12. 覚醒式
領都の中央街にある大教会。
審判の神〘クルシュト〙を信仰するクルシュト教のカースナー領支部。
その教会は、迷える者に行くべき場所を示すが如く高らかに屹立していた。白く輝く大理石の壁面は、まるで雪を纏った山脈の断崖を思わせる。中央の巨大な尖塔は、真っ直ぐに空を穿ち、その頂上には巨大な天秤を模した黄金の装飾が据えられていた。
「いつ見ても立派なもんだな」
「私には神様というものはよくわかりませんが、しかしこの教会を建てた方々の熱量そのものが、その存在の偉大さを思わせますね」
シルヴィアの言葉に頷いて応える。
神の存在については懐疑的だが、俺はその神様からこれから異能力を授かる所なのだ。
あまり失礼なことを言って不興を買ったりしたらクソみたいな能力を押し付けられかねない。
超常の存在様に思考まで読み取られていたらお手上げだが、せめて下手な事を口にするのだけは控えておこう。
なんてことを思っていると、
「嬉しいことを言ってくださいますね。お嬢さん」
しゃがれた男の声が聞こえてくる。
白くて長い髭を蓄えた渋顔の爺さんがやってきた。
爺さんの割に服の上からでも鍛えられた体格が見て取れる。
背の高さもあって、穏やかな顔をしていなければ、近くを通りすがった子供は泣きだしそうな様相をしている。
黒を基調とした清婉な祭服を纏う爺さんは、その姿だけで高い地位にある信徒であることがわかった。
「お初にお目にかかります。小職の名はエリガド・クルシュテ。このクルシュト教会カースナー支部で司教をしております」
クルシュテというのはクルシュト教徒の中でも高い役職に就いている者だけが名乗ることを許される官職名みたいなものだ。俺たち貴族が持つ家名(俺の場合は、カースナー)とは意味合いが異なる。
「これはご丁寧にどうも。俺はベルベット。そんで、こっちは俺の側付き見習いのシルヴィアだ」
シルヴィアは黙ってお辞儀をする。
公式の場では、主人に求められるまで口を開かない。
アンリエットの教え通りだ。
「こらベルベット。なんですかその不躾な言葉遣いは?」
「うげっ……」
少し遅れて、俺とシルヴィアが乗っていたのとは別の馬車から父と母が降り立つ。
母は厳しい顔つきで俺を窘めた。
「ははは。良いのですよ奥方様。小職は公爵家の御令嬢に気遣いをいただけるほどの者ではございません故。不躾というならば、むしろ、小職の方こそ不躾にお声がけしてしまったところなのです」
「話のわかる爺さんで助かる」
「ベルベット!」
「っ……はいはい」
母の怒声に慌てて俺は態度を切り替える。
「失礼いたしました司教様。わたくしは少々礼儀作法に不慣れなものでして」
それだけ言って、俺は三日で逃げ出した家庭教師の遺産であるカーテシーを実践する。
スカートを摘まみ上げ、片足を斜め後ろに引き、膝を軽く曲げて背筋を伸ばしたまま。
「改めまして、わたくしの名はベルベット・カースナー。カースナー公爵家の長女です。是非、お見知りおきくださいませ」
司教は息を呑み、狐につままれた顔で俺を見た。
母は満足そうに頷き、その顔には「やればできるじゃないの!」と書いてある。
「こ、これは、ご丁寧に。いやはや、流石は公爵家の御令嬢。あまりの優雅さに、つい見入ってしまいました」
「これしか丁寧な挨拶を知らんもんでな。いざという時の為にこれだけは練習しておいたんだ。すまんが後は期待されても何も出てこないぞ」
あけすけに言うと再び母から溜息が出る。
エリガド爺さんはカカカッと愉快そうに笑った。
「それでは中に入りましょう。本日のご用件は承知しております」
「よろしく頼む。こちとら三年前から今日の覚醒式を待ちに待っていたんだ」
「それはそれは。こちらも準備をした甲斐があったというものでございます」
エリガド爺さんに連れられて教会の中に入ると、俺は白装束を手渡されて更衣室で着替えて来るように託かった。シルヴィアの手を借りてパッパと着替えを済ませると、儀式場の祭壇に厳かな顔で立つエリガド爺さんが待っている。
やっぱりあの爺さん、真面目な顔をしているとだいぶ強面だ。
「ベルベット・カースナー、こちらへ」
「はい」
爺さんの呼び声に答えて祭壇に上がる。
遂に覚醒式が始まった。
「手を」
言われた通りに手を差し出すと、エリガド爺さんは美しい金の装飾を施されたナイフを取り出す。
「失礼します」
すかさずやって来たひとりの神父が、俺の背後に立って両肩を押さえつける。
俺が祭壇から逃げられないようにするためだ。
そんなことされなくたって逃げやしないってのに。
まあ、普通の子供はこれからされることを怖がって逃げようとするのが普通なのだろう。
「お手柔らかに頼むぜ」
身じろぎすることもなく落ち着いた口調でそう言ってやると、爺さんは目を丸くしてククッと笑う。だが、その表情はすぐに引き締められた。
「汝、その血脈を示せ」
「我が名はベルベット・カースナー。炎髪の貴人の末裔也」
掌をナイフで真一文字に切り裂かれる。
「審判の神よ。炎髪の末裔に祝福を与え給え」
エリガド爺さんの祝詞が儀式場に響き渡る。
そして――ブクブクと、俺の掌の血が沸騰するように泡立った。
キモッ!?
