右腕の無い少年
砂那は最後のお札を地面に刺して、立ち上がると、足をもつれさせた様によろめき、近場の木にもたれ掛かった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
先ほどから体が変だ。少し走っただけで直ぐに疲れがやってくる。擦り傷以外の外傷は無いものの、あの外人の九字切りで、思いのほかダメージを受けたのだろうか。
『砂那』
「はぁ、っ………蒼、じゅ、準備出来たよ」
息を荒くしたまま、イヤホンマイクに呼びかける。
『息が荒いぞ、大丈夫か?』
「えぇ、大丈夫、これで終わらせるわ!」
砂那は気丈にそう返すと、木から体を離し、コートのポケットから五十芒星を書いた紙を取り出し、意識を集中していく。
風邪をひいたときの様に、体が怠い。しかし、あとわずかで終わりだ。気を抜かず、ミスをしないように、昨夜の練習通りにやれば出来る。
そう自分に言い聞かせ、砂那は力を振り絞り、左指で五十芒星を描いて行く。
「ほう、やるな。流石は蒼が肩入れするだけのことはある」
ベネディクトは山を見下ろしながら、砂那の五十囲いに、素直に驚いていた。
幼いながらにこの結界を張るとは、末恐ろしい。
本当は囲い師になりたかったが、全く才能が無く諦めた彼にしては、これを近場で見るのは複雑な気分だろう。
「まったく、こんなもの見せられたら嫉妬するよなぁ、蒼」
ベネディクトは少し皮肉った様子で、そこには居ない蒼に対して言った。
「やられたな」
篠田は感心したように、五十囲いを見上げた。
彼女の正確な年齢は知らないが、自分があの年齢あたりの時には、まだ五十囲いは出来なかっただろう。
「それも、あのおっさんの九字切りを受けて尚、囲えるか」
彼女が霧ヶ峰の鬼を祓えば、篠田の思惑は外れ、全てが台無しになる。彼の計画の、唯一の計算外が砂那だった。
「………だがな、ここからだぞ折坂 砂那。多角の囲いは、囲うより祓う方が困難だ。ここで祓えたら俺の徒労で終わりになる。まっ、頑張りな」
篠田は社務所の日陰から出て、雨に打たれながら五十囲いを見上げて、他人事のように呟いた。
その様子を見ていた辰巳はイラついたように篠田に声を掛ける。
「少しはお前も手伝えよ!」
「囲いが発動したんだ。もう悪霊が出てこないだろ」
「周りを見てみろ! さっき出て来たのが一杯居るだろ!」
「その程度なら、ほぉっておいても大丈夫だ」
篠田は屁理屈ばかりを並べて、全く手伝おうとはせず、山を見上げたままだ。
辰巳は溜め息を吐くと、篠田に頼ることを諦め、辺りを漂う悪霊を囲って行った。
異変に気付いた霧ヶ峰の鬼は、攻撃の手を止めると辺りを見渡した。同じく、木の陰に隠れて二人の戦闘を盗み見していた翠も、顔を上げてそれを見る。
淡い光が山を囲っていた。
「――――凄い。………折坂………あなた、ここまで凄い囲いを張れるんだね」
篠田は作戦のために、この山を囲わないと言っていた。ならば、囲ったのは蒼と一緒にやってきた砂那なのだろう。
篠田も囲い師として凄いのだが、この山を囲う砂那も凄い。
今まで張られていた、あの素晴らしい結びよりは劣るものの、それに近い結界を張っているのである。
翠は、自分がその域に達するまで、何年かかるのか解らなかった。
いや、ひょっとすると、辿り着けないかも知れない。囲い師のなかでも、そこに辿り着ける者は少ないだろう。
「………まだまだ、遠いわね」
例え翠が、篠田や砂那より強力な、霧ヶ峰の鬼を式守神にしたとしても、囲い師として彼等にまだまだ追いつけないだろう。でも、何時かはそこに辿り着くと翠はその囲いを見ていた。
そして、鬼はひどく顔をゆがませると、蒼に顔を戻した。
自由を奪われることは、鬼にとってそこまで苦痛ではない。大きな神社に祀ってもらえるし、お供え物もある。しかし、過去に自分を結んだ結び師よりも若く、徳の薄い術者からの攻撃が許せなかった。
自分に歯向かってくる、霊力の乏しい未熟な祓い屋。その癖に中々捕まえられない。もう、怒りも頂点に達している。
