最終話:願い
真っ白な墓碑が並ぶ丘の上から、一人また一人と喪服を着た人々が去っていく。アルテナの死を悼み集まってくれた友人たちを子や孫が見送る中、ただぼんやりと空を眺めて思い出を振り返っていたマイルズの元へ、静かに一人の男性が歩み寄った。
「マイルズ、大丈夫か?」
「レヴィ様……リメル様は落ち着かれましたか?」
「ああ、先に休ませてきた」
亡くなったアルテナと同い年の男性レヴィアトは、リメルの夫だ。二人はアルテナの葬儀に駆けつけてくれたが、埋葬を見届ける前にリメルの涙が止まらなくなり、先に丘を下っていた。
わざわざ戻ってまで、リメルの様子を伝えにきてくれたのかと不思議に思っていると、レヴィアトは悔しげに眉根を寄せた。
「すまなかったな、間に合わなくて」
「いえ、充分お力になって頂きました」
「そうではない。治療法が見つかったそうなんだ」
謝罪と共にレヴィアトは書類を手渡してきた。それは、今回もアルテナの命を奪った不治の病の研究報告だった。
レヴィアトは今でこそ婿入りしてリメルの家を継いでいるが、元々は王族で現国王の弟にあたる。今度はアルテナを長生きさせたいと願っていたマイルズは、その伝手を頼って医療が発達している国と連絡を取り、病の研究を長年してもらっていたのだ。
マイルズが多くの研究に出資した事で、いくつもの難病の治療法や予防法が確立された。けれど肝心の胃に瘤が出来る病については、結果が出なかったのだった。
「もう少し早ければアルテナも……」
「仕方ありません、こればかりは」
気落ちした様子のレヴィアトに、マイルズは切なさを感じつつも穏やかに答えた。そんなマイルズに、レヴィアトは困惑したような目を向けた。
「あれほど必死だったのに、ずいぶん冷静だな。無理をしているのではないか」
「いえ、無理ではありません。悲しくはあるのですが……不思議ですね」
愛する妻を失った悲しみは計り知れない。けれど今マイルズの胸に残るのは、何度もアルテナから告げられた「好き」という言葉と幸せそうな笑顔だけだ。
涙に濡れていた前回と違い、今回のアルテナの死顔は微笑みを浮かべていた。愛しい妻が満足して生を終えたという事実が、マイルズの心を支えていた。
「それでも、もし辛い時は言ってくれ。私でよければ、いくらでも話に付き合おう」
「レヴィ様に不足などありません。恐れ多いとは思いますが」
「アルテナが亡くなったからといって、遠慮はいらないよ。確かに最初は、妻やアルテナがいたから君と知り合ったわけだが。今や君は可愛い嫁の父親だ。私たちは親戚だろう」
「あの子は養子に出しましたから」
「それでも血の繋がりは消えないよ」
マイルズとアルテナの間に生まれた長女は、レヴィアトとリメルの長男の元へ嫁いでいる。アルテナとリメルが子連れで度々会っている内に、二人は自然と恋仲になったのだ。
身分の差は、長女をアルテナの実家であるサーエスト公爵家に養子に出す事で解決し、二人は結婚していた。
「可愛がって頂いているのですね」
「息子をよく支えてくれているからね。あの子が嫁で良かったと心から思うよ」
前の人生で、長女は夫と離縁して店の手伝いに励むようになっていた。今回は貴族家に嫁いだが、社交はもちろんの事領地経営でも才覚を表している所が長女らしいとマイルズは思う。
そして同時に、興味深くも思うのだ。他の子どもたちは前回と同じ相手と結婚したというのに、長女だけは全く違う相手と結ばれたのだから。
(あの子もレヴィ様も、未来が良い方に変わったな)
前の人生では、マイルズはレヴィアトと面識などなかった。しかし第二王子だったレヴィアトがどうしていたのかは、情報として知っている。
