第十三話|任せるという力
空気が、変わる。
目に見えるわけではない。
音もない。
それでも——
わずかに、張り詰める。
「……」
アリシアは、足を止める。
ほんのわずかな廊下の先。
人の流れが、静かにほどけていく。
押されたわけではない。
命じられたわけでもない。
それでも——自然に、道が開く。
「……」
歩み寄る音は、ない。
だが、距離だけが縮まる。
視線が、そこへ集まる。
「……」
黒髪に、わずかな白が混じる。
整えられた衣の襟元。
揺れない瞳。
「……お父様」
小さく、呼ぶ。
声は抑えられている。
だが、届く。
「アリシア」
短く、返る。
変わらない。
低く、落ち着いた声。
「……」
アルベルト・ヴァルディエール。
外務大臣。
そして——父。
「……」
視線が交わる。
一瞬。
それで、十分だった。
余計な言葉は要らない。
「話は聞いている」
静かに、落ちる。
広げない。
飾らない。
「……」
アリシアは、何も言わない。
ただ、そのまま受ける。
「止まっていたものが、動き出したな」
続く言葉も、短い。
事実だけを置く。
「……はい」
それだけ返す。
余分は、いらない。
「……」
アルベルトの視線が、わずかに動く。
背後へ。
人の流れへ。
整えられた書類。
抑えられた気配。
「……」
その場の空気が、さらに静まる。
誰も、声を出さない。
ただ——待つ。
「……」
だが、何も言わない。
代わりに——
視線を戻す。
「任せる」
それだけを、告げる。
声は低い。
強くはない。
だが、揺らがない。
「……」
周囲の空気が、わずかに揺れる。
息を呑む気配。
抑えきれない動揺。
「……」
アリシアは、目を逸らさない。
そのまま、受け止める。
「……承知いたしました」
静かに返す。
短く、迷いなく。
「……」
アルベルトは、頷かない。
だが、それで終わる。
「殿下」
視線が横へ流れる。
ルシアンへ。
「お戻りでしたか」
「今しがた」
穏やかに返る。
「……」
言葉は少ない。
だが、均衡は崩れない。
「見ていただけると助かります」
アルベルトが言う。
依頼の形を取る。
だが、その実——選んでいる。
「無論」
ルシアンが返す。
短く、それ以上は要らない。
「……」
それで、言葉以上に整う。
「……」
アルベルトの視線が、再びアリシアへ戻る。
「止めるな」
低く、落ちる。
それだけ。
「……はい」
アリシアは、応える。
迷いはない。
「……」
アルベルトは、踵を返す。
足音は静かだ。
振り返らない。
それでいい。
「……」
人の流れが、戻る。
だが——先ほどとは違う。
わずかに張りつめたまま。
「……」
アリシアは、前を見る。
止まらない。
止めない。
「……」
横に、気配がある。
変わらない距離。
一歩分。
「……」
ルシアンが、何も言わずに並ぶ。
「……」
それで、十分だった。
「……」
足音が、続く。
重なる。
揃いはしない。
だが——乱れない。
「……」
任せるというのは、手を離すことではない。
「……」
止めずに、進ませることだ。
「……」
アリシアは、歩く。
そのまま、次へ。




