22 自分の命とだれかの命2
苦しい。息がうまく吸えない。
目の前が真っ白になって、自分が目を開いているのか閉じているのかもわからない。
ただ、荒々しい足音や、金属がぶつかる音。
男たちの怒声が聞こえたような気がする。
しばらくしてカサネの体が何者かに引き起こされる。
山賊か、と身を固くして益々呼吸が乱れた。
が、ふわり、と温かな肌の感触が、カサネの目元を覆った。
「カサネ…」
ほんの数日しか過ごしていないのに、ずっと懐かしいと思える声。
「俺だ。スウガだ。…わかるか?」
スウガ。スウガって?それが安全なものか、考える思考力がもうカサネにはない。
「ゆっくり息を吐き切るんだ」
誰かが何か言っている。
言葉はわかるが理解できない。
ふと、舌打ちのような音が聞こえた。言葉はわからないのに、そんないらだちには敏感に反応してしまう。
怯えはさらにカサネの症状を悪化させた。
目をスウガの掌で覆われたまま、カサネは口もまた塞がれた。
口全体を湿った感触が覆う。
苦しい。息が。吸っているのに。苦しい。
もがくように手足をばたつかせるが、弱々しい抵抗は何にもならない。
だが、やがてカサネの呼吸は緩やかになり、気を失った。
間際に、悪かった、と小さな謝罪を聞いたような気がしたが、ただもう、何も考えずに眠りたかった。
カサネが失神したのを確認すると、スウガはゆっくりと手のひらをはずし、袖口で彼女の口元を拭ってやった。
馬上で切り結んでいた賊に、思いのほか手間取り、山を分け入った先には、残った山賊のかしらと、もう一人。そして苦しげに短い呼吸をするカサネ。
思わず頭に血が上った。
もとより、山賊などスウガの敵ではない。
「お前、生きてやがったのか!ぐっ、がっ」
問答無用で一人を切り捨て、かしらとの間合いを詰める。
悪知恵ならばいくらか働くらしい男は、カサネに刃を向けた。
「その剣捨てろ!この娘が大事なんだろうが!」
娘、と言い切った台詞に不快そうにスウガは口元をゆがめた。
ざっと見たところ、暴行はされていないようだが、カサネの着衣は乱れ、手荒い方法で性別を暴かれたことは容易に想像できた。
ぎり、と噛みしめた歯が鳴る。
相当に凶悪な顔をしていたのだろう、山賊は気圧されたように、ごくわずかだが、剣先をひいた。
スウガにはそれだけで十分だった。
無言のまま、驚異的な速さで一歩踏み込み、山賊の腕を剣ごと撥ね飛ばした。
「あああああっ!!」
汚い悲鳴が耳障りで、すぐさま息の根をとめた。
剣を放り出し、カサネの体を抱える。
おかしな呼吸を繰り返すばかりで、意識が朦朧としているようだ。
同じような症状は見たことがあった。
初めて人を切った幼い新兵が、こんな状態になったことがあった。
正しい処置など知らなかった。ただ、吸いすぎている呼吸をもとに戻すだけだ、と口を覆っただけだった。
結果としてうまくいったが、何か後遺症があるとも限らない。
早々に医者に見せたほうがいいだろう。
剣をおさめ、カサネを負ぶって山道を下ろうとしたとき、その先にヨルキエが居たことに気付いた。気配を消すことなら一級の男だ。
大方、できることなら暗殺のような方法で山賊を倒したいと思っていたのだろう。
眠るカサネを見て、少しほっとしたように、軽く息を吐いた。
「とんだ災難だったね」
ようやくいつもの飄々とした笑みを見せ、ヨルキエは山賊たちの遺体を見まわした。
このあたりで切ったものが3名、山道で4人。さらに先の道で2人。
結構な大立ち回りとなってしまった。
「オウタはどうした?」
「山道そばの茂みに隠れているよ。早く合流しよう。…心配しているだろうから」
ちょっとカサネの様子を窺って、ふいに指を彼女の唇に伸ばした。
「おい」
スウガも気配で察したのか、咎めるように負ぶったカサネをヨルキエから離すように身をひねった。
「ちょっと突くくらいいいじゃないか。君ばかり役得で」
スウガはぎょっとして、思わずヨルキエをまじまじと見てしまった。
「…なに、見られてないとでも思ってたのかい?ちょっと夢中になりすぎじゃないかな」
からかっているのだとわかっていても、面白くない。
「しょうがねえだろ。ほかに思いつかなかったんだからよ」
「へえ、手は空いているようにみえたけどねえ」
確かにその通りなのだが、返り血で汚れた手で口元を覆うのはとっさにかわいそうな気がしたのだ。
「ま、黙っていてあげるよ。たぶん、初めてだろうしね」
あれは口づけではない、と言い訳したかったが、それも十代の若者のようで気恥ずかしく、小さくため息をつくだけにとどめた。
書き溜めた分はここまでとなります。
続きは少しお時間を頂きます。