くが、さすがに声をあげたりはしなかった。

「最低限、学習能力はあるようね。でも、状況はどの程度理解できているのか」

「とりあえず、彼女のおかげで首の皮一枚繋がっているというのは、分かっていますよ、ええ。あと、声を抑えないと不味いというのも」

「周りを囲んでいる魔物の数は判る?」

「私はただの記者ですからね。もちろん判りません。どれくらいいるんですかね?」

「五体よ。でも同じ群れじゃない、二対三といった構図ね。だから睨みあって膠着状態になってしまっている。ちょっと予定外。どうしたものかしらね? お前の意見を聞いてあげるわ」

「そうですね、なら事態が動くまで、こちらの取材にお付き合い頂くというのはどうでしょうか?」

 その言葉に、シャルロットは「え?」と思わず自分の耳を疑ってしまったが、

「いいわ。つまらない質問をした瞬間終わりね」

 と、リリスはあっさり同意した。

 終わりという台詞に不穏な気配を感じたのか、パウの表情が一瞬強張るが、すぐに笑顔を取り繕って、

「では早速、契約者について聞かせてもらってもよろしいですか? 私も長い間記者をしていますが、二人にしか会った事がないので、色々と判らない事が多いのです。実に興味深い」

「なりたいの? お前も」

 微かに目を細めて、リリスが問う。

 酷薄な笑み。思わず背筋が震えるほどの幼艶さだった。

 それを前に、唾を一つ呑んでから、パウは答える。

「人間を生贄にしないのであれば、試してみたくはありますね。私だけじゃなく、多くの人がそうだと思いますよ。なにせ特別の代名詞だ」

「その二人には聞かなかったのかしら?」

「どちらも訊けるような空気ではありませんでした。今よりも不味い状況でしたので」

 どうやら、記者というのはなかなかに大変な仕事のようだ、とピントのずれた感想を抱くシャルロットを余所に、リリスはつまらなげに鼻を鳴らしてから、

「契約に必要なものは四つ。時期と波長と器と同意。生贄は要らないわ」

「そうなんですか?」

「生贄が必要なのは門よ。命と直結した純度の高い魔力をもって、それはこの人間界と別の世界を繋げる」

「なるほど、そっちの方がハードル高いんですね。……他に、必須となるようなものとかはあるんですか?」

「他? そうね、とりあえず、召喚の魔方陣は知っている必要があるわね。でもまあ、それくらいかしら。技術とかは別に要らないわ。無知な子供でも見よう見まねで出来るくらいだしね」

「その子供とは、もしかして幼い頃の貴女の契約者のことですか? 彼はどうして貴女と契約を? 貴女もまたどうして子共と契約をしたんでしょうか?」

 パウがおもむろに、シャルロットが訊きたくても訊けなかった事の一つに踏み込んだ。

「つまらない質問ね」

 リリスの声のトーンが一段下がる。

 胃が痛くなる冷たさだ。けれど、記者はしれっとした表情で、

「おや、では終わりですか? まだ向こうは時間がかかりそうですが」

 と、切り返した。

 機嫌を損ねる恐れのある話題を早めに切り出したのは、まさに彼女が退屈しているという前提があってのものだったのだ。もちろん賭けの類ではあるが、そこに勝負を掛けた姿勢をリリスは評価したようで、

「少し気に入ったわ、お前。……そうね、一言で言うなら、純愛のためかしら? ルナという名の娘を悪趣味な運命から救うために、彼は全てを賭す覚悟でこのリリスと契約をしたの。五、六十ほどの人間を殺し門を開いてね。ふふ、愚かで健気で可愛いでしょう? だからね、好きになっちゃったの。わたしだけのものにしたいなって」