やがて流れ出た血は逆再生するように傷口から俺の体内へ戻っていく。
掌から手首、そして腕へ。
ゾクゾクとするなんとも形容しがたい感覚が全身を駆け巡る。
そして、俺の右目に焼けるような激痛が走った。
「ぐっ!? ぁ……ガァァァァッ!?」
右目を押さえて叫び声を上げる。
後ろから身体を支えて貰えていなければ、その場に膝から崩れ落ちていただろう。
痛みが引くまで、俺は今にも気を失ってしまいそうな苦痛に悶えた。
「はぁ……はぁ……」
激痛が収まった頃には、俺は満身創痍になっていた。
全身汗びっしょり。
着替えさせたのはこういうわけか……。
「これは珍しい……貴紋が瞳に表れるとは」
「貴紋……? 俺の右目、どうなってんだ?」
「貴術を発現した証、貴紋が刻まれています。視界に問題はありませんかな?」
言われて周囲をキョロキョロと見渡す。
特に視力に変化はない。
「特に変わりないな……不思議な事に」
あれだけの痛みだ。
正直、失明するかと思った。
だが、今は嘘みたいになんともない。
「それは良かった。さて、体調に問題がなければ、発現した貴術の鑑定をしようと思いますが……後日にした方がよろしいですかな?」
「バカ言え。俺がこの日をどれだけ楽しみにしていたと思っている! こちとら今すぐ自分の能力が知りたくてウズウズしてるんだ」
「ハハハッ。承知しました。それでは早速、鑑定式に進みましょう」
エリガド爺さんは祭壇の奥に置かれていた木箱から、美しく磨き上げられた手鏡のような祭具を取り出してきた。
「この鏡に、右目の貴紋を映してください。そうすれば、貴方に発現した貴術の正体が判明いたします」
「覗き込めばいいんだな」
言われた通り、俺は手渡された鏡を顔の前に持ち上げ、右目でじっと覗き込んだ。
鏡の表面が水面のように波打ち、俺の瞳に刻まれた奇妙な紋様が光を帯びていく。
その瞬間だった。
ピシッ、と。
鏡面に一本の亀裂が走った。
「ん?」
ピキピキピキッ! パリンッ!!
鏡は俺の能力を映し出すよりも早く、内側から弾け飛ぶように粉々に砕け散ってしまった。
「あ。やっべ、割れちゃった。これ、弁償とか言わないよな?」
「…………」
エリガド爺さんは答えない。
床に散らばった鏡の破片を見つめたまま、滝のような冷や汗を流して口をパクパクとさせている。
「おい、爺さん? どうした?」
「そ、んな……馬鹿な。鑑定鏡が、力に耐えきれず弾け飛ぶなど……!」
爺さんの顔には色濃い戸惑いが浮かんでいる。
「あ、ありえん。右目の貴紋、カースナーの血脈……まさかこれは…………」
「なんだ? 俺の貴術はどうなってんだ?」
「おそらく、その力の名は〘鎖の魔眼〙。その瞳で見た者を魅了し、縛り付ける。神話級の異能です!」
く、鎖の魔眼!?
