13. 決意の炎
朝起きて、右目を閉じたまま起き上がる。
正面にはやはりシルヴィアが立っている。
「おはようございます、ベルベット様」
「うん、おはよう」
まだ少し眠い目を擦っていると、シルヴィアが何かを期待する目で俺を見た。
「右目は開けんぞ」
「そんなぁ……」
「な~にが、そんなぁ、だ! 朝っぱらからお前の歪んだ性癖に、俺を付き合わせるんじゃねぇよ!」
「ベルベット様が私をこうしたのに……」
「そんな覚えはない!」
ない……よな?
ないよ。
うん。
「ったく、さっさと眼帯をよこせ」
「……はぁい」
シルヴィアは不満そうに唇をとんがらせ、両手に乗せた黒い布を差し出す。
俺の右目を隠すために特注で用意された眼帯だ。
ただの布切れと思うなかれ。
長時間装着していても暑さで蒸れないように通気性を考え、素材と設計に拘り抜いた機能と美観の両立。公爵家御用達の衣服商が製作した最高級の逸品――らしい。
ちなみに、目を隠す部分に公爵家の家紋を入れるだの可愛い花柄を入れるだのと両親や使用人たちが一緒になって真剣に話し合っていたが、俺が全部却下した。
『せっかく職人が苦労して作り上げた傑作に水を差すもんじゃない。コイツはもう完成されたものなんだよ』
本当は無駄に凝った刺繍なんぞ入れて、またバカ高い手間賃を発生させるのが嫌だっただけだ。
ただでさえ、この眼帯はヴァルトハイム大金貨五枚(日本円だと二五〇万円くらい?)というクソ高い値段を払って作らせている。ただ目を隠すだけの物に、これ以上の金を払うのは俺の価値観からするとバカらしかった。
しかし、それっぽい理由をこじつけた俺に対し、眼帯を納品しに来た衣服商の職人は涙を流して頭を下げた。
『我ら職人の気持ちをそこまで汲んで下さるとは……っ! 心より感謝いたします! 本日は代表として私だけがお伺いしましたが、この眼帯の製作に関わった職人一同にも必ずや、ベルベット様のお心遣いを伝達させていただきますぞ!』
『え……? ああ、うん』
なんか、ごめん。
家族たちにもやたら感心されてちょっと気まずくなったことは、俺の胸に秘めておくとしよう。
そんな前日譚のある眼帯を装着し、俺は鏡で自分の姿を確かめる。
なんの飾り気もない黒い眼帯。
少女が身に着けるには少々武骨すぎる。
しかし、自分でいうのもなんだが、そんな眼帯を着用した姿もなかなかに似合っていた。
「やっぱり花柄を入れた方が、ベルベット様の愛らしさが増してお似合いになると思うのですが……」
「花柄だけは絶対にねぇよ……」
幼稚園児のナップサックじゃねぇんだぞ。
「にしても、厄介な能力を手に入れたもんだぜ」
右目を開けている状態では常時能力が発動してしまう。
本来は能力をオン・オフできるのが一般的らしい。
だが、俺の場合はそんな融通が利かない。
能力のコントロールができるように訓練すれば、いつか眼帯なしでも生活できるようになるかもしれないとエリガド爺さんは言っていたが……。
残念ながら、今のところその兆しはまったく見えない。
「能力の訓練か……さて、どうしたものか」
片目が使えない生活というのは普通に不便だ。
それに、距離感が狂うせいでこれまで練習してきた剣術や体術にかなり影響が出ている。片目を塞いだ状態で訓練をするようになったが、出来れば片目で戦えるようにするよりも能力を使いこなして両目で戦えるようになりたい。
相手を動けなくする魔眼と接近戦の組み合わせって、めちゃくちゃ強そうだし。
でも、ピンチになるまで片目を封じて戦って、いざとなったら能力全開放で敵を圧倒する展開も捨て難いか?
悪役ムーブとして、第二形態、第三形態を用意するのは様式美みたいなもんだしな。
「うーむ。やはり能力の使い方も色々と研究したいな。朝の訓練に、昼の座学。さらにお母様の淑女教育と魔眼の研究。……圧倒的に時間がたらん。魔眼の特訓には実験体も必要だしなぁ……」
「好きなだけ私の体で実験してくださって良いのですよ?」
「アホ言え。こんな下らんことで手間と時間を掛けて育てた側付きを死なせでもしたら、俺がお母様に殴られる」
殴られる程度で済むだろうか。
どうも母はシルヴィアに対して愛情深いところがある。
下手をしたら半殺しになりそうだ。
「それに、お前がこの屋敷に来てから今日まで、一体どれだけの税金で養われてきたと思っている。もうお前の命は、一人だけのものではない。もっと自分の命の重みを自覚することだな」
「べ、ベルベットしゃま……」
シルヴィアはその場で身悶えして涙ぐむ。
昔はもっと無感情で静かだったのに。
なんか、最近はやけにオーバーリアクションなんだよなぁ。
それからいつもの朝支度を済ませた俺は、朝食を取りに屋敷の食堂へと向かうのだった。
長テーブルに俺と父、母が三角形を作るような形で座る。
テーブルの席は十以上ある。
だが、いつも埋まっているのは三つだけ。
来客時のことを考えてのものなのだろう。
しかし、俺にはスペースの無駄遣いに思えてしまう。せめて後ろに控えている使用人たちも座らせて、一緒に食事をさせてはどうだろうか。どうせ俺たちが食べ終わってから彼らも食事の時間を取るのだから。
な~んてことを俺は考えてしまうのだが、しかし、貴族の風習だかなんだかでそれはできないのだろう。効率は悪いが、貴族は効率よりも伝統だのを重んじたがる。
「ベルベット」
「はい、なんですかお父様?」
下らない考え事をしながら食事をしていると、唐突に父から声を掛けられた。
真剣な声からして、大切な話だとわかる。
「今日、このあと行く場所がある。遠出だ」
「今日ですか? 突然ですね」
「ああ。今朝方に王宮から書状が届いたのだ」
「王宮から……?」
それが俺とどう関係あるのだろうか。
王宮からの書状なんて、公爵である父宛てのものだろう。
とても俺に関する用件があるとは思えない。
そう考える俺は、自分の立場がこの王国において一体どのようなものであるのか、まだ自覚が足りていなかったのだ。
俺は公爵家の長女。
将来期待される仕事は社交・外交活動が中心になる。
だが、俺が女である以上、他に期待されることがあるのだ。
「国王陛下から直々に、第一王子であるライン殿下との婚約話を持ち掛けられた。本日中に私と共に王都へ向かい、殿下との顔合わせをせねばならない」
父は少し不貞腐れたような口調でそう言って、小さく溜息を吐いた。
俺が、王子と婚約……?