「……あー、それは、つまり、略奪愛が目的ということですか?」

 あまりの発言に、パウの表情が少し引き攣る。

 でも、本当にそうなのだろうか? まだまだ短い付き合いでしかないけれど、ヴラドとリリスの間に、その手の強い執着のようなものは感じられなかった。

 今の話の全てが嘘とも思えないけれど、少なくとも彼女自身の感情については、一種のポーズのような気もする。

「なに、悪いの?」

「い、いえ、実に悪魔らしいなと――」

「はぁ? それはどういう意味! このわたしがそこらの淫魔と同じだっていいたいの? たとえ門から出てこようが、所詮どこまで行っても下等な種族だって!」

 突然、リリスが激昂した。

 パウの脛を蹴飛ばして、彼に小さなダメージを与える。

 これは、明らかなポーズだ。矛先に居たパウもすぐに気付き、

「さぁ、本番よ。訓練の成果をわたしにも見せて」

 愉しげなリリスの言葉を呑みこむように、茂みに潜んでいた一体の魔物が、一連の流れを仲違いと勘違いして飛び出してきた。

 均衡が崩れた瞬間である。


                §


 目当ての魔物を見つけた。

 大まかは四足獣の輪郭だが、体毛が一切なく、全身は擬態がしやすそうな青土色となっている。胴体にくらべて手足が異様に細く長い。頭部には、その面積の半分を埋めるほどに巨大な一つ目が備え付けられていて、本来口があるべき場所には複数の触手みたいなものがぶら下がっていた。

 魔力も異質だったが、その姿もかなり異様だ。

 ちょうど他の魔物を食い尽したところのようだが、まだ飢えているようで、魔力の波がひっきりなしに周囲に飛ばされている。

 そのサーチを綺麗に素通りさせながら、ヴラドもまたその魔物の波に乗るように自身の魔力を広げて周囲の把握を試み、シャルロットの方に五体ほどの魔物が迫っているのを確認した。

 一つの群れじゃない。二対三といった具合だろうか。

 今リリスとはそこそこ強めの共有状態なので、向こうにもこの情報はそれなりの精度で伝わっているはずだ。つまり、こちらが合図を送れば、リリスあたりが目立った行動を取ってくれる。

 問題は、標的がそれにどれだけ喰い付いてくれるかだが……

(感知範囲は、大体で二ヘクター程度か)

 それくらいの距離に踏み入った次の獲物に気づき、標的が跳躍した。

 木々に手足を絡みつけて、遠心力を使って移動していく。

(粘液を纏った爪に、軟体動物みたいな手足、そして音の発生しない身体か)

 このうち粘液は魔法によるもので、残りの二つは生物としての機能だ。爪以外には殆ど魔力が流れていない事から、素の身体能力の高さも窺える。

 その能力をもって、変異種は獲物が気付いた時には既に射程距離に入っていた。

 爪がヘビのように襲い掛かり、獲物の頭部を掠める。

 致命傷には見えなかったが、獲物の動きがぴたりと止まった。

 そこに、次の一撃が繰り出される。

(……麻痺毒か)

 即効性からしてかなり強力な魔法だ。あの粘液に触れたら、大抵の人間はその時点で終わりと見てもいいだろう。

 絶命した獲物に、触手が伸びる。

 それは先端を針のように鋭く伸ばして体内に侵入し、内側から肉をミンチにしていく。そしてストローのように吸い込むのだ。

 元々は小さな魔物で、蚊みたいに巨大な魔物からエネルギーを搾取していたのかもしれない。少なくとも、このあたりの生態圏の頂点に居たわけではないようで、食事中もしきりに周囲を警戒している。

 ――と、そこに複数の魔物が近付いてくる気配。

 察知を済ませた標的は、腹を近くにあった樹木に密着させて、その樹の頭上に這うように手足を伸ばし、体表の色を変えた。遠目からではまずわからない擬態の完成だ。異様な魔力も霧のように広がっているので、具体的な場所の特定には結び付かない。

 結界、のこのことテリトリーに入ってきた魔物たちは、奇襲を受けて為す術もなく全滅した。

 標的は死体を一気に平らげようと触手をバラバラに広げて、また身体の内側から食べていく。

 ――グゥウゥウ、

 呻り声のような腹の音が響いた。

 どうやら、まだ空腹らしい。災禍による急激な変化の影響だろう。

(……これ以上、見る必要はないか)

