第22話 雪の夜
二月の日曜日、直人は玄関の戸を途中までしか開けられなかった。
隙間から手を出し、戸の前にたまった雪を押した。ようやく体を通すと、長靴が半分以上埋まった。
駐車場の車は、屋根とボンネットの境目がなくなっていた。県道には白い轍が二本伸びている。いつもなら朝から聞こえる車の音が、ほとんどしなかった。
直人は物置からスコップを出した。玄関から県道まで、まずは一人が歩ける幅をかいた。
朝食の支度に戻るころには、上着の肩が白くなっていた。
七時半、一号室の夫婦が食堂へ下りてきた。
夫は窓の前で足を止めた。
「これ、車出せるかな」
「出せても、その先がね」
妻が言った。
二号室の女性二人は、向かい合ってスマートフォンを見ていた。
「電車、止まってる」
髪を一つに結んだ女性が言った。
「全部?」
「再開の見通し、立ってないって」
短い髪の女性が自分の画面を操作した。
「バスも運休だ」
四号室の青年は、トーストを半分残してカウンターへ来た。昨日は、富士山が見えるかと何度も聞いていた。今朝はスマートフォンの地図を開いている。
「東京、行けますか」
直人は運行情報を確かめた。
「電車もバスも止まっています」
「タクシー?」
「この雪だと、来てもらえるかどうか。東京まで行けるかも分からないです」
青年は画面を見下ろした。
「今日、東京のホテルです」
「連絡しましょうか」
青年はすぐにうなずいた。
直人は予約の画面を見せてもらい、電話をかけた。交通機関が止まっていることを伝え、青年に代わった。青年は電話口で短い英語を話し、何度か礼を言って切った。
夫婦は席で小声で話していた。女性二人の片方は、廊下へ出て電話をしていた。
皿を下げに行っても、どの席でも話は途切れたままだった。
直人は今日の予約を確認した。三号室に来る予定の客から、キャンセルの連絡が入っていた。
食堂へ戻り、三組に声をかけた。
「皆さん、今のお部屋でもう一泊できます。無理に出ないで、今日はここにいてください」
夫が顔を上げた。
「助かります」
妻は息をつき、膝に置いていた鞄を床へ下ろした。
午前中、直人はもう一度外へ出た。朝かいた道は、両側から崩れた雪と、新しく積もった雪で細くなっていた。
車のまわりをかき始めると、一号室の夫が手袋をして出てきた。
「もう一本、ありますか」
直人は物置からスコップを出した。
二人で、車の横に人が通れる道をつけた。それでも県道へ出るところには、まだ厚い雪が残っていた。
「今日はやめたほうがいいですね」
夫が言った。
直人はスコップを立てた。向こうのカーブから一台、車が現れた。ゆっくり通り過ぎたあと、また雪の降る音だけになった。
昼は、直人が棚にあったそうめんを茹で、温かいつゆに入れて出した。五人は朝と同じ席に座った。
午後になっても、交通情報は変わらなかった。
直人は米の袋を確かめ、冷蔵庫を開けた。合いびき肉と玉ねぎ、人参がある。カレールーも足りそうだった。
直人が夕飯にカレーを作ると伝えると、五人とも食べると言った。
*
夕方、直人が玉ねぎを刻んでいると、食堂へ夫婦が下りてきた。続いて女性二人も来た。青年は窓際の席にいた。
「せっかくだから、みんなで食べますか」
直人が言うと、夫が空いたテーブルを見た。
「これ、くっつけましょうか」
「お願いします」
短い髪の女性がカップと鞄をどけた。青年も立ち、夫の反対側を持った。
椅子が床をこする音がした。
直人は細かく切った玉ねぎと人参を炒め、ひき肉を加えた。木べらでほぐすたびに、鍋から湯気が上がった。肉の色が変わると、水を入れた。
煮込んでいる間に、夫の妻がスプーンを配った。髪を結んだ女性が、人数分の水を運んだ。
