(異世界エンド)第ニ話|その先の春
異世界エンド
※こちらは異世界を選んだ場合の結末です。
春の風が庭を渡っていく。
色とりどりの花が揺れ、その向こうでは、鳥のさえずりが聞こえていた。
穏やかな午後だった。
アリシアは東屋の椅子へ腰掛け、本を閉じる。
膝の上へ視線を落とすと、小さな花びらが一枚乗っていた。
それを摘まみ上げながら、思わず笑みが零れる。
数年前、この世界を選んだ日のことを思い出した。
会いたいと思うことは、今でもある。
父。
母。
弟たち。
年上。
若手。
もう、会うことはできない人たち。
それでもあの日、自分で選んだ。
誰かに決めてもらうのではなく、誰かのためでもなく、自分の意思で。
だから、後悔とは少し違った。
寂しさはある。
けれど、それ以上に温かさが残っている。
愛された記憶が、愛した記憶が、今も胸の中に残っているから。
「また、難しい顔をしているな」
聞き慣れた声がして、顔を上げる。
ルシアンだった。
執務を終えたのだろう。
上着を脱ぎながら、こちらへ歩いてくる。
王弟としての仕事。
公爵家の管理。
忙しい日々は、続いている。
それでも、彼は必ずこの場所へ帰ってくる。
アリシアの元へ。
「していたかしら?」
「していた」
即答だった。
思わず笑う。
ルシアンは、隣へ腰を下ろすと、当たり前のようにアリシアの手を取った。
昔なら、照れていたかもしれない。
けれど、今は違う。
その温もりが、隣にあることの方が自然だった。
「向こうのことを……考えていたのか?」
問いかけは静かだった。
アリシアは否定しない。
できなかった。
「少しだけ……」
風が吹く。
花びらが空へ舞い上がる。
「会いたいと、思う時はあるわ」
素直な言葉だった。
隠す必要はなかった。
ルシアンも分かっている。
あの世界が、あの人たちが、アリシアにとって大切だったことを。
「……そうか」
それだけだった。
責めることもなく、嫉妬することもない。
ただ、握る手へ少しだけ力が込められる。
その優しさに、アリシアは微笑んだ。
春のお彼岸だった。
墓前には、色とりどりの花が供えられている。
母が花を整える。
父は少し離れた場所で、静かに立っていた。
弟たちも来ている。
十歳下の弟が笑う。
「姉ちゃん、また怒るだろうな」
「花、多すぎとか言って」
三歳下の弟が苦笑する。
「言うな……」
「絶対言う」
母まで笑った。
少しずつ年を重ねても、変わらない。
変わらないものはある。
風が吹く。
花が揺れる。
誰も泣いてはいなかった。
悲しみだけでは、終わらなかったから。
父は何も言わない。
けれど、帰る前に一度だけ墓石へ目を向けた。
その背中は、どこか穏やかだった。
別の日。
仕事帰りだった。
年上と若手は、並んで墓地の坂道を歩いていた。
墓前には、新しい花が供えられている。
年上が目を細める。
「ご家族も来られてたんだね」
若手も花を見る。
「……そうですね」
しばらく、二人で黙って立っていた。
風が吹く。
桜の花びらが舞う。
年上は、静かに手を合わせた。
長い沈黙のあと、小さく呟く。
「ちゃんと、やってるよ」
短い言葉だった。
けれど、それだけで十分だった。
若手も手を合わせる。
「私も頑張ってます」
少し考えて、照れたように笑った。
「まだ、敵わないですけど」
年上が小さく笑う。
若手も笑う。
そして二人は、並んで歩き出した。
彼女が残したものは、今も続いている。
確かに、これからも。
春の風が庭を渡っていく。
花々が揺れ、柔らかな陽射しが、芝生へ降り注いでいた。
少し離れた場所では、子どもたちが走り回っている。
鬼ごっこをしているのだろう。
笑い声が風に乗って届く。
転びそうになっては笑い、追いかけては笑い、また元気に走り出す。
その姿を見ているだけで、自然と頬が緩んだ。
アリシアは長椅子へ腰掛けながら、その光景を眺めていた。
隣には、ルシアンがいる。
自然に肩が触れる距離だった。
言葉はない。
けれど、心地良い沈黙だった。
子どもたちの笑い声が響く。
青い空が広がる。
花々が風に揺れる。
そして、隣には大切な人がいる。
アリシアは小さく微笑んだ。
「幸せね」
ぽつりと零れた言葉。
ルシアンが隣を見る。
そして、静かに笑った。
「ああ」
短い返事だった。
けれど、その一言で十分だった。
二人は寄り添うように、並んで座りながら、目の前を駆け回る子どもたちを、静かに見守っていた。
穏やかな春の日だった。




