第十一話|支えるということ
廊下は、静かだった。
磨かれた床に、光が薄く伸びている。
歩くたび、靴音がやわらかく返る。
揃っている。
整えられている。
——その中に。
一つだけ、揃わない気配があった。
「……」
アリシアは、足を止める。
ほんのわずかな視線の先。
廊下の奥に、人が立っている。
寄りかかることもなく、構えることもなく、ただそこにいる。
「……」
黒に近い濃紺の髪が、光を吸う。
銀灰の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
動かない。
それでいて——外さない。
「……ルシアン」
自然に名を呼ぶ。
昔からそうしてきたように。
「久しいな」
穏やかな声が返る。
変わらない。
だが——軽くはない。
「殿下」
少し離れた位置から、声が落ちる。
抑えられている。
それでも、空気がわずかに張る。
ルシアンは、わずかに肩をすくめる。
「そういう呼び方は、やめてくれ」
軽く言う。
誰も、笑わない。
「……」
アリシアは、そのやり取りをそのまま受け取る。
それ以上は、問わない。
「帰国したと聞いたわ」
短く、言う。
「つい先ほどな」
視線は外れないまま。
「……」
言葉は続かない。
それでも、途切れてはいない。
幼い頃から続いている間。
埋める必要のない時間。
「……忙しそうだ」
ルシアンが、静かに言う。
「顔に出ている」
「……そうかしら」
わずかに目を逸らす。
完全には外さない。
「昔から、変わらないな」
小さく、続く。
「隠しているつもりで、全部出る」
「……」
アリシアは、言い返さない。
その代わりに——
ほんの少し息を吐く。
「……」
ルシアンが、一歩だけ近づく。
距離は詰めすぎない。
だが——遠くもない。
「全部、抱え込んでいる顔だ」
静かに、言う。
決めつけるでもなく、外してもいない。
「……違うわ」
小さく返す。
「抱えてはいない。流しているだけ」
「……」
ルシアンの目が、わずかに細まる。
「それでも、重いだろう」
短く落ちる。
「……」
否定はしない。
できない。
「……手を出すなとは言わない」
ルシアンが言う。
「全部を一人で回す必要はない」
「……」
アリシアは、視線を上げる。
「回しているのは、私じゃないわ。流れを作っているだけ」
「……そうか」
ほんの少しだけ、わずかに笑う。
「なら、その流れ」
続ける。
「乱さない位置にいればいい」
「……」
言葉は軽い。
だが、外さない。
「……」
アリシアの指先が、意識しないまま、わずかに緩む。
「……王都の件」
短く、告げる。
「構造が絡んでいるわ」
「聞いている」
すぐに返る。
「だが、全部ではない」
「……」
「見た方がいいか」
問いというより、差し出す形。
「……任せるわ」
少しだけ間を置いて、返す。
それで十分だった。
「……」
ルシアンが、頷く。
「邪魔はしない」
「必要なところだけ触れる」
「……」
アリシアは、視線を外す。
それで足りる。
「……」
再び、歩き出す。
止まらない。
「……」
横に、気配がある
少しだけ後ろ、一歩分。
昔から変わらない距離。
「……」
追い越さない。
並びすぎない。
離れすぎない。
「……」
その位置に、いる。
最初から知っているように。
「……」
足音が、重なる。
揃いはしない。
だが——乱れない。
「……」
支えるというのは、前に出ることではない。
「……」
隣にいることだ。
触れずとも、届く距離で。
「……」
アリシアは、前を見る。
止まらない。
もう、止めない。
「……」
その横で、ルシアンも、同じ方向を見ていた。