直人はご飯を盛り、カレーをかけた。ひき肉がたっぷり入ったルーは、ご飯の脇に厚くたまった。
五皿を運び終えると、妻が聞いた。
「ご主人の分は?」
「あります。僕も一緒にいいですか」
「そのつもりで寄せたんですよ」
直人は自分の皿を持ってきて、空いていた椅子に座った。
「いただきます」
何人かの声が重なった。青年もスプーンを持ち、同じ言葉を言った。
髪を結んだ女性が一口食べ、皿を見た。
「お肉、おいしいですね」
「多めに入れてます」
「キーマカレーですか」
「いつものカレーに、ひき肉をたくさん入れてるだけです」
夫の妻がうなずいた。
「うちもひき肉で作ります。火が通るのが早いから」
「でも、こんなに入ってないね」
夫が言った。
「そうね。今度から自分で買ってきてね」
短い髪の女性が笑った。直人もスプーンを置いて笑った。
妻が女性二人に聞いた。
「お二人も、今日帰る予定だったんですか」
「はい。明日、仕事なので」
「うちもそうなんです」
短い髪の女性は、スプーンを持ったままうなずいた。
「そちらは、明日どちらへ?」
今度は夫が、青年に聞いた。
「東京です。今日、東京。でも、行けません」
「旅行ですか」
「はい。金曜日、ドイツに帰ります」
夫が指で曜日を数えた。
「金曜日なら、まだありますね」
青年はうなずいたが、窓のほうを一度見た。
直人は自分の皿を置いた。
「明日の朝、また確認しましょう。駅まで行けるかどうかも」
「お願いします」
青年は残りのカレーをすくった。
先に食べ終わった夫が、妻の皿を見ていた。
「おかわり、ありますよ」
直人が言うと、夫は自分の空いた皿を差し出した。
「少しだけ」
青年も手を上げた。
「私も」
二人の皿にカレーを足して戻ると、女性たちが昨日行った店の話をしていた。妻が、その店の名前を夫に確かめた。
「ほら、道を間違えたところ」
「あれは道を間違えたんじゃなくて、駐車場を通り過ぎたんだよ」
「同じじゃないですか」
髪を結んだ女性が言うと、小さな笑いが生まれた。
食べ終わった皿が、テーブルの端に集まった。
直人が立つと、短い髪の女性も皿を持ってついてきた。
「ここでいいですか」
「ありがとうございます。コーヒーか紅茶、飲みます?」
それぞれが答えた。直人は湯を沸かし、コーヒーを淹れた。
カップを運ぶころには、夫が青年に、ドイツのどのあたりに住んでいるのか聞いていた。青年がスマートフォンで地図を出すと、妻も横からのぞきこんだ。
「日本語はどこで勉強したんですか」
髪を結んだ女性が聞いた。
「大学です。でも、少しだけ」
「十分話せてますよ」
「皆さん、ゆっくりです」
青年は笑い、カップを受け取った。
短い髪の女性が鞄から小さな箱を出した。
「トランプ、あるんですけど。やりません?」
「持ってきてたんだ」
「電車でやろうと思って」
「ずっと寝てたじゃん」
「だから、まだ使ってない」
夫が手を伸ばした。
「何やります?」
「七並べとか」
妻がカップを端へ寄せた。
「そういえば、お名前も知らないままでしたね。私たち、三浦です」
妻が夫を手で示した。
「私は美智子です」
髪を結んだ女性が名乗った。
「絵里です」
「奈々です」
短い髪の女性が続いた。
青年は自分の胸に手を当てた。
「レオンです」
直人も椅子に座った。
「僕は直人です」
「直人さんも、入りますよね」
奈々が聞いた。
「もちろん」
*
レオンは七並べを知らなかった。直人が七の横に六と八を置いて見せると、自分の手札から五を抜いて、その先に置いた。
「そうです」
直人が言うと、レオンは五を手札へ戻した。
最初の一回は、出せるカードを確かめながら進んだ。
