2・勉強
北に険しい山脈が連なるそのふもと、小さな湖のそばにこのクリス村はある。山脈沿いの地域は岩場や荒地、もしくは危険生物が多い森が広がるばかりで農耕地に出来るような肥沃な広い土地はほぼなく、だから国と呼べる程の大規模な集落もない。ただしもっと西や南の方へいけば広い平野があって、そちらの方には国を名乗っているものがあるそうだ。この山脈沿いの土地には小さな部族が点在しているばかりで、それも一か所に留まって生活をしているのではなく、大半は移動しつつ暮らしていた。
そんな中でアルス達の部族は二十年ほど前からこの湖近くの比較的肥沃な地に定住して村を築いていた。当然、そんな良い土地であれば他の部族から狙われる事も多く、だからこそ男たちは生まれた時から戦士である事が求められていた。この地に村を築いたのは当時中心となって戦った六人の戦士の功績が大きく、彼等は現在この村で英雄視され、周辺の部族からも恐れられていた。
その六人の英雄の一人がアルスの父であるサリドで、通称魔獣殺しのサリド――理由は土地を探して放浪中にたくさんの魔獣と呼ばれる化け物を倒して、その角や牙を装備につけているからで――まさに生きる伝説の、本当に偉大過ぎてアルスにとっては面倒な存在だった。
「婆様達、今日も元気ですかー?」
村の外れにある洞窟の中には、村の最長老であるエリグラを筆頭とする三人の老女が住んでいた。彼女達は立場的には村の守り神である大地の神リーパの司祭として洞窟の中の祭壇を守っているのだが、村における役割としては部族の歴史を伝えたり、その知識を生かして村人の相談に乗る事だ。
「アルス坊かい、丁度良かったこいつを縛ってくれないかね」
祭壇前にくると、三人の中で一番若いノーラがそう声を掛けてきた。実はアルスはほぼ毎日ここへ入り浸っていた。なにせここには村の知識が揃っている。三人の婆様達にいろいろな話を聞けるのは当然として、石板や、羊皮紙、記録板等、文字や絵の記録は全てここに保管してあり、勉強するのにここ以上の場所はなかった。ついでに言うと村の最長老である婆様達に文句を言えるものなどいないから、父でさえもここにいる時のアルスを無理やり連れ帰る事は出来ないのだ。
「えぇっと、ここにあるのを全部束ねて縛ればいいですか?」
「そう、お願いするよ」
「了解、他に何か力仕事はありますか?」
「そうさねぇ……そろそろゴミ瓶が一杯になったから、帰りに持って行ってもらおうかね」
「はい、わかりました。じゃそっちは、帰りに」
「頼んだよ。それじゃ、あたしはいつも通りお茶の支度をしておくよ」
毎日来ているのもあって婆様達も慣れたものだ。アルスはここで婆様達からいろいろ学ぶ代わり、こうして老人にはきつい力仕事等を手伝っている。一応婆様達には世話役と護衛役を兼ねた人間がついてはいるのだが、彼らは仕事と割り切っているのもあって無駄話は一切しない。婆様達にとってはこうして熱心に話を聞いてはいろいろ尋ねてくるアルスの方が仕事を頼みやすいという訳だ。
「お疲れ様だね、まずは茶でもお飲み」
作業が終わって火を囲む部屋へいけば、婆様三人は座ってアルスを待っていた。いつも通り用意された席に座って、そこにおいてある茶に手を伸ばしてまずは一息つく。それからメモ用のペイル板を手に持つと、最年長のエリグラがいつも通りのお決まりの台詞として聞いてくる。
「さて、今日はどんな話を聞きたいかい?」
アルスは右手に書き棒を用意して口を開いた。
「そう、ですね。他の部族の話とかでもいいですか?」
「ふむ、言ってごらん」
ちなみにアルスが持っているペイル板はこの辺りで一時的に文字のやりとりをするために使われる紙の代用品である。保存性は良くないが、簡単に作れて尖ったものでなぞるだけで書き込めるから一般的によく使われている。書き棒はペイル板に書き込むために先を尖らせた棒だ。
「父上達の会議の中で、最近よくナグラック族の話が出るのですが、婆様達はかの部族について何かご存じですか?」
戦士の義務を果たせない分は頭で貢献しようと思っているアルスとしては、当然勉強とはここで古い記録を調べる事だけではなかった。六英雄の息子である立場を大いに活用して父親達村の有力者の会議を出来るだけ見学させて貰い、村や周辺地区の情報も頭に入れていた。
「ナグラックか……あそこは確かにちぃっと昔から厄介だねぇ」
エリグアが言葉通り、厄介そうに顔を顰めて黙る。
様々な部族の名を聞くが、ナグラックといえば『どこぞこの部族が壊滅したらしい』という話でよく上がる名だった。勿論、壊滅させた側の名としてだ。ナグラックだけでなくクーレア、ボア族あたりも他の部族を襲って生計を立てているところとして有名だが、最近はその二つの名は殆ど聞かず、やけにナグラックの名ばかりが上がるようになっていた。
「そういや姉さん、ナグラックといや、そろそろ奴等の『炎の宴』があるんじゃないかい?」
婆様達の中で一番若いノーラが気づいたように声を上げる。そうすればフムも難しい顔をして答えた。
「あぁそうだねぇ、確か来年だったんじゃないか、だから奴等活発になってきてるんじゃないかい?」
「会議に名が出てるって事は、もう動き出しているのかもしれないねぇ」
それには当然アルスが尋ねる。勿論ペイル板には『炎の宴』と書いてからだ。
「なんですか? その『炎の宴』って」
三人が口を閉じて一斉にアルスを見る。それに思わず顔を引きつらせてしまえば、今度は三人が顔を見合わせて、それからエリグラが口を開いた。
「ナグラックは別名炎の部族と言ってねぇ、守り神は火の神様なのさ。好戦的な部族の中でも奴等は特に残虐で、襲った他部族を全部燃やしちまう。『炎の宴』っていうのは早い話、奴等の族長を決める儀式、みたいなもんだ」
そこから聞いた話によれば、ナグラック族は普段はいくつかのグループに別れていて、それぞれ別々に他部族を襲って生活しているらしい。一応全員が集まって大きな集落を狙う事もあるそうだが、基本的にはそれぞれのグループは仲が悪いそうで別行動をしている。そんな彼等には六年に一度『炎の宴』の日というのがあって、この日は部族全員が集まる事になっている。そしてその場で部族の中での各グループの順位付けをする。つまり、そこで頂点に立ったグループのリーダーがナグラック族全部を統べる族長となるという訳だ。
「だから『炎の宴』までに自分達が上である事を示すために、連中は活発に他部族を襲いまくるんだ。本当に厄介な連中さ」
いいながらエリグラは司祭らしく両手の指先を合わせて祈りの形を取る。他の二人もそれを見て指先を合わせる。
その後、この村では何度かナグラックの襲撃を退けてきた事、現在のナグラック族の一つのグループは人数的にそこまで多くはないからこの村に来る事はまずないだろうという話を聞いた。
ただそれでも『炎の宴』に合わせてなら無茶を承知でやってくる可能性はある、とエリグラは最後に言っていた。
――確かにハタ迷惑な連中だな。
ナグラック族に対して最初にアルスが持った感想はそんなものだった。
GW中は毎日更新になります。
6日までは2話づつ更新出来たらいいな。




