16:愛する人
前の人生でアリーと出会ったのと同じ日、マイルズは休みをもらい、朝から晩まで娼館の様子を見守る事にした。
傍らには、娼館を出入りする男たちを長年探ってくれていた、荒事専門の探偵がいる。娼館の裏口を見下ろせる集合住宅の一室で、マイルズは人の出入りがないか確認しながら探偵の報告を聞いた。
探偵の話によれば、前の人生でアリーを運び込んだ男は、ここ最近は大きな仕事がないと愚痴を言いつつ酒浸りとなっているらしい。
隣国グラナダや国内で令嬢の誘拐事件が起きたという話も聞かないし、港町にはここ最近大きな人の出入りもない。今日ここにアリーが連れて来られなければ、あの恥ずかしがり屋の少女がアリーで間違いないだろう。
期待を胸に、マイルズはじっと娼館の裏手を見つめる。時折下男の出入りがあるだけで、怪しい動きは何もなく。いつしか日は落ちて、暗くなった部屋に探偵が明かりを灯した。
「坊主、まだ粘るつもりか?」
「いえ、もう充分です。前にも話した通り、これまで調べてもらった内容は警備隊に通報してもらえますか」
「それは構わないが、本当に俺の手柄にしていいのか?」
「ええ。僕がここを調べていたことは、誰にも言わないでもらいたいので」
「変わった奴だな。だがまあ、分かった。後は任せておきな」
「今までありがとうございました」
「こっちこそ。いい仕事をさせてもらったよ。また何かあれば声をかけてくれ」
違法な人身売買をしてきた娼館は、これで消える事になるだろう。長年世話になった礼を伝え、マイルズは部屋を出た。
いつもなら嫌悪感すら感じていた花街だが、喧騒を抜けて家路につくマイルズの足は軽い。空に浮かぶ大きな月を見上げて、マイルズは胸に広がる喜びを感じた。
(間違いなくあの子がアリーだ。今回無事だったのは、店に来てくれたからでもあるんだろうか)
娼館にアリーは現れなかった。前の人生と同じ事は起きなかったのだ。
成長した恥ずかしがり屋の少女は、今ではアリーとほぼ同じ顔になっている。ほぼ、というのは、アリーよりさらに美しいからだ。凄惨な体験をする事なく、幸せに暮らして来れたからだろう。
そしてこの結果に、マイルズは自分が未来を変えた事も関係しているのではと思えた。
二年前、少女と初めて会った時に、彼女は複数の男たちに囲まれていた。もしかしたら前回は、あそこで連れ去られてしまったのかもしれない。
そうでなかったとしても、前の人生には存在しなかった店にあの少女は足繁く通ってくれた。それが何より彼女の未来を変えたのではと思えてならなかった。
(アリー、早く会いたい。そして今度は声を聞きたい)
少女はマイルズに想いを寄せてくれているはずだ。何も知らなくても、また自分を好きになってくれたのかと思うと嬉しくて仕方ない。
そして一度だけ聴いた小さな声が、マイルズの脳裏に浮かぶ。あの声で自分の名前を呼んでくれないだろうか、たくさん話を聞かせてくれないだろうか。そして自分にも、彼女の本当の名前を呼ばせてもらえないだろうか。
マイルズの心は浮き立ち、一日でも早く彼女に会いたいと願った。
そうしてマイルズは、アリーが来るであろう日を指折り数えて待ったのだが。意外にもその日に、アリーは来なかった。
(何かあったんだろうか。いつも護衛をつけていたし、リメル様だって一緒だから危ない目にはあっていないだろうけれど)
ソワソワしているマイルズを見かねてか、父親から今日は早めに帰るよう言われてしまった。マイルズは帰り支度を整えると、一抹の不安を抱えたまま店の裏口から出た。
すると驚いた事に、夕暮れ時で薄暗くなった裏路地にアリーが立っていた。
「……お嬢さん?」
唖然として問いかけると、アリーは気まずげに視線を彷徨わせた。
いつも通り可愛らしく着飾った彼女は、少女というよりもう立派な大人の女性だ。それなのにどこか不安げなその姿からは、隠しようもない色香が感じられる。こんな薄暗い裏路地にいては危ないだろう。
先ほどまで心配していた事もあり、マイルズは思わず顔をしかめた。
「こんな時間にこんな場所で何をしてるんですか。危ないでしょう。護衛の方は?」
愛しいアリーの姿を誰にも見せたくなくて、マイルズは自分の外套を羽織らせた。周囲にはリメルはおろか、いつもいる護衛の気配もない。
マイルズの問いかけにアリーは俯きつつ緩く頭を振っており、マイルズはアリーの肩を掴んだ手に思わず力を込めた。
「護衛も付けていないんですか? どうしてこんな……それは?」
そこでふと、マイルズはアリーが手紙のような物を握っているのに気がついた。
(誰かに渡すために待っていたのか? もしかして、まさか僕に……?)
これまで常に護衛もそばに置いていたし、前の人生でのアリーだって愚かな娘ではなかった。理由もなく、こんな場所に一人でいるとは考えられない。
もし手にしているそれが手紙でマイルズに宛てたものなら、恋文なのではないだろうか。照れ屋な彼女が勇気を出してくれたのかもしれない。だとすれば、告白するのに一人でここにいたのも納得出来る。
そう思って期待しつつ問いかけたのだが。アリーはそれを隠すように胸に抱きこんでしまった。
(僕の勘違いなのか? でも他に考えられないし……どうにかして話を聞かないと)
目の前の少女がアリーだと確信している今、マイルズは浮かれている自覚がある。もし全くの見当外れだったとしても、彼女の事は何でも知りたい。けれどあまり食い付いては、このまま逃げ帰ってしまいそうだ。
ついつい踏み込んでしまいそうな気持ちを落ち着けようと、マイルズは小さく息を吐き、軽く屈んでアリーの顔を覗き込んだ。




