第一話|終わりから始まる
「……はい、申し訳ありません。すぐに向かいます」
通話を切る。
耳に残るのは、相手の声ではない。
自分の声だった。
乾いている。
感情が削ぎ落ちている。
まるで、誰かの代わりに話しているみたいに。
「……」
駅のホーム。
人の流れ。
アナウンス。
電車の振動。
全部、届いているのに。
どこか遠い。
「……資料、あと一件」
頭の中で、やるべきことを並べる。
まだ終わっていない。
まだ足りない。
だから。
「……あと、少し」
いつも通り、そう言う。
これまでと同じように。
誰かが困るから。
止まったら回らなくなるから。
自分がやれば済むから。
「……」
足を踏み出す。
床の感触が、曖昧になる。
軽い。
違う。
抜けている。
「……あれ」
視界が、揺れる。
人の流れが歪む。
音が遠ざかる。
それでも前に出ようとして——
崩れた。
「……っ」
誰かの声。
何かがぶつかる音。
「大丈夫ですか!」
すぐ近くで呼ばれる。
でも、届かない。
「……」
遠くで、音がする。
近づいてくるような、高くて、鋭いサイレン。
遠ざかっていくような。
判別もつかないまま——
音が、滲む。
「ああ……」
これで、いいのかもしれない。
そう思った瞬間。
意識が、落ちた。
「……ん、んっ」
わざとらしい咳払いが、耳に刺さる。
「いつまで突っ立ってんだ」
軽い声音。
苛立ちよりも、面倒くささが先にある。
ゆっくりと目を開ける。
高い天井。
重厚な装飾。
磨き上げられた床。
見覚えのない光景だった。
「……は?」
思わず声が漏れる。
ここはどこ?
駅ではない。
病院でもない。
そもそも、どうして自分はここに立っているのだろう。
確か、ホームで倒れて——
そこまで考えた瞬間だった。
頭の奥に激しい痛みが走る。
「っ……!」
息を呑む。
知らない記憶が流れ込んでくる。
名前。
家族。
屋敷。
婚約者。
そして——
アリシア・ヴァルディエール。
知らないはずなのに知っている。
知らない人生が、まるで自分の記憶のように溢れてくる。
「おい!」
再び声がした。
顔を上げる。
そこには見知らぬ青年が立っていた。
怪訝そうに眉をひそめている。
けれど今は、それどころではなかった。
胸の奥がざわつく。
嫌な予感がした。
この先の出来事を。
アリシアという少女が辿る未来を。
まだ何も知らないはずなのに、なぜか知っている気がした。
――私の人生は、ここから大きく変わる。
そんな予感だけが、妙に鮮明だった。