 身体の稼働域、魔法の特性、反応速度、おおよそ仕留めるのに必要な情報は揃った。

 リリスに合図を送る。

 程無くして、鼓膜に微かな声が届けられた。

 やや遅れて戦闘の気配。

 これだけ広域に魔力の波を広げている標的が気付かないわけもなく、食事をいったん止めて駆けだす。

 その後を、ヴラドは静かに追いかけた。

 程なくしてリリスたちを取り囲む魔物たちの姿が視界に入る。

 迫る標的には気付いていない。だから、そのまま仕掛けるのかと思ったが、標的は慎重だった。潰し合って両者が消耗するのを待つつもりらしい。

 ちょうどいい(いとま)だ。

 標的に注意を残しつつ、シャルロットに視線を向ける。

 足手纏いを庇うようにしながら、彼女は魔物の攻撃を凌いでいる。反撃を最小限に留めた堅い立ち回りだ。その所為で、魔物たちも攻めあぐねている。

 それを評価してか、戦闘開始と同時に実体化を解いていたリリスが、ゆったりと二体の方の魔物たちの元に近付いて、足元にあった大きめの石を両手で掴んだところで再び実体化を果たした。そして、石を魔物の顔面に目掛けて放り投げる。

 いつものノーコントロール。それは狙いから大きく逸れて、二体の魔物の間に、どすっ、と音を立てて落ちた。

 またすぐに姿を消した悪魔のいたずらに、魔物たちが驚きをみせる。

 その隙をついて、シャルロットは懐に入れていたらしいナイフを投擲した。

 リリスとは違い、そこそこ狙い通りに飛翔し、魔物の右目を貫く。

 瞬間、三体の側の二体がそちらに襲い掛かった。残った一体はシャルロットの牽制をするように近付き、姿勢を低く構える。

 良く出来た連携だ。漁夫の利を狙う第三者の存在が無ければ、上手く機能していた事だろう。

(そろそろか)

 周囲への警戒も担当していたそいつがシャルロットを優先した直後、標的が動いた。

 背後からの奇襲をもって、魔物の脳天を串刺しにする。

 標的はそのままシャルロットにも襲い掛かり――

「――っ」

 標的の存在を知っていたシャルロットの防御は、問題なく間に合った。

 大きく体勢が崩れたので追撃には対応できないが、標的にそんな選択肢を与えるつもりはない。

 長刀に魔力を宿しつつ、地を蹴る。

 そこで、ようやくこちらを捕捉したようだが、遅い。

 普段なら首を撥ねるところだが、異様な動きで躱される恐れがあったので、的の大きな胴体を両断する。

 続けて、上半身を踏みつけて動きを止め、頭部に刀を突き立てた。さらに、下半身を残りの魔物たちの方向に蹴り飛ばす。

 まだ生きていた下半身は彼等に襲い掛かったが、回避され食いちぎられた。その魔物たちの首を、別の魔物の爪が斬り裂く。

 なかなかの混戦具合だ。おかげで処理しなければならない脅威は三体に減ってくれた。

 ここまで来れば、もう問題は起きない。

 ヴラドは造作なくその三体も始末し、

「……よくやった」

 と、周囲の状況を確認してから短くシャルロットにそう告げて、標的の核を手にするため、心臓を抉り取る作業へと移った。


                §


 シャルロットの目の前で、解体作業が行われている。

 魔物の死体は見慣れているので、別段そのグロテスクさに感情が動いたりはしない。

 そんな事よりも、先程のヴラドの言葉がずっと頭の中を回っていた。

(私、もしかして褒められた……?)

 よくやった、という言葉は、多分そういう意味の筈だ。

(褒められたんだよね、私)

 以前の経験があまりにも遠過ぎて、戸惑いが凄い。

 でも、その戸惑いの奥から、熱が湧き上がってくる。ドク、ドク、と戦いが終わったのに心臓が高鳴りを増しているのを感じる。

(そんなことって、あるんだ、私にも……)

 ……嬉しい。

 素直な感情に着地する。

 ずっと、誰かに褒めてもらいたかったのだ。認めてもらいたかった。でも、渇望していた時期には一度も叶う事はなかったから、今こんなにも、心臓に異変をきたすくらい、嬉しいに襲われている。