霧ヶ峰の鬼は振りかぶると、大きな拳を蒼に叩きつけた。
先ほどまでは、捕らえようと腕を振り下ろしていたのが、今はただ蒼を叩き潰す為に振り下ろしている。だから、威力、スピード共に今までとは違う。
蒼は炎を纏った右腕で、鬼の拳に拳をあてて攻撃を打ち止める。
「霧ヶ峰の鬼よ、悪いがうちのリーダーが祓うまで、足止めさせてもらうぞ!」
蒼のその右腕が当たるたび、雷光が飛び交い、雷鳴が轟く。しかし、鬼は雷撃には怯まず、攻撃の手を緩めない。
先ほどより激しくなる攻防を、翠は木陰から覗いていた。
理由か解らないが、その右腕は篠田の式守神、三火八雷照のはずだ。確かに蒼もその名を呼んでいたので間違いはないだろう。
蒼の攻撃は翠の常識を超えている。式守神の腕を持っていることも驚きだし、篠田が視野が狭いと言った訳も頷ける。
これは、翠の知る限り、どの浄霊方法にも含まれないからだ。
霧ヶ峰の鬼は、さらに攻撃を激しくさせていく。左右の大きな拳を振りかぶり、何度も何度も何度も何度も、蒼に向けて叩きつける。これが蒼にしては分が悪かった。
蒼の三火八雷照の腕は、先ほどの竜の腕よりは強力だし速いが、所詮は片腕である。
次第に鬼の攻撃の速さに着いて行けなくなり、避けることで精一杯になっていく。
鬼の攻撃は魂を傷つける。彼の右腕の、式守神の腕なら防御は出来るが、それ以外の場所は全て避けなければ終わりだ。このままでは、彼が鬼の腕に捕まってしまうのは時間の問題だろう。
翠は思わず、小さく呟いていた。
「………折坂、早く! 早く祓いなさい!」
砂那は五十囲いを前にして、左手を前に出した。
後は道を開いて、強制的に霧ヶ峰の鬼を還すだけで終わりだ。
戦闘が激しくなって来たのか、イヤホンマイクから聞こえる蒼の息遣いが荒くなる。早く祓ってあげないと、何時までも持たないだろう。
「蒼、今から祓うから、少し離れててね!」
『わっ、解った………距離を開けるからやってくれ!』
蒼の焦りの声が聞こえてくる。やはり、あまりよろしく無い状況になって来ているようだ。
砂那は意識を、霧ヶ峰の鬼と五十囲いの中心に持って行き、左手を握りしめようとする。
「っ?!」
しかし、いつもは簡単に握りしめれるそれが、五十囲いのは握り潰すことが出来ない。
まるでコンクリートで出来てるように固い。
砂那は歯を食いしばり、さらに強く左手を握りしめる。
『くっ、』
砂那が祓うと言ってから、何度か霧ヶ峰の鬼と距離をあけるが、結局は何も起こらず、再び鬼は距離を詰めてくる。
『むっ、くっ………』
雨が滴る、足場の悪い山の中で、しかも、一撃が当たると終わりな攻撃を、大きく身体を動かせてかわしているので、蒼の息が上がり体力も奪われていく。
これ以上長引けば、本格的に不味いだろう。
『くっ………』
イヤホンマイクから砂那の力む声が聞こえるが、一向に鬼は祓われない。
「はぁ、はぁ、………砂那っ」
『蒼っ、』
早くしないと彼が危ないのだ。しかし、砂那の気持ちとは裏腹に祓うことが出来ない。少し休憩して、体調を整えたなら何とか祓えると思うのだが、そんなことは言ってられない。これ以上は、自分の力不足のために彼を危険にさらすわけにはいかなかった。
砂那は歯を食いしばりながら現状を認めた。
『……………ごっ、ごめんなさい。………駄目っ、駄目なの。握りつぶせない………祓えないの! ごめんね、ごめんなさい』
「砂那………」
何度も謝る彼女の言葉に、電話越しではあったが、蒼には砂那の表情が読み取れた。
勝気な彼女の事だ、その台詞を口にすることが、どれほど悔しいことか。
「はぁ、はぁ、無理もないぞ、さっきの九字切りの攻撃が効いているんだ」
そうフォローを入れながら、蒼は直ぐに次の手を考えだす。
いくら砂那を言葉で助けても、こちらの危険な現状は変わらない。鬼の攻撃は激しく、そろそろ避けるのも限界が来ている。
『囲いを解除するから、蒼は逃げて! あとはわたしと八禍津刀比売が仕掛けるから!』
「それは………」