前回レヴィアトは、リメルではなく海を渡った異国の姫の元へ婿入りするはずだったが、そこへ向かう途中、船の事故で行方知れずになった。その後彼がどうなったのかは分からないが、今回リメルと結婚したレヴィアトは幸せそうだ。
(二人も公爵閣下のように、前の人生を夢に見たのだろうか。もしかして、アルテナも……)
アルテナも前回を知っていたのではないかと思う事は、長い結婚生活の中でも多々あった。それでも最後までマイルズは、それを尋ねる事はしなかった。
それは、微かな希望を無くしたくないからだった。
(最後にアリーが流した涙はきっと、僕と別れるのが辛かったからだ。そう思えるようになったのは、君ともう一度出会えたからだよ。アルテナ)
もしアルテナにも前回の記憶があったり、夢で見たりしたのなら。何度もマイルズに好きだと伝えてくれたアルテナは、前の人生でも幸せだったという事だろう。そうでなければ、またマイルズを好きになってくれるはずはない。
そんな思いを否定されたくなくて、マイルズは誰にも死に戻った事を話さなかった。
切なさと愛しさを感じながら、アルテナが眠る墓碑を見つめるマイルズの肩を、レヴィアトが励ますように叩いた。
「必要な時は、いつでも連絡してほしい。君が来ればあの子も喜ぶ。アルテナだって、そうした方が嬉しいはずだよ」
「そうですね」
頷いたマイルズに「約束したからね」とレヴィアトは言い残し、先に丘を下っていった。気がつけばいつの間にか、墓の前にはマイルズしか残っていなかった。
「みんな、気を遣ってくれたのかな」
マイルズはそっと白い墓碑を撫でる。冷たい墓の感触に胸の痛みを感じながら、マイルズは土の下で眠るアルテナに語りかけた。
「アルテナ、聞いていた? 治療法が見つかったらしいよ。もしまたやり直すことになったら、今度はあなたを助けられるね。でも、そうしたら……今度は僕があなたを置いて逝くことになるのかな。だとしたら、もうやり直さなくていいと思うんだ」
前回は、二人で余生を楽しもうとした矢先にアルテナの命が尽きてしまったから、後悔してもしきれなかった。
けれど今回は、若い内から二人で国中を飛び回り、やりたい事をやり尽くしてきたから、後はのんびりと余生を過ごすだけだった。
そうなれば、年上のマイルズがアルテナより先に逝く事になったかもしれない。今マイルズが抱えている悲しみをアルテナに背負わせる事は望まないから、それはそれで嫌だった。
「あなたに会いたくないわけじゃないんだ。むしろまた会いたくて堪らない。だから……」
再び愛する妻を看取った事で、マイルズはある事を思い出していた。
一つは、前の人生でアリーの死に耐えきれずに叫んだ自身の言葉で。もう一つは、二度目の人生で初めて教えられた、父の故郷に伝わるという神の話だ。
もしこの不思議なやり直しの人生が、マイルズの言葉を聞いた神の気まぐれによるものなら。これから口にする事も叶うかもしれない。
むしろそうあればいいと思いつつマイルズは跪き、アルテナの名が刻まれた墓碑に額を押し当てた。
「死んだ後にどうなるかは分からないけれど、それがどんな形であれ、またあなたと巡り合って愛し合いたい。だからまたいつか、僕に声を聞かせてくれないか。アルテナ」
目を伏せて懇願するように呟けば、ザァと丘に風が吹いた。目を開けて顔を上げると、風に吹き上げられた花びらが辺りを舞っていた。
アルテナの瞳を思わせる青い空から、ヒラヒラと舞い落ちる黄色い花びらは、美しかったアルテナの金髪にも見えて来る。
それがアルテナの答えのように思えて。マイルズは約束を交わすように、手のひらに落ちてきた花びらに口付けた。
<完>
これにて、マイルズ視点の番外編も完結となります。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!