 その所為で、

「他にも面白い気配があるわ。隊商の連中にもう少し恩を売っても損はないでしょうし、露払いを続けましょう」

「それは良い話ですね。いやぁ、あまりの緊張に撮影をし忘れていましたから、丁度良かった」

「小便臭いものね、お前」

「え? いやいや、漏らしてはいませんって!」

「煩い。喉でも潰すか?」

「い、いえ、それは遠慮しておきます。はい……」

 というやりとりの後に歩き出した三人に、まったく気付けなかった。

 我に返ったのは、足を止めて振り返ったヴラドが「どうかしたか?」と訪ねてきた時。

「な、なんでもないです! ありがとうございます!」

 焦りから声が大きくなってしまったが、黙れとは言われず、ヴラドは少しだけ怪訝そうな表情を見せてから「ならいい」と言って、また歩き出す。

 シャルロットはその隣に小走りで並び、横目に彼の表情を盗み見て、その視線に気付かれたのか目が合ってしまったので慌てて目を逸らし、しおれるように歩調を落として、半歩ほど後ろを慎重に歩いたのだった。


                §


 森での調査と収穫を終えて、皆が隊商の陣地に戻ってきた。

 夜は明けている筈だが、まだ暗い。差し込んでくる日の光が、制域によってかなり限定的になっているためだ。

 元凶に近付くほど、この手の異常は増していく。そしてそれは自ずと精神の摩耗を引き起こすだろう。

 今はまだ、その目新しさを愉みつつ、制域を乗り切った今日という日に祝杯を上げる程度の余裕もあるようだが、果たしていつまで持つことか……

「本日はお疲れ様でした」

 思考を声が遮る。

 振り向くと、そこにはローマンの姿があった。右手に空のグラスを二つ、左手にボトルを一本持っている。

「大物を三体も討伐して頂いたようで、素材が多くて仕方がないと回収班からも嬉しい悲鳴が上がっておりました。どれも、心臓だけは見つからなかったようですが」

「問題か?」

「いいえ。災王以外のものであろうと利益の方が多いのであれば、私にとっては望ましいだけの話ですから」

「進展は?」

「災王の姿はまだ確認できていません。ですが、その(フン)と思わしきものは発見されました。そこから餌場などの活動範囲も絞りこめるでしょう」

 そう言って、彼はヴラドに酒を入れたグラスを差し出してきた。

 毒を疑う必要は、さすがになさそうだ。まあ、仮に入っていたとしてもヴラドの魔法はその毒を自身の世界に定着させられるので、脅威にはならないが。

「そうか」

 契約通り災王討伐にリソースを割いてくれているらしい依頼主の面子を立てるべく、グラスを受け取り、一気に飲み干す。

 相変わらず不味い。どうせならコーヒー牛乳とかフルーツジュースが飲みたい。……もちろん、そんな事を言ったりはしないが。

「珍しいわね、お前が他人と打ち解けるだなんて」

 シャワーを終えたリリスが戻ってきた。一人だ。

「あれはどうした?」

「わたしの後に使っているんだから、まだに決まっているでしょう」

「そもそも、どうしてお前が使っている?」

 実体化を解けば血も匂いも消える。それからもう一度実体化すれば、この悪魔はいつだって清潔な肉体を保てるのだ。

「無粋な事を聞く男ね。そんなの、気持ちがいいからに決まってるじゃない。ふふ」

 上気した顔で、悪魔が微笑む。

 ご丁寧に甘美な毒の如き魔力まで散布して、周囲の何人かを狼狽えさせていたが、ローマンは冷静だ。

 それが気に入ったのか気に入らなかったのか、こちらにすり寄ってきたリリスが言う。

「ねぇ、わたしもお酒が飲みたいな」

 鬱陶しいから空にしたグラスを渡してやると、彼女はそれを受け取ってローマンに突き出した。

 さながら使用人のような扱いだ。ここでのボスにする事ではない。が、彼は苦笑い一つ見せずに、

「どうぞ」

 と、それこそソムリエのように手馴れた優雅さでグラスを満たした。

 こういう振る舞いは、リリスも嫌いではないので素直に「ありがとう」と感謝を述べて、ゆっくりと酒を愉しむ。

「美味しい。こんなところで飲むのが惜しいくらい」

「こんな場所だからこそ、贅沢でいたい性分ですので」

「いい趣味ね。嫌いではないわよ、そういうスタンスは」

 意外にも相性が良さそうで、二人はそのまま酒の話題に花を咲かせていった。

 この悪魔が益体のない話を他人とするというのも珍しい事だが、本当に珍しい事に、そこには普段の不自然さが感じられなかった。今日の収穫によっぽど満足しているという事だろう。