なんだその物騒な名前は!
「縛り付けるって、具体的にどうなるんだ?」
「言葉通りです。アナタの右目の視界に入った者は、見えざる鎖によって肉体の自由を奪われます。あなたに強く魅入られたものほど効果が高くなり、場合によっては指一本動かすことも、呼吸すらできなくなる……!」
「へぇ! そいつはすげぇや!」
相手の動きを完全に封じる魔眼。
つまり、俺に惚れた奴は、俺に見られただけで石像みたいに固まっちまうってことだ。
随分と面白そうな能力じゃないか!
「どれどれ、ちょっと試してみるか」
俺はワクワクしながら振り返り、儀式場の後方で様子を見守っていた父や護衛の騎士たちの方へ右目を向けた。
ドサッ。
ガシャァァン!
「え?」
俺の視界に入った瞬間、父が白目を剥いて床に突っ伏した。
その後ろに立っていた屈強な騎士たちも、まるで糸の切れた操り人形のように次々と床に倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。
「ちょ、お父様!? おい、みんな息してないみたいに固まってるぞ!?」
「い、いかん……! 公爵様は元々ベルベット様を溺愛しておられたが故に、魔眼の拘束力を最大限に受けてしまわれたのです!」
司教は祭壇の隅に身をすくめて俺の目から隠れている。
やばい。
自分の力なのに加減の仕方が全くわからない。
これじゃあ俺の視界に入る奴が全員動けなくなっちまう!
「おいシルヴィア! 何でも良いから目を隠せる物をよこせ!」
そして、祭壇のすぐ下で控えていたシルヴィアとバッチリ目が合う。
途端、シルヴィアの身体がビクンと跳ね、そのまま床に崩れ落ちた。
「あぁ…………ぐっ……」
シルヴィアは呼吸すらできないのか、顔を真っ赤にして口を開けたまま固まっている。
「ヤ、ヤバいッ!」
俺は慌てて自分の右目を手で塞ぐ。
視線を遮ったことで魔眼の力が切れ、シルヴィアが「ごふっ!?」と息を吹き返して咳き込み始める。
「はぁ、はぁ……な、何故、目を逸らしてしまわれたのですか、ベルベット様」
「はぁ!? 何ってんだお前? あんなに苦しがってただろうが!」
「苦痛などありません。むしろ、これこそが私が最も求めていた究極の支配です。ベルベット様に私の全てを束縛される喜びを、まさかこのような形で味わえるとは……ハァッ、ハァッ……お゛っっ♡」
ビクンと身を震わせ、蕩けた顔になるシルヴィア。
少女の口から出てはいけない低くて汚い喘ぎ声が漏れた。
「えぇ……」
この駄メイド、もう手遅れかもしれない。
それにしても、神話級の貴術〘鎖の魔眼〙か。
とんでもない能力を手に入れたのは間違いない。
だが、いくらなんでも私生活に支障をきたすレベルは困る!
「チクショウ! とんだハズレ能力じゃねぇか!」
俺の情けない叫び声が、神聖な大教会にこだました。
◆ ◆ ◆
鎖の魔眼。
あらゆる者を縛るこの貴術こそが、ライトノベルにおけるベルベット・カースナーという悪役令嬢を最凶最悪たらしめる力の根源であった。
彼女は己の力に溺れ、やがて他者を支配する愉悦に支配される。
そして彼女は、能力の実験台として自領の奴隷商館からククルゥという名の少女を購入した。幼少期から長い奴隷生活を経て心を壊していたククルゥだが、ベルベットによってさらなる地獄の底に堕とされる。
生かさず殺さず、実に七年という年月をかけてククルゥを虐めつくしたベルベットは、後に哀れな奴隷を不当に殺めた罪で断罪されることになるのだ。
ただ、その罪も彼女が犯した数々の犯罪のほんの一端でしかないのだが――。
しかし、そのシナリオは既にねじ曲がりつつあった。
それでもベルベットの断罪ルートは変わらない。
彼女にはまだ、最大の敵が居るのだから。
ライン・ヴァルトハイム。
物語のヒーローにして、ベルベットの婚約者となるヴァルトハイム王国の第一王子である。




