奈落の姫君
火山の国の城は、数十年前大火事により、大部分が消失してしまった。
再建している建物もあるが、一部の建物は焼けたままになっていた。
そのうちの一つが牢獄塔である。
その名の通り、地上七階から、地下六階まであり、最上層と最下層を除き、一階につき六部屋牢獄があった。
今となっては、地上部分は焼失しているため、牢獄として機能しているのは、地下部分のみである。
ロシェは蝋燭を持って地下へと続く階段を降りていた。
遥かに続く階段は、まるで地の底の地獄まで続いているようだ。
しばらく降り続け、やっと最下層に到着した。
そこにいたのは真っ黒のローブを見に纏った男かも女かも分からない人物。
ロシェの姿を確認すると、静かにひざまずいた。
「スウ、あの方は?」
真っ黒のローブを身に着けた者はスウというらしい。
スウは何も言わず、奥にある扉を指さした。
スウは静かに立ち上がり、壁にとりつけられた蝋燭に火をつけ始める。
全ての蝋燭の火がついたとき、この場所の全容が見て取れた。
ロシェの目の前に飛び込んできたのは、巨大な何者も通さぬという強い意志を持ったかのような重厚な扉だった。
扉の左側には、スウと同じく、真っ黒なローブを纏った者が立っていた。
「テラン、開けて貰えるか?あの方に話がある。」
扉の左側にいる者を、ロシェはテランと呼んだ。
名前を知っているということは、この二人とロシェは親しい間柄なのだろうか。
スウとテランは顔を合わせ、相談するように近づいたが、すぐに離れ扉を開けた。
そのまま入って行こうとするロシェにスウが止めようと手を延ばす。
「分かっている。」
そういって持っていた蝋燭の火を吹き消し、闇に包まれた部屋に入って行った。
ロシェの入った扉はもうすでに閉ざされているのか、部屋には光と言ったものは一切なく、ロシェは入ってすぐに足を止めた。
「珍しい客人ね。」
ロシェの前方から声、座っているのか随分下の方から聞こえた。
ロシェは声の聞こえたほうに向かいひざまずく。
「お久しぶりです。アウルム様。」
敬語を使い言った。
ロシェは普段、彼より上の立場であるジルベルにでさえ敬語を使わない。
もちろん、それはロシェとジルベルの間に確固とした信頼関係があるためではあるが。
この者はジルベルより上の存在なのか。
アウルムはくすりと女性らしく、笑い言う。
「20年振りね。私のことなど、遠の昔に忘れていると思ったわ。」
小鳥のさえずるような美しいアウルムの声に、ロシェは固く瞳を閉じ、さらに頭を垂れた。
「忘れていたわけでは…。」
「分かってます。それに私は、お前に牢屋から出ろと言われても、動かないつもりだったわ。」
闇の中で、弁明しようとしたロシェの言葉を止めた。
アウルムは腕組みをしたのか、衣の擦れる音がする。
「では、お召し物を返却されたのは出る気がなかったからなのですか?」
「…まあ、そういう理由もある。」
火山の国の反乱が終わった後、ロシェは度々アウルムに服を贈っていた。
アウルムは前国王から、無実の罪で投獄された身。
釈放されるのは当然なのだ。
しかし、アウルムは服を送り返し地下牢から出ようともしなかった。
「それで、ロシェ。用件を聞きましょうか。」
「…用件は二つ…。まず一つ目は、ジルベルが…重傷で、危険な状態です。橙の民と名乗る者に襲撃に会いました。」
この暗闇の中でも、アウルムが動揺していることが伝わった。
「橙の民ですって!?」
人一倍大きな震えた声で言ったアウルムはすぐにはっとなり、一つ咳払いをする。
「…ごめんなさい…そう、あの民がね…。」
ロシェは居住まいを正すと、また深々と頭を下げた。
「守ることができなくて、申し訳ありませんでした…。」
「…顔を上げなさい。」
この暗闇の中、全てが見えているのかアウルムはロシェにそう指示した。
「幼い時から、勘の鋭かったお前が、ジルベルの危機を察知できなかったのは残念なことだけれど…別に気にすることじゃないわ。彼はまだ、生きているんだもの。」
自分に言い聞かせるように言ったアウルムの声を聞き、ロシェは悔し気に唇を噛み締めた。
「橙の民の目的は、“橙の瞳”なんじゃないの?」
「…!?何故それを…?」
「やはりね…仕方ない…私は地上に戻るわ。」
ロシェはとても驚いていた。
ロシェがこの地下牢にやってきたもう一つの理由は、アウルムを地上に出させ、彼女を王族の一人として迎え入れたいがためだったのだ。
「本当のことを言うと、地上に出るのは億劫。私は20年間も地下にいたから、身体的にも問題は多いし、目だって光を嫌っている。」
ずっと暗闇の中で生活してきたものの最も酷なことは、光を浴びることだ。ロシェもそれを察し、先ほど蝋燭の火を消してこの部屋に入った。
「それに、私はジルベルの前に出るべきではないと思ったの。いきなり、私なんかが、あなたの姉だ。なんて言ってもピンと来ないだろうし…変に思われるだけ。」
「自分を卑下なさらないでください。あなたはあいつの…ジルベルのたった一人の家族ではありませんか!」
アウルム。
その名は、アウルム・ヴォルガン。
彼女はジルベルの実の姉だった。
彼女の幼い頃、女王である彼女の母が父によって殺された。
アウルムもその時、父から因縁をつけられ、地下深くに幽閉されてしまったのだ。
「…自分を卑下しているつもりはないわ。」
ロシェの前に立ったのか、彼の前方近くから声が響いた。
アウルムが何か合図をしたのか、扉付近に控えていたスウとテランの二人が、次々と蝋燭に火を燈し、辺りは徐々に明るくなる。
「私を見なさい。ロシェ。」
今まで下を向けていた目を、ゆっくりと上げた。
そこにいたのは、幼い時から、何も変わっていない長い赤毛の少女。
閉じ込められた当時と、何一つとして変わっておらず、成長していない少女がそこにいた。
「アウルム様…?」
「…こんな小さな私が、姉だと言っても、ジルベルは信じられないと思うけど。」
「どうして…?」
「私にも分からない。気づいたら成長が止まっていた。普通なら、お前と年相応の女になっていたところだろうけどね。」
くすりと笑う顔立ちは、少女のそれであるのに、身に纏う雰囲気は大人びたものだ。
「いいこと、ロシェ。私がジルベルの姉だということは黙っていなさい。これは命令です。私はただのアウルム。ただの囚人…いえ、ただの宰相として、扱いなさい。」
軍の指揮は私がとろう。
そう言わんばかりに、アウルムははっきりと言った。
ロシェは安堵の笑みを浮かべた。
外見も、内面も、幼いときと何一つ変わっていない。聡明で正義感の強い女性の姿がそこにあった。