 実際、あの後の狩りでも有益な核を手にいれる事が出来たし、シャルロットも正しい安全意識で最後まで動けていた。まだまだ安心できるレベルではないが、仕込めば多少目を離しても大丈夫な程度にはなってくれるだろう。

 そのシャルロットが、中央の陣の右端に設置されていたシャワー室から出てくるのが見えた。

 あの設備の使用権利は、ローマンとその秘書含めた重役、そしてヴラド達だけが持っている。この事からも、多くの事で特別扱いされているのが判るわけだが、当然そういう扱いに不満を覚える輩はいて、事実既に何度かその所為で絡まれてもいた。

 そうした面倒が、ついにシャルロットにも訪れたようだ。そこに用などないだろうに、傭兵らしき三人が彼女に近付いてきている。

(――斬るか)

 プレタとかいう女の威光も宛てにならないようだし、いい加減こちらもうんざりしているので、そろそろ代償を支払わせてもいいだろう。

 一応、ローマンには告げて、その時の反応で殺すかどうかだけ決めればいい。

「――あら? 残念。素敵な雑談も終わりのようね」

 こちらの方針に気付いたリリスが、愉しそうな表情のままに告げた。

 それでヴラドの視線の先にある光景に辿りついたローマンも、状況を理解する。

 理解した上で、

「その必要はありません」

 と、彼は言った。

 それに合わせたみたいに、また別のグループがシャルロットの方に近付いていくのが見えた。その中心にいるのは、最初に絡んできた髭面だ。

 殺す相手が増えた。或いは依頼主への対応も変える必要があるかもしれない。

 そんな事を考えながら、シャルロットの方に足を一歩踏み出したところで、髭面がおもむろに腰に携えていた得物を三人組の方に向けた。

 そして、二、三言交わして退散させる。さらに、髭面はあっさりと武器を仕舞い、特に絡むこともなくシャルロットから離れて行った。

 その背中に向かってシャルロットが頭を下げ、感謝かなにかを口にする。

 想定していなかった展開だ。いっそ困惑すら覚える。

「制域に入る前に魔物の群れに襲われましたが、その時に貴方様が助けた傭兵は彼の部下でした」

 こちらの多大な疑問を埋めるように、ローマンは言った。

「多少気が荒く、立場をはっきりさせたがるきらいはありますが、彼は義理堅い。いや、彼だけでなく、此処に居る多くの傭兵や冒険者がそうです。そしてプレタ殿の発言に森での貴方様の活躍が付け加えられた事によって、噂は既に決定的な事実として受け入れられています。もちろん、貴方様を煩わされる内輪の問題が完全になくなったと保証する事はできませんし、次は構いませんが、どうか今回の件は流して頂けませんか? ああいう手合いにも使い道はありますので」

 最後の言葉は、リリスへのリップサービスだろうか。

「たしかに、そういう使い道が出来る人間がいるのはいい事よね」

「もちろん、あくまで保険ですが。――と、そろそろ、楽師たちの時間です」

「楽師? そんなものまで連れてきていたの? それはさすがに必要だとも思えないけれど」

「いいえ、必要ですよ。娯楽というものは過酷な環境でこそ、価値を持つものですから」

 と、ローマンははっきりと断言した。

「……まあ、そうね、人間にはそうなのかもしれないわね。わたしも、出来ればお酒には肴が欲しいところだし」

 いつのまにか空になっていたグラスを、リリスはローマンに傾ける。

 そこにまた彼は酒を注ぎ……ちょうど、シャルロットが戻ってきたタイミングで、弦楽器の音が響きだした。

 音楽には疎いが、雑音だと感じる事はない程度に、それが巧みなのはヴラドにもわかる。

 結界は張られているので音が外に漏れる事はないし、ちゃんと外で警戒している傭兵もいる。そしてこの遠征は長期戦だ。たしかにこの商人の言っている事には一定の説得力がある。

 柔らかな音色に自然とリズムを取っているシャルロットを見て、そんな結論を出しつつ、ヴラドもまた過酷な制域の初日を乗り切った報酬として、その音に身を委ねることにした。


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