17:愛しい声
「僕に何か仰りたい事があったのでは? それとも、その手紙はうちの父にですか?」
手紙を抱きこんで動かないアリーに出来る限り穏やかに問いかけると、アリーは無言で頭を振った。では一体それは何で、ここには何のためにいたのだろうか。
彼女が話すのを、じっと待ってみたのだが。アリーはよほど緊張しているのか、目に涙を滲ませて助けを求めるように上目遣いで見つめてくる。
その上、呼吸も浅くなっているようで小さな唇も薄く開いており、マイルズの目にはどうにも艶めかしく映った。
(アリー……。いや、ダメだ。彼女はアリーだけど、アリーじゃない。好かれてるには違いないはずだけれど、ちゃんと気持ちを聞いてからじゃないと)
愛しいアリーの唇に以前のように触れたいと、体中を熱が一気に巡る。つい手を伸ばしそうになったが、マイルズは口を引き結んで欲を抑え込み、衝動を誤魔化そうとガシガシと頭をかいた。
「このままじゃ、門限も過ぎるでしょう。寄宿舎まで送りますよ」
どうにか理性を保って告げると、マイルズはアリーの背中をそっと押した。けれどアリーはその場から動かず、急に振り向いてマイルズに手紙を押しつけてきた。
「僕が読んでいいんですか?」
驚きつつも受け取り問いかければ、アリーは真っ赤な顔で何度も頷いた。よほど恥ずかしいのだろう、アリーはそのまま背を向けて駆け出そうとする。
けれどもうそれだけで、我慢していたマイルズの心は振り切れた。
(勘違いなんかじゃなかった。ああ、アリー……!)
衝動のまま手を伸ばし、マイルズは逃げようとする愛しい背中を抱きしめた。
「中身、読まなくても分かりますよ。でも……僕は平民です」
万感の想いを込めて、マイルズはアリーの耳元で囁いた。今の自分たちには、前の人生とは違って突き崩せない大きな壁がある。それでもこうして気持ちを伝えてくれた事が嬉しくて。同時に、本当に自分が相手でいいのかともマイルズは思った。マイルズにとっては、アリーの幸せが第一なのだ。
身分を捨てずに済んでいる今のアリーには、いくらでも選択肢がある。もちろん自分だってアリーを幸せにするつもりはあるが、貴族のそれとは比べ物にならないだろう。アリーにどこまでの覚悟があるのかを、マイルズは確かめたかった。
するとアリーは、涙目でマイルズを見上げてきた。不思議そうなその顔に、マイルズは苦笑を浮かべた。
「お嬢さんは分かりやすいですから。僕がどれだけ我慢してたか、知らないでしょう?」
呆然としているアリーの前に、マイルズは跪く。自分を選んでもらいたいと願いを込めて、時を越えても一心に捧げてきた真心を、改めてアリーに差し出した。
「お嬢さん、僕はあなたの名前も知らない。でもあなたが貴族のご令嬢なのは分かります。僕ではあなたの隣に立てない。それでも僕を求めて下さるんですか」
今のマイルズから伝えられるのは、これで精一杯だ。本当はその声で答えを聞かせてほしいけれど、照れて話せないなら頷いてくれるだけでもいい。手紙はもちろん後で読むつもりだけれど、今ここで直接返事をもらいたい。
そう思って、ただ静かにアリーの返事を待つと、意外にもアリーは震える唇をゆっくり開いた。
「わたくしはアルテナといいます。あなたが好きです、マイルズ様」
ようやく聞く事が出来た愛しい声が、マイルズを満たしていく。自分の名を呼び、好きと言ってもらえた事。そして本名を直接伝えてもらえた事。それらがマイルズに歓喜をもたらした。
「アルテナ……やっぱり可愛らしい声だった。あなたに会った時から、ちゃんとあなたの声を聞きたいと思っていました」
「ちゃんと……?」
「あの時はたった一言、はい、としか聞けませんでしたから」
二年前、アリーことアルテナは涙混じりにほんの小さな「はい」という一言を漏らしていた。それを伝えれば、アルテナは驚いた様子で目を見開いた。
「あれを覚えていてくださったのですか」
「もちろんです。僕はそれぐらい、あなたに夢中だったんですよ。僕もあなたが好きです、アルテナ」
「マイルズ様……」
平民のマイルズを、アルテナは様付けで呼んでくれた。それは、互いの身分など気にせずにそばにいたいという気持ちの現れだろう。
そう思って、マイルズもまたアルテナを呼び捨てにしたのだが、どうやらそれは当たりだったようだ。
嬉しそうに微笑んだアルテナの瞳から、ホロリと涙がこぼれ落ちる。二度の人生の間に、何度もアルテナの涙は見てきたが、感極まった声で自分の名を呼ばれるのは格別だった。
マイルズはアルテナの涙を指先で拭うと、ようやく再会出来た最愛に唇をそっと重ねた。