絶対に嫌なんだが!?
◆ ライン
王宮の最奥、重厚な扉に閉ざされた謁見の間。
豪奢な絨毯の上に膝をつくボクの頭上から、父である国王陛下の威厳に満ちた声が降り注いだ。
「ラインよ。お前も今年で十歳になる。そろそろ将来の王妃となるべき婚約者を定める時期だ。相手はカースナー公爵家の長女、ベルベット・カースナー。異存はあるまいな」
ベルベット・カースナー。
その名を聞いた瞬間だった。
ボクの脳天を、巨大なハンマーで殴りつけられたかのような強烈な痛みが貫いた。
「っ……あ、ぐ……」
思わず額を押さえ、その場に蹲る。
心配する父の声が遠く聞こえる中、ボクの脳裏には、本来あるはずのない大量の記憶が、映像の濁流となって流れ込んできた。
薄暗くじめじめとした路地裏の匂い。
腹の底から湧き上がる、耐え難い飢え。
そして、スーパーマーケットの棚からパンを盗み出し、店員から逃げまどう痩せこけた少女の姿。
ああ、そうだ。
あれは、私だ。
前世の私は、どうしようもない底辺のゴミだった。
貧しい家庭に生まれ、親からは育児を放棄され、生きるために窃盗を繰り返すしかなかった。
万引き、スリ、空き巣。
生きていくためには他人のものを奪うしかなかった。
でも、本当はそんなことしたくなかったのだ。
私はただ、普通に生きたかっただけだ。
物語に出てくるような、誰にでも優しく、嘘をつかず、悪に立ち向かう清廉潔白な人になりたかった。
それなのに、現実は残酷で、私は罪を重ねる手を止められなかった。
サイレンの音に怯え、警官に追われて雨の降る交差点に飛び出したあの日。
トラックの強烈なヘッドライトと鈍い衝撃が、私の惨めな人生における最後の記憶だった――。
息が上がり、心臓が激しく脈打つ。
王宮の冷たい大理石の床に手をつきながら、私は荒い呼吸を整えた。
そうだ。
私は死んで、そして転生したのだ。
このヴァルトハイム王国の第一王子――ライン・ヴァルトハイムとして。
男の身体に生まれ変わったことへの戸惑いはない。
それよりも私の心を支配したのは、明確すぎるこの世界の真実だった。
間違いない。
ここは私が前世で、逃避するように読んでいたライトノベルの世界だ。
そして、父上が口にしたベルベット・カースナーという名前。
彼女こそが、この世界における最凶最悪の悪役令嬢。
傲慢で、利己的で、他者を傷つけることに何の躊躇いも持たない冷酷な女。
魔眼の力を振りかざし、物語のヒロインを徹底的に虐め抜き、多くの民や無力な奴隷たちを死の淵へと追いやる絶対悪。
物語の結末で、私自身の手によって処刑台へと送られる運命にある破滅の象徴だ。
でも、罪を犯した後に裁くのでは、遅すぎる!
「ライン? どうした、顔色が悪いぞ。医者を呼ぼうか」
「……いえ、問題ありません。父上」
私はゆっくりと立ち上がり、乱れた衣服を整えた。
痛みの引いた頭の中は、恐ろしいほどに澄み切っていた。
神は私に、二度目のチャンスを与えてくれたのだ。
前世では罪に塗れて死んだ私に、今度こそ正しく生きるための高貴な身分と力を与えてくださった。
ならば、私の為すべきことはただ一つ。
前世の罪を贖い、この世界を正しい方向へと導く。
もう二度と、前世のように罪を犯しはしない。
物語の主人公のように、弱きを助け、悪を挫く正義の体現者となってみせる。
そのためには、ベルベット・カースナーを野放しにしておくわけにはいかない。
彼女がこれから引き起こす数々の悲劇を、私がこの手で未然に防がなければ。
「父上。ベルベット・カースナー嬢との婚約の件、謹んでお受けいたします」
堅い意志を宿した瞳を父上に向ける。
そんな私を見て驚いたように目を見開く父上に向かって、深く頭を下げた。
婚約者という立場であれば、彼女の動向を間近で監視することができる。
原作の知識を持つ私なら、彼女の悪行を先回りして潰すことだって可能なはず。
罪なきヒロインや、彼女に虐げられる運命にあるククルゥという哀れな奴隷の少女も、すべて私が救い出してみせる。
ベルベット・カースナー。
もしアナタが悪逆非道な振る舞いをするというのなら、私が全力でその傲慢な鼻っ柱をへし折ってやる。
それが私の正義であり、せめてもの贖罪だ。
心に強く誓いを立てた私は、これから始まる悪役令嬢との戦いに向けて、静かに決意の炎を燃やした。