二回目には、レオンは自分で選んで出していた。三浦がパスをし、奈々もパスをした。
「スペード、誰か止めてますね」
三浦が言った。
レオンは手札を見ていた。
「レオンさん、持ってます?」
「はい」
「出してくれません?」
「まだ」
絵里が吹き出した。
「覚えるの早い」
レオンも笑い、別のカードを出した。
直人は手札の端にあるハートの六を押した。隣の奈々がパスをしたので、六を戻し、クラブの十を置いた。
「直人さんも、何か持ってますよね」
絵里が聞いた。
「持ってますよ。まだ五枚」
「そうじゃなくて」
直人はカードを口元まで上げた。
列が伸び、テーブルの端に近づいた。美智子が自分のカップを持ち上げ、椅子を寄せ直した。
直人も膝を引いた。肩がレオンの肩に触れた。
昔も、こうして狭いところに集まっていた。
ルワンダの、地方の町だった。学生交流で訪れ、大学の近くの宿に泊まっていた。
その日は夕方から停電していた。カフェテリアの店員は慣れた様子で、各テーブルに蝋燭を立てた。電気がつくと、さっさと片付けてしまった。まだ少し、そのままでよかったのにと思った。
宿へ戻ると、部屋の電気はつかなかった。
寝るには早かった。誰かがトランプを持ってきた。部屋の外のコンクリートに座り、懐中電灯と携帯電話で手元を照らした。
自分のカードが見えるように明かりを動かすと、向こうから文句が出た。真ん中へ戻し、皆で顔を寄せた。
夜が更けると冷え込んできた。上着の袖に手を引っ込め、足を組み替えながら、それでも二時間以上遊んでいた。
誰が勝ったのかは覚えていない。罰ゲームの内容は覚えているが、人には話しにくい。
直人は手札を見たまま笑った。
「何ですか」
奈々が聞いた。
「いや、昔も七並べしたなと思って」
「どこで?」
「ルワンダです」
三浦が顔を上げた。
「ルワンダって、アフリカの?」
「はい。学生のときですけど」
「ずいぶん遠くでやってたんですね」
「停電して、することがなくて。外で懐中電灯をつけてやったんです」
「外で?」
「トランプしてたら、同じ宿の人も来て」
絵里が聞いた。
「停電、直ったんですか」
直人は少し考えた。
「覚えてないですね」
「そっちは覚えてないんだ」
奈々が笑った。
直人はハートの六を置いた。
「あ、やっぱり」
絵里が五を出した。奈々が四を続けた。
次の回、最初に上がった三浦が、美智子の手札をのぞこうとして叱られた。
「見ないで」
「もう終わってるんだから、いいじゃない」
「顔に出るから」
一回終わると、直人はカップを下げに立った。カウンターに置いていたスマートフォンで、運行情報を確認した。
更新の時刻は新しくなっていた。再開の見通しは、まだ書かれていなかった。
外灯の下を、雪が横切っていた。
「どうですか」
三浦に聞かれ、直人は顔を上げた。
「まだ分からないですね。明日のことも出ていません」
三浦はうなずいた。奈々がテーブルに置いていたスマートフォンを手に取った。レオンも窓を見た。
直人は明日の朝に炊く米の量を考えた。雪かきは、今日より早く始めたほうがいいかもしれない。
「朝、また見ましょうか」
美智子が言った。
レオンがうなずいた。
奈々は画面を少し見て、スマートフォンを鞄に入れた。
「もう一回、やります?」
三浦がカードを受け取った。
直人は流しにカップを置き、手を拭いた。戻ると、レオンが椅子を引いてくれた。
「直人さん、ここ」
カードが一枚ずつ配られた。直人はそろえて持ち上げ、端から数字を確かめた。
隣でレオンが小さく笑った。
「いいの、ありました?」
「言いません」
直人も自分の手札を胸に寄せた。
明日の朝も、この六人でご飯を食べるのかもしれない。
今度はもう、席を離しておかなくていい。