蒼はその後に続く「無茶だ」と言う台詞を飲み込んだ。
現在蒼が使っている、篠田の三火八雷照の霊力は、砂那の八禍津刀比売とほぼ同等だ。その篠田の式守神の攻撃がきかないのだ。
片腕と式守神の本体では話は変わるだろうが、それでも霊力の大きさから考えて、砂那が自分の式守神で攻撃を仕掛けた所で、今の蒼と同じ結果になるだろう。そこまでこの鬼の霊力は高い。
それが解っているのか、砂那は自分の式守神に言う。
『八禍津刀比売、付き合わさせちゃうけど、ごめんね』
蒼は鬼の攻撃を大きく屈んでかわすと、一歩後ろに下がり、右手を鬼に差し出してを広げる。その瞬間に、三火八雷照の腕から鋭い雷が鬼めがけて飛び出す。鬼は驚いた様子で、両手でそれを防いだが、霊力の差から考えれば、これもただの足止めにしかならないだろう。
しかし、足止めでいい。
蒼は何度も雷を放ちながら、鬼を睨んだ。
砂那にそんな台詞を吐かすことになった、鬼も、自分も、少しだけ許せなかった。
――――余りトラブルは起こすなよ、右腕の無い少年――――
ベネディクトの忠告が耳に残る。
たまに、あの人は予知能力があるのかと疑う時がある。全くその通りになった。しかし、囲いの中なら誰も居ないし、これからすることを霊視をされることは無い。それならさほどトラブルには成らないはずだ。
蒼は覚悟を決めた。
「………砂那、囲いはこのままでいい」
『このままでいいって………駄目だよ。早く逃げて!』
「いや、このままにしてくれ。俺が鬼を祓うのに必要なんだ」
『祓うのにって………祓えるの?』
「あぁ、この囲いが有るならな」
『………………』
砂那は下を向いて唇をかんだ。
確かにこの囲いから、霧ヶ峰の人喰い鬼を出すと、どれ程の被害が出るか見当もつかない。しかし、いくら砂那が魔法のことを知らないと言っても、魔法がそこまで万能なのかと不安が残る。
砂那は返事が出来なかった。
五十囲いを失敗した今、砂那に残された手段は、彼女の持つ式守神、八禍津刀比売による攻撃しかない。だが、彼女の見極めから考えると、それでは祓うのが難しいだろう。
「砂那頼む、信じてくれ」
彼がそう言う。
昨日か、一昨日か。
出会ってそんなわずかしか経っていない人物を、信じる信じないなど語れるはずはない。それも、命がけな内容をだ。
しかし、彼は今まで言った言葉をすべて実行している。単独で鬼の足止めさえも。
砂那は顔を上げると、自ら張った囲いを見上げた。
『蒼、だったら約束して、危なくなったら直ぐに言うと』
彼女は蒼を信じることにした。
このままで行っても、彼女の力だけで打開策は厳しいだろう。それに、自分を認めてくれた人物が、信じてくれと言っているのだ。信じない理由が思いつかなかった。
「砂那、………ありがとう。約束する」
蒼は鬼に向かって微かにほほ笑んだ。
『蒼、』
「ん?」
『駄目なら、次はわたしがいるから。………だから、無茶をして、死なないで!』
その台詞に、蒼は一呼吸置いてから答えた。
「………まかせろ!」
雷撃の攻撃が止まった事で、鬼は両手を下げると、顔を下げ蒼を見た。
二人の目線が合い、お互いに楽しそうに口元を弛める。
一瞬、穏やかになったように互いの攻撃が止まる。それは嵐の前の静けさだ。
「そろそろ、終わらせようか」
蒼の台詞にたいして頷くように、鬼は一つ肩を回した。
「アンインストール」
蒼も答えるように右腕を消す。
そして、翠は篠田の言う台詞を噛みしめた。
そう、ここから篠田の言った通りだった。
『今から行く場所で、君は想像を絶するものを見るだろう』
それは確かに想像を絶していた。
「ダウンロード、」
蒼の声が囲いの中に響く。
その瞬間、何かを感じ取ったのか、結界の中の少ない小動物や昆虫、低級の悪霊たちが、一斉にこの囲いから逃げようと、蒼の周りか離れるようにざわめき出す。
翠も、まだ蒼が次の腕を出していないのに鳥肌が立ち、鼓動が早くなった。
「――――アンナ!」
現れたのは普通の腕。
そして、理解した。




